セミナー室

イネのゲノム編集,野外栽培試験の開始と社会実装に向けたアウトリーチ活動ゲノム編集技術で作出された農作物の有用性の実証を目指して

Akira Komatsu

小松

国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構 生物機能利用研究部門

Published: 2018-11-20

はじめに

近年,遺伝子の目的とする箇所にのみ特異的に塩基配列を書き換える(編集する)ことができる「ゲノム編集技術」が注目されており,農業分野でも農作物の品種改良などへの応用が各国で試みられている(1)1) V. Kumar & M. Jain: J. Exp. Bot., 66, 47 (2015)..わが国においても内閣府・総合科学技術イノベーション戦略会議が主導する「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)」のもと,ゲノム編集技術などを活用した新たな育種技術体系の確立が推し進められており(2)2) 内閣府:戦略的イノベーション創造プログラム,http://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/sip/keikaku/9_nougyou.pdf, 2018.,現在,筆者もこのプロジェクトに参加し,収量増加を目指した「シンク能改変イネ」を作出し,それらの隔離ほ場における栽培試験を実施することで,収量性に関する効果を検証している(3)3) 江面 浩,廣瀬咲子,小松 晃,安東郁男,近藤始彦,有泉 亨,三浦謙治,村中俊哉,玄浩一郎,大澤 良:育種学研究,19, 14 (2017).

ゲノム編集技術とは,生物が有する膨大なDNA配列の中から特定の配列を見つけ出して人工的にDNAを切断し,改変する技術である.2012年には細菌や古細菌の獲得免疫システムを応用したCRISPR/Cas9システムが開発され,短期間で効率的にゲノム編集を行うことが可能となった(4)4) J. Martin, K. Chylinski, I. Fonfara, M. Hauer, J. A. Doudna & E. Charpentier: Science, 337, 816 (2012)..自然界において,生物は紫外線などの何らかの外的要因によりDNAが切断されると,その後速やかに元の配列に修復される仕組みを備えているが,時折,偶発的な塩基の欠失や挿入,置換が起こり,特定の遺伝子が働かなくなるなどの現象(突然変異)が現れることがある.CRISPR/Cas9などの人工ヌクレアーゼ(DNA切断酵素)とこうした修復時の現象を農作物の品種改良に応用することによって,あらかじめ狙った遺伝子を特異的に改変し,計画的かつ効率的な変異系統の作出が可能となった.

本稿では,SIPにおけるイネ収量性グループの課題進捗の概要ならびに,ゲノム編集技術を育種における一つのツールとして利用していくうえでの,隔離ほ場栽培試験を実施する意義,加えて,新しい技術であるゲノム編集技術を社会実装していくうえでの,アウトリーチ活動の重要性について述べたいと思う.

SIPにおける「イネの収量性向上」の研究概要

府省・分野の枠を超えた横断型の研究プログラムにより画期的な農業技術開発を行うことを趣旨として,内閣府が主体となって戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「次世代農林水産業創造技術」が2014年度にスタートしている.この中で「ゲノム編集技術等を用いた画期的な農水産物の開発」において,イネについては収量性の向上を目指した課題を推進している.この課題では以下4つの目標と手法の特徴を設定した.

通常の主食用イネ品種がおよそ400~500 kg/10aの収量性をもつのに対し,主に飼料用に開発された多収イネ品種はおよそ700~800 kg/10a以上の収量性をもつが,本課題ではそれら多収品種を改良のベースとして利用している.その一つである農研機構で開発された育成品種「北陸193号」は,好適気象条件下であれば1,000 kg/10a以上の収量性をもつ国内最多収品種の一つである.シンクサイズが比較的大きくかつ高い登熟歩合(籾の中に占める,中身の詰まった正常な籾の割合)を維持できることから,ゲノム編集に資する原品種として使用しており,課題全般においても中心として位置づけられている品種である.一方で,同じく農研機構で開発された多収品種の一つである「モミロマン」は,シンク容量が非常に大きいが(仮に登熟歩合が100%であれば1,200 kg/10aの収量ポテンシャルをもつ),登熟歩合が低くハーベストインデックス(収穫指数:収穫部位の乾物重/全乾物重)が抑制されやすい特性をもち,転流および頴果の登熟能力について向上の余地があると考えられることから,関連する可能性のある遺伝子に着目し,ゲノム編集による転流能,登熟能向上を狙った系統の作出を試みている.

ゲノム編集イネ系統の作出手法としては,配列非依存的なDNA切断能を有するタンパク質と配列認識能を有するRNAとを組み合わせた人工ヌクレアーゼを利用する方法が広く提案されており,任意のゲノム配列において塩基の欠失,挿入が可能なゲノム編集ツールである「CRISPR/Cas9」システムが使用されている(5)5) M. Endo, M. Mikami & S. Toki: Plant Cell Physiol., 56, 41 (2015)..一方で,DNA二重鎖切断を伴わない新たなゲノム編集方法として,脱アミノ化反応を触媒するデアミナーゼを用い,これとDNA配列認識能のある分子とを連結させることにより,特定のDNA配列を含む領域における核酸塩基置換によりゲノム配列の改変を行う「Target-AID(Activation-Induced(Cytidine)Deaminase)」の開発も進んでいることから(6)6) K. Nishida, T. Arazoe, N. Yachie, S. Banno, M. Kakimoto, M. Tabata, M. Mochizuki, A. Miyabe, Z. Shimatani, A. Kondo et al.: Science, 353, 6305 (2016).,この手法による変異導入系統の作出も現在進めている.

