Kagaku to Seibutsu 56(11): 712-717 (2018)
解説
世界のワインを救う,ブドウ根頭がん腫病の防除ブドウのがんを防ぐ
Save the Wine Production in the World by Management for Crown Gall Disease of Grapevine: Control for Grapevine Crown Gall
Published: 2018-10-20
根頭がん腫(がんしゅ)病は,土壌中に存在する特定の植物病原細菌Rhizobium vitis(Ti)によって起こる植物病害の一つである.特にブドウにおいては,世界中で発生しているにもかかわらず有効な防除技術がなく,甚大な被害をもたらし続けている.筆者らは,本病の発病を強く抑制する能力を有する新規拮抗細菌・非病原性R. vitis ARK-1株を発見し,それを用いた予防技術の確立に成功した.ARK-1株を主成分とする生物農薬(微生物製剤)を共同開発し,実用化に向けて進めている.本稿では,ARK-1株の発見に至る過程や防除効果,またその防除メカニズムについて紹介する.
© 2018 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
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ブドウ根頭がん腫病は,Rhizobium vitis(Ti)(=Agrobacterium vitis(Ti),A. tumefaciens biovar 3; Tiは植物にがん腫を形成させる能力を有する“根頭がん腫病菌”であることを示す)によって植物の根や茎などにがん腫(がんしゅ)と呼ばれるこぶを形成する土壌病害(図1図1■ブドウ根頭がん腫病の症状)である.本病の被害には樹勢の低下,果実品質の劣化,生育不良,枯死などがあり,特に3年生までの苗木,若木では症状が見られた翌年に枯死することが多い(1)1) T. J. Burr, C. Bazzi, S. Süle & L. Otten: Plant Dis., 82, 1288 (1998)..病原細菌は土壌中のブドウ残渣内に少なくとも2年間は生存可能であることから(1)1) T. J. Burr, C. Bazzi, S. Süle & L. Otten: Plant Dis., 82, 1288 (1998).,発病樹を改植する際は,できるだけ残渣を取り除くことが求められるが,その完全な除去は不可能である.圃場の大きさや配置などの関係上,改植時に発病樹と同じ場所に定植せざるをえないが,改植場所だけに限定して土壌消毒を行うことは極めて困難である.そのため,新しい苗木を改植しても再び発病してしまう,という悪循環を続けている.
本病は世界中のブドウ生産国で問題となっている.特に,海外ではワインの原料としてワイン用のブドウ品種の生産が活発である.わが国における本病による経済的被害の正確な統計はないが,カナダのオンタリオ州では本病の発生によりワイン用ブドウで毎年約200万ドルの経済損失を被っているという統計がある(2)2) University of Guelph: ScienceDaily, http://www.sciencedaily.com/releases/1999/05/990506153806.htm, 1999..また,アメリカのバージニア州では2014年に本病が大発生し,今も多くのヴィンヤード(vineyard)やワイナリーで甚大な被害が出ている(3, 4)3) A. Kawaguchi, K. Inoue, K. Tanina & M. Nita: Proc. Jpn. Acad. B, 93, 547 (2017).4) M. Nita: Grape Press, Virginia Vineyards Association, Waterford, VA, 2014..近年は日本においても,東日本を中心として本病の発生および被害が再び増加してきており,大きな問題である.
これまで,植物根頭がん腫病の病原細菌として複数種が報告されており,そのうちR. radiobacter(Ti)(=A. tumefaciens(Ti),A. tumefaciens biovar 1)とR. rhizogenes(Ti)(=A. rhizogenes(Ti),A. tumefaciens biovar 2)の宿主範囲が非常に広く,93科643種以上の双子葉植物に寄生性があるとされている(5)5) 後藤正夫:“植物細菌病学概論”,養賢堂,1990, p. 128..世界中で発生しているが,卓効を示す化学農薬はない.生物防除技術の開発は古くから取り組まれており,オーストラリアのモモ園の土壌から分離・同定された非病原性R. rhizogenes(=A. radiobacter biovar 2)K84株によるバラ根頭がん腫病の生物防除は世界的に有名である(6)6) A. Kerr: Plant Dis., 64, 25 (1980)..日本でもその防除効果が実証されており(7)7) 牧野孝宏:植物防疫,40, 540 (1986) .,微生物農薬アグロバクテリウム・ラジオバクター剤として市販されている.しかし,R. vitis(Ti)はK84株が産生する抗菌物質であるアグロシン84に対して耐性をもつため,K84株はブドウ根頭がん腫病には防除効果がない(3, 8~10)3) A. Kawaguchi, K. Inoue, K. Tanina & M. Nita: Proc. Jpn. Acad. B, 93, 547 (2017).8) A. Kawaguchi, K. Inoue & H. Nasu: J. Gen. Plant Pathol., 71, 422 (2005).9) A. Kawaguchi, K. Inoue & H. Nasu: J. Gen. Plant Pathol., 73, 133 (2007).10) A. Kawaguchi, K. Inoue & Y. Ichinose: Phytopathology, 98, 1218 (2008)..これまで世界中の研究者がブドウ根頭がん腫病に対する拮抗細菌の探索を行ってきたが,いまだに実用化された菌株は存在しない(11~14)11) T. J. Burr & C. L. Reid: Am. J. Enol. Vitic., 45, 21 (1994).12) T. J. Burr & L. Otten: Annu. Rev. Phytopathol., 37, 53 (1999).13) T. J. Burr, C. L. Reid, E. Taglicti, C. Bazzi & S. Süle: Phytopathology, 87, 706 (1997).14) F. Chen, Y. B. Guo, J. H. Wang, J. Y. Li & H. M. Wang: Plant Dis., 91, 957 (2007)..以上のことから,ブドウ生産現場では本病を防ぐ有効な手段がないのが現状である.
筆者らはブドウ苗木を生産するための母樹および商品として流通しているブドウ苗木について本病の診断を行ったところ,それらのサンプルからがん腫形成能を欠く非病原性R. vitisの菌株が複数分離された.これらの菌株のうち,病原性菌と混合しても検定植物であるトマト苗の茎に接種したがん腫形成が起こらないものが見つかった.このことから,非病原性R. vitisの菌株の中にはがん腫形成抑制効果を有する菌株が存在する可能性が示唆された.そこで,分離された非病原性菌306菌株について生物防除に有望な菌株の選抜を行った.すなわち,R. vitis(Ti)と非病原性R. vitisの各菌株をそれぞれ等量で混合し(混合比率1:1,菌濃度108 cells/mL),播種1カ月後のトマト苗およびブドウ1年生実生苗の茎に単刺有傷接種してがん腫形成の有無および程度を調べた(以下,等量混合接種試験とする).その結果,発病抑制効果の高いARK-1株を選抜した(図2図2■ブドウ実生苗を用いたブドウ根頭がん腫病菌と非病原性菌の混合接種).