Kagaku to Seibutsu 57(6): 327 (2019)
巻頭言
農芸化学会と民間企業
Published: 2019-06-01
© 2019 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2019 公益社団法人日本農芸化学会
学会事務局から化学と生物の巻頭言の執筆依頼を受けて,とりあえず過去の巻頭言を読み返してみた.軽妙な語り口のなか,熱い想いや大いなる希望が込められていて,改めて参考にさせていただいた.ただ,私のような民間企業の執筆者が見当たらない.過去を振り返って,ようやく3年間でお一人だけ執筆者を見つけることができた.農芸化学会の特徴の一つに強い産学連携があげられており,正会員の4割近くを民間企業の研究関係者が占める産業界からの参加が多い学術団体であることも知られている.ただこのところの年次大会の発表や,和文・英文誌への投稿状況をみても,学会と民間企業との距離が徐々に広がっている感は否めない.現在学会では,慢性的な会員数の減少に悩まされているが,この大きな原因は民間企業の正会員数が毎年確実に減少していることがあげられる.農芸化学会は学理の究明だけでなく,さまざまな産業に貢献してきた「実学」としての歴史をもつことを踏まえて,現在の学会と企業との関係を考えてみたい.
P. F.ドラッカーの「マネジメント」によれば,イノベーションとは「新しく創造した価値を顧客に提供する」とされている.単なる発明,発見にとどまらず,社会に新しい価値を提供することが求められている.まさしく企業は,顧客を満足させるイノベーションの創出に全力を注いでいる.ただ近年は社会が複雑化し,創造した価値を顧客に提供するまで多くのプロセスが必要になってきた.そのために,価値を生み出す「価値創造」に引き続いて,これを社会に提供する「価値獲得」の両方が必要だと言われている.たとえばこれまでは,新規な生理活性物質の発見や有用なアミノ酸の製造法の開発などの価値創造ができれば,そのまま社会に価値を提供するイノベーションにつなげることができた.ただ現在では有用な価値を創造するだけでなく,これを社会に提供する価値獲得も考えていかなければイノベーションが成就できなくなってきた.どうもこの「価値」の概念が,産学でズレがあるようだ.学会の企業会員の減少の原因として,学会員としてのメリットや年次大会のあり方などいろいろ議論されてきたが,根本的には産学における価値観のズレが原因のように思えてならない.これまで農芸化学会とは,「学」が生み出す価値を,産業界が社会に提供するための貴重な交流の場であった.以前のような活発な産学連携を進めていくには,まずはこの「価値観」を共有することが必要ではないだろうか.
学会としては,100周年に向けて「中小企業産学・産官連携研究助成」を新たに創設して,中小企業に対する積極的な支援を開始した.また「企業活動表彰」として,年次大会で複数の発表を行った民間企業の演者に対して顕彰することも始まった.そのほかにも,農芸化学会技術賞の顕彰やさまざまな産学官シンポジウムの開催など従来から取り組みを継続的に行われている.このような学会からの積極的な提案のなか,企業側からもそれに応えるアプローチを進めるべきである.産学の価値観を議論し,共有するためにもっと企業側からの提言を期待したい.少なくとも巻頭言にも,企業関係者がもっと登場することを願うばかりである.