Kagaku to Seibutsu 57(8): 459-460 (2019)
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精神的ストレスによる腸管上皮の糖鎖パターンの変化「脳・腸・腸内細菌相関」のメカニズムの解明に向けて
Published: 2019-08-01
© 2019 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2019 公益社団法人日本農芸化学会
脳と腸が機能的に相互作用していることは従来からよく知られており,「脳・腸相関」と呼ばれる.中枢神経系の受けた精神的ストレスは,交感神経系や内分泌系(視床下部–下垂体–副腎皮質軸;HPA軸)を介して腸管に伝達される(1)1) M. H. Mohajeri, G. L. Fata, R. E. Steinert & P. Weber: Nutr. Rev., 76, 481 (2018)..逆に,腹痛など腸管の受けた不快な感覚は脳に伝達され,ストレスの症状を悪化させる.消化管に器質的な病変がないにもかかわらず腹痛や便通の異常(下痢・便秘)が持続する疾患は過敏性腸症候群(irritable bowel syndrome; IBS)と呼ばれる.IBSの患者では,不安や抑うつといった精神症状が高い頻度で認められ,ヒトにおいて「脳・腸相関」の存在を示す一例とされる(1)1) M. H. Mohajeri, G. L. Fata, R. E. Steinert & P. Weber: Nutr. Rev., 76, 481 (2018)..
近年になって,「脳・腸相関」に影響を及ぼす因子として腸内細菌叢が着目されている(1)1) M. H. Mohajeri, G. L. Fata, R. E. Steinert & P. Weber: Nutr. Rev., 76, 481 (2018)..無菌マウスとSPFマウスの精神的ストレス負荷に対する反応を比較した研究によると,無菌マウスではストレス負荷による血中のコルチゾール濃度の上昇反応がSPFマウスより顕著に認められるほか,海馬や前頭葉においてBDNF(脳由来神経栄養因子)の発現量が低下している(1)1) M. H. Mohajeri, G. L. Fata, R. E. Steinert & P. Weber: Nutr. Rev., 76, 481 (2018)..海馬を含む脳内の複数の領域におけるBDNF量の減少はうつ病の患者の特徴である.さらに,無菌マウスにおけるHPA軸の活性化や血中コルチゾール濃度の上昇は若齢マウスの糞便の移入(つまり腸内細菌の移入)により抑制される(1)1) M. H. Mohajeri, G. L. Fata, R. E. Steinert & P. Weber: Nutr. Rev., 76, 481 (2018)..これらの知見から,腸内細菌叢が宿主のストレス反応や,神経疾患の発症を制御している可能性が示唆されるようになった(1)1) M. H. Mohajeri, G. L. Fata, R. E. Steinert & P. Weber: Nutr. Rev., 76, 481 (2018)..
宿主と腸内細菌はさまざまな分子を用いて,お互いの生理機能に影響を及ぼしている(1)1) M. H. Mohajeri, G. L. Fata, R. E. Steinert & P. Weber: Nutr. Rev., 76, 481 (2018)..腸内細菌は,ビタミン,神経伝達物質(セロトニンやγ-アミノ酪酸;GABA),短鎖脂肪酸を産生する.これらの細菌の代謝産物は,菌体から剥離した細胞壁の成分(リポポリサッカライドやペプチドグリカン)とともに,腸管神経系や迷走神経を刺激し,それが中枢神経系に伝達されて宿主の情動や行動に影響を与える(1)1) M. H. Mohajeri, G. L. Fata, R. E. Steinert & P. Weber: Nutr. Rev., 76, 481 (2018)..逆に,宿主由来の胆汁酸やα-ディフェンシンなどの抗菌ペプチドは腸内細菌叢を変動させる(1)1) M. H. Mohajeri, G. L. Fata, R. E. Steinert & P. Weber: Nutr. Rev., 76, 481 (2018)..
