Kagaku to Seibutsu 57(9): 554-561 (2019)
セミナー室
令和時代の論文執筆科学描写と実技演習
Published: 2019-09-01
© 2019 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2019 公益社団法人日本農芸化学会
万葉集が典拠の「令和」の名の時代に,新しい千円札の顔の絵には北里柴三郎が選ばれた.科学技術では生命を尊ぶ研究観に力点の置かれるような未来になるよう,筆者は期待を寄せている.新時代における研究者の執筆について,次の論点があると考える.言語修辞的,倫理的,歴史的な視座から論じる.
科学者らしく書く,科学的に書くとはどのようなことか.第一歩としては,これまでの連載3回分で述べてきたとおり「英文執筆の基礎」や「専門知識をわかりやすく伝える基礎」,「日本語での学術的文章作成の基礎」をそれぞれごとに理解し実際に書いてみて習得してもらうことが必要だ.基礎を習得すれば授業の評定を意識した執筆力のレベルは問題なく到達できるだろう.
では,さらに言葉を綴るとき,詩人が「詠む」のと研究者が「書く」のとで,どこに違いがあるのだろう.この疑問を理工系大学院の作文講義で大学院生へ問いかけ,真剣に考えてもらったことがある.予想を上回る有益な議論となった.
まず,フィクションとノンフィクションの違いは明白だ.「嘘」にまつわる姿勢が違う.詩人のようなフィクションの執筆では,想像した嘘をもとにして真実を表現する.研究者は,嘘をついてはいけない.仮説が嘘ではなく確からしいことを検証して報告文を書く.形式や語彙表現を詩人は自由に選べるが,研究者は論文の形式で専門用語を用いて執筆する.
詩人と研究者の執筆には,共通点もある.それは,「比喩」である.発想に新規性やオリジナリティをもたせるために,例えを用いる.比喩がうまく働けば,わかりやすくなり説得力も増す.詩人は想像力の表現として詩情の世界観を描くために比喩を用いる.研究者は論理的な思考表現を手助けするうえで比喩を用いる.比喩の使用は共通しているが,比喩表現の目的に詩人と科学者で違いがある.
iPS細胞やAI(人工知能),ゲノム編集も比喩による造語だ.研究分野でのインパクトや社会的な普及につながっている.科学発見の歴史をたどっても,有機化学者ケクレはベンゼンの構造を鎖や円のわかりやすい図で説明し,物理学者ラザフォードは原子物理学の概念を太陽系にたとえて提唱した(1)1) J. Fahnestock: “Rhetorical figures in science,” Oxford University Press, 1999, p. 4..最新の科学ニュースにある宇宙物理学の用語「事象の地平線(Event horizon)」も物語的な想像をかきたてる.説得力のある科学的な造語となっている.
このように研究者でも科学者らしく書くうえでの創意工夫ができる.論理的に書くときにも,比喩を代表とする言語的な修辞が使用されるのである.そして修辞がよく効く場合がある.発見した現象の定義や概念に名前をつけるのは,始めはもののたとえにすぎない.比喩として命名している.始めの段階では,詩人が言葉を飾るのと同じなのだ.それを仮説として検証し,確からしい結論へと導く.そうすることで,ようやく科学者らしい書き方になる.論理的記述に加えて発想力豊かな言語表現も論文執筆における腕の見せ所となる.
論文では,仮説を提示した後に検証の記述において結果・考察で筋道の通った説明が無事にできなければ,残念ながら説得力に乏しいか,もしくはねつ造扱いになってしまうことがある.掲げた仮説の比喩が強いメッセージをもっていても,実験データや分析を並べて筋道のついた立証をできなければならない.STAP論文騒動で思い知らされたのはそのことだった.もし科学の現象を発見して発表をしてみたいのであれば,論文著者がまず納得のいく検証をできていなければならない.
この頃では論文ねつ造のニュースが後を絶たない.画像処理や文章執筆のテクノロジーが発展し恩恵に授かっているが,テクノロジーは使いこなし方に細心の注意を要する.研究者は詩人とは役割が違い,「嘘」の言語で読み手を楽しませるわけにはいかない.論文執筆において,嘘ではなく「確からしさ」を伝えることが専門家としての研究者の責務だ.過去の科学論文の成功例と失敗例の両方から学び,研究倫理観を磨く.
