解説

“環境にやさしい”付着防汚剤の開発:付着阻害活性を有する天然物をリード化合物とした付着阻害活性に関する構造活性相関の考察と新規付着阻害物質の創製海洋生物の化学的防御システムがヒント

Development of Environmentally Friendly Antifoulants: Study of the Structure–Antifouling Activity Relationship in Natural Antifouling Product and Its Synthetic Analogues: The Chemical Defense System of Nudibranchs as a Clue

Yoshikazu Kitano

北野 克和

東京農工大学大学院農学研究院応用生命化学部門

Published: 2019-06-01

フジツボ,イガイなどの海洋付着生物は,船底,漁網(養殖網・定置網),発電所の冷却システムなどに付着し多大な被害を与えている.これら付着生物の汚損を防ぐために,有機金属化合物などを含む付着防汚剤が使用されてきた.しかしながら,いずれも付着生物を殺生するメカニズムにより付着を防汚していることから,防汚剤による環境汚染が懸念されている.そのため,新たなコンセプトに基づく“環境にやさしい”付着防汚剤の開発が強く望まれている.本稿では,ウミウシなどより単離される付着阻害物質をリード化合物とした,付着阻害活性に関する構造活性相関の考察と“環境にやさしい”付着阻害物質の創製について筆者らの研究を中心に述べる.

はじめに 海洋付着生物(汚損生物)による被害

フジツボ,イガイ,ヒドロ虫などの海洋付着生物は,船底,漁網(養殖網・定置網),発電所の取水路などに付着し多大な被害を与えることから“汚損生物”と呼ばれていて,その被害額は日本国内だけでも年間1,000億円以上といわれている(1)1) Y. Kitano: Sessile Organisms, 35, 1 (2018)..それでは,汚損生物が付着するとどのような被害が生じるのだろうか.船底に付着した場合には,重量や水流抵抗の増加により船舶の航行が妨げられ,燃費が低下するとともに,二酸化炭素ガス排出量が増加する.これは,低炭素化による地球温暖化対策が求められている現在において極めて深刻な被害となる.過去にも,日露戦争でロシアのバルチック艦隊が汚損生物の付着により艇速が上がらずに日本軍に敗れたのは有名な逸話?である.一方,養殖網などの漁網に付着した場合には,網の目が塞がれて海水交換量が低下することによって,酸欠,細菌・寄生虫などの繁殖による魚の病気の増加,および,汚損生物による魚体表面への損傷などを引き起こし,漁獲量を大幅に低減させるとともに,網の重量が増大し漁業関係者の各作業に支障を及ぼす.また,発電所の取水路に付着した場合には,取水量の低下や熱交換率の低下などが生じ,設備の機能低下を招くことになる.

汚損生物対策,付着防汚剤

これら汚損生物の被害を防ぐために用いられているのが,付着防汚剤である.人類は紀元前より付着防汚剤についてさまざまな工夫をしていて,19世紀以前は,銅板による船底の被覆,有機ヒ素化合物などのタール・ワックスによる処理によって,また,19世紀には硫酸銅が,そして,20世紀中頃までは,有機水銀化合物,有機鉛化合物,有機ヒ素化合物,DDT,およびPCBなども防汚剤として使用されてきた.それ以降の1960年頃からは,TBTO(酸化トリブチルスズ)などの有機スズ系化合物が優れた効果を発揮することから,主に塗料などに混合されることによって防汚塗料として使われてきた.しかしながら,有機スズ系化合物は環境汚染の観点から国際海事機関(IMO)により2008年9月から世界的に全面的な使用の規制に至っている.現在,亜酸化銅,および農薬系化合物(バイオサイド)を含む防汚塗料が主に使われているが,基本的には付着生物を殺生すること,すなわち毒性作用によって付着を防除するコンセプトにより行われていることから,それらについても蓄積によるサンゴの生育不良や稚仔魚への強い毒性など環境への悪影響が問題視され始め,各国で規制も始まりつつある(2, 3)2) I. K. Konstantinou & T. A. Albanis: Environ. Int., 30, 235 (2004).3) K. V. Thomas & S. Brooks: Biofouling, 26, 73 (2010)..そのため,“環境にやさしい”付着防汚剤の開発が急務とされている.

