Kagaku to Seibutsu 57(5): 317-325 (2019)
トップランナーに聞く
ジーンフロンティア株式会社 海老原隆氏
Published: 2019-05-01
産業活性化のカギとしてスタートアップ企業を支援する動きが国内外で活性化しており,スタートアップに興味をもつ学生や研究者も増えてきたのではないかと思われる.とはいうものの,起業化した後に関する情報がかなり不足しているといった感も否めない.今回のインタビューでは創薬支援型ベンチャーとして成功されているジーンフロンティアの最高執行責任者である海老原 隆さんをお招きし,立ち上げから現在までのご経験や,どうやってビジネスの形にするかといったことへのアドバイス,学生へのメッセージなどを,幅広い視点からわかりやすくお話しいただいた.
© 2019 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2019 公益社団法人日本農芸化学会
——— 今の方向に進まれたきっかけなどを,経歴からお願いできればと思います.
海老原 私がバイオに興味をもったそもそものきっかけからいきますと,高校の生物の授業でコドン表を最初に見たときまで遡ります.生きものという非常にアナログな中にデジタルな信号が隠されていて情報変換が行われている,ということにとても大きな感銘を受けました.これは面白い,ということで生物系の,特に新しい領域であるバイオに興味をもって東工大に進学しました.
そこでバイオテクノロジー専攻に入り,行った研究テーマがやはりコドン表にかかわるようなところ.生きものの根幹はやはりタンパク質合成,翻訳反応というのが心のどこかにあり,学位を取ったテーマも生体外タンパク質合成に関する研究で,2000年に工学博士を取得しました.
その後,NEDOプロジェクトのポスドク研究員を1年半ほどやっていましたが,当時2000年頃は,国内ではまだまだであったバイオベンチャーというものが,海外で非常に盛り上がってきた時期でした.この頃にヒトゲノム計画が大きく伸展して,その9割以上がわかってきた時期でもあります.そこに国家プロジェクトではなく,バイオベンチャーのセレーラ社が民間企業ながら大きな役割を果たしていたんです.そこに大きなインパクトを受けて,アカデミアという立場ではなく,もっと違う切り口で,つまりビジネスの面から,バイオに関連して広がりのあることができるのではと思い始めました.
別の角度から言いますと,研究員当時携わっていたのがセンサーにかかわること,特に原子間力顕微鏡を扱っていました.原子間力顕微鏡はちょうど広がり始めた時期だったのですが,これを使うとDNAなどの生体分子を1分子レベルで見られる,非常に面白い先端的な実験ができました.もう本当にとがった先端の領域だったのですが,1分子レベルにフォーカスすればするほど,この狭い領域だけ見ていていいのか,という疑問が湧いてきた.先ほどのように海外に目を向けると非常に大きな話が広がっているのにと.
そこで思い切って方向転換をして,ビジネスのほうにいってみようと考えました.ちなみに私,中学校の卒業文集に,将来は投資家と書いたぐらい,もともとビジネスにどこか興味があって,その辺がちょうどミックスされてきて,じゃあビジネスのほうでやってみようかと考えたんです.
——— (ポスドク時のメンターに)止められませんでした?
海老原 そうですね.ただ,自分の好奇心が止められなくて.私,どちらかというと外に出たがりと言いますか.4年生で学部に所属したとき,生体外タンパク質合成をやりたいということでテーマを与えられたのですが,「研究を広げるために,米国NIHの先生が面白い関連研究をやっているからそこにいかせてくれ」と当時のボスに無理に頼んだりして.結局向こうから「おまえ,来るな」って言われ(笑),いけなかったのですが,その先生から研究材料をもらい修士のテーマにつなげるということもしました.積極的に外に出たがりなのかもしれません.
——— 学部生でそこまで積極的なのは珍しくないですか?
海老原 まあ,思い込んだら走っちゃうところがあります.それゆえ周りに迷惑をかけることはあったと思うのですが,一度きりの人生,自分の興味の赴くままにまずはやってみようと,だいぶ方向転換をしました.ただ,いきなりビジネスをやりたいと言って手を挙げても,博士の学生から研究員になったばかりのときでしたので,何をやったらいいかわからない.と,いろいろ伝手もたどっていたときに,たまたまの縁がありまして.研究室のスタッフの方の同級生が,ある総合商社に勤めておられて,ちょうどそのなかで新しい投資会社を作るんですと.その投資領域にバイオ分野が入っていたのですが,バイオのわかる人がいないから,技術面でその目利きをやれる人が欲しいという話があったんです.これは渡りに船ということで転職をしまして,その投資会社で2001年後半から投資業務に従事し始めました.