論文の執筆と出版をするうえで,社会や科学技術全般の動向には関心をもっておきたい.新聞や雑誌で科学記事を読み,研究室や学会などでこれからの科学技術のありかたを活発に議論することを勧める.そのような社会基盤を前提にしながら,そこでようやく自身の専門の未来を思い描くことができる.
実験や論文執筆で行き詰まったら,気分転換に読書を勧める.専門ジャーナルはもちろんのこと,図書館や書店を歩いて興味深い本を見つけ,夢中になって読んでみるのは無駄なことにはならない.視野が広まり,歴代の偉人の研究に感動すれば,ねつ造の誘惑など無駄であると目が覚める.豊かな想像と思考で再出発ができる.
21世紀になって,科学技術の進歩の速度は目覚ましい.情報技術や生命工学の分野に関しては,20年か30年かかると考えられていた事柄が5年か10年で実現している.20世紀のSF小説で描かれていた世界が現実になったり,科学の新発見が奇想天外な小説の想像さえ飛び越えているような気がしたりすることもある.
サイエンスライターの業界で,昭和から平成にかけての変遷を見届けた物書きの先輩から助言をもらう機会がある.専門知識をわかりやすく伝えることにとどまらず,一つの事象のプラスとマイナスの両面に目を向けることを強調した声が多い.牧野賢治氏の言説では,2005年以降に日本では科学コミュニケーションが活発化し,科学を伝えるための広報やライターの人材が増えて予算も割り当てられたが,「科学ライター育成のバブルにあるが,バブルの後にも日本で科学ジャーナリズムが発展するべきで,複雑な社会問題に向き合うべきだ」と述べている(2)2) M. W. Bauer & M. Bucchi: “Journalism, science and society: science communication between news and public relations,” Routledge, 2007..また,柴田鉄治氏の解説では,日本で昭和から平成まで科学報道が原子力や宇宙開発など歴代の出来事とともに発展したが,他方で公害や薬害のような社会問題については報道・情報発信の遅れも理由となって被害が防げなかったことを指摘している(3)3) 柴田鉄治:日本科学技術ジャーナリスト会議会報,90, 1 (2019)..また,前出の柴田氏の記事でも言及されているが,科学報道の重要なターニングポイントの一つとして1969年のアポロ11号の月面着陸があるだろう.テレビのブラウン管を通じて地球を一つの星の姿として眺めることで,1970年代は環境問題に注目が集まったという.それとはうらはらに1979年にはスリーマイル,1986年にはチェルノブイリ,そして2011年には福島で原発問題が起き,環境への影響がいまも議論中であるのはご存じのとおりである.
このような科学の社会への影響について,研究者やジャーナリスト,ライターのような「科学の書き手」がいかに真摯に向き合い論文執筆を含め情報発信をし続けるのか.それはいつの時代にも課せられた重要な役割である.適度なバランス感覚をもち,科学技術のさまざまな側面から目を背けず研究者は論文を書くこと.それはおそらく難しいときがある.そのように研究者が書けるようになるための教育や学修環境が求められる.
筆者は,東日本大震災の後に子どもたちの健康や心の平穏を願って,児童書の企画の機会を得ることがあった(4)4) 星の王子さまと10人の探究者たち:“目に見えないもの,”講談社,2013..企画ではゼロ,嘘,愛など,一つのテーマについて脳科学,社会科学,言語学など3名の専門家から話を聞くというやや論文の導入部のような構成の内容に仕上がった.その児童書では,哲学的な問いに対して,一つの回答を与えるよりはさまざまな物の見方や考え方,視点があるのだと子どもたちへ伝えたかった.タイトル「目に見えないもの」は,湯川秀樹の書籍名へのオマージュであった.湯川の時代と今とでは,放射線についての社会的文脈が全く違ってきている.研究者は一つのテーマに焦点を当てつきつめることが必要であるが,同時に,これからはテーマを多面的に捉え,寛容さが求められる時代である.違う視点にも耳を傾けてみることで,さらなる研究の進展に功を奏するかもしれないのではと考えている.
日本のこれからのこと,国際的な視点,いずれにも慈悲や配慮のような姿勢が求められる時代であり,そのような姿勢を研究者の論文執筆や言語表現において実践するのはたやすいことではない.それでも,試みることに価値がある.平和であることや安全であることは,科学技術を含めて,あらゆる専門分野のたゆみない努力と貢献によって維持されている.それは確かなことである.
