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異臭の原因物質を見つける原因物質特定のための分析技術

Katsura Sekiguchi

関口

アジレント・テクノロジー株式会社

Published: 2019-08-01

人間の五感のなかでも,嗅覚は生活の質を左右する重要な感覚である.心地よい香りで癒されることもあれば,いやな臭いで不快な経験をすることもある.異臭による苦情は食品,材料,環境などさまざまな分野で起こりうるため,常に関心の高い分析対象である.

においの感じ方は個人差が大きく,同じにおいでもよい/悪いと異なる印象を受け,さらには感じる/感じない,また表現方法も感じる人の経験が大きく影響する.異臭の原因物質を特定するには官能試験だけでは難しいことが多く,ガスクロマトグラフィー質量分析法(以下,GC/MSと略する)などを使用した機器分析が重要な役割を果たす.原因物質を特定できれば,発生の要因を微生物による発酵,部材の劣化,試料の置かれた環境による移り香などから推測して対策を講じることができる.原因物質をより早く,正確に特定するために筆者らは質量分析法と専用のデータベースを組み合わせ,異臭分析ソリューションの開発を行ったのでその取り組みを紹介する.

ガスクロマトグラフ(GC)で多成分の混合物である測定対象物をキャピラリーカラムで分離し,質量分析計(MS)で検出すれば分離されたピークのマススペクトルが得られる.化合物は特有のマススペクトルをもっているため,一般的に広く使われているNISTなどのマススペクトルライブラリを用いて検索を行えば各ピークの同定を行うことが可能である.しかし,食品や材料から発生する異臭成分を分析する場合,残留農薬分析や薬物分析のように測定対象化合物と基準値が決められた分析ではないため,網羅的に対象成分を捕捉できる条件で測定を行って原因物質を探さなければならない.ヒトがにおいを感じる嗅覚閾値も化合物によって大きく異なり,さらには普段はよいにおいと感じる化合物でもほかの成分との組み合わせや成分間のバランスで異臭と感じることもある.異臭分析の難しさは前処理を含めた分析技術のほかに,においに関する知識やノウハウが必要となる点にもある.そこで,異臭分析が初めてのヒトでも原因物質の推定までできるようにハードウェア,分析条件,解析ソフトを含めたソリューションの開発ができないか,検討を行った.

異臭の原因物質をより早く,正確に特定できるようにするために,過去の事例や実績を中心ににおい成分を集め,マススペクトルに加えてにおいの種類や嗅覚閾値を,さらに推奨の分析条件で測定した場合の保持時間(RT: Retention Time)および保持指標(RI: Retention Index)の情報を含めたデータベースを作成した.分析対象化合物が微量の場合にはマススペクトルによる化合物のライブラリ検索だけでは定性の精度が低い場合もあるが,RTの情報が加わることで格段に定性確度が上がる.

しかし,実際の分析ではカラム間の長さの僅かな違いや,メンテンナンスに伴うカラムカットによりRTをデータベースと同じにすることは一般的に容易でない.ここで,リテンション・タイム・ロッキング(1)1) L. M. Blumberg & M. S. Klee: Anal. Chem., 70, 3828 (1998).(RTL)の手法を使えば,注入口圧力と保持時間の関係式からデータベースに登録された保持時間に溶出されるように注入口圧力の計算ができ,補正計算なしの絶対値でRTの情報を定性に活用することができる.推奨の分析条件ではRTがデータベースに合うように計算ツールを作成し,はじめに実際に使用したカラム流量設定値とロッキング用化合物を分析して得られた保持時間を入力すれば新しいカラム流量設定値が自動で計算できるツールも提供できるようにした.

異臭分析の対象成分はにおいを感じたとしても原因物質は微量であることが多く,分析機器で検出できるようにするには濃縮などの前処理過程を要する場合が多い.濃縮を行うと夾雑物も同じように濃縮され,GCカラムでピークが完全には分離しない状況が生じる.GC/MSで得られる全イオン電流クロマトグラム(TICC)上では単一のピークに見えていても,その中には複数の化合物が含まれていることがあるためスペクトルによる検索が困難になってしまう.このような場合には解析の手段としてデコンボリューションアルゴリズム(2)2) AMDIS: https://chemdata.nist.gov/dokuwiki/doku.php?id=chemdata:amdisを利用するのが有効である.デコンボリューションでは個々の抽出イオンクロマトグラムを描写し,ピーク形状とRTが同じ抽出イオンクロマトグラムをグループ化し,マススペクトルを再構築することでより純度の高いマススペクトルが得られる.これにより,夾雑成分の影響を抑えた精度の高いライブラリスペクトル検索が可能になる.

異臭の原因物質の特定には,GC/MSに選択型の検出器を組み合わせ,データを同時に取り込むことも有効である.最も多い組み合わせとしてはにおい嗅ぎ検出器(ODP: Olfactory Detection Port)がある.ヒトがにおいを感じた時間と,鼻で感じたにおいの種類を記録できるのでMSのスペクトル情報と組み合わせると原因物質が絞られ,特定が容易になる.異臭の原因物質の候補としてあがることの多い硫黄化合物であればSCD(Sulfur Chemiluminescence Detector)を組み合わせることができるが,いずれの検出器を組み合わせた場合も同じようにRTでデータベース検索ができるようにした.前処理装置も液体注入,ヘッドペース法,SPME(Solid Phase Micro Extraction)熱脱着法(TD: Thermal Desorption)で適用できるか確認したところ熱脱着法だけは軽い成分が通常よりも遅めに溶出するためRTよりもRIがよい結果が得られる場合があったが,ほとんどのケースではRTをそのまま使うことが可能であった.

このようにRTLにより,異なる装置間でもRTをデータベースに合わせて高い精度で再現でき,異臭分析では原因物質の同定精度を大きく向上させるのに役立つことがわかった.解析にかかる時間を短くし,結果の信頼性を高めることにつながる技術であり,ソリューションとしての有用性が高いことが確認できた.

今後はさらに迅速な解析のためにデータベースに登録されている化合物の有無を高精度で判定するターゲットデコンボリューション(3)3) 杉立久仁代,服部直美,関口 桂,佐久井徳広,野原健太,中村貞夫:日本食品衛生学会第114回学術講演会講演要旨集,105 (2018).の手法も開発中である.

Reference

1) L. M. Blumberg & M. S. Klee: Anal. Chem., 70, 3828 (1998).

2) AMDIS: https://chemdata.nist.gov/dokuwiki/doku.php?id=chemdata:amdis

3) 杉立久仁代,服部直美,関口 桂,佐久井徳広,野原健太,中村貞夫:日本食品衛生学会第114回学術講演会講演要旨集,105 (2018).