解説

ホップ品質の多角的な解析とその応用ホップを育種し,守り,使いこなす

Systematic Analysis of Hop Quality and Its Application for Beer Production: Hop Science: Breeding, Protection, and Product Development

Kiyoshi Takoi

蛸井

サッポロビール株式会社

Yutaka Itoga

糸賀

サッポロビール株式会社

Yukio Okada

岡田 行夫

サッポロビール株式会社

Koichiro Koie

鯉江 弘一朗

サッポロビール株式会社

Published: 2018-12-20

1516年に発布されたという「ビール純粋令」で「ビールに大麦(麦芽),ホップ,水以外の原料(後に酵母が追加)を使用してはならない」とされているのは耳にしたことがある人が多いだろう.しかし,大麦は広く栽培され食用にも用いられているため目にする機会が多いと思われるが,栽培地域が限られ,ほとんどビールにしか用いられないホップがどういった作物であるか,ご存じの方は少ないのではないだろうか.サッポロビール株式会社はそのホップ品質に関する研究を長年広範囲に取り組んできた.その中から,栽培安定化への世界的貢献,継続的な優良ホップ品種の育種,ホップ特有の成分に関する多角的解析,この3点について紹介する.

はじめに

ホップはアサ科カラハナソウ属の多年生,雌雄異株の作物であり,その雌株の球果がビールの原料として使われる.ホップは蔓性で,畑には高さ5メートルほどの棚が設けられ,収穫期には繁茂したホップで棚全体が緑色に見える.そこに実った球果の形は松かさに似ているが,松かさよりだいぶ小さく,また,緑色で柔らかい.この球果には多量の樹脂成分,精油成分,ポリフェノールなどが蓄積されそのままでは食用には適さないが,ビールに使用した場合には爽快な苦味,芳香といった香味上の意義にとどまらず,麦汁煮沸工程において麦芽由来の過剰なタンパク質を沈殿除去してビールを清澄化する働きもある.また,ビールの苦味成分であるイソα酸(isohumulone,ホップに含まれるα酸(humulone)が麦汁煮沸の熱で構造変化(イソ化)したもの)は,苦味を呈するとともに強力な抗菌性を有し,ビールの微生物安定性の向上にも寄与し,さらにはビールの泡を補強する作用も有している.ビールになくてはならないといえるその重要性から「ビールの花」とも呼ばれている.

ホップは農業的には冷涼な地域に適応性が高く,北海道で野生ホップが見いだされていたことが,サッポロビール株式会社(以下,サッポロ社)の前身である札幌開拓使麦酒醸造所が1876年に当地に設立された理由の一つである.北海道では,翌1877年には札幌でホップの栽培が行われ,当時設立されたホップ研究機関は現在のサッポロ社にも引き継がれている.日本国内においては,品質解析から育種まで自社で行える体制を維持している唯一のビールメーカーである.

ホップ研究は農業性や耐病性などの栽培にかかわる分野から,苦味成分の元となる樹脂成分にかかわる分野,芳香に寄与する香気成分にかかわる分野,さらにはホップに含まれる多様な成分の機能性にかかわる分野まで,多岐にわたる研究が盛んに取り組まれている.その中でもサッポロ社はホップの栽培安定性にかかわるウイルス研究,新品種の育種,品種判定技術,ホップ特有の成分の生合成機構,ホップ由来成分の香味への影響の解析,などの分野で長年広範囲に取り組んできた(図1図1■ホップ品質解析と応用の取組み総括図).

図1■ホップ品質解析と応用の取組み総括図

ホップの栽培安定化へのグローバルな貢献

世界中でもっとも飲まれているビールはピルスナータイプと呼ばれ,黄金色の液と真っ白な泡,爽快な飲み心地が特徴である.チェコはそのピルスナータイプのビールの発祥の地であり,現地のファインアロマホップ品種Saazは世界的にその高品質が認められている.しかし,1980年代に蔓延したウイルス病によりホップ産地としてのチェコは収量,品質の両面で危機に陥った.ウイルスに罹患したホップはビールの苦味の元となる樹脂成分α酸の球果中の含量が低下するとともに,球果そのものの収量も減少した.