精神的ストレスが腸内環境に与える影響を解析するため,筆者らの研究グループは社会的敗北ストレスをC57BL/6Jマウスに負荷し,回腸の遺伝子発現解析を行った(2)2) A. Aoki-Yoshida, R. Aoki, N. Moriya, T. Goto, Y. Kubota, A. Toyoda, Y. Takayama & C. Suzuki: J. Proteome Res., 15, 3126 (2016)..社会的敗北ストレスとは,若齢で小型のC57BL/6J雄マウスを週齢が高く大型のICR雄マウスの飼育ケージ(縄張り)に同居させることで攻撃させ,精神的ストレスを誘導する方法である.社会的敗北ストレス負荷による症状(不安様行動や社交性の低下)は抗うつ薬の投与により軽減されることから,社会的敗北ストレスはヒトのうつ病のモデルとされる.
社会的敗北ストレスが負荷されたマウスでは,糖鎖の末端にα1,2フコースを付加するフコース転移酵素2(Fut2)の遺伝子発現の低下が観察された(2)2) A. Aoki-Yoshida, R. Aoki, N. Moriya, T. Goto, Y. Kubota, A. Toyoda, Y. Takayama & C. Suzuki: J. Proteome Res., 15, 3126 (2016)..α1,2フコースのような糖鎖の末端に付加されるフコース(ルイス型フコース)は,食品成分や腸内細菌と腸管上皮細胞との相互作用を仲介していると考えられる(3)3) J. M. Pickard & A. V. Chervonsky: J. Immunol., 194, 5588 (2015)..そこで,レクチンマイクロアレイの技術を用いて社会的敗北ストレスの負荷が,腸管上皮細胞の糖鎖パターンに与える影響の解析を試みた(4)4) Y. Omata, R. Aoki, A. Aoki-Yoshida, K. Hiemori, A. Toyoda, H. Tateno, C. Suzuki & Y. Takayama: Sci. Rep., 8, 13199 (2018)..レクチンマイクロアレイとは,糖鎖の特異的な構造を認識し結合するタンパク質であるレクチンとサンプル中の糖鎖との結合強度を網羅的に解析することで糖鎖パターンのプロファイリングを行う技術である(5)5) J. Hirabayashi, M. Yamada, A. Kuno & H. Tateno: Chem. Soc. Rev., 42, 4443 (2013)..
社会的敗北ストレスを10日間負荷したC57BL/6Jマウスおよびコントロールマウスの腸管上皮の糖鎖パターンを比較したところ,解析に用いた96種類のレクチンのうち,ストレス負荷により9種のレクチンの結合強度が有意に低下した(4)4) Y. Omata, R. Aoki, A. Aoki-Yoshida, K. Hiemori, A. Toyoda, H. Tateno, C. Suzuki & Y. Takayama: Sci. Rep., 8, 13199 (2018)..うち8種はα-1,2フコース結合レクチンであった.このことから腸管上皮糖鎖におけるα-1,2フコースの減少が推定された(4)4) Y. Omata, R. Aoki, A. Aoki-Yoshida, K. Hiemori, A. Toyoda, H. Tateno, C. Suzuki & Y. Takayama: Sci. Rep., 8, 13199 (2018)..α-1,2フコースのみを認識するレクチンであるTJA-IIの結合をフローサイトメーターにより定量化した結果,社会的敗北ストレス負荷により,TJA-IIの結合が30%程度に低下しており,レクチンマイクロアレイの結果が裏付けられた(4)4) Y. Omata, R. Aoki, A. Aoki-Yoshida, K. Hiemori, A. Toyoda, H. Tateno, C. Suzuki & Y. Takayama: Sci. Rep., 8, 13199 (2018)..また,フコース転移酵素の遺伝子であるFut1およびFut2の発現低下も小腸下部でのみ観察され,腸管上皮細胞のフコース転移酵素の発現量の低下がフコシル化糖鎖の減少の原因であることが示唆された(4)4) Y. Omata, R. Aoki, A. Aoki-Yoshida, K. Hiemori, A. Toyoda, H. Tateno, C. Suzuki & Y. Takayama: Sci. Rep., 8, 13199 (2018)..
