Kagaku to Seibutsu 57(9): 585-588 (2019)
追悼
森 謙治先生を悼む
Published: 2019-09-01
© 2019 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2019 公益社団法人日本農芸化学会
本会名誉会員で日本学士院会員の東京大学名誉教授森謙治先生は,2019年4月16日,心筋梗塞にて84歳で逝去された.先生は1935年3月21日にお生まれになり,岡山県有漢村(現在の高梁市)にて幼少期を過ごされた.豊かな自然環境の中で育った幼少期の体験が永遠の化学少年であった先生の原点と推察される.その後,東京都に引っ越され,都立新宿高校を経て東京大学理科I類に入学,1957年3月に東京大学農学部農芸化学科を卒業された.先生の興味は高校時代から化学史と有機化学へと向かい,自伝的回想録には「私にとっての有機化学の英雄はJustus von Liebigであり,彼のように実験と農芸化学をやりたいと思った」との記述が見られる.卒業研究および修士論文研究は生物化学研究室(舟橋三郎教授)で行い,リン酸化酵素に関する研究を推進された.先生の最初の論文はNature誌に掲載されており,「私の卒論はNatureだよ」と語りながらニヤリとする先生が思い出される.博士課程からは,生涯恩師と仰いだ松井正直先生率いる有機化学研究室に研究の場を移されたが,先生の自然科学全般に対する広範かつ深い知識と理解は,先生の経歴と無関係ではなかろう.
有機化学研究室においては,1962年3月に博士課程修了後,直ちに助手として採用された.その間,先生は植物ホルモン ジベレリンの合成に没頭された.ジベレリンは農芸化学において特筆すべき化合物であり,その合成を完遂することは先生や有機化学研究室のみならず農芸化学の悲願であったと言える.1967年12月,先生の努力はジベレリンの世界最初の化学合成として結実した.この偉業が先生の出世作であったことは言うまでもないが,その後の研究の方向性を決める重要な転換点となったこともよく知られている.先生自身の著書によれば,ジベレリン合成を完遂した先生に向かって有馬啓先生(発酵学研究室教授)は「やあ,森君おめでとう.とうとうできたなあ.だけどなあ,君忘れるなよ.Gibberella fujikuroiは3日でジベレリン作るぜ.君は9年かかったろう」とおっしゃられたそうだ.それ以降,先生は「有機合成の力を使って化学合成すべきものは何か?」を真剣にそして徹底的に考えられた.そして導き出した答えの一つが,後に先生のライフワークとなる昆虫フェロモンの合成研究である.
先生は1968年7月に助教授,1978年7月には教授へと昇進された.先生が生涯心血を注がれたのが昆虫フェロモンの合成研究であり,フェロモン合成の論文に付された通し番号は264にまで達している.264という数字そのものが先生の驚異的な多産性を雄弁に物語るが,その成果の総体として,「生物活性物質における立体化学と生物活性の相関は必ずしも単純ではない」との結論を得たことは,科学の歴史に残る偉大な業績である.先生の研究以前は,生物活性をもつ分子に対掌性が存在する場合,一つの鏡像体あるいは立体異性体にのみ重要な意味があり,それ以外には意味がないと考えられていた.これはある種のドグマであり,そこに疑問を差し挟まない科学者が圧倒的であった.ところが,先生の手による昆虫フェロモンの光学活性体合成研究は,次々とその範疇から逸脱する事例を世に示した.「自然界は多様である!」という当たり前の事実を,科学の世界に強く再認識させた功績は偉大と言わざるを得ない.また,結果的にフェロモンを用いた害虫の総合防除を支援・推進したことも先生の先見の明によるものである.先生の下には昆虫フェロモンに関する最新情報が集積し,世界中から合成の依頼が殺到していたが,先生はそれら一つひとつに誠実に対応されていた.
