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糖鎖から見たインフルエンザの適応変異インフルエンザ変異と糖鎖

Ken-ichi Nishijima

西島 謙一

名古屋大学

Published: 2019-02-20

インフルエンザはなかなか制圧できない感染症である.その一因としてウイルスゲノムが変異しやすいことが挙げられる.本稿では,インフルエンザウイルスの変異と適応戦略を糖鎖の観点から考えてみたい.

ヒトに脅威となるインフルエンザはA型とB型に分けられる.A型はヘマグルチニンと(HA)とノイラミニダーゼ(NA)との組み合わせでさらに分類され,たとえば1型のHAと1型のNAをもつウイルスはH1N1型(亜型)と呼ばれる.B型はVictoria型とYamagata型の2系統になる.現在季節性インフルエンザの原因となっているのは,B型とA型ではH1N1とH3N2である.同じ亜型でもさまざまなウイルスがあり,インフルエンザワクチン作製の際には約9カ月後の流行シーズンを見越して毎年ワクチン株を選択する.現在のインフルエンザワクチンは,H1N1型から1株,H3N2型から1株,B型から1株を混合したものである.実際に流行したインフルエンザウイルスの同定とワクチン性能の評価を継続して行う努力からはいろいろなことが見えてくる.まず,この予測はよくあたっており近年は失敗がほとんどない.それでもたとえば2013年や2016年のH3N2型のようにワクチン効果がほとんど認められないことがある.

インフルエンザウイルスは変異のスピードが速いため,せっかくのワクチンが効果を発揮する前に不適合になってしまう可能性がある.この点は,クリニカルアイソレートとワクチン株の免疫の交差性を調べることで検証できる.2013年や2016年インフルエンザの場合は,この点でも問題はなかった.解析の結果,ワクチン株を増殖させる過程でウイルスの変異が起こっていたためにワクチンの効果がなかったことが明らかとなっている(1, 2)1) D. M. Skowronski, N. Z. Janjua, G. De Serres, S. Sabaiduc, A. Eshaghi, J. A. Dickinson, K. Fonseca, A. L. Winter, J. B. Gubbay, M. Krajden et al.: PLOS ONE, 9, e92153 (2014).2) S. J. Zost, K. Parkhouse, M. E. Gumina, K. Kim, S. Diaz Perez, P. C. Wilson, J. J. Treanor, A. J. Sant, S. Cobey & S. E. Hensley: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 114, 12578 (2017).

われわれの細胞を覆う分厚い糖鎖層の末端はマイナス荷電をもつシアル酸で,インフルエンザをはじめ多くのウイルスの標的分子である.一般に鳥インフルエンザはヒトにはかかりにくい.この感染性の種差は,ヒトインフルエンザウイルスが感染する際にはシアル酸は一つ内側のガラクトースにα2,6型の結合様式で結合していなければならないが,鳥インフルエンザウイルスではα2,3結合型である必要があるためと理解されている(図1図1■インフルエンザウイルスの変異と糖鎖.ただし,糖鎖の違いはたとえばウイルス感染が起こる気道でどの糖鎖が発現しているかという分布の違いであり,鳥がα2,6結合型シアル酸をもたないという意味ではない).インフルエンザワクチンを増やす際に用いられるニワトリ発育鶏卵では,ウイルス増殖の場である漿尿膜上に存在する糖鎖は主にα2,3結合型シアル酸である.このため,長期間の馴化プロセスにより鳥型のα2,3結合型シアル酸を使用できる変異型ヒトインフルエンザウイルス株を分離してワクチン生産に用いている.これまでに発育鶏卵での馴化に伴うウイルス変異についてはよく解析されており,たとえばシアル酸を認識するHAタンパク質のかなり少数のアミノ酸が変異するだけで馴化に十分なことが報告されている.

図1■インフルエンザウイルスの変異と糖鎖

ウイルスは増殖時の糖鎖環境や獲得免疫(抗体)による攻撃に応じて糖鎖認識タンパク質(HA)を変異させて適応する.こうした変異は,ワクチン生産においては力価の低下,ウイルスの体内での増殖においては免疫回避や適応コスト低減など様々な形で影響を及ぼす.

抗体の認識部位はエピトープと呼ばれる.インフルエンザウイルスに対する抗体が認識するメジャーなエピトープはHAタンパク質の先端ドメインにある.HAタンパク質の先端は,HAタンパク質がシアル酸を認識する部位でもあるため,馴化の過程で変異が起こりやすい部位と重なっている.エピトープそのものの変異や離れた部分の変異が間接的にエピトープに影響することでワクチンの性能が落ちたケースが報告されている(3, 4)3) D. D. Raymond, S. M. Stewart, J. Lee, J. Ferdman, G. Bajic, K. T. Do, M. J. Ernandes, P. Suphaphiphat, E. C. Settembre, P. R. Dormitzer et al.: Nat. Med., 22, 1465 (2016).4) N. C. Wu, S. J. Zost, A. J. Thompson, D. Oyen, C. M. Nycholat, R. McBride, J. C. Paulson, S. E. Hensley & I. A. Wilson: PLOS Pathog., 13, e1006682 (2017).

