Kagaku to Seibutsu 56(8): 550-557 (2018)
解説
農芸・香料化学の実践的活用香りはわれわれの生活を豊かにする
Practical Implementations of Agricultural and Aroma Chemistry: Aroma Makes Our Lives Affluent
Published: 2018-07-20
筆者は,山口大学農学部に着任して24年目となり,「香り」をテーマとして研究を続けている.香りを分子で捉え,有機化学的な観点から究明している.今回は,基礎的な研究ではなく,農芸化学と香料化学の融合的な研究内容とその実践的活用例を紹介したい.すなわち,香りのヒトに対する効果の検証例をもとに実践的な活用法の提案と,地域の要望を受け取り組んだ香りに注目した新食材や食品の開発例の,食べると柑橘の風味が広がる「柑味鮎(かんみあゆ)」,香りに特徴のある「山口大学スイーツ」,山口県の新たなソウルフードを目指した「山口餃子」を紹介する.
© 2018 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2018 公益社団法人日本農芸化学会
われわれは普段の生活のなかで,知らぬ間に香りに影響を受けていることがあり,ある種の香りはヒトに対して覚醒効果をもち,また他においては鎮静効果をもたらすと言われている.われわれは,香りに対して心理的変化は感情プロフィール,生理的変化は唾液中のアミラーゼ活性(ストレス指数),自律神経,脳波を対象にして測定を行い,それらの結果を総合的に判断して評価している.ここでは,香りのヒトの心理や生理に与える影響の実証例をもとに,有効な香りを提案したいと思う.
森林内を散策することによってストレスから解放され,心理的,生理的に改善効果が期待できると言われている.また,森林を構成する樹木はさまざまな芳香物質を放出し,アレロケミカル(フィトンチッドも含む)として機能していることが知られているが,これら香り成分のなかには,ヒトに対して,ストレスの解消や精神安定などのリラックス効果があることもわかってきた.山口県山口市内の森林セラピー基地で森林浴の有効性を検証しているなかで,ほかの木とは明らかに異なる特徴的香気を有するクロモジ(Lindera umbellate)に注目した.クロモジは,クスノキ科クロモジ属の広葉樹で,基地内に自生しており,その香気は森林浴に訪れる人々に心地よく感じられていた.そこで,連続蒸留抽出法によってクロモジの精油を調製し,その効果を検証してみた.クロモジ精油の瓶と精油なしの無臭の瓶を嗅ぐことによる唾液中のアミラーゼ活性に変化はなかったが(図1A図1■クロモジの香りのヒトへ与える影響),交感神経,副交感神経の割合を見てみると,クロモジ精油を嗅ぐと無臭瓶の場合と比較して交感神経活性の割合が減少し,副交感神経活性の割合が有意に増加する傾向にあった(図1B図1■クロモジの香りのヒトへ与える影響).また,脳波のうち,β波が有意に減少した.よって,クロモジ精油を嗅ぐと鎮静効果が期待できる結果となった.一方,クロモジ精油瓶を嗅いだ後のアンケートによって,気分が改善された,さらに体調も改善されたとの多くの回答を得た.クロモジ精油の香り成分は詳細に分析しており,その有効成分の特定を行っているところである.このことから,森林浴における木の香り(クロモジ)の有効な活用法を提案し,山口市のHPや講演などで紹介している.
われわれは温泉を好み,全国各地にさまざまな趣向を凝らした保養施設がある.古くは,岩風呂や浴槽内を蒸気によって熱気浴のサウナ状態として使用していた.たとえば,石室内で木を燃やして石を焼き全体を暖めた後,火をかき出してぬれたムシロを敷くと,蒸気によって熱気浴のサウナ状態が出来上がる.このムシロのかわりに,床一面に石菖(Acorus Gramineus Soland)の葉を敷き詰めると,蒸気とともにその葉から放出される香りがより爽快感を与え,疲労回復に有効であると言われていた.そこで,この伝統的疲労回復法における石菖の香りの効果を検証し,その有効性について検証してみた.クロモジと同様な測定方法により,石菖精油を嗅ぐと,唾液アミラーゼ活性が有意に減少することがわかった(図2A図2■石菖の香りのヒトへ与える影響).自律神経については,交感神経活性の割合が有意に減少し,副交感神経活性の割合が増加する傾向にあった(図2B図2■石菖の香りのヒトへ与える影響).このことから,石菖精油を嗅ぐと鎮静効果が期待できる結果となった.石菖精油の香り成分は詳細に分析しており,その有効成分の特定を行っているところである.
