Kagaku to Seibutsu 57(5): 279-288 (2019)
解説
嚥下困難者用食品の力学物性評価お年寄りが飲みやすい食品とは?
Assessment of Physical Properties of Care Foods for Dysphagic Patients: What Foods Are Easy to Swallow for Aged People?
Published: 2019-05-01
嚥下困難者用介護食としては,①べたつきにくく,②口腔内や咽頭部でまとまりやすいものが適するとされ,ゲル化剤や増粘剤を添加したものが多い.“べたつき”や“まとまりやすさ”はよく,TPA(Texture Profile Analysis)から求められる付着性や凝集性で評価される.われわれは以前,本誌に「高齢者が誤嚥しにくい介護食の物性」というタイトルの総説を寄稿した(1).そこでは,食品の力学物性と咽頭部の食塊の流動性の関係を概説し,TPA, 特に凝集性の問題点について物理的視点から考察した.今回は,その後得られた知見も踏まえ,食品の“まとまりやすさ”,嚥下困難者が誤嚥しにくい食品の力学物性について論じる.
© 2019 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2019 公益社団法人日本農芸化学会
本章では,食品の飲みやすさにかかわる力学物性・テクスチャーとそれを用いた嚥下困難者用介護食の基準について述べる.
最初に,液体の流動性(トロミの程度)の指標となる力学物性である粘度の概念について述べる(2)2) 熊谷 仁,熊谷日登美:日本食品工学会誌,10, 137 (2009)..図1図1■粘度の概念に示すように,断面積S[m2]の質量が無視できる薄い2枚の水平の平板間に厚みがL[m]の液体が満たされているとする.今,上の板に対して,右方向にF[N]の力を加えて速度V[m/s]で動かすと,十分に時間が経過後,板間の流体内で図に示すような直線的な速度分布ができる.このとき,単位板面積当たりの力F/Sをずり応力(shear stress),V/Lをずり速度(shear rate)という.板の移動距離をd[m]とするとV=ḋ(ḋはdの時間による微分)なので,d/L≡γと定義すると,ずり速度はγ̇(γ̇はγの時間による微分)となる.ずり応力F/Sをτとして,粘度(viscosity,粘性率ともいう)μ[Pa·s]は以下のように定義される.
式(1)から,同じ力を加えた際に流動しにくい流体(液体あるいは気体)ほど,粘度は大となる.粘度μの定義式は式(1)だが,μ自体もずり速度γ̇の関数であり,γ̇に関係なくμが一定の流体をニュートン流体,γ̇によってμが変化する流体を非ニュートン流体という.
図2図2■増粘剤溶液の流動特性(粘度μ vs.ずり速度γ̇)の測定例((文献3)から修正して引用)に増粘剤溶液の流動特性(μ vs. γ̇)の測定例を示す(3)3) H. Kumagai, A. Tashiro, A. Hasegawa, K. Kohyama & H. Kumagai: Food Sci. Technol. Res., 15, 203 (2009)..コーンプレート型粘度計によるデータは白抜き(○□△◇),Brookfield型(B型)粘度計(回転円筒型粘度計)によるデータは黒(●■▲◆)のマーカーで示してある.コーンプレート型粘度計は,均質な溶液については,γ̇の関数として物理的に正確な粘度値が得られる(2)2) 熊谷 仁,熊谷日登美:日本食品工学会誌,10, 137 (2009).が,図2図2■増粘剤溶液の流動特性(粘度μ vs.ずり速度γ̇)の測定例((文献3)から修正して引用)において,Brookfield型粘度計でも類似した粘度値が得られることがうかがえる.増粘剤溶液のμは,γ̇が一定なら,濃度増加とともに増加する.また,低濃度のCMC(カルボキシメチルセルロース)溶液はニュートン流体に近く,キサンタンガム溶液はγ̇の増加によってμが大きく低下する(ずり流動化shear thinningという).