付着防汚コンセプト—殺生か忌避か—

ここで,環境問題を引き起こす可能性が低い付着防汚コンセプトとして,付着生物に対して殺生的に作用するのではなく,忌避的に作用させる方法があり,それには物理的な方法と,化学的な方法がある.具体的には,表面に溝を加工する物理的アプローチや,親水性ポリマーを利用する化学的アプローチなど,実に多方面から進められている(4)4) J. A. Callow & M. E. Callow: Nat. Commun., 2, 244 (2011)..しかしながら,前者は加工に莫大なコストがかかること,後者は海水中での劣化が速いことなどが問題となっている.したがって,従来の付着阻害物質と置き換える方法により利用できる,新たな付着防汚剤開発が一番求められている技術開発である.新たな付着防汚剤開発として着目されているのが,天然物由来の有機化合物である.これは海洋無脊椎動物などが有している付着生物に対する化学的防除法をヒントにしたものである.海中に生息しているウミウシ,カイメン,および八放サンゴなどの表面には,他種の付着生物の着生(付着して生育すること)が見られないことが多く,またその捕食者も限られている.これは,海底などに棲息している物理的防御機構に乏しい生物にとって,ほかの生物の着生はその個体の死を意味することから,着生を阻止するために付着阻害物質を生産し,体外に蓄積・分泌して化学的に防除していると考えられている.実際に,多くの海洋無脊椎動物からさまざまな付着阻害物質が単離されているが,これらは,生物が自然界の海水中で長年利用してきた物質であり,量的な関係もあるが,これまでは環境問題を発生しなかった物質である.したがって,環境に悪影響を与えない理想とする“環境にやさしい”付着防汚剤として利用できることが期待される.

海洋付着生物が付着しない海洋底棲生物

海洋生物由来の付着阻害物質探索研究は,1970年代から世界各地で行われてきたが,幼生の飼育,生物試験の方法などが徐々に確立され1990年代になってから広範な形での研究が開始された.日本では,特に伏谷着生機構プロジェクト(伏谷PJ: 1991~1996年新技術事業団創造科学技術推進事業)において,海洋付着生物あるいはその捕食者由来の付着阻害物質の探索研究が精力的に行われた.伏谷PJにおいては,ウミウシ,カイメンなどから多くの付着阻害物質が単離された(5~11)5) N. Fusetani: Nat. Prod. Rep., 21, 94 (2004).6) H. Hirota, T. Okino, E. Yoshimura & N. Fusetani: Tetrahedron, 54, 13971 (1998).7) N. Fusetani, H. Hirota, T. Okino, Y. Tomono & E. Yoshimura: J. Nat. Toxins, 5, 249 (1996).8) H. Hirota, Y. Tomono & N. Fusetani: Tetrahedron, 52, 2359 (1996).9) T. Okino, E. Yoshimura, H. Hirota & N. Fusetani: Tetrahedron, 52, 9447 (1996).10) T. Okino, E. Yoshimura, H. Hirota & N. Fusetani: J. Nat. Prod., 59, 1081 (1996).11) T. Okino, E. Yoshimura, H. Hirota & N. Fusetani: Tetrahedron Lett., 36, 8637 (1995).が,なかでも3-イソシアノテオネリン(1)(図1図1■カイメン・ウミウシより単離される付着阻害物質とタテジマフジツボキプリス幼生に対する付着阻害活性(EC50; 50%付着阻害濃度))を含めてイソシアノ基(-NC)を有するテルペン化合物が,タテジマフジツボキプリス幼生に対して有効な付着阻害活性を示す物質として単離された(フジツボはノープリウス幼生,キプリス幼生のプランクトン生活を経て,付着,変態し生体のフジツボになる(12)12) 倉谷うらら:“ふじつぼ「魅惑の足まねき」”,岩波書店,2009.(コラム参照)).これらの天然物は,“環境にやさしい”付着阻害剤として非常に有望ではあるが,カイメン,ウミウシ100個体くらいから,得られるのはせいぜい数ミリグラム程度であり,タンカーなどの大型の船舶に塗布することを想定すると単離により付着防汚剤として利用するのは非現実的である.ここで有効となるのが化学合成である.化学合成は,天然物の合成だけでなく類縁体の合成も可能とする.したがって,化学合成による類縁体の合成と構造活性相関の考察により,より有効で簡単な構造の付着阻害物質の創製が行われた.

