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ヒガシマル醤油株式会社取締役研究所長 古林万木夫氏

Makio Kobayashi

古林 万木夫

ヒガシマル醤油株式会社取締役研究所長

Published: 2018-07-20

ヒガシマル醤油株式会社は,淡口醤油の発祥の地である兵庫県たつの市で400年以上にわたり醤油を造り続けている,淡口醤油のトップメーカーです.淡口醤油以外にも,醤油をベースにした液体調味料,めんつゆ,白だしのほか,うどんスープなどの粉末調味料を製造,販売しています.今回は,たつの市にある工場内の研究所に古林万木夫研究所長を訪ね,ご自身のご経験に加えて,関西支部技術賞を受賞された研究をはじめとする研究開発の内容や,学会への提言や学生へのメッセージなどをお話いただきました.

博士課程に出向

—— 学生時代はどんなご研究をされていたのでしょうか?

古林 広島大学工学部発酵工学科の永井史郎先生の研究室に所属し,学部生のときは嫌気性細菌を用いたビタミンB12の生産に関する研究をしていました.大学院からは研究室として全く新しいテーマを立ち上げて,ヘマトコッカスという藻類を使ったアスタキサンチンの生合成に関する研究に着手しました.修士課程修了後にヒガシマル醤油に就職しましたが,入社後すぐに出向という形で博士課程に行かせていただきました.研究は大学で行い,会社に定期的に帰ってきて研究報告をするという形です.博士課程でも藻類の研究を続けました.研究室としての全く新しいテーマだったので立ち上げには苦労はしましたが,その経験があったからこそ,会社でも新しい仕事ができたのかなと思います.今でこそ社会人コースというのもありますし,論文博士というのもありますし,実際ヒガシマル研究所でも論文博士を取得する者もおります.博士取得は目的ではなくて,それが過程というか,プロセスとしてキャリアアップというか,挑戦する能力を向上させるということかと思います.

—— 博士課程進学か就職かを選ぶ際に両立できたんですね.

古林 そうですね.今だと,企業の方でも社会人コースという形で行くケースが多いと思いますので,その走りみたいな形なのかなと.当時はそういう制度がありませんでしたが,博士を取ってから会社にという人は少なかったですね.もちろん今では博士課程を修了して入って来る者もいます.逆に,今はいろいろな大学で講義をしたり,客員教員をさせていただいたりとか,そういうことで大学でも会社の人を活用されるケースが結構最近は増えてきていると思います.最近だと中学校とか高校とかで講義する機会も結構多くなってきましたね.

—— 研究所は農芸化学分野の出身の方が多いのでしょうか?

古林 やはり昔から伝統的に,農芸化学,発酵工学の出身者が多いですけれども,今はそれに加えて調理とか栄養とかそういう分野の出身者も増えてきており,食にかかわる分野の者が多い.工学系も多いです.「農芸化学会」は,和文誌の名称は変わりましたが,やはり昔からずっと馴染みがあり,伝統がある名前ですので,研究所内でも今も十分,根付いていると思います.いい名前だと思いますね.

ヒガシマル醤油の研究開発

—— 工場と研究所の役割分担や,基礎研究と応用研究のバランスについて教えてください.

古林 やはり研究所で,基礎的な研究,あるいは実製造に至るまでの技術改良を行い,それを工場で実製造にもっていく.そのときは研究所も製造も一緒になってやっていきます.やはり基礎的な研究も大事ですし,それを実際に応用する研究というのも大事です.応用研究の中ではやはり商品開発というのも大事ですし,品質管理のうえでの分析技術の開発というのも大事ですし,研究所ではそういうものをまとめて全部行っています.元々の研究所は醸造の研究がメインでしたが,今では,複合的な領域も含めて,安全・安心にかかわる研究,おいしさの研究,健康・栄養に関する研究というところまで広げています.

—— 2016年には「醤油多糖類SPSの健康機能に関する研究開発」で関西支部技術賞を受賞されましたが,商品化に結びついたのでしょうか.

