セミナー室

昆虫のフェロモン1-2その農業利用と新しいフェロモンカテゴリ

Jun Tabata

田端

農業・食品産業技術総合研究機構

Mamoru Takata

高田

京都大学大学院農学研究科

Yuki Mitaka

三高 雄希

京都工芸繊維大学生物資源フィールド科学研究部門

Published: 2019-11-01

はじめに

フェロモンは,同種他個体の行動や生理に変化を引き起こす物質の総称で,これまで昆虫をはじめ,動物や微生物などさまざまな生物種から報告されている.フェロモン研究は,単にフェロモンの化学構造を解き明かすことにとどまらず,その生物学的意義の理解,生合成や受容メカニズムの解明,生物進化におけるフェロモンの役割,農業現場での実用化など多岐にわたる.もちろん,前回のとおりフェロモン研究に化学合成が果たす役割も大きく,まさに“化学と生物”そのものであろう.なかでも昆虫のフェロモン研究は,化学生態学の中心的なテーマであり,その発展を担ってきた.本稿でも,昆虫フェロモンに焦点を絞り,前回の化学合成とは異なる視点からその現状と将来を考えたい.昆虫フェロモン研究は,化学コミュニケーションから昆虫の生活史を理解することにとどまらず,害虫防除の観点から世界中で精力的に研究が進められている.農業害虫を多く含むガ類では実用化されているフェロモンを含め,特に研究が盛んで,円熟期を迎えているといってよいだろう.一方,われわれがまだ知らないだけで,昆虫の生活史においてフェロモンが介在すると考えられる現象は存在し,今後も新しい昆虫フェロモン研究が発展する余地は十分にあると考えられる.そういった観点から,本稿では,昆虫フェロモンの農業利用とこれまでの分類にあてはまらない新しいタイプのフェロモンの発見について概説する.

植物保護における昆虫フェロモン利用のこれまでとこれから~スマート時代の総合的害虫管理に向けて~(田端 純)

昆虫のフェロモンの多くは非常に強力な活性をもつので,害虫による食害から農作物や森林資源などを守るためにこれを活用しようとする発想はごく自然なものだろう.過去60年以上にわたって数多くの研究が展開され,ガ類を中心とした主要な害虫のフェロモンの化学構造はおおむね解明された(1)1) 桐谷圭治,鎮西康雄,福山研二,五箇公一,石橋信義,国見裕久,久野英二,正木進三,松村正哉,守屋成一ほか:日本応用動物昆虫学会誌,55, 95(2011)..一方で,これらの天然化合物を応用した植物保護技術の開発・普及はそれほど進んでいないと言わざるを得ない.本稿では,植物保護における昆虫フェロモンの利用価値やその特性を紹介するとともに,これから必要とされる研究や技術開発について考えてみたい.なお,昆虫にはさまざまな機能のフェロモンが存在することが知られているが,ここでは性誘引フェロモンに焦点を絞って議論する.性誘引フェロモンは,離れた場所から異性個体を誘き寄せ,配偶活動のトリガーとして機能するため,繁殖に直接関与する重要な代謝産物である(図1図1■合成したフェロモンを含浸させたゴムキャップに反応するハマキガのオス).そのため,害虫防除資材としてのポテンシャルが高く,実際に昆虫フェロモンの活用事例の大半を占める.以下では,性誘引フェロモンを単にフェロモンと表記して筆を進めるが,ほかの機能をもつフェロモンにも実用性の高いものが含まれることを付記しておく.

図1■合成したフェロモンを含浸させたゴムキャップに反応するハマキガのオス

1. 植物保護におけるフェロモンの利用価値

昆虫のフェロモンの最も重要な特徴の一つは,その高い種特異性であろう.フェロモンは,同種の異性同士の出会いを促すと同時に,近縁他種に対しては逆の作用を発揮しなければならない.そのため,フェロモンには強い選択圧が働いており,種間差が助長され,化学信号として驚くほど多様化している.この特徴ゆえに,フェロモンベースの資材は原則として対象の害虫だけを標的にすることが可能で,ミツバチなどの送粉者やテントウムシなどの天敵に代表される有用生物への影響を懸念する必要がない.当然,人畜魚毒性も無視できるので,環境調和型の農業を実践するうえで,重要なツールとなりうる.フェロモンは昆虫自身が生産し,繁殖に必要不可欠な物質なので,これを感知しない個体が出現する可能性は低く,化学合成農薬で問題となる抵抗性が生じにくいと考えられることも,フェロモンを活用した資材のメリットと言える.