粘度は,物理的意味が明瞭な物性値であるが,固体(ゲルなどの“半固体”を含む)においては定義できない.現在,咀嚼・嚥下困難者用介護食に関する研究や品質評価の領域では,食品(液体も固体も)の力学物性・テクスチャーを,図3図3■Texture Profile Analysis (TPA)に示すTPA(Texture Profile Analysis)から得られるかたさ(本稿では,国の基準で用られる「硬さ」と区別する一般的な概念の場合,「かたさ」と平仮名で表記する),付着性,凝集性というパラメータでそれぞれ評価しようとする傾向が見られる(1, 4)1) 熊谷 仁,谷米(長谷川)温子,田代晃子,熊谷日登美:化学と生物,49, 610 (2011).4) 山野善正監修,熊谷 仁,谷米(長谷川)温子:“進化する食品のテクスチャー研究”,第4章 咀嚼と嚥下,6. 嚥下障害用介護食のテクスチャー・物性,エヌ・ティー・エス,2011, p. 183..後述の国の基準にあるTPAでは,図3(a)図3■Texture Profile Analysis (TPA)に示すように,円筒形の試料の上部にレオメータに装着した平らなプランジャーを当てて上下して試料に大変形を与え,応力vs. 歪みの関係を測定する(5)5) 厚生労働省医薬食品局食品安全部長通知:特別用途食品の表示許可について,食安発第0212001号(2009)..そして,図3(b)図3■Texture Profile Analysis (TPA)に示すように1回目の圧縮ピークの高さHをかたさ(hardness),その直後の引っ張り過程の負の応力を示すピーク面積Bを付着性(adhesiveness),2回目の圧縮ピークと1回目の圧縮ピークの面積比A2/A1を凝集性(cohesiveness)と定義する.そして,付着性が「べたつき」,凝集性が「まとまりやすさ」の指標といわれている.
嚥下困難者用介護食品の力学物性の基準としては,TPAから求められるパラメータや粘度が用いられている.代表的な物性基準を表1~3表1■えん下困難者用食品許可基準((文献5)より)表2■UDFの物性規格((日本介護食品協議会)(文献6)より一部引用)表3■とろみ調整食品のとろみ表現に関する自主基準((日本介護食品協議会)(文献8)より)に示す.表1表1■えん下困難者用食品許可基準((文献5)より)に示すのが,2009年に厚生労働省により制定された(現在は消費者庁に移管)「えん下困難者用食品」の基準である(5)5) 厚生労働省医薬食品局食品安全部長通知:特別用途食品の表示許可について,食安発第0212001号(2009)..TPAから求められる硬さ(国の基準では「硬」という漢字が用いられている),付着性,凝集性の範囲が,試料の性状(液体か固体か)にはかかわりなく定められている.表2表2■UDFの物性規格((日本介護食品協議会)(文献6)より一部引用)に示すのが,日本介護食品協議会が認定している「ユニバーサルデザインフード(以下UDF)」の基準である(6)6) 日本介護食品協議会:缶詰時報,90(11), 119(2011)..UDFにおいては,基準が区分1~区分4,とろみ調整食品と分かれて定められている.重度の嚥下困難者向けの区分3~4では,ゲルとゾルに分かれてかたさの値が設定されており,ゾルについては粘度の下限値も設定されている.粘度の測定条件は,1994年に厚生省が制定した特別用途食品中の「そしゃく・えん下困難者用食品」の許可基準(7)7) 厚生省生活衛生局新開発食物保健対策室:高齢者用食物の表示許可基準の策定について(1994).による基づくもので,ずり速度γ̇が2~3 s−1の範囲になっている(3)3) H. Kumagai, A. Tashiro, A. Hasegawa, K. Kohyama & H. Kumagai: Food Sci. Technol. Res., 15, 203 (2009)..また,日本介護食品協議会では,UDFの基準とは別に表3表3■とろみ調整食品のとろみ表現に関する自主基準((日本介護食品協議会)(文献8)より)に示す「とろみ表現に関する自主基準」が定められており,とろみの強さ(4段階)の指標として,かたさが用いられているが,粘度は物性指標には含まれていない(8)8) 日本介護食品協議会:缶詰時報,89(9), 34 (2010)..後述のように,増粘剤溶液のかたさは粘度と相関が高いという報告があり(9)9) 船見孝博,飛田昌男,星 正弘,外山義雄,佐藤信之,金野正吉,疋田久史,伊藤章一,義平邦周,藤崎 享:日本摂食・嚥下リハビリテーション学会誌,13, 10 (2009).,その結果が,粘度が物性指標として含まれない根拠となっている.次に,実際のゲルやゾルの力学物性の測定データと上記の基準の設定値を比較してみる.図4図4■TPAから求められる多糖類ゲルのかたさ(Hardness),付着性(Adhesiveness),凝集性(Cohesiveness)((文献10)から修正して引用)に,4種類の多糖類ゲルに関して,TPAで求められたかたさ,付着性,凝集性を示す(測定速度10 mm/s)(10)10) 秋間彩香,篠原由妃,岡田紗代子,矢野智美,二宮和美,谷米(長谷川)温子,熊谷日登美,熊谷 仁:応用糖質科学,8, 298 (2018)..