図1■カイメン・ウミウシより単離される付着阻害物質とタテジマフジツボキプリス幼生に対する付着阻害活性(EC50; 50%付着阻害濃度)

3-イソシアノテオネリン(1)をリード化合物とした付着阻害活性に関する構造活性相関の考察

図1図1■カイメン・ウミウシより単離される付着阻害物質とタテジマフジツボキプリス幼生に対する付着阻害活性(EC50; 50%付着阻害濃度)に示された化合物の中で,3-イソシアノテオネリン(1)がリード化合物として選択された.その理由は,鏡像異性体が存在しないとともに,立体異性体,幾何異性体などが同一ルートで合成できたためである.3-イソシアノテオネリン(1)の全合成については,市販の化合物より7段階,全体収率約5%で達成された.また,1の幾何異性体(2),立体異性体(3),およびその幾何異性体(4)が同時に合成された(13)13) Y. Kitano, T. Ito, T. Suzuki, Y. Nogata, K. Shinshima, E. Yoshimura, K. Chiba, M. Tada & I. Sakaguchi: Perkin Trans., 1, 2251 (2002).図2図2■3-イソシアノテオネリン(1)とその類似化合物(24)のタテジマフジツボキプリス幼生に対する付着阻害活性(EC50; 50%付着阻害濃度,LC50; 50%致死濃度)).一般的な天然物の全合成の点から考えると,工程数7段階,全体収率5%というのはそれほど悪い数値ではない.しかしながら,現在の付着防汚剤の価格,および使用量から考えると,とてもではないが,この化学合成をそのまま実用化することは現実的ではない.ここで有効なのが,類似化合物の活性を確認しながら進めていく構造活性相関の考察である.構造活性相関の考察とは,類似化合物などの生物活性を比較することによって,活性発現に必須な部位を特定するなど,「化合物の構造情報」と「生物活性情報」の相関を分析することである.合成された1および異性体24については,タテジマフジツボ(Balanus amphitrite)キプリス幼生の付着試験が行われた.その結果,合成された1は,天然物と同等の付着阻害活性を示すとともに,各種異性体24にも有効な付着阻害活性(EC50値;0.18~0.41 µg/mL)が観察された.また,いずれの化合物もが,高濃度においてもキプリス幼生に対する顕著な毒性は観察されなかった(LC50>100 µg/mL)(13)13) Y. Kitano, T. Ito, T. Suzuki, Y. Nogata, K. Shinshima, E. Yoshimura, K. Chiba, M. Tada & I. Sakaguchi: Perkin Trans., 1, 2251 (2002)..ここで,付着試験の陽性対照化合物としては,過去に付着防汚剤として利用されていた硫酸銅が使用された.硫酸銅はEC50値が0.27 µg/mLであり,十分な付着阻害活性を有しているが,LC50値は2.95 µg/mLであり低濃度(1.0 µg/mL)においても徐々にキプリス幼生の死亡率が上昇することが確認された.これは,硫酸銅がキプリス幼生を殺生する,すなわち毒性によって付着阻害活性を発現することを示唆している.それに対して,1およびその類縁体は,高濃度でもキプリス幼生を殺生することなく付着のみを阻害していることから,忌避的に付着を阻害していて,明らかに硫酸銅とは異なり低毒性であることが示唆された.

