解説

美味しさの鍵を握るビール酵母の魅力を探る下面発酵酵母の解析から見えてきたもの

Explore the Charm of Brewer’s Yeast Which Holds the Key of Good Taste: What Has Been Seen from Analysis of Bottom Fermentation Yeast

Hiroyuki Yoshimoto

善本 裕之

キリン株式会社酒類技術研究所

Satoshi Yoshida

吉田

キリン株式会社ワイン技術研究所

Keiko Kanai

金井 圭子

キリン株式会社綜合飲料分析センター

Osamu Kobayashi

小林

キリン株式会社酒類技術研究所

Published: 2018-08-20

ビール酵母には,エールやヴァイツェンなどの製造に用いる上面発酵酵母とラガー製造に用いる下面発酵酵母の2種類が存在する.下面発酵酵母は,上面発酵酵母と比較して,低温での増殖・発酵性に優れ,高いエステル生成能,発酵終了後の凝集などの特性をもち, 2種類の酵母(Saccharomyces cerevisiaeSaccharomyces eubayanus)に由来するサブゲノムをもつ異質倍数体,Saccharomyces pastorianusに属する.一つの細胞に2つのサブゲノムがどのように構成され,遺伝子発現を調節し,代謝物を制御して,表現型を現し,醸造特性を発揮しているか,下面発酵酵母の特性を把握するための解析技術を開発・活用しながら,その特性の理解を試みるとともに,得られた知見を解説する.

はじめに

ビールは,古くから飲まれている飲料であり,その歴史はおよそ5000年も昔にさかのぼることができる(1)1) W. Kunze: “Technology Brewing and Malting (4th revised English Edition)”, VLB Berlin, 2010, p. 21..ビールは神の恵みである神聖な飲み物と考えられていた.当時のビールづくりについては諸説あり,焼いたパンを砕いて水を加え自然に発酵させていた説(2, 3)2) 北島 親:“ビールとホップ”,徳間書店,1968, p. 34.3) 村上 満:“ビール世界史紀行”,東洋経済新報社,2000, p. 15.や,既に酵母を培養して用いていたという説もある(4)4) H. Ishida: MBAA TQ, 39, 81 (2002)..酵母によって糖を分解して,アルコール発酵が行われていたが,当時は酵母による発酵という概念はまだなかった.古代の人々は知らず知らずのうちに,酵母を用いてビールを造っていたことになる.中世に入ると,ヨーロッパでは,修道院でビールが造られるようになった.さまざまな原材料が用いられる中で,ハーブの一種であるホップが使用されるようになりビールの品質が向上し,上面発酵酵母によるエール製造が台頭してきた.15世紀になると,品質のより安定したビールを製造するために,ビールの味を損ねる雑菌の働きを抑える低温での発酵が採用されるようになった.そこで,低温での増殖性に優れた下面発酵酵母の使用が始まった.上面発酵酵母と下面発酵酵母の歴史は大きく異なり,下面発酵酵母によるビール製造の歴史は,上面発酵酵母よりもはるかに新しいのである.

上面発酵酵母は,比較的高温・短期間で発酵が行われ,糖を食べ尽くして発酵が終わる頃に上に浮いてくる性質をもち,S. cerevisiaeに属する.一方,日本で主流なビールは色が淡く透き通ったピルスナータイプで,下面発酵酵母S. pastorianusを用いて低温で発酵させて造る.この酵母は発酵が終わる頃,酵母同士が集まって沈む.この性質は“凝集”と呼ばれ,発酵終了時の酵母を回収して次回再び使用する.下面発酵酵母は,多くの遺伝子解析の結果から,S. cerevisiaeS. eubayanusの2種類の酵母のハイブリッドであるS. pastorianusであることが示唆された(5~8)5) Y. Tamai, T. Momma, H. Yoshimoto & Y. Kaneko: Yeast, 14, 923 (1998).6) H. Yoshimoto, D. Fujiwara, T. Momma, H. Sone, Y. Kaneko & Y. Tamai: J. Ferment. Bioeng., 86, 15 (1998).7) H. Yamagishi & T. Ogata: Syst. Appl. Microbiol., 22, 341 (1999).8) 田中圭子,玉井幸夫:バイオサイエンスとインダストリー,59, 31 (2001)..下面発酵酵母は一つの細胞の中に2種類の酵母のサブゲノムが共存し,複雑な制御が行われている生物なのである.