言語や文章を分析する専門分野で,科学論文分析の分野がある.「科学技術修辞学」という.その分野の研究では,前出の「科学者と比喩表現」のような事柄を取り扱っている.また,「謙虚さの表現」も大事なトピックとして議論がなされている(5)5) A. G. Gross: “The rhetoric of science,” Harvard University Press, 1996, p. 62..たとえば,ワトソンとクリックがDNAを発見した論文における控えめな表現,ニュートンが光学の発見をしたときに何十年もかけ論文を謙虚に推敲してデータや説明方法を修正することによって齢60を過ぎてから学術コミュニティに受け入れられたことなどが挙げられる.
最新の文章分析研究によると,大学で学部生と大学院生の執筆力を比較すると,論理表現の緻密さに違いがあるのだという(6)6) L. Aull: Writ. Commun., 36, 267 (2019)..謙虚な表現が大学院生のほうに多く使用され,断言する表現は学部生のほうに多い.
論文執筆ができるレベルになるまで執筆の実力が習熟するためには,いくつかの能力を身につけなければならない.まず,引用文献を用いて論理の枠組みを構築できる能力が必要である.そのときに,コピペではなく自身の考えを論述できる能力が求められる.さらには,論文作成では長文原稿を書き上げなければならない.科学的根拠に基づき,一字一句,専門用語や動詞などを適切に選択し,それをある一定期間の長時間にわたり持続できるような執筆力も求められる.これらが原稿でできているのかを自問自答できるのなら,謙虚で緻密に書けるようになっている.
科学技術の論文執筆やプレゼンテーションというと,いかに説得力をもたせられるのかが注視されているが,謙虚さも大事な要素なのである.本連載のタイトルも,「謙虚さ」に重きを置いている.日本人の得意とする謙虚さを論文執筆でどのように実践できるのか,もう一度考えてみる余地がある.
さて,本稿の後半では理系作文教育について述べる.現在,勤務先のアカデミックライティングセンターは大学図書館2階の一角,多目的エリアの一部に位置しており,筆者は日々,学生や大学院生からのライティングの相談を受け付けている.時には授業担当教員が来室し,大学での作文教育について語り合うこともある.天気の良い日には大きな窓から柔らかな陽の光が降り注ぎ,開放的な雰囲気であると同時に,図書館内の静けさがその場の空気を作っている.山積みの書類や実験器具が置いておらず,ほかの用事や都会の喧騒から暫し遠ざかり,広々とした机に向かう.ゆったりと椅子に腰掛けて,目の前の原稿に取り掛かる.執筆にはうってつけの環境だ.
ライティング教育では,音楽の楽器演奏やスポーツの試合でのプレーと同じように,基礎練習に加えて実技訓練が必要だ.基礎知識の習得は必要であるものの,それだけでは書けるようにならない.相談にきた学生になるべく実際に書く作業に取り組んでもらい,傍らで見守る.もしくは,なるべく書いてきたものを持参してもらう.授業のレポート作成では課題を理解してレポートを書き上げることが目標となり,卒業論文や修士論文,博士論文では指導教員とのコミュニケーションを支援しつつ質・量ともに提出しうる原稿に仕上げることが目標となる.
一見シンプルで簡易に書かれたような文章が,実は丹念に練られている.新しいこの令和時代に,若手研究者が執筆能力で初級から中級,上級へとステップアップをするためには,どのような実技訓練が有効なのだろうか.ライティングセンターでのライティング演習とディスカッション演習で見えてきたことについて,以下に記述する.
この春,ライティングセンターで10名の大学院生へ向けて少人数制の研修を実施した.研修後の大学院生はチューターとなり,後輩の学生に対する作文支援の実践者になる.週2, 3回程度の勤務が一般的で,学外のアルバイトや学内でのほかの実験テーチングアシスタントなどとは一味違った役割を担う.ライティングセンターで大学院生のチューターは学生への個別相談に対応しながら,教えることで執筆力のノウハウを身につけていっている.
研修などで作文トレーニングをするときに筆者がこだわっている事柄を以下に述べる.
研修は,講義から始めない.まずは執筆から始める.インデックスカードのような厚手のメモ用紙を配り,まずは「いま自分の書きたいこと」や「書かなければならないこと」,もしくは研修で同期の仲間へ「伝えたいこと」を書いてもらう.15分から20分程度の時間を与え,書く作業をしてもらう.書く姿を観察していると,だいたい一人ひとりの執筆にまつわる個性や特徴を教員が把握できる.スラスラと文章が出てくる人もいれば,始めはまだ腕組みをしたまま考え込んで筆が止まったままの人もいる.キーワードを出してメモ書きをしている人もいる.一人ひとり違って良く,書くときのそれぞれの個性を教員が引き出して伸ばせたらと考えている.