ここでは国内だけではなく,米国,欧州などのバイオベンチャーへ,合計16社程投資をしました.投資をする前に,数多くのベンチャーにスクリーニングをかけ,実際に訪問するために海外出張も多く行きました.業種もDNAチップのような遺伝子関連から,タンパク質関連,細胞関連,あるいは再生医療と,分野も多岐にわたってさまざまな技術に触れて,非常にたくさんの良い経験をさせてもらいました.
それが結果的に今,自分でベンチャーをやっていくに当たってすごく役に立っていると思います.当時は先につながるとは思わずに,もう必死で見聞きしてました.自分の意見も大きな投資判断の重要なファクタになり,何億という投資が決まったりすることもあるので.一生懸命目利きとしての能力を,自分なりに努力して磨きました.
——— その目利きを失敗すると損するわけですよね.
海老原 投資なので,もちろんです.たとえば投資と融資の比較で言えばここが大きく違うところで.担保も取って,着実に商売をしてもらって,結果的に借金なので返してくださいというのが融資で,失敗に対してより厳しいところがあります.それに対して投資というのはリスクマネーという言い方をしますけれども,うまくいくかわからないところもあるけれど面白いからそこにお金を出します,うまくいったらリターンをください,なのでうまくいかない場合というのも,もちろんあります.そこは出し手の側の,リスクをどこまで取れるかということの踏ん切り,バランスです.だから十発十中というのはほぼあり得ない,投資の世界では.
——— 面白そうに見えるのと,投資していいというのはまた別ですよね.
海老原 そうですね.投資の判断としては,そのときの時流であったり,そのベンチャーにおいて実際に売り上げが立つのか.あるいは,ベンチャーでよくエグジットと言いますが,投資したその先のリターンで求められる,IPOをしたり,大手の会社にM&Aされるということの可能性がどれだけ確かなのか.技術の面での確実さとその将来性の部分と,両方のバランスを見ながら判断することが求められます.技術の面では,ある程度バックグラウンドがあるのでいろいろ言えたのですが,事業性に関しては当時一生懸命勉強して頑張ったものの,これが難しくて.というのは,世の中の時流がどんどん変わっていって,それに応じて,市場性,将来性,有望性というのも変わっていきますので,これは常に,それこそ今でも勉強かなと思っています.そういったことを学びながら投資をやっていました.一方でこの投資会社がユニークだったのが,いろいろなベンチャーに単に投資するだけではなく,面白い事業領域と思うところには,主体的に会社を作って事業をやってしまおうとしたんです.自分たちだけでできることは限られるので,ほかの会社も巻き込んで,臨床検査会社と,IT系の会社と,この投資会社の3社でジョイントベンチャーを作りましょうとなりました.で,立ち上げたのがジーンフロンティア,これが今の会社につながっていくんですね.
海老原 ジーンフロンティアはもともとこの3社のジョイントベンチャーで始まりました.それぞれに専門的な知見やノウハウはあったのですが,何か固有の技術シーズになるものがあったわけではないんです.当時2003年ぐらいでしたが,各社,比較的新しいこのバイオ領域で何をやればいいかよくわからない.なので,一つ,新しいバイオ領域に参入するための楔にしましょうと.言ってみれば,マーケットインするための母体というような位置づけでした.
——— 技術オリエンテッドなベンチャーとは構造がかなり違うんですね.
海老原 はい.その言い方でいきますと,大学発ベンチャーのようなシーズ・オリエンテッド・ベンチャーに対して,ジーンフロンティアは,マーケット・オリエンテッド・ベンチャーという形でスタートをしました.結果的に,これが私個人的には良かったと思っているんです.何か技術に縛られることなく,どうしたらマーケットに事業を広めていけるか,先程言った事業性・将来性という部分に,より重点を置いた事業開発が経験できたということが,自分にとっては大きかったと思っています.