1996年にS. pastorianusの片親であるS. cerevisiaeの全ゲノム配列が真核生物で初めて決定され(9)9) A. Goffeau, B. G. Barrell, H. Bussey, R. W. Davis, B. Dujon, H. Feldmann, F. Galibert, J. D. Hoheisel, C. Jacq, M. Johnston et al.: Science, 274, 563 (1996).,2009年には,S. pastorianusの全ゲノム配列が決定された(10)10) Y. Nakao, T. Kanamori, T. Itoh, Y. Kodama, S. Rainieri, N. Nakamura, T. Shimonaga, M. Hattori & T. Ashikari: DNA Res., 16, 115 (2009)..一方,S. pastorianusS. cerevisiae以外の親はS. bayanusと考えられていたが,本当の親となる酵母自体は見つかっていなかった.研究者の間で長きにわたり,この酵母の探索が行われてきたが,2011年に南米パタゴニアにおいて,S. pastorianusS. cerevisiae以外のゲノムと99.5%の相同性を示す酵母が見つかり,S. eubayanusと命名された(11)11) D. Libkind, C. T. Hittinger, E. Valerio, C. Goncalves, J. Dover, M. Johnston, P. Goncalves & J. P. Sampaio: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 108, 14539 (2011).S. pastorianusの片親が発見された場所はヨーロッパではなく,南米パタゴニアであった.なぜ,パタゴニアで見つかったのか,たいへん興味深い.一方,チベットなど中国の奥地からもS. eubayanusは見つかっており,しかもこちらの方が,S. pastorianusの片親に近い配列をもっていたため,パタゴニアの酵母が下面発酵酵母の片親であるという説には,疑問符がつけられている(12)12) J. Bing, P. J. Han, W. Q. Liu, Q. M. Wang & F. Y. Bai: Curr. Biol., 24, 380 (2014)..いずれにしても,人々が低温での発酵により,品質の安定した,美味しいビールを飲みたいという要求に応えて,低温での増殖性が求められ,ヨーロッパには存在しなかったS. eubayanusS. cerevisiaeと出会うことでS. pastorianusの原型が誕生し,使用されたという仮説が成り立つ.その後,下面発酵酵母がビール醸造に使用される中で,より人々の嗜好に合い,好ましい香味が求められ,酵母が選抜される中で進化を続け,現在に至ったと考えられる(13)13) B. Gallone, J. Steensels, T. Prahl, L. Soriaga, V. Saels, B. Herrera-Malaver, A. Merlevede, M. Roncoroni, K. Voordeckers, L. Miraglia et al.: Cell, 166, 1397 (2016).

下面発酵酵母の全塩基配列は公開されたものの,発酵中の下面発酵酵母の挙動は,ブラックボックスのままである.われわれは,従来から活用されているS. cerevisiaeの解析技術に加えて,近年,飛躍的に発展してきた遺伝子,遺伝子発現,タンパク質,代謝物,細胞形態の各レベルの網羅的な解析技術を駆使して,下面発酵酵母S. pastorianusの特性を解析し,醸造特性の理解を深めてきた(図1図1■下面発酵酵母の解析技術とその応用).ビールの美味しさの鍵を握るビール酵母の魅力を探るなかで,下面発酵酵母の醸造特性である,高エステル生成能,凝集能,高亜硫酸生成能,低温での高増殖性などについて,その理由を探ってきた.以下に下面発酵酵母の解析から見えてきた知見をまとめた.

図1■下面発酵酵母の解析技術とその応用

遺伝子レベルの解析

1970年以降から遺伝子工学の発展に伴い,下面発酵酵母における醸造上重要な遺伝子のクローニングが多くの研究所で行われた(14, 15)14) G. P. Casey & M. B. Pedersen: Carlsberg Res. Commun., 53, 209 (1988).15) J. Hansen & M. C. Kielland-Brandt: Gene, 140, 33 (1994)..そのなかの一つとして,下面発酵酵母の醸造特性の中で,エステル生成能と凝集能をターゲットにした遺伝子レベルでの解析が行われた.