フェロモンの植物保護における利用方法として最もイメージしやすいのは,トラップと組み合わせた対象害虫の誘引・捕殺であろう.フェロモントラップには,主として2つの用途が考えられる.一つ目は,現時点での害虫の発生状況を把握するとともに,その情報に基づいて将来的な発生を予測する「発生予察」用の資材としての活用である(2)2) L. J. Gut, L. L. Stelinski, D. R. Thomson & J. R. Miller: “Integrated Pest Management—Potential, Constraints and Challenges,” eds. by O. Koul, G. S. Dhaliwal & G. W. Cuperus, CABI Publishing, 2004, pp. 73–122..発生予察を実施し,害虫の発生状況に応じた対策を講じれば,無駄なコストを省いて,効果的に害虫防除を行うことができる.フェロモントラップは,ほかの昆虫捕獲方法と比べ,1)誘引性が強く,対象種だけを狙って捕獲できる,2)電源などは不要で,容易に取り扱うことができる,3)誰でも客観的かつ定量的に調査を行うことができる,などの利点がある.そのため,植物保護に間接的に貢献する有用な資材である.なお,発生予察用のフェロモンは,直接害虫を防除するものではないため,農薬取締法が定める農薬には該当せず,登録の必要もない.

フェロモントラップのもう一つの用途は,大量に対象害虫を誘引・捕殺し,その個体群の増加を直接的に抑制するものである(2)2) L. J. Gut, L. L. Stelinski, D. R. Thomson & J. R. Miller: “Integrated Pest Management—Potential, Constraints and Challenges,” eds. by O. Koul, G. S. Dhaliwal & G. W. Cuperus, CABI Publishing, 2004, pp. 73–122..この手法は大量誘殺と呼ばれ,いくつかの害虫種に対して効果が確認されている.たとえば,さまざまな作物を加害する重要なガ類害虫であるハスモンヨトウに対しては,そのフェロモンを構成する酢酸(Z,E)-9,11-テトラデカジエニルと酢酸(Z,E)-9,12-テトラデカジエニルを有効成分とした製剤が農薬登録されており(3)3) 日本植物防疫協会:“生物農薬・フェロモンガイドブック”,日本植物防疫協会,2014.,トラップと組み合わせることで大量誘殺を実施することができる.また,南西諸島などのサツマイモ害虫として知られるアリモドキゾウムシでは,フェロモン成分であるクロトン酸(Z)-3-ドデセニルと,殺虫成分であるフェニトロチオンの混合物を含侵させたファイバーボードが誘殺に利用されている(3)3) 日本植物防疫協会:“生物農薬・フェロモンガイドブック”,日本植物防疫協会,2014..この場合,ボードに誘引された個体は殺虫成分と接触することにより死に至るため,トラップを設置する必要がなく,広範囲に処理することが可能である.しかし,実際には大量誘殺による害虫防除はそれほど簡単ではなく,ごく限られた種で適用されているに過ぎない.多くの場合,フェロモンはオス成虫だけを誘引するので,メス成虫との交尾確率を下げることによって防除効果が発生する.だが,オス成虫は複数回交尾できることも多いため,十分な防除効果を上げるには相当強力なフェロモン源をいくつも設置しなければならないことは自明であろう.現在,国内で利用できる誘殺を目的とした農薬は,前述の事例も含めて,わずか5製剤しか登録されていない(3)3) 日本植物防疫協会:“生物農薬・フェロモンガイドブック”,日本植物防疫協会,2014.

