セミナー室

四倍体作物,ジャガイモのゲノム編集ジャガイモ育種の革新

Naoyuki Umemoto

梅基 直行

理化学研究所環境資源科学研究センター

Masaharu Mizutani

水谷 正治

神戸大学大学院農学研究科

Toshiya Muranaka

村中 俊哉

大阪大学大学院工学研究科

Published: 2018-07-20

はじめに

ジャガイモ(伝統的に公的機関ではバレイショと呼ぶ(1)1) 財団法人いも類振興会:“ジャガイモ辞典”,全国農村教育協会,2012.)は,南米アンデスを起源とする野生種から栽培化されたとされている.生産量は世界4番目で,直接口に入る食用作物としてもイネ,コムギに次いで3番目の食用作物である(2)2) FAO: FAOSTAT, http://www.fao.org/faostat/en/#home, 2017..単位面積当たりのタンパク質生産はダイズに次いで2番目(3)3) M. S. Kaldy: Econ. Bot., 26, 142 (1972).,水の消費量あたりのエネルギーやタンパク質生産量では1番目と報告されており(4)4) D. Renault & W. W. Wallender: Agric. Water Manage., 45, 275 (2000).,持続可能な開発目標(SDGs)を目指すためにも重要な作物と位置づけられる.現在の品種の大部分は同質四倍体であり優良品種を塊茎(いも)で栄養繁殖する.遺伝子構成がヘテロであるため,育種はほかの種子繁殖をする主要作物と比べて遅れている.QTL解析による遺伝子の同定や育種への応用,ランダム変異プールから遺伝子変異の同定による利用,F1ハイブリッド育種(オランダのSolyntaで取り組まれている(5)5) Solynta: Hybrid potato breeding, http://solynta.com/, 2018.)などの報告は限られている.一方で遺伝子組換えによる形質転換が容易なこともあり,果樹や精英樹などエリート品種を挿し木や組織培養で栄養繁殖している産業上重要な植物の育種のモデルともなっている.日本での2014年のジャガイモの消費量206万トンの内訳をみると,青果用33%以外に,でん粉用41%,加工用26%でポテトチップなどの菓子やコロッケ・サラダの食品メーカーの加工品原料に利用されており,食品産業の利用という重要な面を持ち合わせている作物である(6)6) 田宮誠司:砂糖類・でん粉情報,2016年10月号,62 (2016).