フルーツ様の香りで,吟醸香の香りを醸し出すエステル成分の一つである酢酸イソアミルは,イソアミルアルコールとアセチルCoAを基質として,アルコールアセチルトランスフェラーゼにより酵母細胞内で生成される.アルコールアセチルトランスフェラーゼをコードする遺伝子は,クローニングと塩基配列決定から,S. cerevisiaeから1種類(ATF1遺伝子)単離されていたが,S. pastorianusにはATF1以外にもう一つのATF1遺伝子(相同性は塩基配列レベルで76%)が存在することが示された(6, 16, 17)6) H. Yoshimoto, D. Fujiwara, T. Momma, H. Sone, Y. Kaneko & Y. Tamai: J. Ferment. Bioeng., 86, 15 (1998).16) T. Fujii, H. Yoshimoto, N. Nagasawa, T. Bogaki, Y. Tamai & M. Hamachi: Yeast, 12, 593 (1996).17) H. Yoshimoto, D. Fujiwara, T. Momma, K. Tanaka, H. Sone, N. Nagasawa & Y. Tamai: Yeast, 15, 409 (1999)..この遺伝子は,ラガー(Lager)製造用酵母特異的ということでLg-ATF1と命名された.よって,S. pastorianusのアルコールアセチルトランスフェラーゼ遺伝子には,ATF1とLg-ATF1の2種類があり,ATF1S. cerevisiaeに由来し,Lg-ATF1S. eubayanusに由来することが明らかになった.lacZ遺伝子のレポーターを活用した遺伝子発現の解析からは,ATF1とLg-ATF1の発現に差異は見つかっていない.ATF1は上面発酵酵母と下面発酵酵母の両方が保有することから,下面発酵酵母における高エステル生成能の特徴はLg-ATF1に由来する可能性が示唆される.しかしながら,どのようにして両酵母のエステル生成に違いが生まれたかの解析は十分ではなく,詳細は今後の研究に期待するところである.

また,ビール製造における発酵工程では,添加された酵母は,麦汁中の栄養源を消費して,1.5倍から4倍に増殖する.これらの酵母はタンク内で活発に活動し,糖分を分解して,アルコールと二酸化炭素を生成する.発酵が終われば,酵母は速やかにタンク底に沈み,この現象を凝集性と呼ぶ.そして,この凝集性をもつ酵母が,下面発酵酵母である.タンク底に集まった酵母は回収され,次の発酵のために添加・使用される.一方,上面発酵酵母の場合,発酵が終われば,タンク底に沈むことなく,浮遊している.このように上面発酵酵母と下面発酵酵母の特性は凝集性に違いがある.酵母の凝集性は,細胞表層のマンノースという糖と,同じく細胞表層にある,パン酵母の凝集性に関するFlo1タンパク質との結合によって起こると考えられている(18)18) J. Watari, Y. Takata, M. Ogawa, H. Sahara, S. Koshino, M. L. Onnela, U. Airaksinen, R. Jaatinen, M. Penttila & S. Keranen: Yeast, 10, 211 (1994)..発酵液中にマンノースが存在すると,細胞表層のFlo1タンパク質と結合するので,酵母表層同士の凝集性が阻まれる.一方,グルコースが存在する場合の挙動を見ると,凝集が阻害されるタイプの酵母(下面発酵酵母など)と,阻害されないタイプの酵母(パン酵母など)の2種類に分かれる.この違いを明らかにするために,FLO1遺伝子と相同性のある遺伝子を下面発酵酵母から取得・解析したところ,Lg-FLO1遺伝子から造られるLg-Flo1タンパク質が別の下面発酵酵母の表層にあるマンノースと結合して凝集することが示唆され,下面発酵酵母の凝集性には,Lg-FLO1遺伝子が関与していることが明らかになった(19, 20)19) O. Kobayashi, N. Hayashi, R. Kuroki & H. Sone: J. Bacteriol., 180, 6503 (1998).20) M. Sato, H. Maeba, J. Watari & M. Takashio: J. Biosci. Bioeng., 93, 395 (2002)..発酵が活発な時期には酵母が浮遊し,グルコースやマルトースが消費されることで糖による結合阻害が行われなくなり,凝集して,沈降するというメカニズムが明らかになった.