図2■3-イソシアノテオネリン(1)とその類似化合物(24)のタテジマフジツボキプリス幼生に対する付着阻害活性(EC50; 50%付着阻害濃度,LC50; 50%致死濃度)

イソシアノシクロヘキサン誘導体の合成と付着阻害活性に関する構造活性相関の考察

3-イソシアノテオネリン(1)およびその類縁体に有効な付着阻害活性が観察されたことから,さまざまなイソシアノシクロヘキサン誘導体が合成され,構造活性相関の考察が行われた(14, 15)14) Y. Kitano, A. Yokoyama, Y. Nogata, K. Shinshima, E. Yoshimura, K. Chiba, M. Tada & I. Sakaguchi: Biofouling, 19(Suppl.), 187 (2003).15) Y. Kitano, Y. Nogata, K. Shinshima, E. Yoshimura, K. Chiba, M. Tada & I. Sakaguchi: Biofouling, 20, 93 (2004)..具体的には,1のジエン部分が還元された化合物や,ヒドロキシ基(アルコール),アルコキシ基(エーテル),エステルなどに変換された化合物が合成され,キプリス幼生に対する付着阻害活性が測定された.その結果,図3図3■イソシアノシクロヘキサン誘導体(57)およびイソシアノ基を有さない化合物8のタテジマフジツボキプリス幼生に対する付着阻害活性(EC50; 50%付着阻害濃度,LC50; 50%致死濃度)に示すように,ジエン部分をエステルに変換した化合物は1よりも高い付着阻害活性を示すとともに,高濃度においてもキプリス幼生を殺生することはなかった(付着試験は30 µg/mLまでしか行っていない).一方,化合物7のイソシアノ基を水素とした,イソシアノ基を欠いた化合物には有効な付着阻害活性は観察されなかった.以上の結果から,イソシアノ基が付着阻害活性発現に重要であることが示唆された.

図3■イソシアノシクロヘキサン誘導体(57)およびイソシアノ基を有さない化合物8のタテジマフジツボキプリス幼生に対する付着阻害活性(EC50; 50%付着阻害濃度,LC50; 50%致死濃度)

アルキルイソニトリル化合物の付着阻害活性

ここで,化合物57の合成について考えた場合,天然物1よりは容易に効率よく合成できるが,シクロヘキサン骨格を有していることから,常に立体異性体が副生成物として得られてしまう点が挙げられる.そこで,シクロヘキサン環ではなく,単純なアルキル鎖にイソシアノ基が結合した化合物が合成され,フジツボキプリス幼生の付着阻害活性が測定された.その結果,安価な脂肪酸エステルやβ-シトロネロールから合成できるアルキルイソニトリル化合物においても有効な付着阻害活性が観察された(16, 17)16) Y. Nogata, Y. Kitano, E. Yoshimura, K. Shinshima & I. Sakaguchi: Biofouling, 20, 87 (2004).17) Y. Kitano, C. Akima, E. Yoshimura & Y. Nogata: Biofouling, 27, 201 (2011).図4図4■アルキルイソニトリル化合物(812)のタテジマフジツボキプリス幼生に対する付着阻害活性(EC50; 50%付着阻害濃度,LC50; 50%致死濃度)にそのなかでも天然物1よりも強い付着阻害活性を示した化合物を示す.化合物910は,安価なウンデセン酸エステルより合成され,特に,化合物9は2段階でほぼ定量的に合成することが可能である(18)18) Y. Kitano, K. Chiba & M. Tada: Synthesis, 2001, 437 (2001)..また,化合物1112は,β-シトロネロールより容易に合成され,化合物11はβ-シトロネロールより3段階,71%の収率で合成される(19)19) K. Mihara, I. Okada, K. Chiba & Y. Kitano: Synthesis, 46, 1455 (2014)..いずれもが,天然物1よりも非常に効率良く合成できる化合物である.

