巻頭言

ビーフ・ステーキを食べなくなる日

Yoshikatsu Murooka

室岡 義勝

大阪大学名誉教授

Published: 2019-02-20

「鯨でも 牛肉と思って食べなさい 夕餉に母は寂しく笑う」.同級生が中学のとき作った句である.近年,クジラやイルカの捕獲に対して欧米や豪州,ニュージーランドなどの保護団体からの反対圧力が強くなっている.ほかの動物に比べて知能が高いのが理由の一つらしい.一方で,これらの捕獲現場の殺戮場面がテレビの映像などで流され,視聴者の「むごい」という感情伝播がそれに拍車をかけている.鯨を魚として食べてきた日本人としては,「ならば,牛や豚ましては神聖な鹿まで殺して食べるのはよいのか?」と反論したくなる.

子どもたちが家畜の屠殺現場を見学したり,SNSで流したりしたら,屠殺反対運動が起こるに違いない.一方で,幾度も屠殺中継を目にしていれば,次第に慣れていくのだろうか.子どもの頃,親戚が集まる祭りには,家で鶏を絞めていた.首を切られた鶏は,庭を走り回ってやがて倒れる.何ともむごい風景であった.その夜の鍋の鶏皮には産毛が残っていて,食べるのを躊躇した.その後こうした風景を忘れていたが,数年前パキスタン北部のパミール高原を訪れたとき,案内人が連れ歩いたヤギを殺す現場を見た.イスラムのお祈りをして,ヤギの喉元を切り,血抜きをした後,皮を剥ぎ,膀胱を傷つけないで内臓を取り出す.その日の夕食は到底食べられないと思ったが,新鮮な肝がめっぽう美味しかったのである.私は無慈悲な人間なのだろうか.

さて,私より慈悲深く動物と憐れみを共有する人々が大半を占める世の中がきたとして,動物を食べないで,植物のみの食生活が成り立つだろうか.元からベジタリアンでない人々は,そのうちあのビーフ・ステーキやカツ丼を恋い焦がれないだろうか.そのときは,動物肉と同じものを植物材料や微生物から作ればよい.すでに私たちは1960~70年代にそれを経験した.酵母で石油タンパク質を作ったのである.大学院生のとき,二国二郎教授が石油タンパク質を研究室にもってこられ,カレーに加えて食した.食感も柔らかい牛肉と変わらなく美味しかった.この石油タンパク質は,シングルセルプロテインと名前を変えたが,消費者に受け入れられずに消えた.それから50年,今の科学技術をもってすれば,動物肉と栄養的にも食感でも遜色のない植物肉ができるだろう.

そのときこそ,農芸化学の知と技術の見せ所である.ゲノム編集技術とAIを駆使して,不毛地帯で育つ穀物を開発する.乾燥にも,冷害にも,酷暑にも,害虫にも強い植物である.この穀物は,必須脂肪酸やアミノ酸,ビタミンも含んでいる.食品加工,食品科学,栄養科学,調理科学は農芸化学の得意とするところだ.植物材料から動物類似品,いやそれを上回る健康食材を作ることは,お手の物である.あるいは,iPS細胞工学により動物肉組織を工業生産してもよい.

これで,技術面は克服できた.問題は,畜産業が廃頽する.人間が殺戮を止めると野生動物が増える.魚も動物だけど食べてよいか.卵やミルクはどうする.いや,植物にも生命がある.こうした問題の解決は,ニューベジタリアンにおまかせしよう.

ところで,本当にそんな時代がやってくるだろうか.ヒトは,肉食というDNAを抑制できなくて,数百年・数千年後も兄弟の動物を殺して食べ続けるのだろうか.それとも,『知恵をもったヒト』であるホモ・サピエンスは,その英知を進化させてベジタリアンの道を歩むのであろうか.あるいは,愚かな過ちで核によって滅びてしまうのだろうか.