害虫を大量に誘引・捕殺しなくても,高濃度のフェロモン処理によって害虫の異性間情報交信と交尾行動を撹乱し,その繁殖を抑制できることが知られている.この方法は交信撹乱法と呼ばれ(4)4) J. R. Miller & L. J. Gut: Environ. Entomol., 44, 427 (2015).,現在のところ,最も主要なフェロモンの利用法である.交信撹乱用の製剤は,多くの場合,発生予察や大量誘殺に使用される製剤よりもはるかに大量の合成フェロモンを含むが(3)3) 日本植物防疫協会:“生物農薬・フェロモンガイドブック”,日本植物防疫協会,2014.,トラップなどの追加デバイスは必要なく,定められた用法用量にしたがって均一に製剤を処理すれば効果が期待できるので,比較的容易に使える資材と言える.交信撹乱用のフェロモン製剤には,さまざまな形態のものが開発されているが,国内で流通している製剤の多くは中空の細長いチューブにフェロモンを封入したものである.ほとんどの場合,害虫が発生する前に圃場に設置すれば,シーズン終了まで交換の必要がないことも実用上のメリットであろう(図2図2■交信攪乱用の合成フェロモンを封入したチューブ).交信撹乱の効果は圃場スケールで発揮されるため,その作用機構を実験的に明らかにした研究例は少ないが,製剤が対象の害虫を誘引し,本来のフェロモン源(交尾相手)と競合することで配偶行動のコストを増大させる効果や,誘引せずとも高濃度のフェロモンに曝露することで正常な化学情報処理・応答行動を阻害する効果などが作用していると考えられている.一般に短命な昆虫にとって,僅かに交尾のタイミングがずれるだけでも繁殖に致命的な影響が生じうる(5)5) J. Tabata & M. Teshiba: Biol. Lett., 14, 20180262 (2018)..国内に限定しても,ガ類を中心に20種以上の害虫に対して交信撹乱用フェロモン製剤が利用できる(3)3) 日本植物防疫協会:“生物農薬・フェロモンガイドブック”,日本植物防疫協会,2014.

図2■交信攪乱用の合成フェロモンを封入したチューブ

2. フェロモンの応用上の課題

昆虫が生産するフェロモンはごく微量なので,製剤化して植物保護に利用するためには,人工的に合成しなければならない.この合成・製造に要するコストが,フェロモンを利用した技術の普及を阻む最も大きな障壁となっている.前述のとおり,昆虫のフェロモンは基本的に種特異的な構造・組成を有する.したがって,それぞれの害虫種に合わせたフェロモン製剤を作る必要がある.ガ類の場合,フェロモン成分そのものの構造は比較的単純で,ほとんどが直鎖脂肪酸誘導体や炭化水素であり,その組み合わせや混合比の違いによって種特異的な化学信号としているので,体系的に有機合成することが可能である.しかし,ほかの昆虫のフェロモンはしばしば複雑な構造をもち,近縁種間で大きく異なることも珍しくない(6)6) J. Tabata, R. T. Ichiki, C. Moromizato & K. Mori: J. R. Soc. Interface, 14, 20170027 (2017).図3図3■フェロモンの種特異性).そのため,体系的に合成することができず,それぞれに対応した合成ルートを確立しなければならない.対象害虫だけに選択的に作用するフェロモンの種特異性という特性は,環境影響・安全性という観点からは魅力的でユニークだが,その半面で産業化への隘路ともなっている.

図3■フェロモンの種特異性

昆虫フェロモンの利用を進めるためには,さまざまな種に対応できるよう,実用的なコンテンツの充実が必要なので,有機合成に関する研究・技術開発のさらなる発展が求められる.また,ゲノムや代謝産物などの網羅的解析技術などの劇的な進歩に伴い,昆虫フェロモンの生合成に関する研究が加速しており,近い将来,多くの害虫種でその全容が解明されるかもしれない.フェロモンの生合成に関与する酵素や遺伝子などが特定されれば,これらの知見を活用した代謝工学的な生産手法の開発に展開できる可能性がある.

