巻頭言

生きているということは

Makoto Kiso

木曽

岐阜大学名誉教授

Published: 2018-09-20

歳をとると,楽しかった昔のことを思い出す.子供の頃,身近に接する多様な生き物に興味をもち,毎日のように付近の野山を歩き回った.花山トンネル(花山洞)を抜けて山科まで歩いて行くと,田畑と竹藪が広がる,緑あふれる人里が現れた.道沿いの清らかな小川の小石を掘り起こすと,サワガニが出てきた.トンネル手前の道を将軍塚に向かって上る途中に池があり,今では貴重な水生動物が住みついていた.ランドセルをほうり投げて,すぐ近くにある寺の境内で友達と群れ遊ぶ時間は本当に楽しかった.無数の蟻地獄が巣くう本堂の裏には,亀やザリガニが住む古池があり,その周りにピンク色に熟れたアケビが垂れ下がる薮や林がこんもりと茂って,まさに自然のビオトープであった.夏になると,ミンミンゼミやクマゼミがフォルティシモで合唱した.そこからちょっと外へ出ると,さらさら流れ込む沢沿いにセリが群生し,薄茶色のむかごが実っていた.猛スピードで路地を低空飛行するオニヤンマ,大木の上に群がり飛ぶ玉虫,地上をはう青大将やマムシ,みんな元気だった.渋谷街道から清水寺へ抜ける山道には,クワガタが集まる立派なクヌギの木があった.

京都東山の渋谷街道沿いにある実家辺りは,山科の農家さんが牛車を引いて野菜を売り歩き,帰りに下肥を桶いっぱいにして戻って行った.今から思えば,蟯虫や回虫がわれわれの腸と野菜畑を循環し,身体の健康や成長に少なからず影響していたであろう.ちょくちょく虫下しとして飲まされたカイニン酸は,興奮性グルタミン酸受容体のアゴニストとして虫の神経を過剰に興奮させ,後に麻痺させることを大学生になって知った.

生物の生き様に対する化学的な視点は,農芸化学科にいるだけで自然と身についたが,まもなくベトナム戦争が泥沼化するなか,70年安保をきっかけに大学紛争が激しくなり,教育現場は混乱した.授業はストップし,自主ゼミで乗り切った.その反動もあってか,大学院では1970年前後に花開いたChemical Ecology(化学生態学)研究を横目に,流行とは無縁のγ-BHC類縁体の合成と殺虫活性の構造活性相関研究に没頭した.これらの化合物は昆虫の抑制性シナプスに局在するGABA受容体に非競争的アンタゴニストとして作用し,神経興奮を誘導する.時間と労力のいる「モノ作り」(化学)から始めて神経生理学の領域まで踏み込んだ経験は,その後の研究スタイルに大きな影響を与えたと思う.しかし1975年に岐阜大学に赴任してからは,一転して糖質化学を志すことになった.その後の40年に及ぶ経緯は,文書館(本誌Vol. 51, No. 1, 2013)の「糖鎖の研究:糖鎖の人工合成と細胞機能」に詳述させていただいたとおりです.

私の農芸化学は,生物・生命への興味と愛情から生まれ育ちました.生きているということは,多くの人や生き物と出会い,学び,生かし生かされながら,それを糧として人生の一本道を歩いていく,そんな感じがします.「芸」を楽しむことも大切でしょう.永 六輔さんは生前,生きているということは誰かに借りをつくること,生きていくということはその借りを返してゆくこと——と歌いました.「化学と生物」に集う皆様のますますのご活躍を楽しみに小文を閉じることとします.