Kagaku to Seibutsu 56(12): 797-803 (2018)
解説
ヒストン脱アセチル化酵素が担う植物の環境ストレス応答制御植物をストレスに強くする標的タンパク質の発見
Environmental Stress Response Pathways Coordinated through Histone Deacetylases in Plants: Identification of Target Proteins Enhancing Tolerance to Environmental Stresses
Published: 2018-11-20
世界各地で発生する乾燥,高温,塩などの環境ストレスにより,農業被害は年々深刻化している.筆者らは,近年発展するエピジェネティック制御の理解は,しなやかな遺伝子発現制御を可能とし,これまでの手法とは異なる環境ストレス強化法の発見につながると考え,エピジェネティック制御のうち,ヒストンのアセチル化修飾に着目して研究を進めた.そして,ヒストン脱アセチル化酵素(Histone deacetylase; HDAC)の活性を遺伝学的・薬理学的に操作することで,植物の環境ストレス耐性を高めることに成功している.本稿では,植物の環境ストレス応答にかかわるHDACについて,シロイヌナズナで得られている知見を紹介する.
© 2018 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2018 公益社団法人日本農芸化学会
今日,土壌環境の劣悪化や温暖化などの急激な気候変動が世界各地で発生していることから,作物などの植物に乾燥,高温や塩などの環境ストレスに対する耐性能を向上させる技術開発が求められている.塩害を一例に環境ストレスによる被害状況を概説すると,全世界で2,000ヘクタールの農地が塩害で失われ,その農業損失額は年あたり273億USドルに上ると試算されている(1)1) M. Qadir, E. Quillérou, V. Nangia, G. Murtaza, M. Singh, R. J. Thomas, P. Drechsel & A. D. Noble: Nat. Resour. Forum, 38, 282 (2014)..特に,アラル海周縁の中央アジアから,インドやパキスタンといった南アジアの地域では塩害により深刻な被害を受けている(2)2) United Nations University: https://unu.edu/media-relations/releases/world-losing-2000-hectares-of-farm-soil-daily-to-salt-induced-degradation.html(塩害の詳細については人類史から塩害を俯瞰した,佐藤洋一郎,渡邉紹裕著「塩と文明誌」日本放送出版協会を参考にされたい).環境ストレスによる農業被害を食い止めるために期待されているのがGMO(遺伝子組換え作物)である.カナダ,中国,ブラジル,米国などの国々では,大豆,綿,キャノーラなどの10の作物において除草剤耐性や殺虫作用といった有用遺伝子を導入したGMO品種が実用化されている.これらの品種は収量増加などの面で成果を上げており,安定した農業の実現に貢献している(3)3) Council for Biotechnology Information: https://gmoanswers.com/.一方で,塩害などの環境ストレス耐性が強化されたGMO作物を商業化する試みも進められているものの,残念ながら現時点で実用例はほとんど報告されていない.その原因として,環境ストレス耐性付与に有効と考えられる遺伝子を植物に導入しても,環境ストレスに対して耐性が確認される反面,どうしても生育阻害が起こり不稔性などの作物の商品価値を損なう事例が多い点が挙げられる(4)4) P. Bhatnagar-Mathur, V. Vadez & K. K. Sharma: Plant Cell Rep., 27, 411 (2008)..つまり,生育阻害を最小限にとどめ,作物に環境ストレス耐性を付与する技術が求められており,この目標達成のために近年われわれが注目しているのが,エピジェネティック制御である.
植物の環境ストレス応答における研究においては,転写装置の本体であるRNAポリメラーゼを中心に形成される複合体内で,遺伝子発現の調節役を担う転写因子の機能解析が精力的に進められていた.実際,さまざまなストレス応答性の転写因子が同定され,それらの遺伝子の発現を過剰に誘導することや,逆に抑制することで環境ストレス耐性を付与した事例が多く報告されている(4)4) P. Bhatnagar-Mathur, V. Vadez & K. K. Sharma: Plant Cell Rep., 27, 411 (2008)..しかし,先述のようにこれらの研究では生育阻害などを回避できない事例が多く,より緻密な遺伝子発現制御が求められた.
