Kagaku to Seibutsu 57(4): 242-250 (2019)
セミナー室
環境DNAメタバーコーディング—魚類群集研究の革新的手法バケツ一杯の水で棲んでいる魚がわかる技術
Published: 2019-04-01
© 2019 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2019 公益社団法人日本農芸化学会
科学技術が急速に発展した今日においても,野外生物調査の基本となる「どこにどのような生きものがいるのか?」というシンプルな問いに答えるのは容易でない.水生生物である魚の場合には,魚を潜水観察したり漁具で採集したりなど,多大な労力と費用がかかるうえに長期間の調査が必要となる.さらに,日本周辺に生息する魚類だけでも4,300種以上いるため,種を特定するには高度に専門的な知識と経験が必要となる.
どこにどのような生きものがいるのか把握することを「種多様性モニタリング」と呼ぶが,専ら視覚という感覚を拠り所に生きているヒトにとって,見えないものはなきに等しい.なきに等しいものだから,それは知りようがなくても(以下「不可知」であっても)困らなかった.とはいっても,食糧やレクリエーションなどを通じて生態系サービスの恩恵を広く受けているヒトにとって,自然とは無縁ではいられない.不可知を可知にすれば新たな世界が開けてくるはずだ.
ただ,この不可知の世界をイメージするのは難しい.たとえば,近所の池でも川でも海でも,水辺の環境を想像してほしい.水辺に立って,いま目の前の水中にどんな魚がいるのか(考えたことがある人も)答えられる人もほとんどいない.この問いに答えられるのはそのフィールドに精通した専門家か(それ以外の人が答えられたとしても)過去にどんな魚が釣れたから○○○と×××がいるはず,あるいはこのあいだ跳ねていた魚は△△△に違いないという断片的で不確定要素が大きい経験に基づく推定にすぎない.
要するに陸上生物であるヒトにとって,水中という環境は直接見ることができないブラックボックスのようなものなのである.直接覗き見ることができたとしても水が濁っていたり,澄んでいたとしても水中の視界は空気中のそれと比べて比較にならないほど悪かったりする.そのブラックボックスである水中にどんな魚が棲むのか知るには,すでに記したように「調査」というより「事業」と呼んだ方が相応しい規模の労力と費用に加えて専門的知識が必要となる.
今回紹介する「魚類環境DNAメタバーコーディング法」(環境DNAを用いた魚類の多種同時並列分析法)(1)1) M. Miya, Y. Sato, T. Fukunaga, T. Sado, J. Y. Poulsen, K. Sato, T. Minamoto, S. Yamamoto, H. Yamanaka, H. Araki et al.: R. Soc. Open Sci., 2, 150088 (2015).を用いる種多様性モニタリングは,そんなブラックボックスである水中の世界をまるで見てきたかのようなデータで再現してくれる.フィールドに精通した研究者やダイバーに環境DNAメタバーコーディング法でとってきたデータを見せると,例外なく「まるで水中を見てきたかのようなデータだ」と驚く.不可知を可知にする技術,それが魚類環境DNAメタバーコーディング法なのだ.
環境DNAメタバーコーディング法は,調査も分析も簡単だ.調査自体は水をくむだけで事足りる.現在の技術では,環境DNAを大量の水から直接分析することはできないので,水中のDNAをフィルター上に濃縮しなければならないが,その作業も誰でもできる.さらに,多少の分子生物学的知識があればフィルターからDNAを分離抽出することができるし,抽出DNAを分析可能な量に増幅したり,最新の機器で分析可能なかたちに加工したりするのにも既存の手法が使える.分析の結果として出力された大量のデータ(数百万~千数百万本の塩基配列)を解析するにしても,ウェブ上にツールが用意されている.要するに,「いつでも・どこでも・誰でも使える技術」なのである.