図4■アルキルイソニトリル化合物(812)のタテジマフジツボキプリス幼生に対する付着阻害活性(EC50; 50%付着阻害濃度,LC50; 50%致死濃度)

アミノ酸誘導体イソニトリル化合物の付着阻害活性

これまでに述べたように,イソニトリル化合物の多くは,タテジマフジツボキプリス幼生に対して,殺生することなく付着を阻害することから,“環境にやさしい”付着防汚剤として有望な化合物である.しかしながら,防汚剤の毒性について考えるとき,防汚剤自身だけでなく,その分解物の毒性も考慮しなければならない.これまでに使用されている付着防汚剤は,防汚剤自身の毒性だけでなく,その分解物の毒性も懸念されている.その点から着目されたのがアミノ酸である.アミノ酸は,①アミノ基を有していることからイソニトリル化合物への変換が容易,②カルボキシ基部分をさまざまなエステルに変換が可能,③最終的に生分解されれば無毒性のアミノ酸へと変化,といった特徴を有している.以上を踏まえて,タンパク質構成アミノ酸のアミノ基をイソシアノ基,カルボキシ基をベンジルエステルに変換したアミノ酸誘導体イソニトリル化合物が合成され,付着試験が行われた(20)20) T. Fukuda, H. Wagatsuma, Y. Kominami, Y. Nogata, E. Yoshimura, K. Chiba & Y. Kitano: Chem. Biodivers., 13, 1502 (2016)..その結果,多くのアミノ酸誘導体で有効な付着阻害活性が観察された.特に,図5図5■アルキルイソニトリル化合物(1316)のタテジマフジツボキプリス幼生に対する付着阻害活性(EC50; 50%付着阻害濃度,LC50; 50%致死濃度)に示すような,フェニルアラニン(Phe)誘導体(13)やチロシン(Tyr)誘導体(14)において,高濃度でも毒性を示すことなく,強い付着阻害活性が観察された.なお,アミノ酸誘導体イソニトリル13, 14は,合成過程でエピ化が起こり,鏡像異性体の混合物として得られていた.そこで,同じ側鎖を有する鏡像異性体の存在しないアミノ酸誘導体イソニトリルが合成され,同様に付着試験が行われた(21)21) Y. Inoue, S. Takashima, Y. Nogata, E. Yoshimura, K. Chiba & Y. Kitano: Chem. Biodivers., 15, e1700571 (2018)..その結果,多くのアミノ酸誘導体で有効な付着阻害活性が観察された.特に,フェニルアラニン(Phe)誘導体(15)やメチオニン(Met)誘導体(16)において,高濃度でも毒性を示すことなく,強い付着阻害活性が観察された.

図5■アルキルイソニトリル化合物(1316)のタテジマフジツボキプリス幼生に対する付着阻害活性(EC50; 50%付着阻害濃度,LC50; 50%致死濃度)

イソニトリル化合物の安全域(LC50/EC50

ここで,化合物の安全性を示す一つの指標として,安全域(LC50/EC50)という数値があるが,付着阻害物質の場合には,安全域が15を超える(LC50/EC50>15)ようであれば,非毒性の付着防汚剤として期待できると報告されている(22)22) P.-Y. Qian, Y. Xu & N. Fusetani: Biofouling, 26, 223 (2010)..今回紹介したイソニトリル化合物は,その10倍以上の数値になることから,この点からも“環境にやさしい”付着防汚剤として期待される.

フィールド試験

実験室内で有効な付着阻害活性を示したイソニトリル化合物については,すべてではないが漁網のテストピースを用いた海洋評価試験が実施された.その結果,評価試験を実施した多くの化合物について実験室と同様に有効な防汚効果が観察され,一部の化合物は,海域においては,市販の防汚剤と同等,またはそれ以上の効果を発揮することが観察された.