S. cerevisiaeは古くから遺伝子地図が作られてきた.一方,ほかの酵母でのパルスフィールドゲル電気泳動(PFGE)とS. cerevisiaeの遺伝子プローブを用いたサザンブロット解析の組み合わせにより,各種酵母の染色体解析が行われてきた(21~23)21) Y. Kaneko & I. Banno: IFO Res. Commun., 15, 30 (1991).22) S.-L. Ryu, Y. Murooka & Y. Kaneko: Yeast, 12, 757 (1996).23) S. Rainieri, Y. Kodama, Y. Kaneko, K. Mikata, Y. Nakao & T. Ashikari: Appl. Environ. Microbiol., 72, 3968 (2006)..この方法を活用して,S. pastorianusの染色体構成とその多型性に関する研究が行われた(5, 7, 8)5) Y. Tamai, T. Momma, H. Yoshimoto & Y. Kaneko: Yeast, 14, 923 (1998).7) H. Yamagishi & T. Ogata: Syst. Appl. Microbiol., 22, 341 (1999).8) 田中圭子,玉井幸夫:バイオサイエンスとインダストリー,59, 31 (2001).S. cerevisiaeS. pastorianus,およびS. bayanusの染色体をPFGEで分離し,PCRにより増幅したプローブを用いてサザンブロット解析に供した.その結果,S. pastorianusは,S. cerevisiaeS. bayanusの2種類のサブゲノムをもつ異質倍数体であることが示唆された.

さらに酵母における醸造上重要な遺伝子の解析は,S. cerevisiaeのゲノム情報が公開されたことにより(9)9) A. Goffeau, B. G. Barrell, H. Bussey, R. W. Davis, B. Dujon, H. Feldmann, F. Galibert, J. D. Hoheisel, C. Jacq, M. Johnston et al.: Science, 274, 563 (1996).,一つひとつの遺伝子の解析から,網羅的な解析技術へと展開した(24, 25)24) J. L. DeRisi, V. R. Iyer & P. O. Brown: Science, 278, 680 (1997).25) H. Yoshimoto, K. Saltsman, A. P. Gasch, H. X. Li, N. Ogawa, D. Botstein, P. O. Brown & M. S. Cyert: J. Biol. Chem., 277, 31079 (2002)..われわれは,下面発酵酵母の醸造特性を明らかにするために,網羅的な解析技術を用いた解析を試みた.ところが,Sc型,Lg型の遺伝子の2セットをもつ下面発酵酵母S. pastorianusを解析するためには,S. cerevisiaeの遺伝子の解析だけでは,全体像をつかむことができなかった.そこで,遺伝子,および遺伝子発現レベルの差異を網羅的に解析するために,ビール発酵中に発現している遺伝子の網羅的な取得を行った.発酵中に発現しているmRNAを取得し,そのcDNAの塩基配列を決めて,発酵中に発現している遺伝子の部分塩基配列情報を取得することができた(26)26) S. Yoshida, K. Hashimoto, E. Shimada, T. Ishiguro, T. Minato, S. Mizutani, H. Yoshimoto, K. Tashiro, S. Kuhara & O. Kobayashi: Yeast, 24, 599 (2007)..これらの塩基配列情報を基にして,Sc型とLg型のオーソロガスな遺伝子の塩基配列を区別して解析できるS. pastorianusのDNAマイクロアレイを開発した(27)27) T. Minato, S. Yoshida, T. Ishiguro, E. Shimada, S. Mizutani, O. Kobayashi & H. Yoshimoto: Yeast, 26, 147 (2009)..発酵中に発現しているS. pastorianusのcDNAの部分塩基配列情報とS. cerevisiaeの遺伝子配列情報をもとに60 merのプローブ配列をデザインし,Sc型約6,600個,Lg型約3,200個からなるDNAオリゴアレイを作製した.これにより,各種遺伝子解析ができるようになった.

これらの遺伝子解析技術を用いて,さまざまな酵母を使用するビール工場で酵母を識別する方法の開発が試みられ,その応用が期待された.上面発酵酵母か,下面発酵酵母か,あるいは野生酵母かなど,酵母の菌種を特定することは品質管理上極めて重要であり,生産現場から長年求められてきた.そこで,上面発酵酵母と下面発酵酵母の違いを区別するPCR解析法,近縁酵母の識別を可能とするSNPs(Single Nucleotide Polymorphisms)を活用した菌株識別法(28)28) S. Ikusihma, Y. Tateishi, K. Kanai, E. Shimada, M. Tanaka, T. Ishiguro, S. Mizutani & O. Kobayashi: J. Biosci. Bioeng., 113, 496 (2012).,多型検出のためのパルスフィールドゲル電気泳動とサザンブロットを組み合わせた解析法(7, 8)7) H. Yamagishi & T. Ogata: Syst. Appl. Microbiol., 22, 341 (1999).8) 田中圭子,玉井幸夫:バイオサイエンスとインダストリー,59, 31 (2001).などを開発した.さらに,このマイクロアレイを用いることでDNA–DNA間の比較を行うComparative Genomic Hybridization(CGH)も行うことが可能となり,遺伝子のコピー数の違いも網羅的に解析できるようになった(29, 30)29) 善本裕之:化学と生物,41, 54 (2003).30) H. Tadami, M. Shikata-Miyoshi & T. Ogata: The Institute of Brewing & Distilling, 120, 27 (2014).図2図2■下面発酵酵母の遺伝子レベルの解析技術).これらにより下面発酵酵母株間の違いを短期間で識別することができるようになり,さらにビール酵母の品質管理の向上を図ることができた.