世界的な流行(パンデミック)への危惧は消えない.動物培養細胞を用いた新たなインフルエンザウイルス培養法が開発されているが,コストを劇的に下げるような改善がない限り完全に鶏卵を置き換えるのは難しい.変異を生じさせずにワクチン生産できる発育鶏卵の開発が望まれる.また,2種のHAタンパク質を同一のウイルス粒子に発現させる試みも報告されている.ニワトリでの増殖に適したHAタンパク質と,目的の抗原性をもつHAタンパク質を併せもつ遺伝子組換えウイルスを発育鶏卵で増やすというものである(5)5) A. T. Harding, B. E. Heaton, R. E. Dumm & N. S. Heaton: MBio, 8, e00669 (2017).

われわれの体内に侵入したウイルスは,免疫系の休みない攻撃にさらされている.抗ウイルス抗体の存在下とりわけ強烈な選択圧のなか生き残ってくるウイルスはどのようなものであろうか.基本的には抗体のエピトープを変異させることで生存を図るに違いない.よく見られるのはN-結合糖鎖部位の獲得である.エピトープ部分を糖鎖で大きく覆うことで獲得免疫系から逃れることが可能となる.

こうした抗体存在下でのウイルスの生存は,本来の増殖能とトレードオフの関係にある.変異ウイルスの多くで,HAタンパク質がシアル酸を認識する活性も低下するために,もともとのウイルスよりも増殖効率は大きく低下していることが知られる(Fitness costと呼ばれる).一方,ウイルスが糖鎖を利用する新たなパターンとして,トレードオフにより低下した増殖効率を糖鎖附加により逆に補う例が報告された(6)6) I. Kosik, W. L. Ince, L. E. Gentles, A. J. Oler, M. Kosikova, M. Angel, J. G. Magadan, H. Xie, C. B. Brooke & J. W. Yewdell: PLOS Pathog., 14, e1006796 (2018)..糖鎖結合部位の獲得によりHAタンパク質に出現した糖鎖が,ウイルス感染の際に細胞表面シアル酸との結合を助けるのである.インフルエンザウイルスのしぶとさを示す一例と言えるかもしれない.

点突然変異の蓄積により,数年に一度(H3N2で2~5年,H1N1とB型では3~8年に一度のペースで起こるとされる)免疫的に別個のウイルス株が出現する.われわれの一般的な認識とは反するが,見ようによっては「これだけ大勢が毎シーズンごとに感染しているにもかかわらず数年に一度しか現れない」とも言え,ヒトインフルエンザウイルスは自然界ではむしろ変異が定着しづらいという主張がある(7)7) V. N. Petrova & C. A. Russell: Nat. Rev. Microbiol., 16, 47 (2018)..この説の基盤には,急性感染症であるため免疫系の強い選択圧がかかる前に治癒してしまうケースが多いことや,Fitness costを下げるために余計な変異が必要であることがある.どう捉えるかにかかわらず,常時監視を継続しているインフルエンザは,ウイルス分子の変化・進化と宿主との相互作用に関して今後も有用な情報をもたらすものと期待される.

Reference

1) D. M. Skowronski, N. Z. Janjua, G. De Serres, S. Sabaiduc, A. Eshaghi, J. A. Dickinson, K. Fonseca, A. L. Winter, J. B. Gubbay, M. Krajden et al.: PLOS ONE, 9, e92153 (2014).

2) S. J. Zost, K. Parkhouse, M. E. Gumina, K. Kim, S. Diaz Perez, P. C. Wilson, J. J. Treanor, A. J. Sant, S. Cobey & S. E. Hensley: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 114, 12578 (2017).

3) D. D. Raymond, S. M. Stewart, J. Lee, J. Ferdman, G. Bajic, K. T. Do, M. J. Ernandes, P. Suphaphiphat, E. C. Settembre, P. R. Dormitzer et al.: Nat. Med., 22, 1465 (2016).

4) N. C. Wu, S. J. Zost, A. J. Thompson, D. Oyen, C. M. Nycholat, R. McBride, J. C. Paulson, S. E. Hensley & I. A. Wilson: PLOS Pathog., 13, e1006682 (2017).

5) A. T. Harding, B. E. Heaton, R. E. Dumm & N. S. Heaton: MBio, 8, e00669 (2017).

6) I. Kosik, W. L. Ince, L. E. Gentles, A. J. Oler, M. Kosikova, M. Angel, J. G. Magadan, H. Xie, C. B. Brooke & J. W. Yewdell: PLOS Pathog., 14, e1006796 (2018).

7) V. N. Petrova & C. A. Russell: Nat. Rev. Microbiol., 16, 47 (2018).