2015年にこの手法を論文上で発表して以来(1)1) M. Miya, Y. Sato, T. Fukunaga, T. Sado, J. Y. Poulsen, K. Sato, T. Minamoto, S. Yamamoto, H. Yamanaka, H. Araki et al.: R. Soc. Open Sci., 2, 150088 (2015).,国内はもとより国外からも大きな注目を浴びてきた.発表以来3年と少ししか経っていないにもかかわらず,論文の被引用数は110件を上回り,今では世界中の海や川や湖でこの手法が使われている.また,国交省,環境省,水産庁をはじめとする関係各省庁でも本手法を用いた調査を試行しており,すでにわが国や英国では民間企業による受託分析が始まっている.
本稿では,この環境DNAメタバーコーディング法の概要と実際について,筆者の研究グループが得た最新の成果に基づき解説するとともに,将来的な展望についていくつか記すことにする.
環境DNAを用いた調査は,1)採水,2)ろ過,3)DNA抽出(フィルター上に集められたろ過残渣からのDNA抽出)の3つのステップから始まる.これら3つのステップに関してはすでに本シリーズの最初の稿で解説されているので,まずは魚類環境DNAメタバーコーディング法(以下,筆者が開発したPCRプライマーの名前をつかって「MiFish法」と呼ぶ)(1)1) M. Miya, Y. Sato, T. Fukunaga, T. Sado, J. Y. Poulsen, K. Sato, T. Minamoto, S. Yamamoto, H. Yamanaka, H. Araki et al.: R. Soc. Open Sci., 2, 150088 (2015).の技術的側面について概説する.
MiFish法のエッセンスは,魚類環境DNA断片を分類群横断的かつ分析可能な量に増幅することにある.分類群横断的に環境DNAを増幅し,増幅した領域から種を識別するためには,両端にプライマーという分子ツール(人工的に合成された20塩基前後の一本鎖DNA)が結合する保存的な領域をもち,しかもその内部の配列は種ごとに異なる超可変領域を探さなければならない.
筆者は,880種の多様な魚類のミトコンドリアゲノム全長配列をデータベースからダウンロードして網羅的に比較することにより,12S rRNA遺伝子上にそのような領域(超可変領域の平均長約170 bp)を発見し,両端の保存的領域に結合するプライマーを設計した(図1図1■二つの保存的領域に挟まれた超可変領域).MiFishと名づけたこのプライマーセットを用いてポリメラーゼ連鎖反応(PCR)を行うことにより,少なくとも組織から抽出したDNA(環境DNAよりはるかに濃度が高いDNA)からはサメやエイなどの軟骨魚類からコイやマダイやヒラメなどの硬骨魚類まで幅広い分類群の超可変領域を増幅できることが明らかになった(1)1) M. Miya, Y. Sato, T. Fukunaga, T. Sado, J. Y. Poulsen, K. Sato, T. Minamoto, S. Yamamoto, H. Yamanaka, H. Araki et al.: R. Soc. Open Sci., 2, 150088 (2015)..
880種の魚類ミトコンドリア12S rRNA遺伝子をアラインメント(整列)した.横にDNA塩基配列が並び,各塩基が色分けされている.両端の保存的領域に結合するユニバーサルプライマー MiFishを設計し,種判別に用いる超可変領域をポリメラーゼ連鎖反応(PCR)によって増幅する.
ターゲットとなる領域が増幅できれば,あとは二段階PCRという手法をつかって次世代シークエンサを用いた同時並列分析が可能になる.以下にこの二段階PCRを用いたライブラリの調整法(次世代シークエンサで分析可能なかたちに分子を加工する方法)を記すが,この手法はイルミナ社の次世代シークエンサMiSeq(あるいは同社の互換機)を用いたものである.