あっという間に15分が経つ.グループの集中力を強めるために,教員の筆者もノートを開き,一緒になって執筆に向き合うときさえある.とにかく全員で執筆してみるのだ.驚くことに,誰かが熱心に文章を書き起こしていると,ほかの誰かも少しずつ言葉を書き始められる.一人,二人と書き進める人が増えて,いつの間にか全員がほぼ何かしら原稿を綴っている状態になる.
研修後に参加者の大学院生に意見を求めると,「短時間の執筆時間が有意義だった」という声が少なくなかった.理由はいくつも考えられる.普段の執筆作業は孤独であり,辛いこともある.その時間を共有することによって,執筆のたいへんさが軽減されるまではいかなくとも,苦労を共有できる.また,普段の研究活動では実験を優先しなければならないことが多く,時間を執筆に費やすことがなかなかできないため,研修時間内にようやく書くべきテーマと向き合うことができているケースが少なくない.さらには,時間があってもなかなか集中ができない場合もある.グループで執筆に挑戦してみることで,「執筆の苦労が自分だけ味わっているものではないことがわかった」,「実験をしない時間を決めて,思考のみの時間をこれから作ろうと思う」という意見が出た.
執筆技術を伝授する以前に,まずは大学院生へ時間を与え,集中的に執筆してもらい,教員が見守る.そしてサイエンスの中身に作文の教員が立ち入ることはない.こういった状況でトレーニングを受けられるのは,意外にも,ライティングセンター以外の教育支援施設ではありそうでなかったのだ.数日間にわたり15分間の執筆トレーニングをグループワークで積み重ねると,次第に習慣になってくる.習慣になれば,たとえ一人の学修環境に身を置いてみたとしても,トレーニング前後では集中の度合いや書き始めの速やかさが違う.
留学先での執筆練習は,大きなプロジェクトになればなるほど計画書の提出が必須であった.計画書を提出した後に教員から助言があり,計画書を加筆修正して再提出する.計画書が受理された後にようやく執筆プロジェクトを実施でき,プロジェクト完了後には報告書も提出する.計画書,執筆プロジェクト,報告書という順に原稿作成をしており,表1表1■執筆プロジェクト 計画書と報告書 基本項目のような項目を書くのが一般的だ.単にプロジェクトを実施するよりも計画と報告の時間を加えることで長めに執筆の期間を設定し,準備を進める.詳細を以下に記す.
計画書・企画書(Plan/Proposal) | 報告書(Report/Project analysis) |
---|---|
1. 概要(Summary) | 1. 概要(Summary) |
2. 背景(Background) | 2. 目標(Goal) |
3. 目標(Goal) | 3. 目的(Objectives) |
4. 目的(Objectives) | 4. 提出先(Audience) |
5. 執筆プロジェクト(Activities) | 5. 戦略(Strategies) |
6. 提出先(Audience) | 6. 評価(Evaluation) |
7. 戦略(Strategies) | 7. 今後の課題(Issues) |
8. 日程(Timetable) | |
9. 予算(Budget) | |
10. 評価(Evaluation) | |
11. チームメンバー(Team) |
プロジェクトの実施前に作成する書類は,計画書(Plan)もしくは企画書(Proposal)と呼ばれる.原稿執筆の目標を定め,取り組みの様子を数値などで量的にも評価することになっている.目標は目指すべき事柄で,目的には「1日で2,000字を書く」など数値で評価可能な行動や「執筆のペースメーカーとしてTwitterを始める」,「月1回ごとに指導教員と面談をする」のような達成可能な行動を具体的に書く.計画書を作成しながら執筆を進めるうえでの「問題点」や「優先項目」,「スケジュール」,「経費」などを事前に明確にしておく.計画書ではプロジェクトの背景を記載するために文献調査も欠かせないから,論文のイントロダクションがある程度の分量を書けている状態でプロジェクトを実施することにもなる.執筆プロジェクト終了後,プロジェクトの内容を論文にする機会も念頭に置き,論文執筆の準備としても計画書の作成は有用である.