山口県においては,約800年前,奈良の東大寺再建の用材を切り出したときの遺跡で,重源上人によって花崗岩石を積み上げた「岸見の石風呂」があり,県内に同様な岩風呂が複数点在している.これは,当時の人夫の保養のために利用されていたと言われており,石菖が当時使われ,疲労回復に有効であると言われていた.今回,石菖の香り効果を検証した結果,石菖の精油の香りは,副交感神経活性を刺激して,よりストレスの解消や精神安定などのリラックス効果が期待できることが明らかになった.よって,岩風呂やサウナにおいて,蒸気とともにこのような精油の香りを吸引することにより,より爽快感を与え,疲労回復に有効であると結論づけ,その活用法を講演などで紹介している.
通常,植物より精油を調製して香り成分の分析ならびに試験が行われる場合,手法としては水蒸気蒸留が一般的であるが,精油採取後に残る芳香蒸留水(フローラルウオーター,ハイドロゾルとも言う)は,直接嗅いでもきつくない程度の濃度で,かつ,その植物由来の特徴的香気を有している.しかしながら,この芳香蒸留水はそのまま廃棄される場合が多く,その利用法は一般的にはよく知られていない.バジルはシソ科の1年草の香辛料で,葉は生のままあるいは乾燥して料理や精油としても利用する.バジルには30以上の種類があるが,なかでも心地よい芳香を有するホーリーバジル(Holy basil, Ocimum sanctum L.)のラマ(Rama Tulsi),バナ(Vana Tulsi)から芳香蒸留水を調製し,その香りのヒトに対する心理的,生理的影響に関して検証した.
ホーリーバジル(バナ)の芳香蒸留水を嗅いだ場合,唾液アミラーゼ活性に有意な増加(ストレス指数が増加)が見られた(図3A図3■バジルの香りのヒトへ与える影響).自律神経の活動度を比較すると,ホーリーバジル(ラマ)の芳香蒸留水が,被験者によって覚醒作用あるいは鎮静作用のいずれかに働くことがわかった(図3B図3■バジルの香りのヒトへ与える影響).これは,ラベンダーの芳香蒸留水においても同様な結果(被験者によって,覚醒作用あるいは鎮静作用のいずれか)を得ている.しかし,ホーリーバジル(バナ)には,このような作用は確認できなかった.よって,バナの芳香蒸留水の香りは,被験者に対して,ストレスを高めている可能性が示唆された.バジルの芳香蒸留水の香り成分は詳細に分析しており,その有効成分の特定を行っているところである.このことから,バジルの精油のみならず,芳香蒸留水の有効な活用法を提案し,介護施設での利用や,香りに注目した地域ぐるみの取り組みに発展している.