まずは,MiFishプライマー配列の5′末端にシークエンスプライマーが結合する配列を加えて最初のPCR(1st PCR)を行う(図2図2■二段階PCRの模式図上).環境DNAの濃度は極めて薄いことが多いので,通常35サイクルのPCRでターゲットを増幅する.多種の魚類のDNA(その濃度は千差万別)を漏れなく増幅することが目的なので,同じテンプレートを用いたPCRを8連チューブを用いて8繰り返し行い,その産物(計8個のPCR産物)を1本のチューブにまとめてカラムやビーズを用いて精製・濃縮する.この操作により,プライマーダイマーやアダプターダイマーなど下流の実験を阻害する短いDNA断片を取り除くことができる.
最初のPCR(1st PCR)には,MiFishプライマー配列の5′末端にシークエンスプライマー配列を加えたプライマーを用い,ターゲットとなる超可変領域(平均長170 bpの12S rRNA遺伝子断片)を増幅する.増幅した1st PCR産物をテンプレートに2回目のPCR(2nd PCR)を行い,8塩基からなるインデクス配列とフローセル結合配列を付加する(1)1) M. Miya, Y. Sato, T. Fukunaga, T. Sado, J. Y. Poulsen, K. Sato, T. Minamoto, S. Yamamoto, H. Yamanaka, H. Araki et al.: R. Soc. Open Sci., 2, 150088 (2015)..
次に,精製・濃縮した1st PCR産物をTapeStationやBioAnalyzerなどの電気泳動分析装置を用いて定量する.精製を入念に行えばアダプターダイマーなどの余剰産物がきれいに取り除ける(図3図3■TapeStationによる1st PCR産物の電気泳動イメージ).この精製した1st PCR産物を一定濃度(たとえば0.1 ng/µL)に希釈して2回目のPCR(2nd PCR)のテンプレートにする.テンプレートにはすでにシークエンスプライマー配列が産物の両端に加わっているので,2nd PCRではこの配列に結合するプライマー1組(フォワードとリバースプライマー)を作成し,プライマーの5′末端に2種類のアダプター配列を加える(図2図2■二段階PCRの模式図下).
1サンプル当たり8繰り返しの1st PCRを行い,その産物をまとめて精製・濃縮してTapeStationによる電気泳動を行った.左のパネルが計11サンプルのゲルイメージで左端のレーンが分子サイズマーカー.下側に濃く出ているのが320 bpほどのターゲットバンドで,精製を行っているため,より小さいサイズのアダプターダイマーが消えていることに注意.右のパネルがレーン#1のピークのイメージ.下のパネルにそのピークの濃度が示されるので,この値を参考に1st PCR産物の濃度調整を行う.
これら2種類のアダプター配列の一方が8塩基からなるインデクス配列(タグ配列)である.2nd PCRで用いる2つのプライマーのインデクス配列の組み合わせをサンプルごとに変えれば,同時並列的に1,000サンプル以上を解析できる.そのためには,異なるインデクス配列をもつ多数のプライマーを合成しなければならない.たとえば,フォワードプライマーに8種類,リバースプライマーに12種類の異なるインデクス配列をもつプライマーを合成すれば,8×12=96個のサンプルを同時並列解析できる.
もう一方のアダプターはフローセル結合配列になる.フローセルとは,内部に極細の流路をもつガラス基板(厚さ1 mmほどで縦横が25×50 mm)で,流路内部には短い一本鎖DNAが芝生状に付着しており,フローセル結合配列がこれらに結合してダイターミネート法に基づくシークエンス反応が行われる(図4図4■イルミナ社の次世代シークエンサMiSeqのフローセルと呼ばれるガラス基板).
2nd PCRは,2つのアダプター配列を付加することが目的なので,サイクル数は10回程度と少なくする.2nd PCRでできた産物(約370 bp)の両端には計3つのアダプターが付加されており,サンプルごとに固有のインデクス配列をもつ(図2図2■二段階PCRの模式図下).このインデクス配列を超可変領域(種の識別を行う領域)の配列と並行的にシークエンスすることにより,MiSeqは決定したシークエンスがどのサンプルに由来するものか判断できることになる.