学生や大学院生がポスドクの研究者や社会人になると,予算申請や企画書を提出する機会が増える.もちろん,学生時代に授業の課題でシンプルに調べものや考えをレポートの原稿にすることはもちろん基礎的なトレーニングとして欠かせないが,計画書や企画書を作成するトレーニングも日本でさらに大学作文教育で徹底されるとなおよい.
この世の中を動かしているのは,計画書や企画書であることも少なくない.それは申請が通って初めてプロジェクトが実施されるからである.学生時代から客観的な基準によって受理・再提出などの評価を受ける経験を積み,文章を書き直す練習は,論文投稿はもちろんのこと研究現場の共同研究の打ち合わせやビジネスにおける商談などあらゆる状況で不可欠である.計画書によって漠然としたアイデアをゼロから1にできるから,他者とプロジェクトについて話し合うためのツールとしても活用できる.アメリカなど合理主義社会ではなおさらのこと,研究現場での議論やビジネスでの商談でもコミュニケーション能力の先にある「交渉術」が重要視されている.シンプルな対話をしているようでいて,実は巧妙なかけひきがくりひろげられるのだ.そして,そのための計画書や報告書の書き方の教育が展開されている.海外の現状を踏まえて,こちら日本では,日本の文化や人間関係構築の習慣に基づいてこれからどのような教育が必要なのだろうか.さらなる議論が必要である.
計画書が受理されると,いよいよ執筆プロジェクトがはじまる.文献調査や原稿執筆の項目,作業にかかる時間などを事前に決めてあるため,プロジェクトを進行させやすくなる.計画書を作成するのには時間がかかるが,綿密な計画を練るおかげでプロジェクトの時間的な効率化が計れる.自身の執筆内容のみならず執筆作業に客観的な姿勢をもって取り組めるため,プロジェクトが持続可能なものになりやすい.
研究活動の研究計画書や中間発表と同じで,執筆プロジェクトも計画や中間報告を提出するような機会はメリットとなる.万が一,問題が生じそうなときには教員や上司へ相談して軌道修正の検討ができるし,データ偽造を含めて不正を未然に防ぐことへもつながる.組織全体としても研究不正対策のための書類にできる.
一連の執筆プロジェクトが完了したら,次は報告書の作成をする.企画書での計画と実際の取り組みを照らし合わせて振り返り,良かったことと今後の課題をまとめる.指導教員やほかの学生から意見をもらい,自己の執筆力を客観的に評価できる機会となる.計画書作成の段階で掲げた目標の達成ができていたのか,計画書で述べていた評価基準はどのぐらい満たせているのか.厳密な自己評価の練習になる.うまくいかなかったことを正直に挙げてもらいながら,前向きに今後の取り組みへとつなげられるように,教育する側から促す.報告書の作成は,執筆プロジェクトの達成感を得られるし,成長の機会である.
論文でまとまった文章を書くために,日本語と英語をどのように使いこなすようになれば良いのか.英語教育ではさまざまな議論があるようだ.実験ノートやメモ用紙,論文原稿の下書き,こういった執筆プロセスにおいて英語をどの段階から使用して英文執筆をするべきなのか.諸説あるが,執筆者の英語習熟度によるもので適切な執筆プロセスが違ってくる,自身にとって心地の良い執筆プロセスを確立すべきであり,日本語での思考と英語での思考がひとつながりになれば英語での論文化が成功する.
現在はGoogle翻訳など機械翻訳が研究現場でも普及しており,紋切り型で禁止するのは効果がないかもしれない.Google翻訳の限界を教員が示して,科学的な議論を英語のキーワードとオリジナルな語彙で書けるように繰り返し助言し続けるようにしている.
よく聞く話ではあるが,実験のデータさえ出来上がれば,「論文を後は書くだけ」と考えている場合が少なくない.だが,論文執筆法の習得には時間もかかり,ある程度の数をこなさなければ予想を超えて難しいものである.同じデータであったとしても,説明の上手さによって内容のわかりやすさが違ってくる.
そもそも,論文執筆とは大学院生はもちろんのこと,ポスドクや中堅以降の研究者にとって業績になる大事な作業である.それにもかかわらず,普段の生活において,大学での教育やほかの業務よりも優先して論文執筆をすることは時に罪悪感さえ伴う.日本の大学研究機関,特に理系分野では,人手不足や予算不足により「論文執筆」もしくは「作文教育」にまでリソースが及ばないという声も多い.