古林 はい.実際にSPSの抗アレルギー作用を生かしたサプリメント「四季爽快」を開発したり,鉄分吸収促進機能もありますので,女性研究員が中心となって「おいしく鉄分がとれるしょうゆ」という商品も開発しました.確かに基礎研究をものづくりにつなげるという部分も大事だと思いますが,そういうトータルの部分を含めて,この賞をいただいたと思っています.

振り返ってみると,このSPSというのは元々タンパク質の研究からスタートしました.醤油原料の大豆・小麦に含まれるタンパク質は,醸造工程でアレルゲン性を示さないところまで完全に分解されます.また,でんぷんのような小麦の多糖類もぶどう糖にまで分解されるのですが,大豆の多糖類は麹菌の酵素でも完全に分解されずにSPSとして残っている成分です.大豆タンパク質の麹菌による分解についていろいろ調べていって,多糖類に行き着き,それの機能性としていろいろな作用機序があることを明らかにしていったということです.ですから,元々は醸造の研究からスタートをしていったものが,機能性というところにつながっていったということです.

—— いろいろな研究があるなかで実際に商品まで行くケースは多いのでしょうか?

古林 行けるように頑張っているということしか言いようがないですね.ヒガシマル醤油は淡口醤油のトップメーカーですが,その淡口醤油を使うと低い塩分濃度でおいしく仕上がる機構というのを学術的に解明して,国立循環器病研究センターと共同研究を行って調味料「かるしお八方だし」を開発した研究例もあります.

また,醤油の原料としては大豆・小麦が大事ですので,醤油に適した大豆・小麦の研究を,種子の段階から農研機構と一緒に進めておりますし,実際に地元では,多数の生産者団体をはじめ,JA・たつの市・兵庫県などと連携して実生産レベルでの取り組みを行っています.

安全・安心という点では,醤油醸造中に小麦のアレルゲンが分解されてなくなることを明らかにして,厚生労働科学研究班の「食物アレルギーの栄養指導の手引き2008」には,「小麦アレルギーでも醤油を除去する必要は基本的にない」ことが記載されました.これは直接ものづくりではありませんが,このような安全・安心の研究も進めています.小麦アレルゲンに関する研究に関しては,免疫学的な研究を新たにスタートさせましたので,その際にはいろいろな大学の先生方にご指導いただきました.スタートしたのは私が40歳頃でしたが,免疫学を勉強することで,SPSの抗アレルギー作用のような研究につながっていきました.製品に結び付くというのも大事ですが,これは小麦アレルギーの患者さんにとっていい情報提供ができればということで行った研究です.実際,医学系の学会で発表するようになり,アレルギー患者の人に醤油を使っても大丈夫だということを発信できているというところが意義あるところかなと思いますね.

醤油醸造で大事なのは「一麹,二櫂(かい),三火入」です.「櫂」というのはもろみを混ぜる道具のことなので,麹ともろみと火入が大事ということです.清酒醸造など日本固有の醸造でも麹というのは共通ですけれども,醤油醸造では火入が非常に意味がある工程です.小麦アレルゲンは「一麹,二櫂」,つまり麹ともろみの段階で分解されますが,大豆アレルゲンは麹・もろみでは完全に分解されず,最終の火入で熱変性を受けて不溶化し,ろ過によって最終的になくなるということを明らかにしました.古くから行われてきた醸造というものを違う研究の視点で見ると,やはりそれぞれ意味がある工程だなというのを改めて感じます.

このような研究を始めたきっかけというのは,醸造の研究からスタートしていまして,お酒やお酢とは違って,醤油の場合は小麦と大豆というC源とN源を両方使うというところに特徴があります.麹菌酵素による分解や微生物による発酵が中心ですので,単純な成分だけで見ると,最終的にはアミノ酸になってしまえば小麦か大豆かどちらに由来するアミノ酸かわからないですが,大豆と小麦どちらが分解されやすいのか? ということで,それぞれの抗体を使って分解を調べたところ,小麦よりも大豆のほうが分解されにくいということがわかり,以降の研究が進んでいった次第です.

