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新規植物カルス誘導化合物FPX植物細胞分化研究と遺伝子組換え技術開発に役立つ新しい化学ツール

Takeshi Nakano

中野 雄司

理化学研究所環境資源科学研究センター

Shota Tanaka

田中 翔太

理化学研究所環境資源科学研究センター

明治大大学院・農学研究科

Shun Takeno

竹野 駿

理化学研究所環境資源科学研究センター

明治大大学院・農学研究科

Published: 2019-05-01

植物生理活性化合物・植物ホルモンのオーキシンとサイトカイニンは,動物における生理活性化合物と比べても非常に特徴的な生理活性をもっている.第一に,植物の葉を切り取って切片とし,オーキシンとサイトカイニンを同時に処理すると,葉は脱分化した細胞の塊として成長を続ける.この細胞塊は,カルスと名づけられたが,このカルス細胞を,オーキシン単独で処理すると根が,サイトカイニン単独処理によっては芽が,再び分化し再生する.このような機構を植物細胞の分化全能性と呼ぶ.この植物のカルス細胞は,植物細胞の分化制御機構などの基礎研究面だけでなく,植物組織培養による有用物質生産や植物遺伝子組換え技術などの応用研究面においても非常に重要な役割を果たしてきた(1, 2)1) D. A. Evans, W. R. Sharp, P. V. Ammirato & Y. Yamada: Handbook of plant cell culture. MacMillan, London, Royaume-Uni. (1984).2) F. Sato: Biosci. Biotechnol. Biochem., 77, 1 (2013)..近年,哺乳類の分化後の体細胞を初期化し,多様な細胞に分化し自己増殖する能力ももつ人工多能性幹細胞(induced pluripotent stem cell; iPS細胞)が開発され,哺乳類の発生分化機構研究領域をはじめとして再生医療の分野にも大きな影響を及ぼしている.オーキシンとサイトカイニンによって誘導される植物カルス細胞は,この哺乳類iPS細胞に対比されるものであると考えられる.

われわれは,植物成長を制御する新規なケミカルを単離することを目標として,理化学研究所NPDepoケミカルライブラリーから,植物発芽時の胚軸伸長に阻害/促進活性を付与するケミカルのスクリーニングを開始した.当初,植物に胚軸伸長阻害活性を与えるケミカルとして単離した合成化合物FPXは,発芽後の植物をFPX存在下でさらに長期間育成させると,低濃度で根端分裂組織近傍に,高濃度で茎頂分裂組織近傍に,カルス細胞の形成を誘導するという非常に興味深い生理活性をもつ新規カルス誘導化合物であることが明らかとなった(3)3) T. Nakano, S. Tanaka, M. Ohtani, A. Yamagami, S. Takeno, N. Hara, A. Mori, A. Nakano, S. Hirose, Y. Himuro et al.: Plant Cell Physiol., 59, 1555 (2018)..FPXは,1980年代のヨーロッパにおいて,老年性認知症の治療薬Fipexideとして用いられた経緯をもつ化合物であったが,植物への適用の報告例はなく,その植物カルスの誘導活性は非常に興味深いと考えられた.

植物カルス細胞は,植物組織培養技術として有用物質生産に広く活用されてきたが(1, 2)1) D. A. Evans, W. R. Sharp, P. V. Ammirato & Y. Yamada: Handbook of plant cell culture. MacMillan, London, Royaume-Uni. (1984).2) F. Sato: Biosci. Biotechnol. Biochem., 77, 1 (2013).,それに加えて,近年では,カルス細胞に遺伝子を導入する形で形質転換する植物遺伝子組換え技術において広く用いられている(4)4) 田部井 豊(編):“形質転換プロトコール・植物編”,化学同人,2012..この手法による場合,第一段階は,植物葉切片や未熟胚などを,オーキシン/サイトカイニン含有培地上で培養し,形質転換を受ける細胞を脱分化し初期化されたカルス細胞へ誘導する,というステップから開始される.実験植物アラビドプシスにおいて,オーキシンとサイトカイニンによるカルス誘導実験が行われているが,FPXによるカルス誘導活性は,オーキシンとサイトカイニンによる最適条件におけるカルス誘導活性よりも高いことが明らかとなった(図1図1■植物カルス誘導化合物FPXは,植物遺伝子組換え技術に重要な3つのステップにおいて高い生理活性を示す).