さて,会社は立ち上げたのですが自前のシーズはない,では何をやっていくのか.シーズをどこからかもってこなくてはいけない.そこで先ほどの投資会社,もともと総合商社由来の血が流れていますので,グローバルにネットワークがある.いろいろな会社の情報をグローバルに集めるのに長けている.特にバイオの領域は,面白い技術・製品・サービスはやっぱり海外から出てくるケースが非常に多い.ですので,海外でそういったものをもっているベンチャーをいち早く見つけてもち帰り,国内をまず対象市場にしてマーケットインしましょうと.そういう小さい商社的なサービスプロバイダーという形で事業をスタートしました.
その意味において,まずマーケットありきでさまざまなところに視点を広げて事業シーズを探しました.会社の社歴を見返しますと,このジーンフロンティアは会社の設立が2003年です.1年後の2004年,まずはアメリカのニンブルジェン社と提携して,DNAマイクロアレイの受託解析サービス事業を始めました.ここからがスタートです.この際,カスタムのアレイが得意だったので,何でもアレイにします,受託解析できますというところから,「なんでもアレイ」という商標名でこの受託サービスを始めました.当時ヒトのマイクロアレイは非常に幅広く使われ,アフィメトリクス社などが先行していたのですが,ジーンフロンティアでは1枚からカスタムアレイができるので,もっとニッチなところ,たとえば多種多様な微生物に合わせてそれぞれカスタムアレイができます,という切り口で入りました.ですからその頃は農芸化学会さんに随分お世話になりました.微生物関連の研究者の方が多いので.
——— 売り込みって,やっぱり試薬メーカーさんとかと一緒に回る感じなんですか.それとも独自に回るんですか.
海老原 当時両方やっていました.独自では,たとえば学会のブース展示などして直接の情報発信.ランチョンセミナーですとかイブニングセミナーですとか.それと代理店さんを介しての,言ってみれば泥臭い営業というのもやりましたし.そうやってマーケットに入りつつ,少しずつビジネスとシーズのほうも広げていき,DNA,遺伝子だけではなく,次のニーズがありそうなタンパク関係といった流れで抗体作製サービス.これはドイツのバイオ企業,モルフォシス社と提携ですが,ファージディスプレイ法を使ったカスタム抗体作製サービスも始めました.
事業を始めて,まず何かしら一つのきっかけでお客さん,すなわちマーケットと対話をすると,「こんなのないの?」とか,「こういうのがあったら,ぜひ使いたいんだけど」というようなニーズを探ることもできます.シーズを提供しながらニーズを掘り起こす.ニーズに応じてシーズを探索していく.このサイクルを回していくというようなイメージで動いてました.
——— すごいですね.
海老原 DNAマイクロアレイ,抗体作製サービス,その次には細胞レベルでの事業として細胞の不死化ライセンス事業も提供していました.遺伝子,タンパク質,細胞,それぞれの切り口で事業ポートフォリオをどんどん広げて,黒字化が見えてきたかというころに,ターニングポイントです.2007年から大きく会社が変わっていきます.当時IPOの準備もしていたのですが,事業の大きな柱の一つであったDNAマイクロアレイ事業.この提携先であったニンブルジェン社が,大手の製薬会社に買収されまして.それまでわれわれが日本市場を担当していましたが,大手の会社なので「日本市場も独自でやるから,おまえらはもういい」という話になって(笑).そのあおりを受けて,結局われわれもその大手製薬会社に,日本の事業を売却しました.
大きな売り上げの柱でしたので,その柱を失ったということで事業の再編をしなければならない.一方で,その事業売却に伴って,少なからず軍資金を得ることができました.また,それまでマーケティングしてきたなかでの情報の蓄積から,これからは抗体を中心にしたバイオ医薬領域が注目されるという考えがあったので,2008年,研究開発型のベンチャーに大きく方向転換をしました.抗体医薬をはじめとするバイオ医薬の技術開発,そして自社での創薬事業をスタートしたのです.
——— だいぶ変わるんですね.
海老原 はい.これが一つ大きな転機ですね.
——— 失敗すると,とてもたいへんなことになるような話だったような気がするんですが,そこは非常に賢く動かれているというのはやっぱり経験ですか.
海老原 今,整理して話しているので,クールに話が進んだように聞こえますが,当時はとてもそれどころじゃなく(笑).熱狂のなかでもう,もがきながら転びながらという感じで進んで,結果的にそうなっていたという感じです.自分たちが置かれた状況で,自分たちだからこその何かユニークなことができるはず,それを実際に自分たちでやりたい.私の個人的な発心でもありますけれども,自分のバックグラウンドを生かしながらバイオの領域で世の中に貢献していく.その切り口としてビジネスという切り口を選びましたので,そのなかで何かできることがあるだろうというのを模索してあがく中で,少しずつこういう形になってきたということです.