国の「えん下困難者用食品」の基準(表1表1■えん下困難者用食品許可基準((文献5)より))において,硬さの設定値は,最も範囲の狭い範囲許可基準Iで2.5×103~1×104 N/m2である.図4図4■TPAから求められる多糖類ゲルのかたさ(Hardness),付着性(Adhesiveness),凝集性(Cohesiveness)((文献10)から修正して引用)において,かたさの値は,ゲルの種類や濃度を変えることにより3×102~2×104 N/m2程度まで制御可能であった.中段に示す付着性の値は,濃度の増加に伴って上昇する傾向が見られ,一部高濃度の寒天(AG)を除き,国の許可基準I(表1表1■えん下困難者用食品許可基準((文献5)より))の設定値4×102 J/m3以下となった.このようにゲルは,付着性で評価される“べたつき”の観点からは,嚥下困難者用介護食として適した素材であることが示唆される.下段に示す凝集性に関しては,その値を,ゲル化剤の種類あるいは濃度を変えることにより,0.2~1程度まで変化させることができ,ゲルを用いて国の許可基準Iの範囲の食品を調製可能なことがわかる.
(2009年4月~厚生労働省; 2010年9月~消費者庁に移管) |
△, AG (Agar); ○, LC (Locust bean gum & κ-Carrageenan); □, LX (Locust bean gum & Xanthan gum); ▽, NG (Native gellan gum); ×,水 TPAの測定速度:10 mm/s測定温度:20°C
増粘剤溶液に関しても,TPAにより,かたさの測定は可能である.図5図5■増粘剤溶液のかたさと粘度との関係((文献11)から修正して引用)に,増粘剤溶液のかたさと粘度との関係を示す(11)11) 秋間彩香,山形文乃,谷米(長谷川)温子,熊谷日登美,熊谷 仁:日本食品科学工学会誌,64, 123 (2017)..(a)の3 s−1は,1994年に厚生省が制定した特別用途食品中の「そしゃく・えん下困難者用食品」の許可基準(7)7) 厚生省生活衛生局新開発食物保健対策室:高齢者用食物の表示許可基準の策定について(1994).における測定条件でのγ̇値,(b)の25 s−1は,粘度と最大流速Vmaxと相関が高いことが報告されているγ̇値(12)12) A. Tashiro, A. Hasegawa, K. Kohyama, H. Kumagai & H. Kumagai: Biosci. Biotechnol. Biochem., 74, 1598 (2010).,(c)の50 s−1は,日本摂食嚥下リハビリテーション学会が制定している嚥下調整食分類2013のとろみの評価に用いられているγ̇値(13)13) 日本摂食・嚥下リハビリテーション学会医療検討委員会:日本摂食・嚥下リハビリテーション学会誌,17, 255 (2013).である.どの程度のずり速度の粘度値が嚥下特性と関係するかは完全には明らかになっていない難しい問題だが,最近では,少なくともγ̇=2~3 s−1よりは1ケタ以上大きいずり速度における粘度が嚥下特性と考えられている(14, 15)14) 藤谷順子,飯島正平,Jpn. J. Rehabil. Med, 53, 164 (2016).15) 神谷 哲,外山義雄,羽生圭吾,髙井めぐみ,菊地貴博,道脇幸博:化学と生物,55, 712 (2017)..(a)の3 s−1の場合,液状試料の流動特性にかかわらずかたさと粘度が1本の線で回帰されているが,(b),(c)に見られるように,ずり速度が高くなると,流動特性が大きく異なるニュートン流体に近い試料と非ニュートン流体の試料は同一の直線で回帰できない.船見らは,増粘剤溶液のかたさは粘度と非常に相関が高く,一本の直線で回帰されることを報告しており(9)9) 船見孝博,飛田昌男,星 正弘,外山義雄,佐藤信之,金野正吉,疋田久史,伊藤章一,義平邦周,藤崎 享:日本摂食・嚥下リハビリテーション学会誌,13, 10 (2009).,その結果が,日本介護食品協議会による自主基準において,粘度が物性指標として含まれない理由の根拠となっていると考えられる.船見らの論文中における粘度測定は,ずり速度が,γ̇=2~3 s−1で行われていると考えられる(3, 9)3) H. Kumagai, A. Tashiro, A. Hasegawa, K. Kohyama & H. Kumagai: Food Sci. Technol. Res., 15, 203 (2009).9) 船見孝博,飛田昌男,星 正弘,外山義雄,佐藤信之,金野正吉,疋田久史,伊藤章一,義平邦周,藤崎 享:日本摂食・嚥下リハビリテーション学会誌,13, 10 (2009)..図5図5■増粘剤溶液のかたさと粘度との関係((文献11)から修正して引用)において,γ̇=3 s−1では,船見らの結果と同様に,流動特性が異なる試料であっても,かたさと粘度は1本の直線で比較的良好に回帰できたが,γ̇が25 s−1あるいは50 s−1においては,流動特性が異なる試料では1本の直線では回帰できなかった.数十s−1以上のずり速度における粘度とかたさは,図5図5■増粘剤溶液のかたさと粘度との関係((文献11)から修正して引用)に示すように1本の直線では回帰できない.このことから,ヒトの嚥下にかかわる高いずり速度では,かたさを粘度の代用として用いるのは難しいと考えられる.
