解説

サソリ毒に含まれる生理活性ペプチドの多様な構造巧みに設計されたサソリ毒素

Diverse Structures of Bioactive Peptides in the Scorpion Venom: Well-Designed Scorpion Toxins

Masahiro Miyashita

宮下 正弘

京都大学大学院農学研究科応用生命科学専攻

Published: 2019-08-01

サソリは大きなハサミと尻尾の毒針を使って獲物を捕らえる.このような独特の形態とダイナミックな行動によって古くから人々の興味を引いてきた.しかし研究者にとってのサソリの魅力は「毒」自体にある.生存競争に負けないために,一部の生物は武器となる毒を作り出した.長い進化の過程で磨き上げられた生物毒は鋭い切れ味をもち,一瞬にして獲物の動きを止めることができる.サソリもこのような毒を多くもつが,これらは役割に応じた生理活性を示すことができるよう巧妙に設計されている.本解説においては,サソリ毒に含まれる多様な生理活性ペプチドについて,主にその構造に焦点を当てて紹介する.

毒という武器をもつサソリ

砂漠で横たわる男の足をつたって登ってくるサソリ.それに気づいた男は慌てて振り落とし「危うく命を落とすところだった」とつぶやく.サソリというと,このような映画のワンシーンを思い浮かべる人も多いのではないだろうか.実はこのような「砂漠に潜む恐ろしい生物」というイメージはたいていのサソリには当てはまらない.昆虫記で有名なファーブルはその本の中でサソリについても記述しているが,彼はわざわざ砂漠がある地域にまで出かけてサソリを観察したわけではない(1)1) ジャン・アンリ・ファーブル,奥本大三郎翻訳:“完訳 ファーブル昆虫記”第9巻下,集英社,2015..ファーブルは自分の住む南フランスの町で見つけたサソリ(ラングドックサソリ,学名Buthus occitanus図1図1■ラングドックサソリ(左)[Buthus occitanus(©Álvaro Rodríguez Alberich, CCBY-SA 2.0)を改変],ヤエヤマサソリ(右上),マダラサソリ(右下))を題材にして書いており,もちろんそこに砂漠は存在しない.フランスでサソリというと意外に思われるかも知れないが,サソリは南極を除くすべての大陸において存在が確認されている.つまり,砂漠のような乾燥地域だけでなく,森林のような湿潤な場所や高山地域のように寒い場所などさまざまな環境にサソリは生息している.日本においても筆者らが研究対象としているヤエヤマサソリ(学名Liocheles australasiae)とマダラサソリ(学名Isometrus maculatus)が先島諸島などに生息している(2)2) Scorpiones.pl: http://scorpiones.pl/maps/図1図1■ラングドックサソリ(左)[Buthus occitanus(©Álvaro Rodríguez Alberich, CCBY-SA 2.0)を改変],ヤエヤマサソリ(右上),マダラサソリ(右下)).また,人間が命の危険にさらされるような猛毒をもつサソリというのも実は少数である.現在のところ2,400種を超えるサソリが確認されているが(2019年3月時点),そのうちの30種程度しか人間に対して深刻な症状を引き起こすような毒をもたない(3)3) The Scorpion Files: https://www.ntnu.no/ub/scorpion-files/intro.php.ほかの多くのサソリは,地面に転がる石の下や樹木の皮の下にひっそりと潜んで餌となる生物がやってくるのを待ち,それを捕らえるために毒を使っている.冒頭に書いたような恐ろしいサソリというイメージはむしろ例外的と言ってよいぐらいである.