図2■下面発酵酵母の遺伝子レベルの解析技術

遺伝子発現レベルの解析

一つの細胞内に2種類のサブゲノムセットが混在している下面発酵酵母では,どのようにそれぞれの遺伝子発現が制御されているか,この疑問に答えるために,下面発酵酵母のDNAマイクロアレイを用いた解析を行った.全遺伝子をカバーしたS. cerevisiaeのDNAマイクロアレイが開発されたが,Sc型と相同性の低いLg型の遺伝子発現を十分に検出できるものではなかった.そこで,筆者らは前述のとおり発酵中に発現している遺伝子についてSc型とLg型を識別できるDNAマイクロアレイの開発を行った(27)27) T. Minato, S. Yoshida, T. Ishiguro, E. Shimada, S. Mizutani, O. Kobayashi & H. Yoshimoto: Yeast, 26, 147 (2009)..一つの細胞内に2種類のサブゲノムセットが混在して,ともに発現している生物は興味深く,いかにしてこれらの遺伝子発現が調節され,醸造の特性が生まれるかを明らかにすることは生物学的にも意義深いことである.下面発酵酵母S. pastorianusのDNAマイクロアレイを活用し,発酵中のSc型とLg型の遺伝子発現調節を解析し,発現パターンの異なる遺伝子が存在することを明らかにした.そして,下面発酵酵母ではSc型,Lg型の両方が同じような発現パターンを示す遺伝子が6割,残りが異なる発現パターンを示すことが明らかとなった.さらには,発酵温度の違いによる発現パターンの解析を行ったところ,低温発酵のときにSc型,Lg型が異なる発現パターンを示す遺伝子が存在していた(31)31) 善本裕之,港 紀子,吉田 聡:バイオサイエンスとバイオインダストリー,64, 161 (2006).図3図3■下面発酵酵母の遺伝子発現およびタンパク質レベルの解析技術).S. pastorianusの低温発酵性は,S. eubayanus由来であると考えられるので,これら異なる発現パターンを示す遺伝子が重要な働きを示していると考えられる.このような複雑な遺伝子発現調節の中で,下面発酵酵母の低温発酵の醸造特性がどのように現れるのか,さらなる解析が期待される.

図3■下面発酵酵母の遺伝子発現およびタンパク質レベルの解析技術

タンパク質レベルの解析

下面発酵酵母のタンパク質レベルの解析については,下面発酵酵母における2次元(2D)ゲル電気泳動によるプロテオーム解析が行われている(32, 33)32) R. Joubert, P. Brignon, C. Lehmann, C. Monribot, F. Gendre & H. Boucherie: Yeast, 16, 511 (2000).33) K. A. Smart: Yeast, 24, 993 (2007)..さらにはS. cerevisiaeの全ゲノム配列が1996年に決定されたことにより(9)9) A. Goffeau, B. G. Barrell, H. Bussey, R. W. Davis, B. Dujon, H. Feldmann, F. Galibert, J. D. Hoheisel, C. Jacq, M. Johnston et al.: Science, 274, 563 (1996).,全ゲノム配列のデータを活用し,われわれは部分精製した酵素から,それをコードする遺伝子をより簡便に決定する方法を開発した(34)34) H. Yoshimoto, T. Fukushige, T. Yonezawa, Y. Sakai, K. Okawa, A. Iwamatsu, H. Sone & Y. Tamai: J. Biosci. Bioeng., 92, 83 (2001).図3図3■下面発酵酵母の遺伝子発現およびタンパク質レベルの解析技術).従来の方法では,目的とするタンパク質を完全精製し,得られたアミノ酸配列情報を基に遺伝子をクローニングする方法が取られていた.酵素を部分精製し,得られたアミノ酸配列情報を基に候補遺伝子を絞り込み,その破壊株,または過剰発現株の評価からタンパク質をコードする遺伝子を同定した.高級アルコールの一つであるイソアミルアルコールは,重要な香味成分の一つである.この生成には,デカルボキシラーゼが関与することが知られているが,遺伝子は同定されていなかった.そこで,α-ケトカプロン酸からイソバレルアルデヒドを生成する酵素活性測定系を立ち上げ,この酵素を部分精製した.部分精製したタンパク質をSDS-PAGEに供し,すべてのバンドの部分アミノ酸配列を決定し,全ゲノム配列のデータを活用し,候補遺伝子を特定した.この候補遺伝子の破壊株をそれぞれ作製し,酵素活性を測定した結果,この酵素反応にはピルビン酸デカルボキシラーゼ遺伝子PDC1が関与していることが明らかになった.ピルビン酸デカルボキシラーゼは,ピルビン酸からアセトアルデヒドを生成する酵素として知られているが,α-ケトカプロン酸からイソバレルアルデヒドを生成する反応にも関与することが明らかとなった.全ゲノム配列のデータを活用することで,より簡便に短時間で部分精製のタンパク質から遺伝子を同定することが可能となった.