その緻密な遺伝子発現制御を可能とするのが,エピジェネティック制御である.エピジェネティクス研究の中心は,以前はDNAを折り畳み,核に収納するのが主な役割と考えられていたヒストンである.ヒストンは8量体のコアヒストンを形成する4種類のヒストン(H2A, H2B, H3, H4)とH1リンカーヒストンに分類される.20世紀終盤になって,ヒストン8量体に約146 bpのDNAが整然と巻き付いた結晶構造が解かれ,その美しい結晶構造から,ヒストンテールと呼ばれるヒストンのN末端領域がしなやかに(可逆的に)DNAと相互作用することで転写制御を行うという具体的な作用機序が示唆された(5)5) K. Luger, A. W. Mader, R. K. Richmond, D. F. Sargent & T. J. Richmond: Nature, 389, 251 (1997)..時を前後して,ヒストンテールに含まれるアミノ酸残基ではさまざまな翻訳後修飾受け,翻訳後修飾を受けるサイトやその修飾の多寡が転写の亢進や抑制にかかわることが続々と報告された.ヒストンテールで受ける代表的な翻訳後修飾の一つがリジン残基で受けるアセチル化修飾である.ヒストンのリジン残基についてはメチル化,ユビキチン化,SUMO化などのヒストン修飾が知られている(これらはヒストンのC末端側で受ける修飾も含む).ほかにもアルギニン残基におけるメチル化や,セリン,トレオニン残基でのリン酸化によるヒストン修飾が報告されており,これらのヒストン修飾もエピジェネティック制御に重要な役割を果たすことが知られているが,本稿ではアセチル化修飾(以降,アセチル化と表記)に焦点をあて紹介する(6)6) C. D. Allis & T. Jenuwein: Nat. Rev. Genet., 17, 487 (2016)..
ヒストンのアセチル化自体は古くから知られており,1964年にはすでにAllfrey博士らによってヒストンのメチル化やアセチル化が遺伝子発現にかかわるとする仮説が提唱されていた(7)7) E. Verdin & M. Ott: Nat. Rev. Mol. Cell Biol., 16, 258 (2015)..その実態については不明な時期が続いたがヒストンアセチル化による遺伝子発現制御機構の詳細については,分子生物学の発展に大きく貢献した酵母での研究によって解析が進んだ(8)8) T. Jenuwein & C. D. Allis: Science, 293, 1074 (2001)..また,後述するヒストンの高アセチル化を誘導するHDAC阻害剤も,Allfrey博士の仮説の実証や(脱)アセチル化にかかわる因子を同定するうえで非常に重要な役を演じており,酵母の分子生物学的な研究もHDAC阻害剤を利用して得られた知見を土台に展開していると言っても過言ではない(7)7) E. Verdin & M. Ott: Nat. Rev. Mol. Cell Biol., 16, 258 (2015)..20世紀終盤から21世紀の初頭の一連の研究により,ヒストンのアセチル化修飾が遺伝子発現やクロマチン(クロマチン:核内にあるDNAを含むタンパク質複合体の総称)の安定に必須の役割を果たしていることが明らかにされた.つまり,転写因子が結合するDNA側でも,それを取り巻くヒストンによる緻密な遺伝子発現制御機構が存在しているのである(余談ではあるが,残念ながらAllfrey博士はこの時期(2002年)に逝去された.博士の仕事は巷でよく耳にする「ご存命であれば間違いなくノーベル賞」と称される代表例ではないであろうか).アセチル化については酵母と同様のシステムがほかの真核生物にも基本的に保存されているものと考えられており,ヒストンのアセチル化は真核生物に普遍的に保存される遺伝子発現制御機構の一つとみてよいであろう.植物でもヒストンのアセチル化サイトについて網羅的な解析がなされ,コアヒストン(H2A, H2B, H3, H4)とH1リンカーヒストンのアセチル化を受けるリジン残基が質量分析により決定されている(9, 10)9) K. Zhang, V. V. Sridhar, J. Zhu, A. Kapoor & J. K. Zhu: PLoS ONE, 2, e1210 (2007).10) M. Kotlinski, K. Rutowicz, L. Knizewski, A. Palusinski, J. Oledzki, A. Fogtman, T. Rubel, M. Koblowska, M. Dadlez, K. Ginalski et al.: PLOS ONE, 11, e0147908 (2016).(表1表1■各ヒストンが受けるアセチル化修飾サイト).そして,それらのアセチル化サイトと遺伝子発現とのかかわりについて詳細な機能解析が今現在も精力的に進められている.