まずは論文執筆について語り合う機会を増やしてみる.そうすることで,論文を出版する意義や研究を論文としてまとめることの価値を理解してもらえるきっかけ作りになる.普段,研究室ではサイエンスの議論が中心になり,学会要旨や論文は多忙を極める指導教員に添削してもらうのが一般的である.ライティングセンターなど作文教育の場では,論文執筆そのものについてより深く議論することができる.書き方について議論することで論文執筆の価値に気づき,興味も芽生えることだろう.
研究者にとって執筆は大事な仕事である.研究者として生涯を過ごしていくのであれば,「書こうとすること」はライフスタイルの一部となることだろう.昔から「文は人なり」と言われているように,馬鹿にはできない.研究者にとって論文執筆を含む言語表現は職業人としての立ち居振舞いであり,プロとしての佇まいであり,コミュニケーションの中心である.
研究活動では実験の構想段階から手法の検討,データの記録,結果のまとめと分析,そして考察まで実験ノートやメモ用紙にアイデアを書き綴る.仮説を掲げ,実験によって仮説を検証する場合にも,きっと何かしらのツールで思考を助けるメモをしているはずだ.論文はゼロから書き始めるのではなく,むしろ実験ノートやメモ用紙に書き綴ってきた事柄の集大成である.
書くべきことは,すでに実験ノートやメモ用紙にアイデアが蓄積している.特許申請のケースでは発見の証拠となるので,「実験ノートが知的財産である」ということもここで述べておく.研究者にとっては当たり前なのかもしれないが,論文執筆を念頭に置いて,実験ノートやメモを書く.そうすることで,論文執筆準備の下書きを作成し始めるときに,研究開始からの思考をいつでも辿れるようにできる.
ここで強調するべきは執筆習慣のスタイルを自身でもつことである.実験ノートの記録の付け方,メモの取り方に研究室それぞれで秘伝の方法があるかもしれない.ないかもしれない.いずれにせよ,これから研究者を志すときにも,社会人として企業などへ就職するときにも,自身の執筆習慣のスタイルをもっていれば,構想を練って下書きをして原稿をまとめる作業がしやすくなる.図を活用したり,箇条書きにしたり,それぞれの個性や特技を生かしたスタイルが良い.繰り返しメモを取ること,繰り返し論文執筆に挑戦することにより,自身の執筆スタイルを確立することを勧めている.それが自身の研究スタイル確立にも結びつく.
大学作文教育において心理学的な分析は大事なテーマの一つとなっている.作文は内容以前に,書き手の心理状況が出来栄えを左右することも少なくない.教育学では,「情意」という概念があり,学生の感情と学習意欲をどのように良い状態に維持できるのか,研究が進められている.執筆の「モチベーション」という表現はやや軽いが,書こうとする意志や気分を維持し続ける工夫は学生と語り合うトピックとして重要である.
なぜ書けないのか? 理由は人それぞれである.執筆の妨げとなっている事柄や苦手意識を英語では「ライターズブロック」と呼んでいる.それを言いわけに諦めるのではなく,客観的,現実的に状況を把握するように話を学生からよく聞く.そうすることで,どうすれば書けるのかが見えてくる.書けない理由が執筆技術の悩みによるものだけではなく,学習以外で心配事がある場合には,適切な対処方法を上司と相談のうえ検討して学内の他の支援部署と連携をとって解決に導く.
昨今の教育論では.学生が対話力や主体性を身に付けるようなプログラムが注目されている.少し前にはアクティブラーニングを導入する取り組みも目立った.これまでと違った方式に,教える側も教わる側も戸惑いが隠せないシーンがあるかもしれない.そのときは,「一言述べてみる」というトレーニングから始めると良い.些細な気づきでも良いので,発言してみる.その一言が学生の勇気になり,積極的な思考力へと発展していき,文章を積極的に綴る能力にもなっていく.照れや恥ずかしさ,不安といったものを誰でももっているので,教える側は学生の発言をまず受け入れて学生同士の議論を活発化させるようなファシリテートを心がける.そのような方針により研修でのディスカッション練習に取り組んでいる.
ライティングを学ぶために筆者が海外留学をしていたときのこと.執筆の授業はほとんどが少人数制でディスカッションを中心とするものであった.大量に読むことと書くことが課題で出され,授業では考えを述べ合う.「英語だから」という言語的な理由で考えがちだが,人間関係の構築の仕方や社会性,文化が言語コミュニケーションの表現に現れる.何かを述べるには,学生も先生任せではなく自身でもっと考えなければならないが,そこにお国柄が出るものだ.