ヒトの嚥下過程において,食塊の咽頭部通過時には,喉頭口が喉頭蓋で閉鎖され,咽頭部を食塊と空気が時間差をもって通過する.健常者の場合,無意識(反射的)に咽頭部における食塊と空気の通過のタイミングがとられている.嚥下機能が低下した高齢者などの場合,この食塊通過のタイミングがとれないため,食塊が食道から胃という正常な経路を通らず,気管から肺へ到達することがあるが,これが誤嚥である.誤嚥は,咽頭部における食物の流動性と関係するので,咽頭部における食塊の流速と食物の力学物性との関係を検討するのが有力なアプローチである.
筆者らは,増粘剤やゲル化剤などから調製される食品について,人体への影響が少ない医療用超音波診断装置を用いた超音波パルスドプラー法により,嚥下時の咽頭部における流速測定を行い,測定される流速分布と食品の力学物性との関係について検討を行ってきた(16~20)16) 長谷川温子,乙黒明子,熊谷 仁,中沢文子:日本食品科学工学会誌,52, 441 (2005).17) 長谷川温子,中澤文子,熊谷 仁:日本食品科学工学会誌,55, 330 (2008).18) 長谷川温子,中澤文子,熊谷 仁:日本食品科学工学会誌,55,541 (2008).19) A. Tashiro, K. Ono, A. Hasegawa-Tanigome, H. Kumagai & H. Kumagai: Nihon Shokuhin Kogakkaishi, 11, 177 (2010).20) 谷米(長谷川)温子,小倉聖美,秋間彩香,神山かおる,熊谷日登美,熊谷 仁:日本食品工学会誌,14, 87 (2013)..以下に超音波測定の概要について述べる(18, 21)18) 長谷川温子,中澤文子,熊谷 仁:日本食品科学工学会誌,55,541 (2008).21) 熊谷 仁,谷米(長谷川)温子,熊谷日登美:Food & Food Ingredients J. Jpn (FFI Journal), 216, 194 (2011)..図6A図6■超音波パルスドプラー法による食塊(bolus)の咽頭部流速測定に咽頭部周辺の正中断面の概略図を示す.喉頭蓋を通過する直前の食塊の流速分布を測定するため,超音波の進行方向は,図6A図6■超音波パルスドプラー法による食塊(bolus)の咽頭部流速測定に示すように,水平に対して上向きに60°の角度に固定した.咽頭部における食塊の「流速分布」とは,嚥下した食物が咽頭部を通過する特定の時間において,特定の流速をもつ粒子の割合(粒子密度と呼ぶ)である.図6B図6■超音波パルスドプラー法による食塊(bolus)の咽頭部流速測定(a)に,超音波パルスドプラー法によって得られた誤嚥しやすいとされる水と誤嚥しにくいとされるヨーグルトの二次元のカラー流速スペクトルを示す.二次元のカラー流速スペクトルでは,横軸を時間,縦軸を流速にとり,特定の時間に特定の流速をもつ粒子密度がカラーで表示される.粒子密度の低い部分は青,順次色を変えて,高い部分は赤で表されている.図6B図6■超音波パルスドプラー法による食塊(bolus)の咽頭部流速測定(a)においては,0.5 sの間に嚥下される水あるいはヨーグルトの流速分布が示されていることになる.水に関しては,全体的に粒子密度が低くて流速分布が広い.