醤油醸造というのは高濃度の食塩の環境下にあるということで,高塩濃度でいわゆる雑菌を殺して,それから耐塩性乳酸菌が生えてpHを下げて,次に酵母発酵が進んで,酵母が作るアルコールで乳酸菌が死んでいってということで,複数の微生物が交代しながら醸造しているというところが,世界に類のない発酵方式だと思います.先ほど申し上げましたようにC源とN源の両方が入っているというところで,日本でも珍しい醸造物だと思いますし,原料割合の違いで,小麦が多い白醤油,大豆が多い溜醤油など,醤油のバラエティーも非常に興味深いなと改めて思います.

—— 研究テーマの設定はどのようにされるのでしょうか?

古林 研究テーマの設定で一番大事なことは,研究に限らず商品開発でもそうですが,誰もここをやってないというところがまず大前提としてあって,それからいろいろなものに挑戦していくことですね.醤油醸造が中心というのは確かに違いないので,誰もどこもやってないというところで深掘りしていく.そして安全・安心・おいしさ・健康・栄養というところで今は進めています.今後またそこに新しい分野というのが出てくるかもしれません.ただ,いくら健康だとか栄養だとか言っても,やはりおいしいっていうのが原点にありますので,おいしさの研究というところを軸というか大切にしています.

—— 研究対象が広がって行く場合,スペシャリストがそれぞれにおられるのか,同じ人が自分で調べながら深くやっていくのか,どちらなのでしょうか?

古林 私も微生物というか発酵の出身で,会社に入ってからは醤油の醸造について微生物面から研究をしていましたが,そこから免疫学や動物実験を40歳頃から中年の手習いというようなことでやってきましたので,別にスペシャリストというつもりではないのですが,やはり年齢関係なくいろいろなところにチャレンジしていけばいいのかなと思います.特にあなたはこれが専門という決め方をしませんし,もっともっと自由にやってもらったらなと思います.

答えを出すための挑戦

—— 大学での講義などで学生と触れ合われる機会も多いと思いますが,今の学生に対して求められることは?

古林 私が学生の頃と違って,今の学生さんはすごく真面目だと思います.私もその当時のことを振り返ってそんな偉そうなことは言えませんが,やはり学生のときは答えを探すというか,答えを求めるっていうところが中心だったと思いますので,今後は答えを導き出すというか,成果も大事ですがそのプロセスというところをちょっと大事にしてほしいなと思います.

私自身振り返ってみて学生時代にもっと勉強しておけば良かったと思うのは,普通だったら英語とかそういうことを言うのだろうと思いますが,やはり歴史ですね.歴史といえば人物が中心の歴史だったと思うのですが,食品メーカーで食に関することに携わるようになってからは,暮らしに密接な歴史というか,端的に言えば食文化であるとか,ユネスコの無形文化遺産に和食が登録されましたが,そういった日本の伝統的な食の歴史というものをもっと勉強しておれば良かったなと思います.たとえば京都だと精進料理とかそういうものも今も続いている食文化であると思いますので,そういったものを学んでおけば良かったなと思います.また,和食の中にも懐石料理があったり,精進料理があったり,いろいろな料理が融合して今の形になってきていると思いますので,食べ物以外も含めて今も続いている暮らしのうえでの歴史というところは,やはり後世にも守って伝えていく部分でもありますし,外国に方に料理の説明をする際にも,そういう歴史的な背景も必要になるだろうなと思います.

実際の研究の部分で言えば,統計というところがあまり高校のときからそんなにちゃんとしてないというか,おろそかにしていた部分ですので,研究現場ではやはり統計的な手法というのは非常に大事なんだなと思います.反省も含めてですが.英語に関しては,私も十分話せるとは思いませんが,海外から招待されて話すこともありますが,それはあくまでも手段であって,頑張ったら何とか通じるっていうところがありますね.

—— 会社として学生に望まれる資質などあれば教えてください.

古林 先ほど申し上げたように,ヒガシマルに限ったことではありませんが,社会に出たら答えがあるものではないと思いますので,答えを導くっていうことが会社というよりも学生時代と大きく違うところかなと思います.そこをやはり社会性をもって挑戦するっていうところが大事なのかなと.まだ誰もやってない,どこもやってないということに挑戦するっていうところで,結果としてうまくいかなくても,その経験というのは別のことで必ず生きてくると思います.