ヒストン | アセチル化修飾を受けるリジン残基 |
---|---|
H1(H1.2) | K22, K70, K89, K94, K96, K104, K156, K202, K237, K245, K255 |
H2A(H2A.1–H2A.4) | K5 |
H2A (H2A.5, H2A.7) | K144 |
H2B | K6, K11, K27, K32 |
H3 | K9, K14, K18, K23, |
H4 | K5, K8, K12, K16, K20 |
文献9, 10を参考に作成. |
筆者も図1図1■HATとHDACの働きによりヒストンアセチル化レベルは平衡化されているでコアヒストンが8量体で振る舞っているかのようなモデル図を示しているが,生体内でヒストンは8量体としてだけではなく,6量体,4量体として存在しヌクレオソームを構成していることが予想されている(11)11) J. Zlatanova, T. C. Bishop, J. M. Victor, V. Jackson & K. van Holde: Structure, 17, 160 (2009)..また,各コアヒストンにはタンパク質の一次構造を変化させたバリアントが多数存在している.たとえば,シロイヌナズナにはH2A, H2B, H3, H4にそれぞれ14コピー(本稿ではAt1g08880をH2Aとした),12コピー,13コピー,8コピーもの相同遺伝子(バリアント)が存在している(12)12) J. Sequeira-Mendes & C. Gutierrez: Plant J., 83, 38 (2015)..各ヒストンに存在するバリアントが同様の機能をもっているわけではなく,たとえば,H2AのバリアントであるH2A.Zで興味深いバリアント固有の役割が報告されている.植物(シロイヌナズナ)が温度を認識し,温度に適応するための転写制御を行う機構の一つに,ヌクレオソームからH2A.Zが脱落することが知られている.つまり,H2A.Zのヌクレオソームからの脱落が温度センサーとしての役割があるものと考えられている(13)13) S. V. Kumar & P. A. Wigge: Cell, 140, 136 (2010)..このように一部のバリアントには環境ストレス応答などに固有の役割をもつ可能性が考えられ,ヒストン修飾だけではなく,各バリアントの構造の違いが遺伝子発現に影響を及ぼしていることも知られている.このようなヒストンバリアントの多様性は酵母では圧倒的に少なく,このことが酵母でヒストン修飾と遺伝子発現に関する研究が進展し,一方でシロイヌナズナなどの多様なヒストンバリアントをもつ生物種では研究が遅れた一因とも言える.
ヒストンだけを見てもヒストン修飾を受けるサイト,ヒストン修飾のレベル,ヒストンバリアント,ヒストンの構成単位(量体数)などの組み合わせにより,生育過程や環境ストレスに対応するための未解明の巧みな遺伝子発現制御機構の存在は容易に予想され,これから大学院に進学する学生の中には,実際にその大発見に立ち会える人もいるのではないだろうか.ヒストンバリアントの研究についてはこれまでの転写因子の研究の延長線上のように感じる読者もいると思うが,エピジェネティック制御を理解する利点で特筆すべきは「可逆性」にある.この可逆性が従来の手法では成し得なかった成果につながるのではないかと筆者らは期待して研究を進めている.次に可逆性の代表格と言ってよいであろうヒストンのアセチル化について紹介する.
ヒストンのアセチル化はヒストンアセチル基転移酵素(HAT)とヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)と呼ばれる2つの酵素活性によってそのバランスが取られている.つまり,細胞内では2つの酵素の働きを調節することにより,栄養条件などに応じて臨機応変(可逆的)にアセチル化レベルの高低が制御されている(図1図1■HATとHDACの働きによりヒストンアセチル化レベルは平衡化されている).ヒストンのアセチル化修飾の具体的な役割としてよく言われることが,ヒストンテールに多く含まれる塩基性アミノ酸であるリジン残基の正電荷がアセチル化されることによって解消され,DNAを構成する負に帯電しているリン酸基とヒストンテール中のリジン残基との電荷的な結合が解消されることによる転写の促進である.つまり,DNAとヒストンテールとの結合が弱まることで,転写因子のDNAへの結合が促進される,転写が活性化されるというモデルである.ほかにもヒストン-DNA間ではなく,アセチル化によるヒストンタンパク質とアセチル化ヒストン結合タンパク質(リーダータンパク質)との相互作用が,さまざまな因子をリクルートすることで転写促進もしくは抑制に作用することが知られている(14)14) T. Kouzarides: Cell, 128, 693 (2007)..例外はあるものの,ヒストンのアセチル化が亢進すれば,遺伝子発現が強まる傾向にあると考えられている.筆者らは,この特性に注目し,仮に環境ストレス耐性にかかわる遺伝子の発現制御を担うHDACが存在すれば,そのHDAC活性の抑制によりアセチル化を亢進することで環境ストレス耐性遺伝子の発現を誘導し,植物の環境ストレス耐性能を向上できるのではないかと考えた.次章から,シロイヌナズナのHDACについて記載する.