代謝物レベルの解析

酵母が発酵中に造り出す亜硫酸(SO2)や硫化水素(H2S)のような硫黄系化合物はビールの香味に大きな影響を与える.亜硫酸は抗酸化作用をもち,ビールの鮮度維持に重要な役割を果たしている.一方,硫化水素は腐った卵様の臭いを有し,ビールのオフフレーバーの原因となるだけでなく,ほかのオフフレーバー原因物質の前駆体となる.そのため,ビール醸造において酵母の亜硫酸生産量を増加させ,硫化水素生産量を減少させることが望まれる.一方,これらの物質は,硫酸イオンからの還元によって作られる硫化物イオン(S2−),およびアスパラギン酸から作られるO-アセチルホモセリンから合成されるホモシステインを経てメチオニンが作られる経路上の直近に位置する.そのために,一方の増減に伴い他方も連動して増減するために,発酵制御により亜硫酸生産量を増加させ硫化水素生産量を減少させることは難しかった.ところで,下面発酵酵母は,上面発酵酵母と比較して,亜硫酸・硫化水素生産能が高い特徴がある.そこで,下面発酵酵母における亜硫酸・硫化水素生産の律速段階を明らかにするために,亜硫酸・硫化水素生産能が低いパン酵母(S. cerevisiae)と,それらの生産能の高い下面発酵酵母を用いて,CE-MS(キャピラリー電気泳動-質量分析計)を用いた代謝物レベルの解析を行った(35)35) S. Yoshida, J. Imoto, T. Minato, R. Oouchi, M. Sugihara, T. Imai, T. Ishiguro, S. Mizutani, M. Tomita, T. Soga et al.: Appl. Environ. Microbiol., 74, 2787 (2008).図4図4■下面発酵酵母の代謝物および細胞形態レベルの解析技術).その結果,下面発酵酵母の細胞内O-アセチルホモセリン量がパン酵母に比べて少ないことが明らかになった.したがって,下面発酵酵母における亜硫酸・硫化水素生産能の高さはO-アセチルホモセリン量が低いことにより,硫化水素が次反応に使用されずに蓄積することが原因であると共に,O-アセチルホモセリン量が亜硫酸・硫化水素生産の律速因子である可能性が示唆された.さらにはビール酵母の細胞内イオン性代謝物を測定する手法として,CE-MSによる分析法を活用し,定量解析した細胞内代謝物濃度の比較から発酵不良の原因を推定する技術を開発した(36)36) 善本裕之,榎本賢一:特願2010-39152..また,代謝物濃度のデータベースは酵母の生理状態評価に有用であり,課題発生原因の仮説を立案するために活用できることも示された(37)37) 榎本賢一,善本裕之:特許第4813579号.