—— どんどん挑戦していくような資質が求められるということですね.

古林 私の学生時代は今のようにWebが発達してなかったので,調べるとなると辞書を見たりとか,本を見たりとか,それでも答えは探しましたが,やはり答えを導くというところはいつの時代も大事なのかなとは思いますね.でも,短い期間でその答えを出すというのも当然,部分部分では大事なところはあります.あとは研究のスピードというのも大事ですので,小目標を設定してやるっていうことだと思います.やりがいをもって,楽しく厳しくやるということでしょうね.

—— 関西支部ではいつもご協力いただいておりますが,農芸化学会に対するご意見・ご要望をお聞かせください.

古林 関西支部の先生方は,賛助企業のささいな意見にも,それはいいということですぐ動いてくださるので,すごいなと思います.たとえば何年か前から,「もっと知ろう賛助企業」という支部賛助企業を紹介する行事がありますが,ああいうものもすぐに実現していただきましたし,すぐ行動に移してくださる先生方の実行力はすごいなと思います.本当に学生さんも興味をもって聞きに来ていただいているいい機会ですから,インターンシップみたいな感じなのかなと思います.

—— そのインターンシップが最近増えてきていますが,どのようにお考えでしょうか?

古林 インターンシップよりも以前から,兵庫県ですと中学校でトライやるウイークというのがあります.高校もオープンハイスクールとか,大学もオープンキャンパスとか,なんかそういう体験型が増えてきているのかなと思います.その延長として,企業のインターンシップがあるということかと思いますが,ヒガシマルでもそんなに大々的にということではないですが,まあ部分部分でという形で予定しています.

最近では,学会主催の見学会のような形のものもされていて,継続して続けるのは少し難しいところもありますが,そういうのは学生さんにとっては非常に勉強になるんじゃないかと思います.ヒガシマルでは,学会からの工場見学会だけでなく,大学のフィールドワークという授業の一環として来られたりする場合もあります.たつの市までというのは結構遠いのですが,是非お越しいただければと思います.

縁を大事に

—— 最後に学生や若手研究者へのメッセージをお願いします.

古林 この記事を読まれた方は,兵庫県ののどかな地方にあるヒガシマル醤油という会社自体をあまりご存じない方がおられるかもしれませんが,やはり地方にも,自分で自分のことを言うのは何ですが,いい会社があるよというところも感じていただきたいなと思います.学生時代にも,大学院でアスタキサンチンという新しい研究をスタートして,たまたま同時期にドイツとイスラエルとシンガポールからの論文が私たちのも含めて出たのですが,ドイツやイスラエルの人がすぐに広島大学の研究室を訪ねて来ました.そういう意味で地方の大学であっても,研究次第でやっぱり外国からすぐ来るんだなと感じました.同じようにアレルゲンの分解とかSPSの研究を論文に出していましたけれども,イタリアの先生から,「今度,国際会議でプレナリーで話してみませんか」っていうメールが届いて,全然知らない人だったんですが,そういう意味でやはり縁というか,そういうつながりというのは大事だなと今実感をしています.産学連携に関しても,過去にいただいた研究助成もいろいろな先生とのご縁でいただいたものですし,関西支部技術賞も含めた学会からの表彰についても,推薦してくださる先生方がたくさんおられたということで,やはり縁というのが大事だと思います.40歳の頃に免疫関係の仕事を始めたときも,最初は大学の先生が,「じゃあ,ヒガシマルへ行って,実験の実地指導をしてあげるから」ということで,休みの日に来ていただいて,私と2人で一緒に実験をさせていただいたのですが,それも農芸化学会の京都大会でたまたま席が隣に座った先生で,そこから共同研究がスタートしたんです.だから,いろいろな面で縁とつながりというのは大事だなと思います.当然ヒガシマルに入社してくる人も縁ですし,ヒガシマルの商品を買ってくださるお客様も縁ということですね.

—— 本日は興味深いお話をどうもありがとうございました.

Appendix

聞き手 由里本博也

京都大学大学院農学研究科

増村威宏

京都府立大学大学院生命環境科学研究科