植物には3つのHDACファミリーが知られている.まず,その酵素反応の様式の違いからRPD3/Hda1(RPD3-like)とSIRTUINの2種類のファミリーに分類され,これらのHDACファミリーは真核生物に広く保存されている.RPD3-likeファミリーでは酵素の活性中心にある亜鉛イオンにより活性化されたアセトアミドのカルボニル基が,水分子から求核攻撃を受け,アセチル化リジンでの脱アセチル化反応を触媒すると推測されている.一方,SIRTUINはこれと全く異なる反応機構で脱アセチル化反応が起こることが知られており,RPD3-likeとは異なる酵素活性ドメインを有し,ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド(NAD+)依存性のHDAC酵素としてアセチル化リジンの脱アセチル化を触媒する.さらに植物にはHD-Tuinファミリーが存在しており,N末端領域に存在するcatalytic domainがHDAC酵素活性を有するものと予想されている.ただし,HD-tuinのHDACとしての酵素活性に懐疑的で,HD-tuinにはその活性はなく相互作用因子として働くと予想する研究者もおり,植物特異的HDACとされているが,議論の余地があるファミリーである(15)15) S. Bourque, S. Jeandroz, V. Grandperret, N. Lehotai, S. Aime, D. E. Soltis, N. W. Miles, M. Melkonian, M. K. Deyholos, J. H. Leebens-Mack et al.: Trends Plant Sci., 21, 1008 (2016)..次に,シロイヌナズナではこれらの3つのHDACファミリーに属する計18個の遺伝子が知られており,それぞれの変異体を利用した解析から,HDACと環境ストレス応答の関係が明らかとなっているので紹介する(16)16) M. Luo, K. Cheng, Y. Xu, S. Yang & K. Wu: Front. Plant Sci., 8, 2147 (2017).(表2表2■各HDACが制御するストレス応答とアセチル化修飾サイト).
HDAC | アセチル化修飾サイト | 環境ストレス |
---|---|---|
HDA6 | H3K9K14 | 塩,乾燥,低温 |
HDA9 | H3K9 | 塩 |
HDA19 | H3K9K14K18 | 塩,乾燥 |
HD2C | H3K9K14 | 塩,高温 |
HD2D | 不明 | 塩,乾燥,低温 |
文献16を参考に作成. |
一次構造の相同性からRPD3-like HDACファミリーはさらに3つのクラス(I, II, IV)に分類される傾向があるようであるが,シロイヌナズナではクラスI(HDA6, HDA7, HDA9, HDA19),クラスII(HDA5, HDA14, HDA15, HDA18),クラスIV(HDA2),そのほか(HDA8, HDA10, HDA17)のグループに分類されており,計12個の遺伝子から構成されている(17, 18)17) C. Hollender & Z. Liu: J. Integr. Plant Biol., 50, 875 (2008).18) M. Ueda, A. Matsui, M. Tanaka, T. Nakamura, T. Abe, K. Sako, T. Sasaki, J. M. Kim, A. Ito, N. Nishino et al.: Plant Physiol., 175, 1760 (2017)..基本的には,クラスI(HDA6, HDA7, HDA9, HDA19)が乾燥,塩,高温ストレスなどの応答にかかわる遺伝子の発現制御を担うことが明らかにされている.