図1■植物カルス誘導化合物FPXは,植物遺伝子組換え技術に重要な3つのステップにおいて高い生理活性を示す

植物遺伝子組換え技術において,このカルス細胞に,アグロバクテリムもしくはパーティクルガンなどによって遺伝子をもつ形質転換ベクターを導入し,ゲノム上へ目的遺伝子を挿入するステップが,第二段階である.さらに,この遺伝子導入カルス細胞から,異なる数条件のオーキシンとサイトカイニンを含む培地で培養することによって植物の葉器官(シュート)の再分化が生じる.このカルスから,葉と根を再生するステップが,第三段階である.

FPX共存下で2週間培養した葉器官もしくは根器官はカルス細胞を形成するが,このカルス細胞をオーキシン/サイトカイニンを含む再分化培地上において培養すると,植物葉(シュート)が再分化され得ることが明らかとなった.FPXを含まない通常培地で培養した葉や根の器官においては,再分化培地上に移植しても決してシュートの発生は認められないことから,FPXによって,葉や根に分化し終わった細胞の脱分化(初期化)が確かに引き起こされていることを示している.さらに,このシュート再分化効率は,オーキシン/サイトカイニン系によって誘導されたカルスからのシュート再分化効率よりも高いことが明らかになった.つづいて,このFPXにより誘導されたカルスは,オーキシン/サイトカイニン系によって誘導されたカルスに対するアグロバクテリウムの感染効率よりも高いことが明らかとなった(図1図1■植物カルス誘導化合物FPXは,植物遺伝子組換え技術に重要な3つのステップにおいて高い生理活性を示す).また,アラビドプシスのみでなく,単子葉植物であるイネや樹木種のポプラ,またキュウリ,ダイズなどの実用化植物など,幅広い植物においても,FPXはカルス誘導活性をもつことも確認できている.

つづいて,アラビドプシスを用いたマイクロアレイ解析を進めた結果,FPX処理によって約1,000遺伝子の発現が2倍以上に増加し,そのうち,600遺伝子はオーキシン・サイトカイニンによっても発現誘導されるものの,約400遺伝子はFPXによってのみ強く発現誘導されることが明らかとなっている.このFPXでより強く発現される遺伝子群が,FPXによる高いカルス誘導活性に関与していると考えている.

以上のように,FPXは,植物遺伝子組換え技術に重要な「カルス誘導」「カルスへのアグロバクテリウム感染と遺伝子導入」「カルスからのシュート再分化」の3ステップにおいて,高い活性をもつことが明らかとなった.現在,世界の各地において,多岐にわたる遺伝子組換え植物の作製が試みられており,世界における遺伝子組換え作物の栽培面積は,現在1億7000万haを越えている.商業栽培が開始された1996年の栽培面積は約170万haであり,約20年間で100倍に栽培面積が拡大したことになる.また,世界の種子市場は約450億ドルの規模があるが,この商業用種子の約3分の1が遺伝子組換え種子とされている.しかしながら,実用化植物においては,これらの組換え技術の3ステップのいずれかが困難であるために,形質転換が困難な植物種がまだ多く残されている.さらに,近年脚光を浴びるゲノム編集技術においても,植物における第一ステップとしては,ゲノム編集ベクターを遺伝子組換えによって植物に導入することから始め,その後,交配によってベクターを分離するという手法が取られることが主流であるため,植物遺伝子組換え技術は,依然,重要な開発課題であると考えられる.FPXは,植物のカルスへの脱分化,カルスからの器官再分化など,植物細胞の分化制御機構を解明するための基礎科学的ツールとして重要であると共に,遺伝子導入が可能な植物種を拡大し得る新しい植物バイオテクノロジーのツールとして,実用化研究においても重要な技術になりうると期待される.

Acknowledgments

本研究は,生物系特定産業技術研究支援センター(生研センター)イノベーション創出強化研究推進事業の支援により得られた成果である.

Reference

1) D. A. Evans, W. R. Sharp, P. V. Ammirato & Y. Yamada: Handbook of plant cell culture. MacMillan, London, Royaume-Uni. (1984).

2) F. Sato: Biosci. Biotechnol. Biochem., 77, 1 (2013).

3) T. Nakano, S. Tanaka, M. Ohtani, A. Yamagami, S. Takeno, N. Hara, A. Mori, A. Nakano, S. Hirose, Y. Himuro et al.: Plant Cell Physiol., 59, 1555 (2018).

4) 田部井 豊(編):“形質転換プロトコール・植物編”,化学同人,2012.