ジャガイモのゲノム編集の進展

新しい育種技術(NPBT: New Plant Breeding Techniques)の一つである人工制限酵素は,切断する配列を自由にデザインすることができるため標的遺伝子を破壊することができる.ゲノム編集技術については,最も広く使われる人工制限酵素を用いた方法を説明する.原理などは前号まで掲載された本セミナー室や雑賀と土岐のイネでの解説(7)7) 雑賀啓明,土岐精一:化学と生物,55, 676 (2017).を参照されたい.人工制限酵素を用いた技術が多くの育種関係者から注目されたのは,2011年のCermakら(8)8) T. Cermak, E. L. Doyle, M. Christian, L. Wang, Y. Zhang, C. Schmidt, J. A. Baller, N. V. Somia, A. J. Bogdanove & D. F. Voytas: Nucleic Acids Res., 39, e82 (2011).による,それまでの技術より格段に実用的に切断配列をデザインできるようになった人工制限酵素としてTALENを用いた報告からである.われわれのグループが着目したのも,この時点からであった.その後,より簡単に人工制限酵素を作ることができるCRISPR/Cas9によって広く利用されるようになった.植物では遺伝子組換えの手法を用いて,ゲノムに人工制限酵素を発現させる部分(ゲノム編集ツール)をいったんゲノムに組み込んでゲノム編集をする必要があった.そのためゲノム編集の実験では遺伝子組換えの容易さが必要な条件であった.品種によるが,ジャガイモはタバコと並んで遺伝子組換えが容易なことから,1980年代末頃から遺伝子組換え実験の材料として使われてきた.ジャガイモのゲノム編集としては,われわれが行ったTALENを用いたSSR2遺伝子の破壊についての2014年の報告が最初の例である(9)9) S. Sawai, K. Ohyama, S. Yasumoto, H. Seki, T. Sakuma, T. Yamamoto, Y. Takebayashi, M. Kojima, H. Sakakibara, T. Aoki et al.: Plant Cell, 26, 3763 (2014).図1図1■ステロイドグリコアルカロイド生合成経路の分岐にかかわるSSR2遺伝子と同遺伝子を標的にしたゲノム編集植物での変異).SSR2遺伝子はステロール24位還元酵素をコードしており,ジャガイモの食中毒の原因物質であるステロイドグリコアルカロイドの生合成経路と,植物が共通してもっている植物ステロールやホルモンを作る生合成経路の分岐にかかわる遺伝子である.詳しくは以前の解説(10)10) 梅基直行:化学と生物,53, 843 (2015).や論文(11, 12)11) N. Umemoto, M. Nakayasu, K. Ohyama, M. Yotsu-Yamashita, M. Mizutani, H. Seki, K. Saito & T. Muranaka: Plant Physiol., 171, 2458 (2016).12) M. Nakayasu, N. Umemoto, K. Ohyama, Y. Fujimoto, H. J. Lee, B. Watanabe, T. Muranaka, K. Saito, Y. Sugimoto & M. Mizutani: Plant Physiol., 175, 120 (2017).を参照されたい.SSR2遺伝子の破壊により,ステロイドグリコアルカロイド含有が極めて低い系統を得ることができた.ここでジャガイモとして重要なことは,使用したジャガイモは四倍体の品種(サッシー)であり,1回の実験ですべてのアレルを破壊することができ,潜性(劣性)の表現型を確認できたことである.変異体を得るために自殖できる二倍体作物ではランダム変異のプールから変異遺伝子をもつ変異体を得て,それを交配することで標的遺伝子が破壊され表現型が出る潜性変異を固定することができる.四倍体のジャガイモは変異を見いだしても交配の集積に二倍体植物の2倍以上の時間がかかる.また,ジャガイモには自殖弱性や,後述するように細胞質優性不稔の系統が多いことなど交配に制限があるため,交配によって変異遺伝子を集積して表現型を得るのは極めて困難である.ゲノム編集技術を使えば,1回の操作で潜性変異を固定し表現型が確認できることになり,ジャガイモでも潜性の育種の可能性が開かれる.以降,さまざまなグループで切断活性をもつ人工制限酵素のデザインを行い,形質転換効率のいいジャガイモを使うことによって遺伝子欠失をもつジャガイモのゲノム編集個体が得られている.

図1■ステロイドグリコアルカロイド生合成経路の分岐にかかわるSSR2遺伝子と同遺伝子を標的にしたゲノム編集植物での変異

ヌルセグリガントを得るために

ゲノム編集ツールは遺伝子組換えにより導入する必要があるが,変異を得たあとではゲノム編集ツールは不要になる.自殖容易なイネやトマトはゲノム編集ツールが染色体上に1コピーであれば,メンデルの法則にしたがって自殖後代で1 : 3に分離してゲノム編集ツールを含まない個体を容易に得ることができる(図2図2■交配によるヌルセグリガント獲得の模式図).これをヌルセグリガントと呼ぶ.ゲノム編集ツール自体も環境中の野生生物に大きな影響を与える「遺伝子ドライブ」をもたらす危険性が指摘されており(13)13) H. Ledford: Nature, 524, 16 (2015).,除去することが望ましい.ヌルセグリガントは育種過程に遺伝子組換え技術を適用するが,最終的にできる系統・品種には遺伝子組換えに用いた外来の遺伝子は存在しないことになる.変異だけをもつことから,慣行の育種技術によって作出された農作物,つまり自然や化学処理などの(突然)変異を集積した変異体と区別ができない.すなわち,慣行の突然変異育種法によって作出される農作物とみなすことができるため,生物多様性に関して懸念すべき事項はないと判断できる旨の報告書が農水省のHPに記載されている(14)14) 新たな育種技術研究会:資料1新たな育種技術研究会報告書の概要,http://www.affrc.maff.go.jp/docs/commitee/nbt/top.htm, 2015..このようにヌルセグリガントの状態になったゲノム編集植物は遺伝子組換え植物ではないと判断されることが期待される.本稿を書いている時点では日本でのゲノム編集植物の規制や表示のルールは検討中とのことである.米国では,すでにゲノム編集植物やキノコが遺伝子組換えなどの規制の範囲外であるとの判断が米国農務省(USDA)から出ており,自由に栽培および販売することができるようになっている(15)15) E. Waltz: Nat. Biotechnol., 36, 6 (2018).