一方,誤嚥しにくいとされるヨーグルトについては,水ほど流速の速い粒子が存在せず,水に比べて流速の遅い粒子のみが咽頭部を通過したことを示している.このことから,ヨーグルトの場合,流速が大きい粒子が存在しないため,嚥下時に食塊の通過のタイミングが取れない高齢者が誤嚥しにくいと考えられる.こうした流速スペクトルから,ノイズをカットし粒子が確実に存在すると考えられる流速から最大流速を定義した.最大流速算出法の概要は図6B図6■超音波パルスドプラー法による食塊(bolus)の咽頭部流速測定(b)に示すとおりである.カラースペクトルの外周がアウトラインである.図6B図6■超音波パルスドプラー法による食塊(bolus)の咽頭部流速測定(b)中の「最頻線(Mode line)」は各時間における最大の粒子数を示す速度をつないだ線である.「−12 dB線(−12 dB line)」は各時間における最頻線を基準として,大きい速度側に粒子数が−12 dB(デシベルdBとは,「1 dBが0.1桁異なる」単位と考えればよい)減少した粒子の速度をつないだ線である.すなわち粒子数は最頻線の25%ではあるが,大きい流速をもつ粒子が確実に存在する速度である.この最頻線から「−12 dB線(−12 dB line)」の全時間における最大値を,図6B図6■超音波パルスドプラー法による食塊(bolus)の咽頭部流速測定(b)に示すように最大流速Vmaxと定義する.図6B図6■超音波パルスドプラー法による食塊(bolus)の咽頭部流速測定(c)には,誤嚥しやすい水と誤嚥しにくいヨーグルトの最大流速を示す.また,図6B図6■超音波パルスドプラー法による食塊(bolus)の咽頭部流速測定(c)に示すように,水の最大流速が約0.5~0.6 m s−1程度なのに対し,ヨーグルトの最大流速は約0.2 m s−1であった.このことは,Vmaxによって誤嚥のしにくさが予測できる可能性があることを意味している.流速分布の広さの観点からは,水は飛散して“まとまらず”に咽頭部を通過し,ヨーグルトは“まとまって”,ゆっくりと咽頭部を通過しているとみなすことができる.Vmaxは,その算出法から,流速の広がりの程度を表していることになる.
(A)ヒトの咽頭部周辺の正中断面図と超音波プローブの装着方向.(B)咽頭部最大流速Vmaxの算出法.(a)水とヨーグルトの流速スペクトル,(b)流速スペクトルのアウトラインと−12 dBライン,(c)水とヨーグルトの最大流速Vmax.
次に食品の力学物性とVmaxとの関係について考える.
図7図7■増粘剤溶液の粘度μと咽頭部最大流速Vmaxの関係((文献12)から修正して引用)に,流動特性が異なる各種の増粘剤に関して,γ̇が25 s−1におけるμとVmaxとの関係を示す(12)12) A. Tashiro, A. Hasegawa, K. Kohyama, H. Kumagai & H. Kumagai: Biosci. Biotechnol. Biochem., 74, 1598 (2010)..μが増加するほど,Vmaxは低下し,ヨーグルトの値に近づく傾向が見られた.また,流動特性が異なる溶液のデータをプロットしているにもかかわらず,log μとVmaxの間には,相関係数Rが約0.914の高い相関があり,これは,μが液状の嚥下困難者用介護食の力学物性の指標として有効であることを意味している.