技術支援要請を受けたサッポロ社では,まず原因ウイルスの特定を行った.ホップにウイルス耐性を付与するためには,交配による耐性形質の付与を行うのが一般的であるが,この場合は,交配を行うとファインアロマホップ品種であるSaazが別の品種になるため,その方法を避けることとした.そこで,成長点であるホップの茎頂部にまではウイルスが及んでいないことに着目し,ホップ茎頂培養によるウイルスフリー化技術を開発した.その技術を指導し,1994年には現地ホップ会社などとともにウイルスフリー苗を生産するV. F. Humulus社を設立し,安定した栽培の回復と品質の向上に寄与した(図2図2■ウイルスフリー化によるSaazホップの危機克服).

図2■ウイルスフリー化によるSaazホップの危機克服

その後もホップのウイルス病に関する研究を継続しており,たとえば,微生物検査の分野で迅速,簡便な手法として活用されているLAMP法(loop-mediated isothermal amplification)をウイルス検出に応用することで,従来のELISA法に比べ最大で100万倍の検出感度を実現するなど(1)1) Y. Okada, Y. Itoga, A. Inaba, T. Kaneko & K. Ito: Proc. 31st EBC Congr., 236 (2007).,ホップの安定生産の基盤技術に貢献している.

さらに,購入する麦芽とホップの生産者とサッポロ社のフィールドマンが直接コミュニケーションをとる独自の「協働契約栽培」は2008年にドイツ連邦栄誉賞金賞を受賞した(「協働契約栽培」はドイツ以外でも実施).

優良ホップ品種の継続的な育種開発

日本国内で商業栽培されているホップ品種の大部分は信州早生だが,これはサッポロ社の前身である大日本麦酒株式会社が北海道で育成していた系統の中から1910年代に長野県での栽培に適応したものを選抜したことからこの品種名となり,国内のホップ栽培地に普及したものである(2)2) 森 義忠:“ホップ—ホップの基礎科学と育種,栽培について—”,北海道大学生活協同組合印刷事業部,1995.

サッポロ社ではその後も継続的に品種開発が行われており,1980年代に高αアロマタイプのホップ品種として開発したソラチエース(2, 3)2) 森 義忠:“ホップ—ホップの基礎科学と育種,栽培について—”,北海道大学生活協同組合印刷事業部,1995.3) 品種登録証,登録番号613, ソラチエース,1984/09/05登録,(1984).は,現在米国や日本で栽培されているが,このホップで醸造したビールの独特の柑橘系の香味が近年注目を集め,徐々に栽培面積を増やし,クラフトビールで世界的に活用されている(図3図3■ソラチエースの品種開発と普及).クラフトブルワーの間では,品種特有のフルーティな特徴を付与するホップが着目されるようになってきており,そんななかで,ソラチエースもその特徴的な香りから,改めて注目を集めたものと思われる.

図3■ソラチエースの品種開発と普及

そのソラチエース同様,当初は別の目的で開発された品種であっても,再評価によって極めて特徴的な香気をもつことがわかることがある.たとえば2010年に品種登録されたフラノビューティは,当初は収量性や苦味成分含量などが優れているとして選抜されたものであったが,現在はその柑橘類を想起させる香気で注目されている.2017年に登録されたフラノブラン(登録名:フラノ0802D号)は,白ワイン様,ライム様の香りが特徴である.

サッポロ社のホップ品種開発は,19世紀から蓄積してきた数百の多様なホップ遺伝資源に基づく(2)2) 森 義忠:“ホップ—ホップの基礎科学と育種,栽培について—”,北海道大学生活協同組合印刷事業部,1995..その多様性を背景に,また,後述するホップ香気研究の成果を活用し,現在も個性的な香りの品種開発が継続的に進められている.

ホップ特有の成分に関する多角的解析

ホップ球果の内部にはルプリン腺と呼ばれる黄色の粒が蓄積され,その内部には苦味成分の元となる樹脂成分,芳香の元となる精油成分が特異的に生合成される.サッポロ社ではその特性に着目し,樹脂成分や精油成分,機能性を有するフラボノイドなどの生合性に関与する,ルプリン腺で特異的に発現する遺伝子群の同定や発現機構に関する基礎研究を行ってきた.