サンプルごとに固有のインデクスが2個ずつ付加されているため,2nd PCRを終えた産物は等量ずつ(たとえば10 µLずつ)を1本のチューブにまとめることができる.この,複数サンプルをまとめた2nd PCR産物から,ターゲットとなる370 bpの産物のみをゲル上で切り出せば,ライブラリと呼ばれる次世代シークエンサで分析可能な分子となる.最終的にはライブラリを8~12 pMに調整してMiSeqによるシークエンスを行う.
MiSeqを用いたシークエンスは簡単である.上記の調整済みライブラリを,試薬キットと呼ばれるプラスチック製のカートリッジに600 µL入れ,MiSeq本体にセットするだけである.この試薬キットには,シークエンスに必要な試薬が各スロットに充填されており,MiSeqがこれらの各試薬を必要に応じて吸い出し,それを上記のフローセルの流路に流し込む.流路に流し込まれた試薬はダイターミネート反応に用いられ,フローセルに結合したライブラリの塩基配列が1塩基ごとに決定される.MiSeqを用いたシークエンス決定の原理についてはイルミナ社のサイト(https://jp.illumina.com/science/technology/next-generation-sequencing/sequencing-technology.html)を参照されたい.
前項に記したように,水中を漂う希薄な魚類DNAを分析可能な量にまとめて増幅し,それを次世代シークエンサで同時並列的に分析するMiFish法の基盤技術を確立できた.この技術が「絵に描いた餅」にならないためには,実際の環境DNAからMiFish法がどれだけの魚を検出できるか検証しなければならない.
MiFish法の有用性を検証するために,まずはあらかじめ飼育魚種がわかっている水族館の水槽水を用いて実験を行うことにした(1)1) M. Miya, Y. Sato, T. Fukunaga, T. Sado, J. Y. Poulsen, K. Sato, T. Minamoto, S. Yamamoto, H. Yamanaka, H. Araki et al.: R. Soc. Open Sci., 2, 150088 (2015)..検証に用いたのは,国内で最大規模の種数を飼育している沖縄の美ら海水族館の4つの水槽だ.これら4つの水槽には,種類や生態が大きく異なる200種以上の魚が飼育されており,それらの水槽から採水して実験を行った.その結果,リファレンス配列(種が特定された魚の標本とひも付けされているDNA塩基配列)をもつ飼育種の93%に相当する,190種余りの魚類を環境DNAから検出することに成功した(1)1) M. Miya, Y. Sato, T. Fukunaga, T. Sado, J. Y. Poulsen, K. Sato, T. Minamoto, S. Yamamoto, H. Yamanaka, H. Araki et al.: R. Soc. Open Sci., 2, 150088 (2015).(図5図5■MiFishプライマーの性能検証に用いた沖縄美ら海水族館の4つの水槽).
A)黒潮水槽;B)熱帯水槽;C)深層水水槽;D)マングローブ水槽.検出種数とリファレンス配列をもつ種数と両者の比(%)を示した.全体では190種が検出され,これはリファレンス配列をもつ種数の93%に相当する(1)1) M. Miya, Y. Sato, T. Fukunaga, T. Sado, J. Y. Poulsen, K. Sato, T. Minamoto, S. Yamamoto, H. Yamanaka, H. Araki et al.: R. Soc. Open Sci., 2, 150088 (2015)..
検出率が90%を超えたとはいえ,水族館の水槽は閉鎖空間であり,そこに閉じ込められた魚を検出できたにすぎない.一方,海や河川などの野外は開放空間であることが多く,生息している魚種も過去の記録に基づき推測するしかない.このような,水族館の水槽とは大きく異なるフィールドで,MiFish法がどれだけのパフォーマンスを発揮するのか検証することにした.