次にTPAから求められるパラメータと咽頭部流速との関係を示す.図8図8■TPAから求められる多糖類ゲルのパラメータと咽頭部最大流速Vmaxとの関係((文献10)から修正して引用)に,多糖類ゲルに関して,かたさ,付着性,凝集性とVmaxとの関係を示す.図8図8■TPAから求められる多糖類ゲルのパラメータと咽頭部最大流速Vmaxとの関係((文献10)から修正して引用)上図に示すかたさに関しては,値が増加するとVmaxが低下し,かたさの値が数千N/m2以上になるとVmaxがヨーグルト程度にまで低下する.このことは,ゲルがヨーグルト程度の嚥下特性(誤嚥のリスクの低さ)をもつためには,かたさの値が数千N/m2程度必要,つまり,誤嚥を避けるために必要なかたさの下限値が存在することを意味している.「えん下困難者用食品」の基準(5)5) 厚生労働省医薬食品局食品安全部長通知:特別用途食品の表示許可について,食安発第0212001号(2009).においては,硬さの範囲に,上限値と下限値が設定されている.硬さの下限値は,許可基準Iでは2.5×103 N/m2,許可基準IIでは1×103 N/m2,許可基準IIIで3×102 N/m2(表1表1■えん下困難者用食品許可基準((文献5)より))と,数値のオーダーはいずれも103 N/m2で,「誤嚥のリスクを回避するにはゲルのかたさが数千N/m2程度必要」という図8図8■TPAから求められる多糖類ゲルのパラメータと咽頭部最大流速Vmaxとの関係((文献10)から修正して引用)の結果と一致している.許可基準に下限値のみでなく上限値が存在するのは,金谷が提唱した“嚥下食ピラミッド”(病院における介護食を障害の程度ごとに分類したもの)中の食品の測定に基づくためである(1, 4)1) 熊谷 仁,谷米(長谷川)温子,田代晃子,熊谷日登美:化学と生物,49, 610 (2011).4) 山野善正監修,熊谷 仁,谷米(長谷川)温子:“進化する食品のテクスチャー研究”,第4章 咀嚼と嚥下,6. 嚥下障害用介護食のテクスチャー・物性,エヌ・ティー・エス,2011, p. 183..かたすぎる食品は,噛みにくいうえに喉につまりやすい(窒息という).一方,Vmaxによって予測可能なのは,窒息のリスク(かたさの上限値)ではなく誤嚥のリスク(かたさの下限値)ということになる.
TPAの測定速度:10 mm/s △, AG (Agar); ○, LC (Locust bean gum & κ-Carrageenan); □, LX (Locust bean gum & Xanthan gum); ▽, NG (Native gellan gum); ×,水
図8図8■TPAから求められる多糖類ゲルのパラメータと咽頭部最大流速Vmaxとの関係((文献10)から修正して引用)中図に示す付着性は,値の増加にともないVmaxが減少する傾向が見られたが,同程度の付着性の値であってもVmaxのばらつきが大きいことから付着性は,かたさほどはVmaxに影響を与えないことが示唆される.図8図8■TPAから求められる多糖類ゲルのパラメータと咽頭部最大流速Vmaxとの関係((文献10)から修正して引用)下図に示す凝集性に関しては,試料によってプロットの形は大きく異なり,凝集性とVmaxに相関は認められなかった.
図9図9■TPAから求められるゾルあるいはゲルのかたさと咽頭部最大流速Vmaxとの関係((文献11)から修正して引用)に,増粘剤溶液,市販のとろみ調整食品(T1~T4),ゲル状試料に関して,かたさとVmaxとの関係を示す(11)11) 秋間彩香,山形文乃,谷米(長谷川)温子,熊谷日登美,熊谷 仁:日本食品科学工学会誌,64, 123 (2017)..いずれの性状の試料においても,かたさの値が増加するに伴いVmaxは減少し,誤嚥しにくいとされるヨーグルトの値に近づいた.つまり,かたさは,液体,ゲルにかかわらず,Vmaxがヨーグルト程度の値となる試料調製条件を予想できるので,誤嚥の危険性を評価する上で有用なパラメータであると考えられる.しかし,Vmaxがヨーグルトの値と同程度となるかたさの値は,液状試料である増粘剤溶液ととろみ調整食品では1,000 N/m2程度,既報のゲルでは10,000 N/m2程度であり,液状試料とゲルでは,そのかたさの値は10倍程度異なっている.また,ほとんどの液状の試料の場合,かたさの値は300~1,000 N/m2程度までしか変化しないが,Vmaxと関係する粘度が増大し,Vmaxは低下したと考えられる.一方ゲルの場合は,かたさが1,000 N/m2程度(見かけ上,壊れやすい)であるとVmaxがヨーグルトほど下がらず,数千N/m2程度の強固なゲルになるとVmaxがヨーグルト程度まで低下すると考えられる.つまり,性状が異なればかたさの値が同じであっても,咽頭部を通過する際の流動性は変わってくると考えられる.よって,かたさは誤嚥の危険性を評価するパラメータとして有用だが,液状試料やゲルのように性状の異なる試料の場合,ゲルやゾルなどの性状の違いに応じて基準を定めることが望ましいと考えられる.