害虫種によって異なるフェロモンを使わなければならないのは,農業者をはじめとするユーザーにとっても不便である.幅広いスペクトラムを有する殺虫剤を使い慣れた現場に普及し難いのは無理もないところであろう.特に,日本のような生物多様性に富んだ地域では,当然のことながら植物保護で問題となる害虫種も多様であり,特定の害虫だけ防除すれば事足りるような状況は少ない.ガ類害虫の場合,複数の種のフェロモンを混合した製剤でも交信撹乱できることがあり,実際に多種のガ類の食害を受ける果樹などの保護のために利用されている.このような混合フェロモン製剤は,単一のものよりも誘引性に劣ると予想されるが,すでに述べたように,交信撹乱用途であれば誘引しなくても効果は期待できる.複数種の同時防除を可能とする製剤のような,ユーザーにとって使い勝手のよいアプリケーションを開発することも必要だろう.

3. 総合的害虫管理を推進するために

わが国の植物保護は,農薬の使用を基盤として実施されており,その市場規模は出荷額ベースで年間約4,000億円にものぼる(7)7) 日本植物防疫協会:“農薬要覧”,日本植物防疫協会,2018..農地に限定しても相当量の農薬が使用されており,単位面積あたりの投入量は先進国でもワーストクラスである.安定した農業生産には農薬が必要とされることには異論を挟む余地がないが,それを持続可能なものとするためには,過度に農薬に依存しない植物保護体制を構築する努力を続けていくべきであろう.農薬だけでなく,害虫防除に利用できるさまざまな資材・技術を取り入れ,経済的被害が生じるレベル以下に害虫密度を管理・維持する総合的害虫管理(Integrated Pest Management; IPM)の概念は,1960年代にはすでに国連食糧農業機関(FAO)の専門家パネルから提示されており(1)1) 桐谷圭治,鎮西康雄,福山研二,五箇公一,石橋信義,国見裕久,久野英二,正木進三,松村正哉,守屋成一ほか:日本応用動物昆虫学会誌,55, 95(2011).,関連した研究も数多く行われてきた.実際に,産学官の連携のもと,フェロモンや天敵などの農薬の代替となる資材の開発が進められ,市販化されたものも少なくない.しかしながら,これらの資材の利用は依然として限定的であり,平成29年度の全農薬出荷額のうち僅かに1.5%程度を占めるに過ぎない(7)7) 日本植物防疫協会:“農薬要覧”,日本植物防疫協会,2018.

多くの農地で実施されている慣行の害虫管理は,汎用的な指針に従ってスケジュールどおりに農薬処理することによってなされている.そのため,過剰量の農薬が投入される傾向となる.個々の農地の生物相・害虫発生実態に応じた対策を講じれば,農薬使用量を必要十分に抑えることができ,農地の健全確保および農薬コストの削減につながるものと期待できる.このような農薬使用の効率化のためには,各農地で問題となる害虫種の特定および発生予察が必須である.これまでは,害虫の発生予察は主として各地域の公的機関(病害虫防除所など)で実施されており,発生予察ツールとして有用なフェロモントラップもこうした事業所で使われることを前提として開発されてきたが,今後は個々の農地での活用も意識した開発が必要であろう.より扱いやすく,低コストで,高機能なトラップデバイスや,得られた情報から害虫の発生を簡単に予測できる自動システムなどの開発が望まれる.

総合的害虫管理を実現するためには,農地における害虫の発生実態に関する情報に基づいて,さまざまな防除技術の中から適切なものを選択し,適切なタイミングで実施しなければならない.さらには,経済的被害許容水準を把握し,害虫の個体群密度をこれ以下に維持するように管理する必要がある.したがって,個々の農地を管理する事業者による害虫発生調査や予測,それに基づく対策の選択や実施時期の判断などが要求される.これにはたいへんな熟練を要し,専門的な知見なしにはほとんど不可能と言ってよいかもしれない.フェロモントラップやフェロモン製剤を含む総合的害虫管理技術の普及を進めるためには,誰でも実施できるような管理体系にしなければならない.昨今のICTなどの飛躍的な発展を背景に,栽培管理などの農作業をより簡単に効率よく行う「スマート化」のための事業が精力的に進められている.総合的害虫管理についても,これまで個別の農業者では難しかった害虫発生予測や防除適期の判断,対策メニューの選択などを自動化するシステムの構築に関する技術開発をより一層推進し,スマートIPM化していく必要があるだろう.