イネのシンク容量を向上させるターゲット遺伝子としては,籾数を増加させるものや,米粒のサイズにかかわる遺伝子などに対して変異導入を試みており,その後代においてメンデル分離によって外来の導入遺伝子であるCRISPR/Cas9発現カセットやTarget-AID発現カセットを保持しない個体(ヌルセグリガント)の選抜や,導入された変異の遺伝的固定化作業も同時に進めている.結果としてイネにおいては,T0世代での導入された変異の確認,T1世代での発現カセット本体をもたないヌルセグリガントの選抜および変異部位の遺伝的固定化が完了できる作出技術を確立している.

これまでシンク容量の改変にかかわるQTLは,枝梗数,籾数,粒のサイズなど多く見つかってきており,育種の分野においてもDNAマーカーを用いてそれらを効率的に利用できる状況である.しかし,時として近傍の遺伝子も交配過程で導入されることによる「リンケージドラッグ(linkage drag)効果」が現れてしまうことも多々あり,今後QTLの原因遺伝子のみを改良できるゲノム編集技術の登場により,育種へのQTLの利用も,また違った側面が見えてくる可能性がある.

作物育種における,一つのツールとしてのゲノム編集技術の可能性

現在行なわれている通常の交配育種において,ある栽培種に収量性や病害虫抵抗性などの新たな形質を導入するには,何世代にもわたって戻し交配と選抜を繰り返す必要があるが,ゲノム編集技術を併用した場合には,その形質に関与する遺伝子を特異的に改変できるため,前述のリンケージドラッグの回避や,有望品種,系統のゲノムバックグラウンドを維持したまま新規形質を迅速にピラミディングできるなども合わせて,育種の正確性を含めた効率性を向上させられることが期待される.このため,育種ビジネスにも大きな影響をもたらす可能性があり,作物開発の世界的な加速化が現在すでに始まっている状況である.

そのためわが国においても,ゲノム編集技術で作出された作物系統の特性を育種現場と近い環境で早期に判定していく必要があると考えている.実験室内のチャンバーや温室内で有望な形質が出たとしても,フィールド(野外ほ場)環境でその形質が発揮できなければ,実際には育種現場において使用してもらえる技術とはならないためである.わが国においても,このことが確認できなければ,ゲノム編集技術は遺伝子機能解析のツールにとどまり,育種技術の一つのツールとして仲間入りすらできないことになる.

一方,現段階では作出過程においては,初期世代でCRISPR/Cas9遺伝子やデアミナーゼ遺伝子というイネ由来ではない外来遺伝子をイネゲノム中に導入しているため,これらが遺伝分離によって排除された後代系統であっても,法規制上の取扱いの仕組みが決定されていない現段階においては,カルタヘナ法のもと遺伝子組換え作物の一つとして扱う必要がある.前述の,育種現場に近い環境での実証試験をカルタヘナ法のもと,最大限のスピードで進めていくためには,現行の規制に即して隔離ほ場における野外栽培試験を現段階では利用することが重要と考えた(図1図1■ゲノム編集イネ系統の野外栽培試験の様子(2017年農研機構・つくば市)).今後はゲノム編集を起こすタンパク質複合体を直接導入し,宿主ゲノムへの外来遺伝子を導入しない手法も広まっていくことが期待できるが(7, 8)7) J. W. Woo, J. Kim, A. L. Kwon, C. Corvalan, S. W. Cho, H. Kim, S. G. Kim, S. T. Kim, S. Choe & J. S. Kim: Nat. Biotechnol., 33, 1162 (2015).8) S. Svitashev, C. Schwartz, B. Lenderts, J. K. Young & A. M. Cigan: Nat. Commun., 7, 13274 (2016).,ガイドRNAを使用するCRISPR/Cas9システムやTarget-AIDシステムにおいては,カルタヘナ法で規定された「細胞外で加工された核酸をゲノム中に導入された生物」に該当するかの議論もあることから,現状では,まず隔離ほ場で栽培試験を進め,この技術の可能性を検証することが必要であると考えている.一方で,既に目的遺伝子への変異導入によるノックアウト系統が作出されたならば,Cas9遺伝子やデアミナーゼ遺伝子,ガイドRNAなどの外来遺伝子がゲノム中に存在する必要性はなく,自殖交配による次世代(T1世代)での遺伝分離により導入遺伝子カセット本体の除去が可能である(図2図2■アグロバクテリウムによる遺伝子導入法を用いた,ゲノム編集イネ系統を作出する際のステップ(CRISPR/Cas9システムを用いた場合)).隔離ほ場栽培試験での収量性や草型の特性解析を行なううえでも,Cas9遺伝子やガイドRNAなどの外来遺伝子がゲノム上に存在し続けることによる,更なる目的外の変異導入(オフターゲット変異の導入)の可能性はできるだけ回避すべきであるため,現段階ではPCRやサザンブロット解析を用いて外来遺伝子本体が分離除去されている個体由来の系統を,野外ほ場に展開して栽培試験を行っている.