▲, Xanthan gum; ◆, Locust bean gum; ●, CMC; 市販のトロミ剤▲, T1; ▼, T2; ◆, T3; ■, T4 ◇, □, △;ゲル(◇,サイリウムシードガム&脱アシル型ジェランガム;□,脱アシル型ジェランガム;△, κ-カラギーナン).
最後に食品の“まとまりやすさ”について考察する.TPAから求められる凝集性は,国の基準においては,容器に入れた状態で測定される.破壊されてばらばらになりやすい試料の場合,TPA曲線の第二ピークの面積A2の値は0に近くなるため凝集性の値は小さくなる.しかし,全く破壊しない試料でも最初の圧縮後に形が復元するまでの時間が長ければA2の値は小さく,復元するまでの時間が短ければA2の値は大きくなる(1, 4)1) 熊谷 仁,谷米(長谷川)温子,田代晃子,熊谷日登美:化学と生物,49, 610 (2011).4) 山野善正監修,熊谷 仁,谷米(長谷川)温子:“進化する食品のテクスチャー研究”,第4章 咀嚼と嚥下,6. 嚥下障害用介護食のテクスチャー・物性,エヌ・ティー・エス,2011, p. 183..つまり,凝集性は,「口腔内での食塊形成能」という意味の“まとまりやすさ”ではなく,圧縮などの変形において「変形後の形の回復のしやすさ」である.西成が述べているように,国の基準における測定法によれば,水でもゴムでも凝集性の値は1になる(22)22) 西成勝好:日本家政学会誌,64, 811 (2013)..容器に入っていれば,全く破壊が起こらず圧縮後に形がすぐに復元する水において,凝集性が約1となるため,“まとまりやすさ”の指標のはずであるTPAから求められる凝集性が大きい試料が誤嚥しやすいことになる.また,図8図8■TPAから求められる多糖類ゲルのパラメータと咽頭部最大流速Vmaxとの関係((文献10)から修正して引用)の下段に示すように,Vmaxと凝集性の値には相関が見られない.一方,最大流速Vmaxは,その算出法から,流速の広がりの程度を表していることになる.図10図10■食塊のまとまりやすさと咽頭部最大流速Vmax上図に示すように,咽頭部を食塊がゆっくりと“まとまって”流れる場合(図6図6■超音波パルスドプラー法による食塊(bolus)の咽頭部流速測定のヨーグルトのように),流速分布は狭い.一方,図10図10■食塊のまとまりやすさと咽頭部最大流速Vmax下図に示すように食塊がばらばらになって流れる場合(図6図6■超音波パルスドプラー法による食塊(bolus)の咽頭部流速測定の水のように)には,流速の小さい粒子と大きい粒子が混在するため流速分布が広くなり,結果としてVmaxが大きくなる.つまり,Vmaxは流速分布の広さを定量化するパラメータとみなせる.増粘剤やゲル化剤を食品に添加することによって,食塊が“まとまって”,低流速で咽頭部を通過すると解釈できる.嚥下困難者用介護食に求められる”まとまりやすさ”とは食塊形成のしやすさなので,TPA試験における凝集性により評価される「変形の回復のまとまりやすさ」という意味でのcohesivenessではなく,まとまって流れるという意味でのcohesivenessと考えられる.以上から,Vmaxは,流速分布の観点から咽頭部における“まとまりの程度”を定量化するパラメータと解釈できる.
超音波パルスドプラー法により求められる咽頭部最大流速Vmaxは,誤嚥しやすい水では大きく,誤嚥しにくいとされるヨーグルトでは小さいことから,誤嚥のしやすさの指標となる.液状の嚥下困難者用に関しては,ずり速度γ̇が25 s−1程度における粘度μが,Vmaxとの相関が高く,物性指標として適している.ゲルなどの半固体食品に関しては,TPAから求められるかたさが,Vmaxとの相関が高く,物性指標として適していると考えられる.液状の試料に関しても,かたさとVmaxの相関は高かったが,かたさを粘度の代わりに使用するには流動特性(μ vs. γ̇)を考慮する必要があると考えられる.TPAから求められる凝集性は,「口腔内での食塊形成能」という意味の“まとまりやすさ”ではなく,圧縮などの変形において「変形後の形の回復のしやすさ」を意味している.一方,Vmaxは,流速分布の観点から咽頭部における“まとまっている程度”を定量化できると解釈できる.
Reference
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