胃・小腸・大腸などの消化管上皮の内腔側に発現しているタンパク質の多くはフコシル化糖鎖により修飾されている(3, 6)3) J. M. Pickard & A. V. Chervonsky: J. Immunol., 194, 5588 (2015).6) Y. Goto, S. Uematsu & H. Kiyono: Nat. Immunol., 17, 1244 (2016)..胃や大腸の上皮のフコシル化の程度は比較的一定であるが,小腸特に回腸のフコシル化レベルは高く環境要因の影響を受けて変動する(3)3) J. M. Pickard & A. V. Chervonsky: J. Immunol., 194, 5588 (2015)..小腸のフコシル化レベルを変動させる主要な因子として腸内細菌(と菌体成分)がある(3, 6)3) J. M. Pickard & A. V. Chervonsky: J. Immunol., 194, 5588 (2015).6) Y. Goto, S. Uematsu & H. Kiyono: Nat. Immunol., 17, 1244 (2016)..このことは,SPFマウスでは回腸の上皮細胞のフコシル化レベルが激減し,腸内細菌の侵入に伴って回復する知見から裏付けられる(3)3) J. M. Pickard & A. V. Chervonsky: J. Immunol., 194, 5588 (2015)..糖鎖末端のフコースは,腸内細菌の腸管への付着部位として機能する(3)3) J. M. Pickard & A. V. Chervonsky: J. Immunol., 194, 5588 (2015)..さらに,腸内細菌の中にはfucosidaseを発現しているものがあり,宿主の腸管上皮細胞からフコースを取り込んで栄養源(炭素源)とするほか,自らの分子をフコシル化修飾するための材料に用いる(3, 6)3) J. M. Pickard & A. V. Chervonsky: J. Immunol., 194, 5588 (2015).6) Y. Goto, S. Uematsu & H. Kiyono: Nat. Immunol., 17, 1244 (2016)..このように,フコースは腸管において宿主と腸内細菌の相互作用を仲介する分子であり,ストレス負荷による腸管上皮のフコシル化糖鎖の減少は,腸内細菌叢の変動をもたらす可能性が高い(図1図1■フコースを介した腸内細菌と腸管上皮細胞の相互作用).本研究の成果は,精神的ストレスの負荷によって腸内細菌叢が変動する「腸内細菌–腸–脳相関」のメカニズムの解明につながると期待される.
腸管上皮はフコース転移酵素2(Fut2)を発現しており,内腔側に発現しているタンパク質の多くはフコシル化修飾を受けている.ある種の腸内細菌はFut2の発現を誘導する.精神的ストレスの負荷によりFut2の発現が低下することで,腸内細菌の腸管上皮細胞への付着部位であるフコシル化糖鎖が減少し,腸内細菌叢が変動する要因になると考えられる
食品成分やプロバイオティクスにより腸内環境が改善されれば,ストレス負荷による不安や抑うつの症状の緩和につながる.腸管上皮のフコシル化糖鎖を非侵襲的に測定できれば,精神的ストレス負荷の指標とすることが可能になり,ストレス軽減作用をもつ機能性食品の開発に貢献すると期待される.
Acknowledgments
本稿で紹介した研究は,SIP(戦略的イノベーション創造プログラム)「次世代農林水産創造技術」「食シグナルの認知科学の新展開と脳を活性化する次世代機能性食品開発へのグランドデザイン」の一環として行ったものです.
Reference
1) M. H. Mohajeri, G. L. Fata, R. E. Steinert & P. Weber: Nutr. Rev., 76, 481 (2018).
3) J. M. Pickard & A. V. Chervonsky: J. Immunol., 194, 5588 (2015).
5) J. Hirabayashi, M. Yamada, A. Kuno & H. Tateno: Chem. Soc. Rev., 42, 4443 (2013).
6) Y. Goto, S. Uematsu & H. Kiyono: Nat. Immunol., 17, 1244 (2016).