筆者らはこのうち,hda19変異体を材料とした解析から,HDA19の機能を欠損すると,植物は塩,乾燥,高温の各ストレスに対して耐性を有することを明らかにしている(18, 19)18) M. Ueda, A. Matsui, M. Tanaka, T. Nakamura, T. Abe, K. Sako, T. Sasaki, J. M. Kim, A. Ito, N. Nishino et al.: Plant Physiol., 175, 1760 (2017).19) M. Ueda, A. Matsui, T. Nakamura, T. Abe, Y. Sunaoshi, H. Shimada & M. Seki: Plant Signal. Behav., 13, e1475808 (2018).(図2図2■HADCの機能抑制は環境ストレス耐性を増強する).ほかにもhda6変異体が乾燥ストレス耐性(20)20) J. M. Kim, T. K. To, A. Matsui, K. Tanoi, N. I. Kobayashi, F. Matsuda, Y. Habu, D. Ogawa, T. Sakamoto, S. Matsunaga et al.: Nat. Plants, 3, 17097 (2017).,hda9変異体が塩ストレス耐性(21)21) Y. Zheng, Y. Ding, X. Sun, S. Xie, D. Wang, X. Liu, L. Su, W. Wei, L. Pan & D. X. Zhou: J. Exp. Bot., 67, 1703 (2016).をそれぞれ示すことが報告されている.このようにクラスI RPD3-like HDACは環境ストレスに耐性となる遺伝子群の発現を負に制御していることが推察され,その制御には主にヒストンH3のアセチル化がかかわっているようである(表2表2■各HDACが制御するストレス応答とアセチル化修飾サイト).一方でクラスII RPD3-like HDACでは,環境ストレスに対して明確な表現型を示す変異体は知られていないものの,筆者らはクラスII RPD3-like HDACに分類される4遺伝子を欠損した四重変異体での塩ストレス応答を評価したところ,クラスII RPD3-like HDAC四重変異体は感受性の表現型を示すことを明らかにしている(18)18) M. Ueda, A. Matsui, M. Tanaka, T. Nakamura, T. Abe, K. Sako, T. Sasaki, J. M. Kim, A. Ito, N. Nishino et al.: Plant Physiol., 175, 1760 (2017)..以上のことから,RPD3-like HDACファミリー内の異なる遺伝子の機能を欠損(抑制)することで,環境ストレスに対して耐性を強めたり,弱めたりする働きをもつことが明らかとなった.
HDACとしての機能を有する別ファミリーのSIRTUINについては,ヒトなどの研究で長寿遺伝子として知られる有名なファミリー(7種類存在する)であるが(22)22) M. S. Bonkowski & D. A. Sinclair: Nat. Rev. Mol. Cell Biol., 17, 679 (2016).,シロイヌナズナにはSIRTUINをコードする遺伝子は2種類しか存在しておらず,これまでのところ環境ストレス応答にかかわるとする報告は知られていない.HD-tuinでは先述のように酵素活性そのものに結論が出ていないが,4種類(HD2A-D)あるうちの2遺伝子(HD2CとHD2D)が環境ストレス応答にかかわるようである(23~25)23) Z. Han, H. Yu, Z. Zhao, D. Hunter, X. Luo, J. Duan & L. Tian: Front. Plant Sci., 7, 310 (2016).24) M. Luo, Y. Y. Wang, X. Liu, S. Yang, Q. Lu, Y. Cui & K. Wu: J. Exp. Bot., 63, 3297 (2012).25) D. Buszewicz, R. Archacki, A. Palusinski, M. Kotlinski, A. Fogtman, R. Iwanicka-Nowicka, K. Sosnowska, J. Kucinski, P. Pupel, J. Oledzki et al.: Plant Cell Environ., 39, 2108 (2016)..