幼虫の餌乞い行動を操作するシデムシの給餌フェロモン~新しいフェロモンのカテゴリ発見とその意義~(高田 守,三高雄希)

化学コミュニケーションは,最も原始的かつ広範な生物群で見られる情報伝達方式である.これまでの研究から,生き物たちが時には交尾相手を探すため,時には集団で狩りをするため,また時には相手を欺くために,巧みに情報を伝達し,洗練された行動を示すということが明らかにされてきた.このような科学的発見がなされる度に,われわれは驚きをもってその事実を受け入れてきたが,近年,この分野において新奇性の高い発見がなされる速度が,段々と鈍化しつつあるように感じられる.これは化学コミュニケーションの研究が円熟期を迎えているためでもあるが,少し切り口を変えて生き物たちと向き合えば,埋もれていたおもしろい発見にまだまだ出会えるのではなかろうか.本稿では,家族で子育てする昆虫の研究から見えてきた化学コミュニケーション研究の新しい切り口と,そういった視点で研究することの意義について紹介する.

1. 理論から始めるフェロモン探索

化学コミュニケーションを解明する意義は実に広範である.たとえば,対象とする生物の誘引性や忌避性に関与する化学物質の特定は,薬剤の開発を通じて防除やサンプリングに多大な貢献をしてきた.このような応用を見越した研究は,対象種が別の個体や生物に誘引されたり,それらを避けたりするという観察事実を踏まえ,原因物質の探索を行うのが基本である.その一方で,理論的背景を基に「きっとこういう化学コミュニケーションが存在するに違いない」と予測し,それを探索するという発想で行われたフェロモン研究は,まだまだ少数派である.コミュニケーションは発信者と受信者の双方の利害関係を反映して行われるという性質上,化学コミュニケーション研究と進化生態学の理論研究は極めて相性が良い.これらの研究手法を組み合わせた研究を展開することにより,われわれが見落としがちな化学コミュニケーションに焦点を当てることができるだけでなく,二者の関係性が成立してきた進化的背景を伺い知るための良き窓も得ることができるだろう.

2. 子育てとコミュニケーション

私たちにとって家族は最も身近な社会的集団である.この家族と呼ばれる集団を作り子育てを行う生き物は,ヒトだけではなく,鳥類や哺乳類,魚類,昆虫を含む幅広い分類群で発見されている.子育てでは,いかにして適切な量の餌を,適切なタイミングで子に与えるかが課題となる.空腹でない子に大量の餌を運んでも無駄になってしまうし,育ち盛りの時期に十分な量の餌を運べなければ大きく健康な子を育てることはできない.そのため,子は自身の空腹状態を知らせる餌乞い信号を発することが知られている.ヒトでいえば,乳児がオギャーと泣き声を上げるのがそれに当たる.このような餌乞い信号が,哺乳類や鳥類はもちろんのこと,多くの昆虫でも発見されているほか,理論研究でもその進化動態が明らかにされている(8)8) N. B. Davies, J. R. Krebs, S. A. West, (野間口眞太郎,山岸 哲,巌佐 庸訳):“行動生態学”,原著第4版,共立出版,2015, p. 248.