先生が晩年になって再び実験台の前に立ち“現役復帰”されたことはよく知られているが,84歳でこの世を去る3カ月前まで,ご自身の手で実験をされていた.その研究実験の成果を農芸化学会大会の一般講演でしばしば発表され,関係研究者に圧倒的な刺激を提供されていたことは記憶に新しい.先生の原著論文総数は850を優に超えるが,2014年以降に限っても,20編以上の論文が公表されている.そして,これら最晩年の論文のほとんどが先生自身の手による合成を基盤としていることに畏敬の念を禁じ得ない.農芸化学という学問領域は徹底的な実験第一主義を旗印としてきた歴史がある.その意味において,生涯,農芸化学者を貫いたのが先生であった.先生が開拓した新たな研究領域の一つが「微生物や酵素の有機合成への利用」であるが,先生はこれらの研究について,「農芸化学という学問領域に居たからこそできた研究である」と懐述しておられた.発酵の産物たる含水エタノールを大いに好まれたことも含め,先生は農芸化学の体現者と呼ぶにふさわしい研究者であった.
先生は化学に関しては厳しい方であり,かつ,単刀直入にものを言う方であったため,弟子たちに面と向かって厳しい言葉をかけることが時にあった.しかし,その厳しさの根底に優しさと温かさがあふれていることを感じていた(後にそれに気付いた)弟子たちは,厳しいお言葉を素直に受け入れることができた(後に受け入れることができた).先生は折に触れて恩師松井先生のお言葉を引用しながら,師匠譲りの人を大切にする教育・研究指導を実践された.多くの門下生を育て学界と産業界に送られただけでなく,ご自身でも多くの企業研究を支援された.先生の研究室には常に企業からの受託研究員が多数在籍したが,その最盛期には10社にも上った.東京大学ご退官後は,東京理科大学教授や理化学研究所顧問の任に就かれ,さらに教育・研究に貢献された.また,東京大学在職中より,国際化学生態学会,有機合成化学協会,日本農芸化学会などの会長を務められた.同時に多くの研究助成財団等の理事や評議員として育英と科学振興に寄与された.晩年の先生は,2015年12月からご逝去まで,日本学士院会員としてわが国の学術研究全体をご指導なさった.
以上の業績で,1981年に日本学士院賞を恩師松井正直先生と共同受賞された.その後,1992年日本農学賞・読売農学賞,1996年国際化学生態学会賞(Silver Medal),1998年藤原賞,1999年アメリカ化学会賞(Ernest Guenther Award for the Chemistry of Natural Products),2003年有機合成化学協会特別賞,チェコ共和国科学アカデミー賞(Šorm Medal for Merits in Chemical Sciences),2010年イタリア化学会賞(Chirality Medal)などを受賞された.また,2010年に瑞宝中綬章の栄誉を受けられている.そしてご逝去後に従四位が贈られた.名誉会員称号は,日本化学会,有機合成化学協会,日本農芸化学会,日本農薬学会,国際化学生態学会から贈られている.
先生はキリスト教を精神的支柱とし,家族と化学をこよなく愛された.教育者・研究者としてのモットーは「思考・努力・忍耐」であり,門下生の門出には直筆の色紙を贈られた.先生は心に響く言葉を数多残されているが,その中から私の独断で2つを選ぶなら,「若者よ,良い仕事をしようよ!ところで○○君,良い仕事とは何だい?」と「俺はインチキは嫌いだ!」を挙げたい.そして,先生から受けた教育の意味を改めてかみしめたい.先生は,天に召される瞬間まで,化学に対する努力と献身を積み重ね続けられたが,その活動はご令室桂子様とお嬢様信子様によって支えられていた.
森 謙治先生のご冥福を心からお祈り申し上げます.
Note
森謙治先生のご遺稿となったセミナー室「農芸化学の中での化学生態学研究—その発展と展望—-1」の記事「昆虫のフェロモン1-1:フェロモンの化学合成」が本号に掲載されています。(和文誌編集委員会)