よく語り合うためには,よく聞かなければならない.英語で言うところの語学力としてのリスニング力だけではなく,論理的に聴く.そして,同情心をもって聴くことで,思いやりをもってコメントができる.科学的に正しければ良いというのだけではなく,相手の発言とのつながりも気にかけたい.学生にディスカッションのトレーニングをするときには,意見の内容だけではなく意見を述べるときのマナーも教えると,人材育成としても効果がある.
執筆の作業工程についてディスカッションすることも,ディスカッションそのものにも,学生はあまり慣れていない.少しずつでも良いから,学生同士がディスカッションをできるように見届ける.このようなトレーニングは,一見ばかばかしいようでいて,足りていない.研究室での研究報告会や学内論文発表会,学会年次会でプレゼンテーションをするときにも,質疑の時間に丁寧な応答ができるようになる.さらには投稿論文で査読者コメントに適切な返答ができるようになる.学生の発言を促すことで思考を促し,積極的な論文執筆力の育成につながる.
アカデミックマナーを教えるときには,指導教員とのコミュニケーション,学生同士のコミュニケーション,対外的な学会の場などでのコミュニケーションなどがある.典型的な表現を伝えて,円滑な会話ができるように教員が見守る.敬語や言語表現で直すべきところがあれば,指摘してあげるようにしている.科学的な議論が白熱しているようなときでも,丁寧な言葉遣いをするように心がけることで人間関係の信頼が生まれる.アカデミックな文体で論文を書くためのトレーニングと,アカデミックに聴き,語り,対話できるようなトレーニングは,繋がっている.見る,聴く,話す,書くという思考や感覚を駆使して学びの能力を磨いてもらいたい.
研修では,参加した大学院生一人ひとりの執筆能力を磨き,ディスカッション力を育成し,相談受付を想定した練習もしている.さらには,グループワークでチームビルディングやマネジメント能力をつけると,現場で研究者の一員として有能な人材となっていく.筆者の実施した研修では,テーマを決めてグループでスライド作成と原稿作成をしてもらった.共通の目標をもつことで執筆力やディスカッション力を応用させ,そしてプロジェクトが完成すれば達成感を共有できる.教員の役割は,やり取りをじっと観察して,質問があれば回答をする.不適切な言動があれば助言をする.教員は講義をしないので楽になる印象があるが,場の雰囲気が適度に集中力を維持したものとなるよう一人ひとりの様子を気にかける.
MBAの授業でも使用されるような「プロジェクトマネジメント」(7)7) Project Management Institute: “A guide to the project management body of knowledge,” Project Management Institute, 2001.のテキストの理念を執筆プロジェクトにも適用し,個人だけではなく組織の業績評価にもつながるようマネジメント能力を鍛えるのも有用である.マネジメントの基本を知っている人材と知らない人材とではチーム運営に大きな差がある.日本の研究現場でも,倫理研修などでマネジメント力を育成できる機会があればなお良い.
新しい令和時代の論文執筆について,言語修辞的,倫理的,歴史的な視座から論じた.科学的に確からしいことは学術コミュニティへのインパクトだけではなく社会的な文脈も書き換えることがある.今日この日に科学ニュースとなる新発見は,もしかすると随分と遠い昔から準備を続けられていたことかもしれない.では,近い未来や遠い将来のために,自身の研究がどのように学術的議論や社会を創っていくことができるのだろう? 執筆演習やディスカッション演習のような場なども活用しつつ語り合い,対話の先には望ましい未来の姿を思い描ける.これまでの人類史,科学史へとつながり,未来へとつなげられる学術論文が,今日この日も日本のあらゆるところで綴られ続けていることだろう.
Reference
1) J. Fahnestock: “Rhetorical figures in science,” Oxford University Press, 1999, p. 4.
2) M. W. Bauer & M. Bucchi: “Journalism, science and society: science communication between news and public relations,” Routledge, 2007.
3) 柴田鉄治:日本科学技術ジャーナリスト会議会報,90, 1 (2019).
4) 星の王子さまと10人の探究者たち:“目に見えないもの,”講談社,2013.
5) A. G. Gross: “The rhetoric of science,” Harvard University Press, 1996, p. 62.
6) L. Aull: Writ. Commun., 36, 267 (2019).
7) Project Management Institute: “A guide to the project management body of knowledge,” Project Management Institute, 2001.