——— その良いほうにいった理由として,何かの信念があったという感じですか.
海老原 そのときどきで自分のなかに描いている事業シナリオといいますか,ストーリーというのがあるんです.今このシチュエーションでこの環境で,あるいはこういう手もちのシーズやネタがあるというなかで,それだったらこうしたらいいじゃないか,こうなるだろうと.そのストーリーをいったん描いてみたら,それをまず演じてみないと気が済まない.ちょっと余談になりますが,私,大学時代演劇部でして,ストーリーをいろいろ考えるのが好きな部分もあります(笑).で,ストーリーを自分で作ってみたら,それをまず実行してみる.もちろんそこには間違っている部分もあったのですが,修正しながら少しずつ進んできたという感じですね.
——— そのとき社員の方,何人ぐらいだったんですか?
海老原 先ほどのマイクロアレイの事業売却と研究開発ベンチャーに転換する直前までは,従業員が20名ちょっといました.そのうち半分強の人間は,その事業売却に伴って,大手の製薬会社の国内法人に転籍をしていきました.社長を変え,体制を変え,これから研究開発に専念してやっていこうとなったのですが,その直後にまた大きなターニングポイントがすぐ来ます(笑).
——— すごいですね.
海老原 それが2009年です.当時まだジョイントベンチャーの形でしたが,親会社として投資会社が一番シェアを取っていたんです.大株主ですね.そこが突然,バイオ分野から撤退すると.
——— リーマンショックの頃ですね.
海老原 はい.バイオ業界自体はそれほど直接的な影響はなかったんですが,親会社はさまざまな事業をやっていたこともあり,遠くから演繹的に考えるとリーマンショックに端を発してたと言えるでしょうがそのあおりを食いまして,それぞれの事業を見直さないといけない.当時「選択と集中」という言葉が叫ばれていましたが,選択に漏れた会社にとってはもうたいへんな思いなんですよね.親会社にとって,バイオ事業は「選択と集中」の外になったということで,撤退が決まりました.
——— あの頃ってかなりバイオ事業から撤退した企業さんがいましたよね.
海老原 多かったですね.われわれもその渦中にいました.じゃあ,どうするんだ,この会社.少なからずタネ銭はあったので,当面それほど売り上げに固執せず研究開発に注力できる状況ではあったのですが,親会社としては清算も含めて考えると.最悪取り潰すというところまでいきました.ですが,清算するにもいろいろ手間はかかるので,それだったら私が引き受けますと,非常に小さい規模なんですが,MBO(Management Buy-Out)をさせてもらうことになりまして.このころに私はジーンフロンティアの代表取締役になっています.100%私のオーナー会社という形になって,そのときがこれまでの自分のキャリアのなかで一番の冒険ですね.それが2009~2010年ごろ.
とはいえもうバイオベンチャーなんて,あっという間にお金を使っちゃいますので,投資家,新たなスポンサーを探さなくてはと,ベンチャーキャピタルやたくさんの会社を回りました.そのなかで,カネカという会社とご縁があって,資本提携することができました.これが2010年秋.今はカネカの100%グループ会社という形なのですが,これでまた何度目かの再スタートになりました.
——— 1年ぐらいで,すごい大決断をされたように聞こえます.
海老原 当時は人生で一番ヒリヒリしていたと思います(笑).ただ,ヒリヒリしながらもエキサイティングだった時期ですね.
——— 勝算があったわけですか.
海老原 根拠のない勝算はありました(笑).何とかなるだろうと.最悪でも命は取られないというのが,最後の自分の心の落ち着きどころなんですよね.ただ当時も従業員はずっと抱えたままでしたので,彼らが職に困らないように,そのセーフティーネットだけは考えながら動いていました.
——— 社員の皆さんは,そのままついてこられたんですね.
海老原 はい.なので,研究開発や事業開発を止めずに,さっき言ったような方向性の転換と事業体の大きな変更,MBOから資本提携に至るまで継続できたというのは,従業員にもとても感謝しているところですね.
——— そういうとき公的な機関のベンチャー支援みたいな制度は利用されたりしたんでしょうか?