しかし,ここで一つの疑問が生じる.子どもが親に空腹状態を伝えれば,効率的に給餌が行われるようになるのだろうか? なんとなくこれで納得してしまいそうになるが,よくよく考えると「親」というピースが欠けていることに気がつく.ヒトの子が大声で泣き喚く仕草からもわかるように,餌乞い信号を発するには,それなりのエネルギーを投じる必要があることが推察される.これは「餌乞いのコスト」と呼ばれ,親子間コミュニケーションが進化的に維持されるために,理論上必要な要素とされている(8)8) N. B. Davies, J. R. Krebs, S. A. West, (野間口眞太郎,山岸 哲,巌佐 庸訳):“行動生態学”,原著第4版,共立出版,2015, p. 248..子の立場からすると,わざわざコストをかけて餌乞いするからには,給餌が得られる公算が高いときにのみするはずである.また,親の立場から見ても,給餌できるタイミングでないときに餌乞いをされて,無駄に消耗される事態を避けたほうが,繁殖成績が向上するだろう.したがって,給餌可能な状態にあることを知らせる親の信号が存在し,それに応じて子の餌乞いが誘発されていてもおかしくないのではなかろうか.

3. モンシデムシ—養育行動のモデル昆虫—

そこで筆者らはモンシデムシ類に着目し,そのなかでも筆者(高田)が主に研究対象にしているヨツボシモンシデムシに注目した.本種は,日本では北海道から九州にかけての山林に棲息し,小型の脊椎動物の死肉を用い,母親と父親が協力して子育てを行う.彼らの子育て行動は実に手が込んでおり,ほかの生物に食べられないように死肉を地中に埋める行動や,死肉が腐らないように抗菌物質を塗布する行動,一度食べて半消化した死肉を幼虫に吐き戻して給餌する行動が見られる(9)9) M. P. Scott: Annu. Rev. Entomol., 43, 595 (1998)..この給餌物は,幼虫の生存・成長にほぼ不可欠であり,幼虫は空腹になると,脚を用いて親の口器付近を刺激し,餌乞いを行う(図4図4■親の給餌物を得るために餌乞いするヨツボシモンシデムシの幼虫).モンシデムシ類では,これまでに化学コミュニケーションにかかわるフェロモンが,ヨツボシモンシデムシと同属のツノグロモンシデムシで2種類同定されている.一つは集合フェロモンであり,パートナーとなるメスを誘引するため,死肉発見時にオスが発するフェロモンである(10, 11)10) W. Haberer, T. Schmitt, K. Peschke, P. Schreier & J. K. Müller: J. Chem. Ecol., 34, 94 (2008).11) J. Chemnitz, P. C. Jentschke, M. Ayasse & S. Steiger: Proc. Biol. Sci., 282, 20150832 (2015)..もう一つは抗催淫フェロモンで,幼虫を育てている間,オスからの無駄な交尾を抑制するため,メスが発するフェロモンである(12)12) K. C. Engel, J. Stökl, R. Schweizer, H. Vogel, M. Ayasse, J. Ruther & S. Steiger: Nat. Commun., 7, 11035 (2016).図5図5■ツノグロモンシデムシで同定されている集合フェロモン(上)と抗催淫フェロモン(下)の成分とその機能).このような背景から,もしヨツボシモンシデムシにて,給餌可能な状態にあることを知らせる親の信号が存在するならば,フェロモンが用いられているものと推測された.

図4■親の給餌物を得るために餌乞いするヨツボシモンシデムシの幼虫

図5■ツノグロモンシデムシで同定されている集合フェロモン(上)と抗催淫フェロモン(下)の成分とその機能

4. 給餌フェロモンの発見

まず,本種の子育て行動をビデオ観察したところ,母親の給餌が起こる直前に限って,ほぼすべての幼虫が一斉に餌乞いを始めることが判明した.もし餌乞いが,幼虫が空腹になったときに行われるものであるなら,各幼虫が散発的に餌乞いするはずである.したがって,母親が発する信号に反応して,幼虫の餌乞いが誘発されることが示唆された.次に,幼虫から餌乞いされていた母親と,そうでない母親の体表成分をヘキサンで5分抽出し,GC-MS分析により比較したところ,2-フェノキシエタノールという揮発性物質が餌乞いされていた母親に多く含まれることがわかった(図6A図6■ヨツボシモンシデムシの母親の体表と給餌物のクロマトグラム).そこで,人工合成された2-フェノキシエタノールをろ紙に染み込ませ,幼虫に呈示したところ,餌乞い行動が引き起こされることがわかった.これら一連の結果から,母親は給餌可能な状態にあることを2-フェノキシエタノールを放出することにより伝えており,子の餌乞いはこれを受けて行われることが強く示唆された.このような,給餌の準備ができたことを伝える機能をもつフェロモンは今までに報告がなく,既存のフェロモンのカテゴリには分類できなかったため,筆者らはこの新たに見つかったフェロモンを「給餌フェロモン(Provisioning pheromone)」と命名した(13)13) M. Takata, Y. Mitaka, S. Steiger & N. Mori; iScience, in press (2019).