まずは,京都府北部にある日本海に面した舞鶴湾をフィールドにMiFish法のパフォーマンスを検証することにした(2)2) S. Yamamoto, R. Masuda, Y. Sato, T. Sado, H. Araki, M. Kondoh, T. Minamoto & M. Miya: Sci. Rep., 7, 40368 (2017)..舞鶴湾では,京都大学付属水産実験所の益田玲爾准教授が2002年から長期にわたって隔週で潜水を行い,魚類の目視観察に基づく貴重なデータを蓄積していたからだ.さらには,2014年夏に別の目的で大規模な採水を行い,すでに環境DNAがそれらのサンプルから抽出されていた.早速,舞鶴西湾の47地点(図6図6■京都府舞鶴西湾で行われた調査地点)から得られた環境DNAを用いてMiFish法によるメタバーコーディングを行い,潜水観察記録との比較を行った(図7図7■潜水調査による目視と環境DNAメタバーコーディングによる魚種検出パターンの比較).
MiFish法で検出された種数を濃淡で示している(2)2) S. Yamamoto, R. Masuda, Y. Sato, T. Sado, H. Araki, M. Kondoh, T. Minamoto & M. Miya: Sci. Rep., 7, 40368 (2017)..
14年間の潜水調査で目視された魚種の個体数を多い順に左から並べた.環境DNAで検出されたもの(黒)と検出されなかったもの(白)を対比させた(2)2) S. Yamamoto, R. Masuda, Y. Sato, T. Sado, H. Araki, M. Kondoh, T. Minamoto & M. Miya: Sci. Rep., 7, 40368 (2017)..
その結果は驚くべきものだった.過去14年間の隔週潜水で観察された魚類が80種であるのに対して,たった1日6時間の調査で得られた環境DNAをMiFish法で分析しただけで,128種もの魚類を検出できたのである.14年間の隔週潜水調査で10個体以下しか観察されなかった希少な魚種を除くと,MiFish法はその8割を検出できたこともわかった(2)2) S. Yamamoto, R. Masuda, Y. Sato, T. Sado, H. Araki, M. Kondoh, T. Minamoto & M. Miya: Sci. Rep., 7, 40368 (2017).(図7図7■潜水調査による目視と環境DNAメタバーコーディングによる魚種検出パターンの比較).
海洋におけるMiFish法の検出力の高さを検証した後,琵琶湖に流入する51河川でその検出力を検証してみた(3)3) H. Nakagawa, S. Yamamoto, Y. Sato, T. Sado, T. Minamoto & M. Miya: Freshw. Biol., 63, 569 (2018)..これら51河川の102地点(上流と下流)で採水を行い(図8図8■琵琶湖流入河川における調査地点の分布図(3)),MiFish法を用いた分析を行ったところ,過去に1,700以上の地点から記録された魚類45種の85%に相当する38種と,これまでに記録がなかった2種の計40種を環境DNAから検出することができた.ちなみに,この調査はたった一人の研究者がわずか10日間で行ったもので,過去の文献記録にある河川調査にかかった経費や時間を考えると,そのコストパフォーマンスの高さに驚かされるだろう.
また,河川は常に一定方向に流れるという環境特性をもっているため,上流の魚が下流でも検出され,両者の生息場所の違いが明瞭に出ないことも想定された.ところが,本研究では近縁な魚種間(たとえばカジカとウツセミカジカ)における生息場所の違いを示すデータが得られており,流れがある河川においてもこのような生態的事象を検出できることが明らかになった(3)3) H. Nakagawa, S. Yamamoto, Y. Sato, T. Sado, T. Minamoto & M. Miya: Freshw. Biol., 63, 569 (2018).(図9図9■カジカ(左)とウツセミカジカ(右)が検出された地点(赤丸)と検出されなかった地点(黄丸)).
ウツセミカジカは琵琶湖周辺の下流域から,カジカは上流域から検出されていることがわかり,これは両種の分布パターンを反映している(3)3) H. Nakagawa, S. Yamamoto, Y. Sato, T. Sado, T. Minamoto & M. Miya: Freshw. Biol., 63, 569 (2018)..