HDACは天然に存在する低分子化合物によってその活性が抑制されることが知られるタンパク質であり,HDAC阻害活性を有する化合物はHDAC阻害剤と称される(7, 26)7) E. Verdin & M. Ott: Nat. Rev. Mol. Cell Biol., 16, 258 (2015).26) M. Yoshida, M. Kijima, M. Akita & T. Beppu: J. Biol. Chem., 265, 17174 (1990)..RPD3-likeとSIRTUINは異なる酵素反応により脱アセチル化を行うので,構造的特性の異なった化合物がそれぞれのファミリーの活性を阻害する.天然からのHDAC阻害剤の発見(トリコスタチンA(trichostatin A: TSA)やトラポキシン)は,アセチル化により影響を受ける遺伝子発現機序の実態解明や,HDACをコードする遺伝子の初めての単離とクローニングなど,基礎研究の発展に大きく貢献した.それだけでなく,HDAC阻害剤の一部は抗がん剤として実用化され,さらに現在では各クラスに選択的に作用するさまざまなHDAC阻害剤の開発が進められている(27)27) E. Seto & M. Yoshida: Cold Spring Harb. Perspect. Biol., 6, a018713 (2014)..われわれはRPD3-likeに作用するHDAC阻害剤を植物(シロイヌナズナやキャッサバ)に処理したところ,クラスIに阻害活性作用のあるHDAC阻害剤が塩ストレス耐性を向上させることを見いだしている(28, 29)28) K. Sako, J. M. Kim, A. Matsui, K. Nakamura, M. Tanaka, M. Kobayashi, K. Saito, N. Nishino, M. Kusano, T. Taji et al.: Plant Cell Physiol., 57, 776 (2016).29) O. Patanun, M. Ueda, M. Itouga, Y. Kato, Y. Utsumi, A. Matsui, M. Tanaka, C. Utsumi, H. Sakakibara, M. Yoshida et al.: Front. Plant Sci., 7, 2039 (2017).(図3図3■クラスI RPD3-like HDACの活性阻害がシロイヌナズナに塩耐性を付与する).前項で,シロイヌナズナではクラスIIの四重変異体が塩ストレスに感受性を示すと記載したが,この表現型はクラスIに属するHDA19の機能を抑制することで解消されることを明らかにしている(18)18) M. Ueda, A. Matsui, M. Tanaka, T. Nakamura, T. Abe, K. Sako, T. Sasaki, J. M. Kim, A. Ito, N. Nishino et al.: Plant Physiol., 175, 1760 (2017)..つまり,各クラスに対する選択性はそれほど問題にはならず,クラスIに阻害活性作用のあるHDAC阻害剤であれば,植物の環境ストレス耐性を向上できることを示唆している.
グラフは液体培養した発芽後4日目の幼植物体に各阻害剤を処理し,さらに16時間経過後に125 mM NaCl塩ストレス条件下で5日間生育させた場合の生存率を示す(○線).×線は阻害剤処理のみの非塩ストレス条件での生存率を示す.
HDAC阻害剤として実際に農地で使用するシーンを考えると,幼苗期などの植物がストレスに弱い時期の処理(アセチル化の亢進)が挙げられるであろう.HDAC阻害剤を処理することで植物の環境ストレス耐性能を一時的に高め,適当な時期に阻害剤散布を休止(アセチル化の亢進を抑制)することで,生殖器官形成への影響を最小限にとどめ,稔性などの農業上重要な形質を保持することが可能になると筆者らは考えている.このようにHDAC阻害剤処理によりアセチル化の可逆性を利用することで,環境ストレス耐性を高めつつ,稔性を維持することができれば環境ストレスにより受ける被害を軽減することができるのではないかと期待している.
現在利用できるHDAC阻害剤の多くは,抗がん剤としての作用を期待して開発されたものがほとんどであることから,ヒトなどのHDACにも作用してしまうため,フィールドでの実用化は困難である.現在,筆者らはこの問題を克服するために植物のHDACにのみ作用する化合物のデザイン,スクリーニング作業を進めている.将来,われわれが開発した化合物が実用化され,環境ストレスの被害に苦しむ世界各地の農業問題の解決・発展の一助になることになればこの上ない喜びである.また,HDACは非ヒストンタンパク質の脱アセチル化反応も触媒することが知られており,非ヒストンタンパク質のアセチル化も環境ストレス応答を理解するうえで重要な因子となるであろう.われわれが注目している表現型も,ヒストンか非ヒストンタンパク質,どちらのアセチル化によるものかまだ結論は得られていない.当該分野において,細胞内におけるアセチル化の総合的な理解が今後の研究には必要不可欠なテーマとなりつつある.
Acknowledgments
本稿の執筆にあたり植物ゲノム発現研究チームの研究員,テクニカルスタッフ,パートタイマー,研修生の皆様からご支援いただきました.皆様のご支援に心より御礼申し上げます.
Reference
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