海老原 ちょうどこの時期に産業革新機構のファンドの計画があって,そこにも話はしにいったのですが,うちみたいな小粒はちょっと(笑).今は若干変わってきているかもしれないですけれど.(話を戻すと)今は資本提携をして,親会社が付きましたので財務的な基盤は安定し,そういう意味では安心して事業開発・研究開発ができる.マネジメントをやっている身からすると,精神衛生上,非常に健康的に仕事をさせてもらっています.
——— いろいろあったけれども,良かったという感じですね.
海老原 こういったことを通して,このベンチャーのなかで非常に多くの経験をさせてもらっています.会社組織で動く以上,たくさんの役割があります.研究開発もしかり,それをどうやって売るのかという事業開発しかり,営業・マーケティングしかり.管理業務ももちろんあります.それらを全部統括して運営する経営者としての視点.図らずもおよそすべての部署の役割を,このベンチャーのなかでカバーしてきました.最終的には社長という立場にもなりましたので.会社のなかでいろいろな見方を学び,ベンチャーがどういうものかを苦しみながら楽しんで勉強しつつ,今結果的に自分のキャリア形成に役立っていると思います.
——— 社名に込めた思いみたいなのを聞かせていただければと思います.
海老原 設立した2003年当時は,マイクロアレイ事業からのスタートを見込んでいたので,遺伝子に絡むところでジーン(Gene).この分野のフロントランナーになるという意味づけでジーンフロンティアと.研究開発型のベンチャーに切り替わってからは遺伝子中心でなくなってきたので,ちょっと厳しいご質問ですね(笑).結果的にタンパク質系,バイオ医薬領域に主戦場が変わりましたので,今,強いて言えばこの領域のフロンティアランナーとしての遺伝子Geneをもっていますという意味でジーンフロンティアです.
——— 海外のベンチャーの企業さんがよく出るような展示会がありますよね.そういうところもやっぱりいらっしゃったりするんですか.
海老原 BIO-Japanのような,ネットワーキング型のイベントには積極的に参加しています.欧州のBIO-Europe,米国のBIOやカンファレンスなどにいって,自分たちの技術シーズ,ソリューションを積極的に情報発信しながら,製薬会社さんとコミュニケーションをする,そして逆に彼らのニーズを探ってくることも継続してやっています.
——— 向こうの海外のベンチャーさんと連携は生まれたりしますか?
海老原 そうですね.たとえば抗体事業でずっと提携関係にあるドイツのモルフォシス社とは今でも連携を取っていますし,ほかにも協業につながることもあります.
——— こういったイベントはマッチングとしていい場なんですか.
海老原 はい.たとえば製薬会社さんから見ると巷にたくさんの会社,ベンチャーがある.それらと一件一件,時間を取ってミーティングして情報交換して,かなり時間と手間と労力がかかりますよね.最初の情報スクリーニングの部分では,ネットワーキングイベントというのは非常に効率的かと思います.ミーティングは全部事前にスケジューリングされ,基本30分スロットごとに次々ミーティングしていきます.そこで深い話はもちろん難しいですが,まずこちらからアピールをして,向こうが「面白いね,もう少し深く聞いてみようか.」と,最初の興味関心をつかまえられるかどうか,お互いに探りを入れるという意味では,非常に効率良くいきます.
——— なるほど.あと研究のほうで質問なんですけれども,アカデミアと違いますよね.
海老原 はい.研究といっても,たとえば性質からざっくり2つに分けられると思います.比重をどこに置くかという話なのですが,Something Newに重きを置くのがアカデミア,Something Betterに重きを置くのが企業かなと.もちろんそれは10 : 0という話ではないですが,比重の大きさという観点で,アカデミアは新規性.新しくないと論文になりにくいので,そちらに重きを置いていく.反対に企業は,新しいから社会に貢献するかというと必ずしもそうではない.それも確かに重要だけれど,既存のものよりどれだけ良いのか,付加価値を提供できるのかを考えるという意味でSomething Betterに重きが置かれるのかなと思います.
——— 研究者や学生がベンチャーを立ち上げる場合への,アドバイスはありますか?
