巻頭言

農芸化学らしさを世界に伝える

Kaoru Takegawa

竹川

九州大学大学院農学研究院生命機能科学部門

Published: 2018-06-20

「化学と生物」の巻頭言原稿を依頼されて,どのようなことを書いたら良いのか途方にくれていたときに,ロシアでのワールドカップ直前になってハリルホジッチ監督の解任が発表され,西野氏が代表監督に就任するというニュースが飛び込んできた.2002年の日韓ワールドカップ以降,岡田監督を除いてサッカーの日本代表監督はトルシエ・ジーコ・オシム・ザッケローニ・アギーレ,そしてハリルホジッチと外国人監督が率いてきた.彼らの出身はヨーロッパや南米でサッカーのスタイルに一貫性がない.同じ日本代表でも野球の場合はすべて日本人監督が率いているのとは対照的である.これは守りをベースに失点を最小限に抑えて,機動力を交えて相手を攻略する高校野球からプロ野球まで徹底した日本の野球のスタイルが,WBCなどを通じて世界に通用するという自信の現れではないかと思う.ヨーロッパや南米には,それぞれの国で独自のサッカー観がある.ブラジル代表のような個人技を活かしたサッカーから,ドイツ代表のような球際が強く,力でボールを前線に運んで強烈なシュートを放ってゴールを脅かすものまで,同じサッカーといえども多様である.では日本代表の目指す「日本らしい」サッカーというのはどのようかサッカーなのであろうか.世界の舞台に挑戦している代表の目指すサッカーがぶれているようでは一時的に良い成績を収めたとしても心もとないと思う.

昨今,日本の大学も少子化に伴う18歳人口の減少が続き,「国際化」という名の下に英語での授業率を高め,優れた留学生を積極的に受け入れることに重点が置かれている.九州大学農学部でも国際コース学生として海外からの留学生を募集しており,何度かその面接を担当した.面接の際に受験生に併願している大学を聞くが,多くが欧米の大学と日本国内の大学を複数受験している.そして2つ以上の大学を合格した場合には,留学生はいわゆる世界ランキングの上位の大学に入学していることがわれわれのデータで明らかになっている.しかし彼らの中には,世界ランキングという定量的評価に従わずに,日本の大学で学ぶことを強く望んでいるアジアの学生も少なからず存在する.たとえば,普段口にしている食品に対して強い不安をもっている中国の学生は,食の安全に関する研究が進んでいる日本で学び,その技術などを自分の国で広める職に就くことを強く望んでいる.食の安全や機能性食品に関する研究は,生命・食糧・環境をキーワードとする農芸化学分野の重要な研究領域の一つであり,留学生にも受け入れやすく日本で学ぶモチベーションになりうると考えている.また,国内の企業にとってもグローバル化を目指すうえで,農芸化学関連分野で学んだ留学生は貴重な人材になりうる.

残念ながら日本人学生の博士課程への進学率が低下して,留学生の比率が相対的に上がっている.筆者の研究室でも学生の約3分の1が留学生であり,彼らにはBiochemistryやMolecular Biologyなどの基礎的な内容を学び,BiotechnologyやApplied Microbiologyなどのいわゆる応用研究へと展開していくという農芸化学教育の流れは,比較的無理なく受け入れられている.微生物の多様な機能を分子レベルで解析して,有用物質を創り出すという応用微生物学研究もやはり日本の強みの一つと考えている.これは言うまでもなくノーベル生理学・医学賞を授賞された大村 智先生をはじめ,世界的にも高い評価を受けてきた多くの先輩方のおかげでもある.高価な機器類や潤沢な研究費がなくても何とか研究が実施できることもアジアの学生には都合が良い.多くの留学生が日本で学んだ農芸化学的な考え方を自国に持ち帰って,国の発展や将来に役立ててくれれば非常にうれしく思う次第である.

国立大学も法人化され,運営交付金の削減に伴い大学教員の定員も減らされて仕事は増えるばかりである.研究者にとって新しい研究テーマを考えることや論文を書くことは最も重要な仕事であるが,時間に余裕がないと後回しにされているのが現状である.特に若手の教員のために自由に研究が行える環境を整えることが,年長者のわれわれが行っていくべきであると考えている.学生と若手の教員には、海外で勉強する機会を多く与えるように大学は環境を整備する必要がある.「日本らしさ」も海外に出て初めて比較ができることであり,国内にとどまっていては違いを実感することも難しい.この原稿が掲載されているときには,ロシアワールドカップの日本代表がどのような結果か明らかになっている.結果はどうあれ,少しでも「日本らしい」サッカーが西野監督のもとで達成できたことを願っている.