MiFish法の基盤技術の確立に引き続き,水族館の水槽やフィールドでの実証的研究を進めた結果,本手法が魚類群集研究を進めるうえで極めて有効なものであることがわかってきた.一方,本手法を「いつでも・どこでも・誰でも」使える手法にするためには,まだまだ改良すべき点が数多くあることもわかってきた.
たとえば,筆者の研究グループは「ステリベクス」(図10図10■環境DNA調査で有用なステリベクス(メルク・ミリポア社)というフィルターカートリッジ)というプラスチックカートリッジに封入されたフィルターを用いた新たなろ過法と環境DNAの抽出法を開発した(4)4) M. Miya, T. Minamoto, H. Yamanaka, S. Oka, K. Sato, S. Yamamoto, T. Sado & H. Doi: J. Vis. Exp., 117, e54741 (2016)..このステリベクスを用いた新たな手法と,上記の研究で使われてきたGF/Fというグラスファイバーフィルターを用いたこれまでの手法を用いてMiFish法で分析したところ,ステリベクス法が従来法より顕著に高い種数を検出できることが明らかになった(4)4) M. Miya, T. Minamoto, H. Yamanaka, S. Oka, K. Sato, S. Yamamoto, T. Sado & H. Doi: J. Vis. Exp., 117, e54741 (2016).(図11図11■ステリベクスフィルターとGF/Fフィルターを用いたろ過法における検出種数の比較).また,ステリベクスはフィルターがカートリッジに封入されているため,環境DNA研究で大きな問題となる外部からのDNA混入(コンタミネーション)に対する安全性も高い.
美ら海水族館の黒潮水槽の海水(1~4 L)を2種類のフィルター(ステリベクスとGF/F)でろ過し,ろ過水量(横軸)対してMiFish法で検出された魚類の種数(縦軸)をプロットしたもの.ステリベクス(上)のほうがGF/F(下)より検出力が有意に高いことがわかった(4)4) M. Miya, T. Minamoto, H. Yamanaka, S. Oka, K. Sato, S. Yamamoto, T. Sado & H. Doi: J. Vis. Exp., 117, e54741 (2016)..
さらに,ステリベクスと50 mLのシリンジを組み合わせることにより,電動のアスピレータを使って吸引ろ過をすることなく,手動で現場ろ過ができるようになった(図12図12■ステリベクスフィルターを用いた現場ろ過法).この現場ろ過キットを使うことにより,どんな未開の地(たとえば熱帯雨林)でも環境DNAサンプルを採取できるようになった.また,ろ過後のステリベクスに核酸劣化防止剤(たとえばRNAlater)を充填すれば,極めて新鮮なDNAを実験室に持ち帰ることができるようになった.
この現場ろ過キットの開発は思わぬ展開も呼んだ.筆者もメンバーの一人であるCREST(JSTが支援する戦略的創造研究推進事業)のプロジェクトでは,2017年の夏に全国一斉魚類相調査を行い,北は宗谷岬から南は南硫黄島まで,東は納沙布岬から西は与那国島まで全国528もの地点で採水と現場ろ過を行った.これほど大規模な採水はこのキットの存在無しには考えられず,しかもすべてのサンプルから分析可能で新鮮な魚類環境DNAを得ることができた.
上記の全国一斉魚類相調査では,日本沿岸という極めて広大な空間の魚類相を,僅か数カ月の調査でモニタリングできることが明らかになった(現在膨大なデータを解析中).一方,このプロジェクトで出てきたデータは,2017年夏のわが国の魚類相をスナップショット的に捉えたにすぎない.
筆者の研究グループでは,MiFish法の機動性・迅速性・簡便性を生かして,空間変動だけでなく時間変動もターゲットにした多地点・高頻度モニタリングを開始した.房総半島の南端沿岸約100 kmの間に11測点を設け,2017年8月末から隔週(上弦の月と下弦の月)で採水と現場ろ過を開始し,2018年11月初めまでに計32回の調査を行った.この調査で得られたほぼ1年分(計26回の調査)のデータの予備的解析を行ったところ,太平洋に面した測点(外房と呼ばれる地域の6測点)と東京湾口に近い測点(内房と呼ばれる地域の5測点)で魚類群集が大きく異なる明瞭な地理的構造が認められることがわかった.さらに,それらの魚類群集が周期的に変動する様子を明確に捉えることができた.