図4■下面発酵酵母の代謝物および細胞形態レベルの解析技術

細胞形態レベルの解析

ビール酵母はステンレス製の発酵タンクの中で働くため,その様子を直接観察することは難しい.そこで,タンクから発酵中の麦汁や酵母をサンプリングして,それらの成分や状態を調査した.発酵中の酵母を顕微鏡で観察すると,細胞の大きさや形,芽が出ている酵母の割合などに違いがあることに容易に気がついた.しかし,このような細胞形態の違いに気づきながらも,その生理的な意義を捉えることは容易ではなく,その点に限界があった.それは,観察した酵母の細胞形態の定量解析技術が確立しておらず,その生理的な作用の情報を得ることが困難であったからである.東京大学の大矢教授らのグループは,この期待に応えられる酵母細胞形態を認識するイメージプロセシングプログラムCalMorphを開発していた(38)38) Y. Ohya, J. Sese, M. Yukawa, F. Sano, Y. Nakatani, T. L. Saito, A. Saka, T. Fukuda, S. Ishihara, S. Oka et al.: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 102, 19015 (2005)..このCalMorphを用いることで,蛍光顕微鏡で撮影した画像から直接,それぞれの酵母細胞の細胞壁,核,アクチンの形態データを抽出し,細胞形態を数値化することができる.そこで,発酵中の下面発酵酵母の細胞形態の変化をCalMorphを用いて解析した(39)39) S. Ohnuki, K. Enomoto, H. Yoshimoto & Y. Ohya: J. Biosci. Bioeng., 117, 278 (2014).図4図4■下面発酵酵母の代謝物および細胞形態レベルの解析技術).その結果,発酵の前半では,出芽をしながら増殖する様子が伺え,特に48時間目には,アクチンが娘細胞の内部に均一に分散し,“Isotropical”と呼ばれる細胞の状態を観察することができた.発酵の後半では,アクチンの局在化や出芽が観察されなくなり,増殖を終えて発酵に専念していることが示唆された.これらを活用して発酵中の細胞形態をいつも同じように制御できれば,生理状態が安定し,香味成分もバランスよく造り出すことができると考えられる.また,発酵中のさまざまな条件下の下面発酵酵母の細胞形態定量解析値を収集し,これらの値をデータベース化した(40)40) 善本裕之,榎本賢一,堀越杏子,大矢禎一,野上 識,大貫慎輔:特願2009-179730..細胞形態定量値を比較することができ,酵母の生理状態をより正確に把握することができ,工程改善に向けた仮説構築に役立つことが明らかとなった.

おわりに

下面発酵酵母S. pastorianusの遺伝子,遺伝子発現,タンパク質,代謝物,および細胞形態のそれぞれのレベルで必要な解析技術を開発,或いは従来の手法を活用しながら,エステル生成能,凝集能,高亜硫酸生成能,低温での増殖・発酵能などについて,その醸造特性を明らかにしてきた.しかしながら,大部分のメカニズムはブラックボックスのままである.発酵工程におけるビール酵母の営みが自然の一部であることを念頭において,神秘的とも言えるさまざまな機能や働きを理解するためにさまざまな手法を用いてブラックボックスの解明を行っているが(41, 42)41) H. Yoshimoto, R. Ohuchi, K. Ikado, S. Yoshida, T. Minato, T. Ishiguro, S. Mizutani & O. Kobayashi: J. Biosci. Bioeng., 108, 60 (2009).42) S. Yoshida & H. Yoshimoto: “Stress Biology of Yeasts and Fungi: Applications for Industrial Brewing and Fermentation,” ed. by H. Takagi & H. Kitagaki, Springer, 2015.,取り組めば取り組むほど,その奥深さや複雑さを感じて,その魅力は尽きない.今後も,ビール酵母の声を真摯に聴くことを大切にしながら,お客様にビール酵母の魅力を感じていただき,美味しいビールの製造につなげていきたい.美味しさの鍵を握る,ビール酵母の魅力の探求は,これからも引き続き行われる.

Acknowledgments

本成果は,キリン株式会社,ならびにキリンビール株式会社の多くの関係者の尽力によるものであり,深謝いたします.遺伝子解析は大阪大学・原島俊教授および金子嘉信教授と,エステル解析は大関株式会社と,細胞形態定量解析は東京大学・大矢禎一教授ら,細胞内代謝物解析は慶應義塾大学・曽我朋義教授らとの共同研究で取り組んだ内容であり,ご協力いただきました皆様に深く感謝いたします.

Reference

1) W. Kunze: “Technology Brewing and Malting (4th revised English Edition)”, VLB Berlin, 2010, p. 21.

2) 北島 親:“ビールとホップ”,徳間書店,1968, p. 34.

3) 村上 満:“ビール世界史紀行”,東洋経済新報社,2000, p. 15.

4) H. Ishida: MBAA TQ, 39, 81 (2002).

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