その一例として,ホップの苦味成分であるα酸や,ポリフェノール(フラボノイド,プレニルフラボノイド)の生合成経路を図4図4■苦味成分,プレニルフラボノイド,フラボノイドの生合成経路に示した.これらの成分の中には,ルプリン腺だけに生成するもの,苞と呼ばれるかさ状の部分に生成するものなどがありたいへん複雑な経路である.ホップには少なくとも5種類のカルコンシンターゼ様遺伝子があるが,遺伝子発現量や酵素活性の解析の結果,そのうち,ルプリン中の苦味成分生合成に寄与しているのはVPSとCHS_H1の2種類であり,ルプリン中のプレニルフラボノイドや苞の中のフラボノイド類はCHS_H1が寄与していることがわかった(4)4) Y. Okada, Y. Sano, T. Kaneko, I. Abe, H. Noguchi & K. Ito: Biosci. Biotechnol. Biochem., 68, 1142 (2004).

図4■苦味成分,プレニルフラボノイド,フラボノイドの生合成経路

また,2000年代以降,それまでの伝統的なホップの香りと一線を画する「フレーバーホップ」などと呼ばれるフルーティで個性的なホップ品種が開発され,その品種特有香を生かしたクラフトビールが世界的にブームとなってきている.サッポロ社ではそれらの品種にいち早く着目し,香気に関する基礎研究を行ってきた.一例として,白ワインの香りがするといわれるニュージーランドのホップ品種Nelson Sauvinからはその香りのキーとなる新規な揮発性チオール類を発見し(5)5) 蛸井 潔:日本醸造協会誌,107, 306 (2012).,ライムの香りを呈する米国のホップ品種Citraの香りには原料ホップ中のgeraniolと,geraniolから酵母の代謝変換(図5図5■ホップ由来のモノテルペンアルコール類の醸造用酵母による代謝変換経路)で生成するβ-citronellolの相互作用が関与していることを見いだした(6, 7)6) 蛸井 潔:日本醸造協会誌,108, 88 (2013).7) 蛸井 潔:日本醸造協会誌,109, 874 (2014)..これらの知見から,それぞれの品種の特性を生かすとともに,ホップ品種のブレンドで異なる香気成分間の相互作用を活用する技術も開発し(8)8) 蛸井 潔:日本醸造協会誌,112, 737 (2017).,実際の商品開発にも活用できるようになっている.

図5■ホップ由来のモノテルペンアルコール類の醸造用酵母による代謝変換経路

おわりに

サッポロ社は長年にわたりホップの栽培技術,育種技術およびホップ品質の解析と応用に対しての研究と開発に取り組んできた.長年のホップ栽培安定性に関する世界的な成果に加え,近年のクラフトビールブームを支える個性的なホップの香気特性を解明しその知見を商品開発に継続的に応用している.

ホップはビール醸造に長年使われてきたものの,まだまだ謎の多い作物でもある.今後ともその謎を解明するとともに,品質の安定化,新品種開発,商品開発などにつなげていきたい.

Acknowledgments

一連の研究の推進にあたり,ホップのチオール研究に関してご助言・ご指導を賜りましたボルドー第二大学・故富永敬俊博士に厚く御礼申し上げます.本研究成果はサッポロビール株式会社ならびにサッポロホールディングス株式会社の多くの関係者の尽力によるものであり,関係の皆様に感謝いたします.また2018年度農芸化学技術賞にご推薦と適切なご指導をいただきました岡山大学・清田洋正教授に深謝いたします.

Reference

1) Y. Okada, Y. Itoga, A. Inaba, T. Kaneko & K. Ito: Proc. 31st EBC Congr., 236 (2007).

2) 森 義忠:“ホップ—ホップの基礎科学と育種,栽培について—”,北海道大学生活協同組合印刷事業部,1995.

3) 品種登録証,登録番号613, ソラチエース,1984/09/05登録,(1984).

4) Y. Okada, Y. Sano, T. Kaneko, I. Abe, H. Noguchi & K. Ito: Biosci. Biotechnol. Biochem., 68, 1142 (2004).

5) 蛸井 潔:日本醸造協会誌,107, 306 (2012).

6) 蛸井 潔:日本醸造協会誌,108, 88 (2013).

7) 蛸井 潔:日本醸造協会誌,109, 874 (2014).

8) 蛸井 潔:日本醸造協会誌,112, 737 (2017).