巻頭言

健康寿命と平均寿命に思うこと

Yoshihisa Nakano

中野 長久

大阪府立大学研究推進機構生物資源開発センター

Published: 2019-01-20

先日の厚生労働省が発表した簡易生命表によると日本人の平均寿命は女性が87.26歳,男性が81.09歳で女性が香港(87.66歳)に次ぎ2位,男性(香港,81.70歳,スイス,81.5歳)に次いで3位で,人口1億人以上の国では永く1位を占めている.最近は健康寿命という言葉をよく聞く.これは健康上の問題がなく日常生活が送れる状態をいう.健康寿命と平均寿命では男性で約8年,女性で12年の開きがある.この健康寿命の長さでも日本はシンガポールに次いで2位の位置にある.しかし課題は,国際順位ではなく健康寿命と平均寿命との年齢格差が何故に起きるのかが問題である.常に8年から12年もの間,医療機関,家族,介護施設に依存して生きることになるのはなぜなのか.できれば健康寿命と平均寿命が同じであってほしいとは誰もが望むことである.しかしそうはならない.それではどのような要因があって健康寿命を平均寿命に近づけられないのか.矛盾するようではあるが,心身ともに健康な状態で死を迎えることこそがヒトの一生かなと思うゆえである.

私たちは食物を食することで健康を維持し,寿命を刻む生物である.それを怠ったとき,私たちの身体はバランスを崩すことになる.今は崩食(後述)と言われる時代に生きているともたとえられる.食生活(食文化)を考えるとき,栄養素のバランスを考えて食の準備をしている主婦,主夫(?)が何人いるだろうか.また多くの社会人がコンビニ,スーパー食品部のお世話になり,好きな,美味しそうな,新鮮な,そして何%値下げかという思念が先行して,自身の身体機能を考えて,昨日の食生活から今日の食事をどうするか考える人はどれほどだろうか.しかし少しは身体能力が心配だからサプリメントに殺到することになる.この結果,多くの日本人の食生活で微量栄養素,食物繊維の絶対的不足が生じてくる.

私たちの食生活は,太平洋戦争直後の,「飢餓(食糧不足)」による栄養失調に近い栄養不足症から脱するために,戦勝国からの食糧援助(宝食の時代)を受けつつ,国策として食糧増産を掲げ,「豊食」の社会(昭和30年代)を形成した.その後,食糧自由化とともに,ほぼ好きな食糧を好きなときに摂取できる機会を得て,「飽食」と言われる食生活を築く.そして台所革命とも言われる,電化製品の充実とともに,冷蔵庫の扉を開ければ,好きな食べ物がある時代を子どもたちは享受するようになり,放任された食生活を得て,制御されることのない食事形態の時代「放食」を形成し,そしてこの平成の時代,大型スーパーマーケットがフードコートの形成を加速し,家族団欒と称して,周囲の料理コーナーから子どもたちにお金をもたせて好きな料理を買ってこさせ,テーブルで家族がそれぞれの食材,料理法の異なる皿を囲みながら,楽しい食事を摂る姿が認められる.そこには両親による食生活のコントロールはすでに崩壊している「崩食」.このような傾向を少し反省の目で見て,食生活を新しく確立しないと,健康寿命と平均寿命の格差が縮まることは期待できないと危惧するとともに,骨粗鬆症等生活習慣病,寝たきり介護と続く健康保険行政の国家的損失はますます膨らむことになる.農芸化学を専門分野としている私たちの役割の一つが食機能の上手な応用による健康寿命の延伸である.一方,先進国の食生活では地球の食糧生産力は44億人の食生活しか支えられない.地球上76億人の食をどう支えるのかも私たちの責務である.本稿を終えるに当たり一部,私の恩師である北岡正三郎先生の編まれた「物語食の文化」(中公新書刊)を参考にしたことを付記したい.