セミナー室

環境DNA試料の採取から分析に至るまで採水,保存・運搬,ろ過の現状

Hiroki Yamanaka

山中 裕樹

龍谷大学理工学部

Takaya Hirohara

廣原 嵩也

龍谷大学理工学部

Published: 2019-06-01

はじめに

魚類などの大型水生動物を対象とした環境DNA分析が国内で研究されるようになって,約10年が経った.これまでにこの技術を中心に据えた大型の研究プロジェクトが3件実施され(環境省環境研究総合推進費2件と科学技術振興機構CREST1件),さらには一般社団法人環境DNA学会が設立されるに至った.水中に存在している僅かな量のDNAを回収・分析して生息している動物種を明らかにするという突飛なアイデアは,当初,学術分野のなかでさえなかなか受け入れられがたい雰囲気があったが,現在ではこの分析技術を使って受託分析を開始する企業が現れ始め,社会的な意義が見いだされるようになってきた.

筆者らが研究に取り組み始めた当初から願っているのは,捕獲や目視によるこれまでの調査技術とうまく組み合わされる形で環境DNA分析が活用され,生物多様性についての研究やアセスメントがこれまで以上に効率的に,かつ,長期にわたるモニタリングが低いコストで実施される未来である.こうした新しい技術は,学術や社会での実装のなかでもまれて実用性を身に着けて成熟していくはずだが,やはり最初は「使ってもらわなければ」進まない.基礎的技術としての良いところも悪いところも,現場での実効性のよし悪しも,ユーザーがいてこそ発見されるはずで,受託分析を行う企業がすでに現れてきたことは非常に心強い.一方で,潜在的なユーザーの間では「ところでどうやって試料を採ればいいのか?」という不安が生じてきている.さあ,分析はできる.では,どう採ってどう送るのか? この疑問に答えることは,この技術の利用を促進して,技術にとっての「鍛錬の場」を用意する助けになるだろう.

本稿では,試料の採り方や輸送の仕方に注目し,DNA分析に至る前の段階をどのように進めるべきであるのかについて解説したい.既存の情報を織り交ぜつつ,筆者らの研究室での実施方法を公開してユーザーの参考情報として提供する.環境DNA分析の技術開発にかかわる者の多くは「水をくむだけで…」と技術を説明するが,「いや,そこがわからない」というユーザー側の疑問も至極当然である.特に,本当に使おうとしてくれているユーザーは切実にその問題を感じていることと思う.水をくむだけで生物種の確認ができるとは言っても,環境DNA分析で最も避けねばならない試料のコンタミネーション(汚染)がどうしても課題となってくる.そして,調査時の状況もユーザーそれぞれで,魚類の捕獲調査と並行して採水を行わなくてはならない局面もあるかもしれない.もしくは,採水や試料の保存のための機材があまりに多いと現場へのロジスティクスで問題となるかもしれない.「調査自体は簡単だ」とはいうものの実務の現場では気になるであろうことを,これまで筆者らのもとに寄せられた疑問や課題を考慮しつつ,解説したい.ただし,現場の都合をいくら勘案しても「どうしても守らねばならない」部分は存在する.この部分も明瞭にしつつ,筆者らなりの提案を試みる.まだまだ新規の技術であって,開発側の現場でも明らかにできていない基礎的情報が多いのが実情であるが,これから「ともかくは始めてみよう」「使ってみよう」という機運を少しでも後押しできればと願っている.

全体のワークフローと疑問点

今回議論の対象とするのは魚類などの大型水棲生物を対象とした環境DNA分析である.多くの分析希望者は,さあ調査だとなった時点で,いろいろな疑問に直面するはずである.

ざっと思いつくだけでも,これくらいの疑問が浮かぶはずで,調査実施のためにはそれぞれ戦略を決定せねばならない.以降は,ワークフローを「採水」,「運搬と保存」,「ろ過」に区分して,それぞれ独立のセクションを設けて,疑問点に応えつつ詳細を述べる.ただ,どのステップであっても筆者らは「現場作業は簡単に」というスタンスで各種判断を行っている.「シンプルなワークフロー」を心掛けることは,そのまま,環境DNA分析の肝である「コンタミネーションのコントロール」につながるはずだからである.

採水

環境DNA分析は何はともあれ,まず水をくむことから始まる.「ただくむだけ」なのだがいくつか戦略的に決めねばならないことや注意点もある(多少情報が古くなってしまっているものの,山中ら(1)1) 山中裕樹,源 利文,高原輝彦,内井喜美子,土居秀幸:日本生態学会誌,66, 601 (2016).もご参照いただきたい).よく質問されるのが,「どこで」くむのか(Q1),である.