ハイドロゲル塗膜とイソニトリル化合物の融合

近年,従来の塗膜に比べて10%以上の摩擦低減効果が得られる塗膜としてハイドロゲル塗膜が注目されている(23)23) 平沢洋治:“驚異のソフトマテリアル”,化学同人,2010, p. 163..ハイドロゲル塗膜の摩擦低減率については,塗膜の膨潤度と相関があることが示唆されている.このハイドロゲル塗膜については,付着防汚性を付加できれば超低燃費型の船底防汚塗料として利用できることが期待される.そこで,ハイドロゲル塗膜にイソニトリル化合物を混合した場合の摩擦低減効果が検討された.その結果,現在主に船底防汚塗料の防汚成分として使用されている亜酸化銅を混合した場合に比べて,低分子化合物であるイソニトリル化合物を混合した場合のほうが,高い膨潤度が観察され,より摩擦低減効果が期待できることが示唆された.なお,30万トンのオイルタンカーが40日間の航海を行った場合,10%以上の摩擦低減効果が得られると2,000万円以上の燃料費が削減される.

付着阻害活性メカニズムの解明

それでは,イソニトリル化合物はどのようなメカニズムで付着阻害活性を発現するのだろうか.付着阻害活性発現メカニズムの解明を目的とし,イソニトリル化合物の作用部位を特定するための検討として,イソシアノ基とダンシル基を有する蛍光プローブ化合物(17)が合成された.そして,蛍光標識されたイソニトリル化合物について,同様の付着試験が行われ,フジツボキプリス幼生への影響が蛍光顕微鏡下で観察された.その結果,キプリス幼生の油球部分(油球は,摂餌を行わないキプリス期の幼生の栄養源とされている)に特異的な蛍光が観察された(24)24) Y. Kitano, Y. Nogata, K. Matsumura, E. Yoshimura, K. Chiba, M. Tada & I. Sakaguchi: Tetrahedron, 61, 9969 (2005).図6図6■蛍光プローブ(17)の構造とフジツボキプリス幼生の蛍光顕微鏡下における観察画像(左)蛍光化合物作用前の写真,自家蛍光が数ヶ所に観察される.(右)蛍光プローブ(17)作用後の写真,油球部分に特異的な蛍光が観察された).また,その後の検討によって,イソニトリル化合物以外でも,比較的高い付着阻害活性が観察された化合物は,油球への取り込みがほかの化合物に比べて多いことが観察され,油球部分がフジツボキプリス幼生の付着になんらかの影響を及ぼしている可能性が示唆された(25)25) S. Fujiwara, C. Akima, E. Yoshimura, Y. Nogata, K. Chiba & Y. Kitano: J. Exp. Mar. Biol. Ecol., 445, 88 (2013)..さらには,イソニトリル化合物を末端に保持したアフィニティプローブが作製され,プルダウンアッセイにより結合タンパク質の解析が行われた結果,ミトコンドリアの機能に影響している可能性が示唆された(26)26) Y.-F. Zhang, Y. Kitano, Y. Nogata, Y. Zhang & P.-Y. Qian: PLOS ONE, 7, 45442 (2012)..ただし,まだイソニトリル化合物の明確な付着阻害活性の発現メカニズムを説明することは難しく,今後は付着阻害活性発現時のトランスクリプトーム解析を行うなどさらなる検討が必要である.

図6■蛍光プローブ(17)の構造とフジツボキプリス幼生の蛍光顕微鏡下における観察画像(左)蛍光化合物作用前の写真,自家蛍光が数ヶ所に観察される.(右)蛍光プローブ(17)作用後の写真,油球部分に特異的な蛍光が観察された

おわりに

以上述べてきたように,イソニトリル化合物は“環境にやさしい”付着防汚剤として利用されることが期待される.今後,防汚剤として使用するには,安定性試験,分解度試験,各種毒性試験などについてGLP対応のデータを取得する必要があるが,これらは,実際に“環境にやさしい”ことを裏付けるためにも重要な情報である.ただし,これらのデータを取得するのに一つの化合物で数千万円の費用が必要となる.付着防汚剤の日本での市場は,漁網防汚剤が約50億円,船底防汚塗料が約250億円と決して規模の大きいものではない.したがって,十分な海洋評価試験を実施し,候補化合物をある程度絞る必要がある.今後,継続した研究によって,海洋生物を超える“環境にやさしい”付着防汚剤が開発され,低環境負荷や省エネルギー効果などグリーン・イノベーションに貢献することが期待される.

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