海老原 会社を作るだけだったら,今いろいろな本も出ていますし,登記しさえすればすぐにできます.ただ,作った会社で,どうやってマーケットとつながって,ビジネスの形にできるかが重要だと思います.そこで,何よりもまず考えなくてはいけないのがストーリーかと.研究をするという意味ではアカデミアが非常に長けているし,新しいモノ・技術をどんどん作ることができる.一方でそのモノ・技術がどう使われるのか,すなわちシーズとニーズをつなぐと言ったらいいでしょうか.単純に1対1でつなぐだけではなく,そのなかにストーリーがあって,なるほどとクライアントやマーケットに伝えられるストーリー.それがあると,形にしていく方法というのが実際にどんどん見えてくると思います.そこをどれだけ具体的に緻密に,夢をもって描けるか.
——— (研究者には)ハードルが高そうな気がしますね.
海老原 一朝一夕には難しいですし,そう言いながら私も完璧にできているかというと決してそうではく,今も日々勉強.常にいろいろストーリーを描きながら修正しながらですので.でもそういうことを先生方,あるいは学生さんたちも,思考実験的にでもどんどん考えていくというのはプラスになると思います.実際にビジネスにならなくても,自分の研究を違う切り口で見るという意味で非常に役に立つと感じますので.そこから具体的にアクションしようと思ったら,それに長けている人にお願いする.それらに長けている経営者的な素養をもった人間と組むというのが,より実際的なアドバイスです.
——— そういうアドバイスはなかなか聞かないですね.
海老原 日本では,経営者的な人材が十分でないというのはよく言われることなので,その人的リソースが不足しているのは確かだと思います.ただ,いないわけではない.あと,学生さんたちが研究者としてのキャリアだけではなく,より積極的にビジネスのほうのキャリアも考えてくれたら,個人的にはすごくうれしいです.ストーリーを考えるうえでも,先生より学生さんのほうが,頭に柔軟性があったりアグレッシブであったりすると思うので.
——— でも,そういうビジネスに長けた方にはどこで会えるんでしょうか?
海老原 先程話したネットワーキングのイベントには結構います.学生には場違いでないか,など全く思う必要はないので,積極的に出かけてみて欲しいです.
——— 自分のしたたとえば研究なりアイデアなりを掲げてもっていって,話をしにいけばということですね.
海老原 はい.私,こういうことを考えてやろうとしているんですとか.
——— なるほど.あと,NewじゃなくてBetterだったらいいよということなんですが,難しいものよりは,ポンと役立ちそうなほうがいいということですか.
海老原 その点については,たとえばNASAのボールペンの話(ジョーク)って聞いたことあります?
——— どこでも書けるあれですか.
海老原 そうです.宇宙にもっていったら,無重力状態ではボールペンで字が書けない.これを使えるようにするにはどうしたらいいかとNASAで長年の研究を重ねて,宇宙でも使える新しいボールペンを開発しました.「やったー」って言ったら,ソ連の宇宙飛行士は鉛筆で書いていたと.これは,必ずしもNewがいいわけではないという話だと理解してます.必ずしも新しいもの,難しいもの,最上級のものがいいとは限らない.マーケットが何を求めているか,ニーズに合わせてソリューションは変わります.一概に言うのは難しいですが,Something Betterという切り口のほうが付加価値を訴えやすいと思います.
——— ベンチャーを立ち上げるときのシーズになるものが,海外のほうが多いとかいうのがお話のなかでちょっと出てきたんですけれども,日本ではそういうシーズがないわけではないとは思うんですが,あまり面白く感じられないというか,むしろ海外のほうが面白いものが多いって思われる,何か要素的なものっていうのはあるんでしょうか.
海老原 大きく2つかなと思います.一つは,まず母集団の数の違いが決定的にあるだろうなと.研究から,新しいもの,いいものが出てくるとしても全部がうまく狙いどおりにいくというわけではないですし,割合的に10に一つもうまくいけばいいと思えば,10やっているところか,100やっているところか,1,000やってるところかで,出てくる結果の絶対数,目に見えるモノの数というのはやっぱり差がついてくるだろうなというのが一つ.
もう一つは,何度も繰り返しになってしまうのですが,ストーリーの作り方や出し方,話のもっていき方がやっぱり海外のほうがうまいなと思います.うまいこと相手に伝えることができれば,お客さんも付きやすかったり,あるいはそれをサポートしてくれるベンチャーキャピタルや事業会社からのサポートも付きやすかったりすると思います.
——— ベンチャー向き性格とかありますか?