鮎は,川石に生えたケイ藻類を主食とし,この餌由来の香りが体表面から発せられ,“香魚(こうぎょ),キュウリ魚”とも言われるが,川魚は一般に特有の生臭さのイメージがある.われわれ日本人は焼き魚を食べるとき,魚特有のニオイ(生臭さなど)をさっぱりした風味にするため,柑橘を搾る食習慣がある.ということは,そもそも魚の飼料に柑橘を配合すれば,特有の生臭さの低減,さらには風味自体を改善できるのではないかと考えた.そこで,より嗜好性の高い鮎の開発を目指し,筆者と椹野川漁業協同組合との間で平成22年度に開始した.平成23年度より柑橘の果皮残渣を飼料として利用し,試験的に育てた鮎を生(背ゴシ)や塩焼きで食したところ,生臭さが一切なく,しかも柑橘の風味がすることがわかり,非常に驚いた.試食アンケートを実施し,開発した鮎と通常の養殖鮎を背ゴシ,塩焼きで食べ比べ,風味について評価を行った(図4図4■「柑味鮎(かんみあゆ)」の開発).その結果,背ゴシ,塩焼きのいずれにおいても,通常の養殖鮎と比較して,いずれも風味が有意に高い評価だった.アンケートの香りに関する記述欄に注目すると,通常の養殖鮎は「生臭い」が最も多く,つづいて,「キュウリのような」という結果であった.一方,開発した鮎は「爽やか」という評価が圧倒的に多く,つづいて,「柑橘を搾ったような」,「酸っぱい」という感想だった.以上のアンケート結果より,当初は生臭さの低減が目的であったが,生臭さどころか柑橘の風味がしっかりして,誰もがその風味を知覚できることがわかった.また,川魚が苦手という参加者も,この鮎なら食べられるとの回答を得,川魚離れを食い止めるきっかけになるに違いないと確信した.そこで,この開発した鮎を柑橘の風味のする鮎という意味で,「柑味鮎(かんみあゆ)」と命名し,同年に商標登録した.
そこで,「柑味鮎」,天然,通常の養殖鮎およびその背ゴシの香りの分類を,におい識別装置を用いて試みた(図5図5■におい識別装置による柑味鮎,天然,養殖鮎およびその背ゴシの主成分分析).まず,河川の違い(A, F, K)による天然鮎,養殖鮎(河川F)と「柑味鮎」の比較を行ったところ,香りの大きな違いは認められなかった.実際に,各鮎の香りを嗅いでみても,「キュウリ」や「スイカ」のように感じられたが,「柑味鮎」においても,特に柑橘の香りが強く感じられることはなかった.そこで,鮎をぶつ切りにして背ゴシの状態で測定したところ,「柑味鮎」の背ゴシはそのほかの鮎とは異なる香りの分布を示し,第一主成分において,その香りの質が明確に区別された.天然鮎Fの背ゴシと比較しても,香りの分布が大きく異なることがわかった.これは,鮎の体表面からでなく,内部の身の部分から柑橘の香りが放出されていることを意味している.つづいて,臭気指数を調べてみると,「柑味鮎」は通常の養殖鮎とほぼ同程度の臭気指数であり,天然鮎はいずれも臭気強度が弱いことが示された(図6図6■におい識別装置による柑味鮎,天然,養殖鮎およびその背ゴシの臭気指数).そこで,背ゴシにすると,「柑味鮎」は香りの強度が増すのに対して,天然鮎は強度が低下した.つまり,天然鮎の特徴的な香りは体表面から発せられ,身の部分の香りが弱いのに対して,「柑味鮎」は塩焼きや背ゴシを口に含んで咀嚼する際に,初めて柑橘の香りが身の内部から放出され,柑橘を搾ったような,ポン酢をかけたような感覚になることが明らかとなった.以上の結果より,試食によるアンケート結果とにおい識別装置による香りに関する正の相関が確認でき,「柑味鮎」の特徴を官能評価および機器分析結果の両面から証明できた.
「柑味鮎」のブランド化と地域連携の取り組みとして,平成24年より,6月の第一日曜を「あゆの日」と定め,毎年「あゆの日まつり」を開催して,今年で7年目になる(図7図7■あゆの日まつりと商品化).毎年,800~1,000名くらいの方が県内外からおまつりに参加していただいている.この活動により,「柑味鮎」は山口市や山口県よりブランド鮎として認められた.今後も,このおまつりを通じて「柑味鮎」の認知度を高め,川魚のもつイメージの改善,川産の魚介類の正しい知識を広める場を設けていく.なお,筆者の研究室の学生は地域連携活動として,おまつりの運営に参加している.平成26年度より山口大学も後援となり,大学のマスコットキャラクター“ヤマミィ”もおまつりを盛り上げている.