Kagaku to Seibutsu 56(9): 585 (2018)
巻頭言
喜寿を迎えて思うこと
Published: 2018-08-20
© 2018 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2018 公益社団法人日本農芸化学会
学術論文におけるデータ捏造改ざんの報道がありました.「私の記憶にある限りでは捏造改ざんはしていないし元のデータは廃棄してしまいました」というような嘘をつかず,モラルに反する行為と認めたために著者は速やかに懲戒解雇になりました.一方で国の指導的立場の人たちによるデータ捏造,記録文書の隠蔽改ざん,虚偽発言といったモラルに反すると思われる行為が次から次へと報道されますが,彼ら自身が自ら進んで事実を認め明らかにしようとする姿勢は全く見られません.社会にとって大切な何かが失われてきているように思えます.このことを踏まえてモラル本能とその社会的意味について少し考えてみました.
本能にはいろいろあると思いますが基本的な本能として食欲,性欲,権力欲(供給が需要に足りないときは自分が生き残るために他者より強い権力をもつ必要があるでしょう)が考えられます.これらの本能は生存欲というものを理屈抜きに認めることによって納得できるでしょう.これらの本能が遺伝的に継承されてきたおかげで人類はその誕生以来現在まで生存を続けています.ところで食欲本能を満たす食物の獲得には狩りや農作業のような共同作業が必要であったでしょう.そうすると上記の個人的本能と調和したかたちでさらに集団協調本能(モラル本能)というようなものがあってもおかしくないだろうと漠然と考えていたところ,たまたま目にした新書本(1, 2)1) 内井惣七:ダーウインの思想—人間と動物のあいだ,岩波新書,2009.2) 亀田達也:モラルの起源—実験社会科学からの問い,岩波新書,2017.でモラルは古くから深い学問的考察の対象になっており,実際にモラルが進化過程で本能として位置づけられることを知りました.すべてを理解できたわけではありませんが,モラルの観念は利他行為が何らかの形で自己利益につながる相互利他性という社会的本能に基づいていること,属する社会の習慣によって大きく影響されること,他の本能との葛藤があること,さらに,異なる社会(異なる国など)の間でのモラルのぶつかり合い,などなど,モラルについての広く深い考察が行われていることを知りました.そしてモラルは社会形成の要となるような重要な本能であることに思い至りました.
モラルの意味するところは,抽象的表現ですが,社会に属する人々が集団としての暮らしをお互いに保証するための暗黙の約束事,もしくはそれを守ろうとする心や振る舞い,と言えるだろうと思います.ただモラル本能は間接的な社会的本能に由来するので,個人的本能(食欲,性欲,権力欲など)との間で調和が取れない場合は軽視されることがあるでしょう.それを戒める手段としてモラル破りを罰する法律というものが必要になるのでしょう.現在の日本の社会では先に述べたように,国の指導的立場の人々が次々と想定外のモラル破りを行っています.想定外のモラル破りにはそれに対応した法律が想定されていないので,法的処罰が難しくなります.最近は大企業によるデータ捏造をはじめとして,同様なモラルに反すると思われる行為がしばしば報道されます.気づかない間にモラル軽視に鈍感な世の中になってきているような気がします.「君たちはどう生きるか」という漫画本(3)3) 吉野源三郎 原作,羽賀翔一 漫画:君たちはどう生きるか,マガジンハウス社,2017.が1年足らずの間に200万部を超えるベストセラーになっているのはこのような日本の現状に多くの人たちが不安や危機感をもっている現れではないのだろうかと思います.日本社会がこれからどうなっていくのか,構成員である私たち一人ひとりが考えざるをえない立場に立たされていることを強く感じます.
Reference
1) 内井惣七:ダーウインの思想—人間と動物のあいだ,岩波新書,2009.
2) 亀田達也:モラルの起源—実験社会科学からの問い,岩波新書,2017.
3) 吉野源三郎 原作,羽賀翔一 漫画:君たちはどう生きるか,マガジンハウス社,2017.