このように,MiFish法の基盤技術が確立され,その有効性を検証する実証的研究が進み,さらには採水・ろ過・DNA抽出をはじめとする各種の周辺技術が開発されることにより,これまでの研究手法では考えられなかったような広大な時空間を対象に魚類群集調査を行えるようになった.一方,環境DNA研究には数多くの問題点が残されている.
たとえば,ある魚種の環境DNAが検出されたことは,いったい何を意味するのか正確なところはわからない.舞鶴湾で行われた「いけす実験」(舞鶴湾にいない魚を入れたいけすを湾内に設置し,その周囲の環境DNAの動態を調べた実験)によれば,環境DNAによる検出は「対象生物が1時間以内に採水地点から半径30メートル以内にいた」ことを示すという(5)5) 益田玲爾・村上弘章・高橋宏司・源 利文・宮 正樹:海洋と生物,40, 17(2018)..もちろん,この実験結果は環境依存的であり,場所が変われば結果も変わるだろう.
環境DNAの正体もよくわかっていない(6)6) M. A. Barnes & C. R. Turner: Conserv. Genet., 17, 1 (2015)..DNA分子そのものが漂っているわけではなく,魚体から放出された粘液や糞とともに漂っているものが大半だという実験結果が出ているが,それはすべての魚種で検証されたわけではない.今後,環境DNAの正体とその「一生」(生まれてから検出不能になるまで)を詳細に解き明かすことも重要な研究テーマになるだろう.
環境DNAと個体数や生物量との関連もよくわかっていない.アユのような年魚(一生が1年の魚)であれば,泳いでいる魚の大きさが揃っているので,環境DNAのコピー数と個体数や生物量との関連があることは容易に想像できる(7)7) M. Ushio, H. Fukuda, T. Inoue, K. Makoto, O. Kishida, K. Sato, K. Murata, M. Nikaido, T. Sado, Y. Sato et al.: Mol. Ecol. Resour., 17, e65 (2017)..一方で,同じ海に仔魚と成魚が混在しているようなカタクチイワシの場合は状況が複雑である.
このように,生まれてまだ10年足らずの環境DNA研究はわかっていないことだらけである.新たに創出された分野としては当然のことであるが,その有用性と限界をよく認識したうえで,これまでその取り扱いづらさから目立った進展がなかった魚類群集研究が急速に発展することを願っている.
最後に,本稿を執筆するにあたって京都大学の山本哲史博士と中川光博士には快く図を提供していただいた.お二人に感謝の意を表する.また,本稿で紹介した一連の研究は,JSTの戦略的創造研究推進事業(CREST)「環境DNA分析に基づく魚類群集の定量モニタリングと生態評価手法の開発」(JPMJCR13A2)ならびに環境省総合研究推進費「環境DNAを用いた陸水生態系種構成と遺伝的多様性の包括的解明手法の確立と実践」(4-1602)から多大なる支援を受けた.技術開発のような試行錯誤を繰り返す研究にとって,これらの支援がなければ今回のような研究成果は生まれなかった.多大なる謝意を表する次第である.
Reference
3) H. Nakagawa, S. Yamamoto, Y. Sato, T. Sado, T. Minamoto & M. Miya: Freshw. Biol., 63, 569 (2018).
4) M. Miya, T. Minamoto, H. Yamanaka, S. Oka, K. Sato, S. Yamamoto, T. Sado & H. Doi: J. Vis. Exp., 117, e54741 (2016).
5) 益田玲爾・村上弘章・高橋宏司・源 利文・宮 正樹:海洋と生物,40, 17(2018).
6) M. A. Barnes & C. R. Turner: Conserv. Genet., 17, 1 (2015).