海老原 複合要因だとは思うんですけど,オープンマインドであるということと,あと楽天的なところはやっぱり必要ですよね.悲観的だと,大企業に就職したほうがいいんじゃないか,大学の外に出たら危ない世界が広がっているんじゃないかなんていう話になっちゃうと思うので,楽天的オープンマインド.あと積極性と柔軟性.
——— 海外では起業がしやすいように見えるのですが.
海老原 私自身は起業そのものを海外でやった経験がないので,どれだけ簡単かという部分に関してはあまり具体的なイメージはないんですけれども.ただ,先ほどおっしゃられたように,海外では本当に学生レベルでもどんどん起業していきますので,非常にその辺の垣根が低いというのは確かにそのとおりかなと思います.
ところでバイオの分野では特許が非常に重要ですが,この点,海外のほうが特許をどう取るのかというのは,個々人のマインドも然り,TLOなど技術支援の部分がしっかりしている印象があります.一方で国内だと,特許がグラントの実績の一つにカウントできるからと,とりあえず出したりすることも見られますが,いいかげんな特許ほど価値のないもの,無駄なものはないと思っています.出すんだったら,それぞれの知財戦略に沿った価値のあるものにしないと.バイオ領域において特に医薬あるいはプラットホーム技術などは,特許そのものが売りものなんですね.そこに抜けがあると,「いいものだからライセンス料を払ってください」と言っても,「いやいや,こうやったら簡単に回避できるから,それ,要らないよ」と.逆に,特許情報はオープンになってしまうので,他者からすると教えてくれてありがとうとなってしまう.特許がしっかりしたものであれば,起業をしなくても,大学TLOを介してでもいいし,どこかの会社にライセンスアウトするという事業もできる.
——— それは非常に大事なポイントですね.きちんと特許教育しないといけないということですね.
海老原 論文の書き方はラボで指導してくれるのですが,たぶん特許の書き方って多くの大学の先生も不得手なところだと思います.弁理士,あるいは知財部に在席したような人から,どんどん学生にも,そういう世界があることを早くから教育するというのは非常に重要という気がしますね.それこそ画期的なPCR(polymerase chain reaction)みたいな特許を出せれば,特許収入だけで数百億円ぐらいの収益を生むことになり得るのですから.
——— 今後していきたいことについてお聞きしてもよろしいですか?
海老原 今,バイオ医薬関連に注力しています.バイオ医薬といってもいろいろなカテゴリーがあるのですが,ペプチドやタンパク質をベースにしたところにフォーカスを置いています.バイオ医薬のなかでは抗体医薬が筆頭で,今1品目だけでも1兆円以上の売り上げを超えるものが出てきている.これに続けと製薬会社さんは積極的に研究開発していますが,そんなにポコポコ出てくるわけではない.それをより多く生み出せるように,この領域を加速していく,そのためのソリューションを提供しようということです.創薬のバリューチェーンを考えると,基礎研究~医薬品シーズ開発~前臨床~治験~上市という流れがありますが,そこでいくと上流の部分ですね.基礎研究から医薬品シーズ開発,その辺りのステージまでがわれわれの主戦場と考えています.この中でバイオ医薬,たとえばペプチドやタンパク質は,まず何にしてもモノを作らないといけないので,それらを作るためのタンパク質合成試薬というものを提供しています.これは東京大学の上田卓也先生との共同研究なのですが,完全再構成型の無細胞タンパク質合成系.細胞のなかでタンパク質合成に必要な分子成分を全部個別に調製,精製をして,試験管の中で再構成したもの.言ってみれば酵素的にタンパク質を作ってしまう.目的の遺伝子を放り込んで,数時間インキュベートすれば目的のタンパク質ができる.研究用試薬として基礎研究の領域から広めています.これがさらに拡大されて,ペプチド,あるいはタンパク質医薬などを製造するためのプラットホームとしての応用まで,今視野に入れています.
——— その系で大量生産までいくんですか.
海老原 はい.この方法でないとうまく作れないタンパク質も幾つか出てきまして,それに関しては訴求力がある.今,生産効率もどんどん向上してますので,製造という領域ももっと具体的になっていくことを期待しています.
——— ユニークなところで勝負という感じですよね.
海老原 そういう意味では,ストーリーを描くときにSomething Newだったり,あるいはSomething Betterだったり,あるいは何かSomething Uniqueなポイントというのは非常に意識しています.