水域での環境DNA分析は,言わずもがな,水の流れに分析結果が左右される.これまでの既存の研究で,(もちろん現場の環境や生物量に依存して結果は変わるが)十数キロメートルも上流の地点に生息しているはずの生物のDNAを検出したという河川での例(2)2) K. Deiner & F. Altermatt: PLOS ONE, 9, e88786 (2014).がある一方で,数十メートルの距離でも対象種のDNAは検出できなかったとする例(3)3) D. S. Pilliod, C. S. Goldberg, R. S. Arkle & L. P. Waits: Mol. Ecol. Resour., 14, 109 (2014).も報告されている.環境DNAは媒質である水の中に,細胞や細胞片として,もしくはそこから飛び出したミトコンドリアに含まれる形で存在していると考えられる.もちろんさらに分解が進んで「裸の」状態で浮いているものやほかの粒子にトラップされた状態で存在しているものもありうる.こうした環境DNAを含む粒子の拡散はいまだ未解明の部分が多いうえに,さらに分析に影響を与える項目としてDNA自身の経時的な分解(4)4) A. Maruyama, K. Nakamura, H. Yamanaka, M. Kondoh & T. Minamoto: PLOS ONE, 9, e114639 (2014).も考慮せねばならない.「環境DNA分析が反映している時空間範囲はどの程度か」を知ったうえで採水戦略を立てたいところではある.しかしながら,これは現場ごと,対象種ごとに異なるため,今後の研究によって明らかにされるのを待たざるをえない.

一方で,どれだけの試料数を取ればいいのかという問題もある.これについては「どういった目的のモニタリングがしたいのか」に応じて決める必要がある.まずは多種の魚類を網羅的に検出する環境DNAメタバーコーディング(5)5) M. Miya, Y. Sato, T. Fukunaga, T. Sado, J. Y. Poulsen, K. Sato, T. Minamoto, S. Yamamoto, H. Yamanaka, H. Araki et al.: R. Soc. Open Sci., 2, 150088 (2015).による分析を適用する場合を想定して解説するが,もちろんのこと空間的に密にサンプリングすればするほど,より高い確率でマイナーな種まで検出できるようになると考えられる.しかし,どこまで解像度を求めるのかは研究調査の計画ごとに違うはずであり,常に「個体群密度が低い希少種であってもすべて拾って検出せねばならない」ということはないはずである.相当マイナーな種はさておき,種構成の全体像を長期にわたってモニタリングしたい,というような場合であれば地点数を減らしたり,多地点から集めた水試料を1試料としてまとめて処理したりという方法も戦略としてありうる(6)6) H. Sato, Y. Sogo, H. Doi & H. Yamanaka: Sci. Rep., 7, 14860 (2017)..より高い感度を求めるなら,筆者らとしては注目する種ごとに種特異的なプライマーセットを使ったリアルタイムPCRによる分析の併用をお勧めする.

採水の地点配置や数についての質問とともによく質問されるのが,どのようにくむのか(Q2),である.採水のタイミングや頻度,地点の配置ももちろん重要であるが,その採水戦略がコスト的に労力的に,そして質的に実行可能かどうかを決めるのは「道具立て」である面もあるため,ここでは実例を交えつつその部分に重点を置いて解説したい.

もっとも初期の頃から実践されているのは,採水用のプラスチックボトルを直接水に浸して取る方法である.もちろん,どのような採水方法のときでも同じであるが,地点ごとに新しいグローブを着用して使い捨てる.そして,ボトルはすべて,使用前に次亜塩素酸ナトリウム水溶液(ブリーチ液)でDNAを分解してデコンタミネーション(除染)しておく.このブリーチ処理をする限り,ボトルは使い回してよい.ただ,陸水域や遠浅の砂地の海岸などではよくあるが,使用するボトルの厚みよりも調査地点の水深が浅いときがあり,使用するボトルの形やサイズには気を付ける必要がある.選定にあたっては,構造が複雑,つまり極端に出入り口が狭かったりするようなボトルであったり,パッキン部分がいくつものパーツで構成されている蓋であったりは洗浄用のブリーチ液を隙間にまで流し込んだり,また逆にそれを洗い流したりする際に不都合があるので避けたほうが良い.特にブリーチをきれいに流しきれないのは問題で,次亜塩素酸ナトリウム濃度にして0.001%でも試料水に混入すると8時間でDNAは検出できないレベルまで分解されてしまう(7)7) H. Yamanaka, T. Minamoto, J. Matsuura, S. Sakurai, S. Tsuji, H. Motozawa, M. Hongo, Y. Sogo, N. Kakimi, I. Teramura et al.: Limnology, 18, 233 (2017).ので注意が必要である.

次に筆者らの研究室で多用している方法を紹介する.この方法では採水調査後の各種道具のブリーチ処理をなくすために,本来は塗装工事などでペンキを混ぜて色調するための使い捨てカップ(たとえばMCC-100,株式会社ヨトリヤマ,足利市)を使って水をくみ,これまた本来は飲料などをいれるためのパウチ(たとえばDP16-TN1000,株式会社ヤナギ,名古屋市)に注ぎ入れて採水し,どちらも使い捨てて使用している(図1図1■採水風景).この方法だと多少水深が浅くとも,付属の目盛りで水量を測りつつ繰り返し採水して任意の量の試料水を集めることができ,このパウチは丸形や角形のプラスチックボトルに比べて相当収容体積が少なくて済むため,運搬時にも空間効率が良い.