図2■交配によるヌルセグリガント獲得の模式図

しかしジャガイモについてはヌルセグリガントを得ることには課題がある.北海道のジャガイモ畑では紫や白い花を見ることができるが,そのほかの地域ではなかなか見ることはできない.さらに,その花が結実するのはまれである.ジャガイモは塊茎を生産し,その塊茎で増殖できるため花や実がつかなくても問題にはならない.ジャガイモはトマトとゲノムが92%同一であり(16)16) Tomato Genome Consortium: Nature, 485, 635 (2012).,条件が整えばミニトマトのような果実をつけるが,ジャガイモの実はいつまでも緑色のままである.今ある品種は,このような果実から得た種子を播種し,品質,生産性,栽培性,耐病性などの優良な形質を選抜して確立した塊茎によって増殖するクローンである.二倍体の系統は自家不和合であるがSli遺伝子座(17)17) K. Hosaka & R. E. Hanneman Jr.: Theor. Appl. Genet., 76, 172 (1988).をもっている場合は自殖が可能となる.四倍体の場合は結実の難易は品種に依存しているが,帯広畜産大の保坂らは,その原因は多くの品種で細胞質雄性不稔のためであると報告し,このことがジャガイモ育種の幅を狭める原因となっていると議論している(18)18) C. Phumichai, M. Mori, A. Kobayashi, O. Kamijima & K. Hosaka: Genome, 48, 977 (2005)..日本を含めた世界の主要な品種は,この細胞質雄性不稔の形質を持ち合わせているために母親にしかなることはできない.われわれが形質転換のしやすさから実験材料として利用してきた前項の品種「サッシー」も同じく細胞質優性不稔である.そのため日本のジャガイモ育種団体で作出された花粉稔性の高い系統で自殖できる二倍体種である97H32-6(17)17) K. Hosaka & R. E. Hanneman Jr.: Theor. Appl. Genet., 76, 172 (1988).と品種「ながさき黄金」の親である西海35号(19)19) K. Mori, N. Mukojima, T. Nakao, S. Tamiya, Y. Sakamoto, N. Sohbaru, K. Hayashi, H. Watanuki, K. Nara, K. Yamazaki et al.: Am. J. Potato Res., 89, 63 (2012).を提供いただいた.これらの品種を利用しゲノム編集個体を作出しSSR2遺伝子が破壊された系統を得ることができた.これらはゲノム編集ツールを含む遺伝子組換え体である.いずれも閉鎖屋内の環境で自殖を行い結実することができ(図3図3■SSR2遺伝子が破壊された西海35号のジャガイモ果実),種子から得られる個体にはヌルセグリガントが含まれると期待される.ほかのグループでも同様に自殖によってジャガイモからヌルセグリガントを得た報告がある(20)20) N. M. Butler, P. A. Atkins, D. F. Voytas & D. S. Douches: PLOS ONE, 10, e0144591 (2015)..しかし,ジャガイモの場合は上述のとおり,遺伝構成がヘテロであるため交配によって得たヌルセグリガントは親系統とは異なる性質をもつ.自殖の場合は自殖弱性のために得られた集団の中から品種にするのは極めて困難であると考えられる.われわれは花粉稔性をもつ品種「さやか」でもゲノム編集個体を得ており,「サッシー」,「西海35号」も含めて現在日本の育種業界で親として利用している優良母本でゲノム編集個体を得ることができた.実用化を進めるために新しい品種としてヌルセグリガントを得る目的で,これら品種間の交配を進めている.

図3■SSR2遺伝子が破壊された西海35号のジャガイモ果実

当代でゲノム編集ツールを組込まないゲノム編集されたジャガイモ

ジャガイモなど栄養繁殖性の作物では交配によってヌルセグリガントを得ても,親の性質を維持できないため,改めて品種選抜をしなければならない.つまり,実用化するためには,従来の育種に必要な段階を経て品種を作り直さなければならない.早期に品種を出す,社会実装を目指すためには交配を経ずに,なおかつ,ゲノム編集ツールを含まないゲノム編集個体(当代ヌル)を得る方法が望まれる.いくつかの手法が開発されつつあり,以下にこれらを概説する(図4図4■当代でゲノムに組込んだ痕跡をもたないゲノム編集ジャガイモを獲得する方法や課題).