Kagaku to Seibutsu 57(8): 455 (2019)
巻頭言
夢見た酵素による天然物全合成の実現
Published: 2019-08-01
© 2019 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2019 公益社団法人日本農芸化学会
農芸化学の歴史は,生理活性物質の歴史とも重なる.ある生命現象を見つけ,幾多の困難を乗り越え,最後にその現象を引き起こす天然物にたどり着いたという研究はストーリー性に富んだものが多く,若い研究者を引きつけて止まないが,筆者もその一人であった.大学4年のとき,植物病原菌の代謝毒素を研究対象にする研究室を選んだのは有機化学が好きだったこともあり,自然の成り行きであった.ナフトキノン系抗生物質の全合成研究という課題をいただいたが,研究を深くやりたいという気持ちとは裏腹に,センスが足りないせいか成果が出ない時期が続いた.そうしたなか,天然物の生合成という分野があることを知った.これは生物がいかなる反応を使って分子を作り上げるか調べる分野で,その延長線上にbiomimetic合成(生物模倣合成)がある.これは天然物の構造から有機合成的感性で生合成的な骨格構築法を予想し,それを実現するものであり,トロピノンというアルカロイドの合成は,ノーベル賞の対象にもなった美しい合成である.たいへん合理的であり,将来性があるように思われた.当時は遺伝子工学が花開いた時代で,何らかの手法で遺伝子を入手すれば生合成酵素を使った天然物合成もできることが脳裏をかすめた.
博士課程進学とともに植物病原菌代謝毒素の研究にテーマを替えていただき,幸い適度な難易度の構造をもつ毒素を見つけ,古典的な同位体標識前駆体の取り込み実験から生合成経路を推定し学位論文にまとめた.夢をもって米国の研究室でポスドクとなった.有名なポリエーテルの生合成仮説の実証はことごとく不調であったが,滞在中に天然物の生合成酵素遺伝子を突き止め,遺伝子工学を駆使して,天然物を生産したという論文が出された.生合成の未来を想像して感動した覚えがある.帰国後,出身研究室に戻り研究を続けることが許された.いきなり世界の最先端研究に挑むことはできず,存在は予想されても証明がないDiels–Alder反応を触媒する酵素の研究を手がけた.誰もやっていない研究で,苦心もあったが10年以上かかって実証に成功することができた.この間に遺伝子工学を駆使した天然物生合成経路の解明はさらに進み,2000年頃にヒトゲノムが解析されると,一挙にポストゲノム研究が進行した.有機化学が専門の筆者も遺伝子を使いこなして天然物を生産できそうな状況が生まれた.
2010年に理工農薬の研究者が参加する“生合成マシナリー”プロジェクトを提案した.その代表を仰せつかり,微生物や植物ゲノムから目的天然物の設計図(生合成酵素遺伝子)を探し出すと同時に経路を推定し物質生産を行うことになった.この際,農芸化学の代表的微生物である麹菌との運命的な出会いがあった.麹菌は大腸菌や酵母などそれまで扱った宿主とは異なり,遺伝子組換えによるカビ由来酵素遺伝子の発現では,ほとんどハズレが出ないことがわかった.そこで麹菌を使った天然物の合成を展開させた次第である.研究者の若い頃描いた夢が実現するという稀有な体験させていただいた.現在,天然物生合成分野の研究が急展開しているが,生理活性天然物,微生物,遺伝子工学,酵素と農芸化学が得意な研究が必要とされる分野でもある.一度製薬会社が諦めた天然物創薬に再び脚光が当てられ,農芸化学分野の力を結集して,有用な医薬や生物活性物質を世に送り出す日が来ることを期待する次第である.