Kagaku to Seibutsu 56(8): 517 (2018)
巻頭言
寺子屋食堂とサイエンス
Published: 2018-07-20
© 2018 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2018 公益社団法人日本農芸化学会
私は理化学研究所で植物ホルモンの研究に40年ほど従事し,5年前に研究室を閉め,研究の現場から少し離れた国際部国際課で研究者をサポートしてきました.今年の3月の退職を機に何か社会に役立つことをしたいと思っていました.去年高校の友人から(NPO法人)川崎寺子屋食堂を立ち上げるので,助けて欲しいと依頼がありました.彼曰く,川崎市には約7,000の母子家庭があり,そのうち900所帯は生活保護を受けている.その子どもたちは勉強の意欲があっても家庭の事情や経済的理由で塾などには行けない.お母さんは一生懸命がんばっているが,仕事の都合で夕ご飯を子どもと一緒に食べることができないこともある.日本の将来を担う子どもが減少していく状況で,これらの子どもたちをしっかり育て教育することが元教育関係(某有名塾)に従事したものとして大切と感じている.母子(父子)家庭の数は増え,貧困と教育の格差は次第に大きな問題になってきている.自分はその解決のために残りの人生をかけ,寺子屋食堂を始めるので協力してほしい.寺子屋(私塾)は地方公共団体,NPO,個人がサポートしたり,子ども食堂も低価格や無料で食事を提供しているが教育はしていない.数人で一緒に食べるおいしい食事と質の良い勉強の両方を長期的に提供し,母子家庭の子どもが社会の中でしっかりと自立することができるように育てることが重要で,どちらが欠けても十分ではないと言われました.
寺子屋食堂では理事長が母親と子どもに面談し,真摯に向き合う家族の子どもたちを無償で受け入れています.川崎市や基金などの援助や一般の方々の献金で支えられ,クラウドファンディングでも多くの方がサポートしています.私は数学,化学,生物の指導ということでしたが,生徒と曜日の関係で,現在は小学6年生の国語と英語を教えています.食事はガストがケイタリングで4種類の日替わりランチを夕方に届けてくれるので準備が楽です.食事のバランスを良くするために近所や商店街の方々が野菜などを差し入れてくれます.
子どもたちは友達と一緒に話をしながら夕食をとり,空腹が満たされると笑顔がでてきます.私は食事中に毎回簡単な科学の質問をしています.植物を窓の近くに置くと,葉は光のくる方向に育っていくけど植物には目があると思うか? 食事のときの会話がにぎやかになってきて,子どもたちは勉強中よく質問をします.彼らは来年公立の中学に進学するので受験がありません.そこで,私は自分の意見を自分の言葉ではっきり表現できるようにディベートのやり方も少し教えています.先日子どもたちから勉強が楽しいと言われ,とてもうれしくなりました.寺子屋食堂では母子を音楽会へ招待したり,理事長が無料で夏のインドアスノーボードに招待するなど塾にはないスポーツ文化活動の楽しさも提供しています.
農芸化学は食と教育の融合したところが魅力の分野です.これからもわれわれ会員は退職を契機に,農芸化学会の支部や地域の公共施設などを利用して,学校とは一味違ったサイエンスの喜びを子どもたちに教えられたら良いと思います.私は中学1年のときに理化学研究所を先生と友達と見学して,科学に憧れを抱き科学の道に入りました.少子化の進むなかで進学のための塾も必要ですが,寺子屋食堂などの働きを通して貧困と教育の格差のない社会ができることを祈っています.http://terakoya.or.jp