われわれとしては引き続き抗体作製サービスもやっていますし,抗体やタンパク質関連で基礎研究の底上げを支援する.さらに,製薬会社がメインのクライアントになりますが,抗体医薬のシーズ提供や,創薬シーズを積極的に効率良く生み出す独自のプラットホーム技術を提供することもやっています.こういった医薬に近いところで,アカデミア,国内の大学中心に共同研究も複数走らせています.海外の企業との提携,あるいは自社技術を積極的に統合しながら,製薬会社さんに,バイオ医薬開発のユニークなソリューションを提案しています.
——— なるほど.
海老原 高校時代のコドン表への興味から生体外タンパク質合成に関する研究をはじめ,途中投資や,さまざまなサービス事業をしたりと紆余曲折あるのですが,研究開発型になった今に至って,また生体外タンパク質合成に戻って,気づくといつの間にか原点に戻っている.
現在は最高執行責任者という立場ですが,会社全般のかじ取りを任せてもらい,非常にやりがいを感じる毎日です.
——— 今後やっていきたいことというのを何かお願いします.
海老原 はい.特にビジネス,事業領域でいうと,タンパク質・ペプチドベースのバイオ医薬にはまだまだ可能性,たとえば改変,改良の余地があると考えています.一つには,今までは一つの抗原に対して一つの特異性をもつ,シンプルな抗体が主流でしたが,現在かなり複雑なバイオ医薬も出てきています.バイスペシフィックだったり,さらに多価でいろいろな抗原を同時に認識する抗体であったり.今,抗体だけでなく新たなモダリティとしてペプチド・中分子というのも出てきています.それらを俯瞰しながら,まだまだバイオ医薬の可能性があると感じますので,そこで新しいストーリーを描きたいと思っています.また,セルフリー系では最近,合成生物学という領域が非常に注目を集めているので,そこでもまた独自のストーリーが描けたらなと.その2つを考えています.
——— いろいろ広がりが出そうですね.AIとかの活用については,どう思われていますか.
海老原 正直,今,勉強中です(笑).そもそもAIの定義自体,私が完全には腑に落ちてなくて.どこからがAIでどこまでがAIでないのか,本当に自分たちの実業に貢献してくるのか,まだそこがリンクしきれてないのですが,非常に重要なツールになり得るという認識だけはあります.なので,今はまだ要ウオッチングという感じです.
海老原 すごくプラティカルな話なのですが,英語をやっておいたほうがいい.
——— 皆さんそう仰いますね.
海老原 はい.英語の語学の学習という意味ではなくて,実際に英語でのコミュニケーションを多くやっておいたほうがいいと.先ほどのネットワーキングにしても国内だけでは限界がありますし.今の世の中,ワールドワイドな市場のなかで,日本のポジショニングは10分の1,あるいはそれ以下になっていくとなると,どうしてもグローバルにいかなければいけない.となると英語でのコミュニケーションは必須になってくる.それこそAIの自動翻訳がどんなに進んだとしても,やっぱり実際に英語を使えるというのは違うと思います.英語でのコミュニケーションについて,時にプレッシャーを受けつつ,積極的に使う機会を求めるべきです.
そしてもう少し広く,特に若手のほうへのメッセージとしては,自分の研究室や研究領域を出て,ぜひ積極的にたくさんの経験をしていただきたい.一つひとつ,その瞬間は本人にとっては図らずもの経験なのかもしれない.ただ,時を重ねて違う経験を積み重ねて,Aという経験,Bという経験,Cという経験を重ね合わせていくと,結果的にそれがその人オンリーワンのキャリアを作ることになる.その経験すべてをもっている人はあなただけなんですというオンリーワン.積極的にいろいろな経験をすることが,結果的にユニークなキャリアになり,自分の付加価値・存在価値,マーケットバリューが上がっていきます.
締めの言葉のようになりますが,そのために,運と縁を大切にする.その瞬間のその経験,その人と出会うというのは,たまたまの運かもしれません.ですが,それを単なる運だけで終わらせず,裏にある縁を感じ取っていくと,そこに自分なりの意味が見えてくるのではないでしょうか.それが将来的に何かしら意味をもってくることがあります.必ず,とはいいませんが(笑).
——— ありがとうございます.本当に勉強になりました.
Appendix
聞き手 西村麻里江
農研機構
江草(雜賀)愛
日本獣医生命科学大学
八波利恵
東京工業大学