図6■ヨツボシモンシデムシの母親の体表と給餌物のクロマトグラム

(A)雌親の体表抽出液の結果.(B)給餌物の抽出液の結果.

5. 給餌フェロモンの由来

では,なぜ2-フェノキシエタノールが,給餌フェロモンとして使われているのだろうか? 2-フェノキシエタノールはよく知られた防腐剤で,身近な例では,化粧品の容器内で微生物が増殖するのを防ぐのに用いられている.興味深いことに,モンシデムシは死肉という微生物が増殖しやすい資源を子育てに用いているため,20種類以上の抗菌物質を,口や肛門から分泌していることが知られている.詳細に検証した結果,2-フェノキシエタノールは給餌直前の母親の給餌物中に多量に含まれることがわかった(図6B図6■ヨツボシモンシデムシの母親の体表と給餌物のクロマトグラム).これらの事実は,もともとは幼虫への給餌物を消毒するために用いられていた2-フェノキシエタノールが,幼虫にとっては給餌の準備が整ったことを示す信号として認識されるようになり,餌乞いを引き起こす給餌フェロモンとしての機能をもつに至ったことを示唆する.また,給餌フェロモンとしての機能を獲得する前から,幼虫にとって2-フェノキシエタノールは餌の匂いであり,これを認識する機構は備わっていたものと推察される.一方で,2-フェノキシエタノールの合成経路は,完全に謎である.2-フェノキシエタノールを用いる生物は,今回の例以外ではウサギの一種のみであり(14)14) R. A. Hayes, B. J. Richardson & S. G. Wyllie: J. Chem. Ecol., 29, 1051 (2003).,生体内では極めてまれな物質である.そのため,ユニークな生合成経路の発見につながる可能性を秘めている.

6. 新奇フェロモン探索の意義と将来展望

以上,進化生態学の理論と組み合わせた化学コミュニケーション研究について紹介した.このような切り口から研究を展開することの意義は,新しいフェロモンのカテゴリの発見という科学的に重要な前進や,それを用いた繁殖撹乱などの応用的新手法の開発にとどまらない.たとえば,給餌フェロモンの発見は,子の餌乞い行動を人為的に操作することを可能にし,無脊椎動物で初めて餌乞い行動のコストを検出することに貢献した.冒頭で述べたとおり,餌乞いのコストは親子間コミュニケーションの維持に理論上必要な要素とされていたが,これまではコストを定量する手段がなく,「なぜさまざまな生物で,餌乞いを介した給餌量の調節機構が進化・維持されているのか」を解明する手立てがなかった.しかし,給餌フェロモンで幼虫に強制的に餌乞い行動をさせることで,実験者が幼虫の支払う餌乞いのコストを検出することが可能となり,理論の実証という成果につながった.また,これまで,親は子の発する餌乞い信号を受けて給餌行動を変える受動的な存在と考えられてきたが,積極的に子の餌乞いを操作しうる存在であると証明したことにより,親子間コミュニケーションに関する理論の再構築を迫るものとなった.紹介した研究成果からもわかるとおり,進化生態学的アプローチと分析化学的アプローチを組み合わせたからこそ明らかになったことがほとんどである.このように,理論に基づいた視点で捉え,化学的手法を用いて斬るという研究手法を用いることにより,今後も基礎・応用双方の研究が大きく前進することになるだろう.

おわりに

昆虫のフェロモンは,行動・生態レベルで複雑な作用をもたらすため,生理活性物質のなかでも特に学際的なアプローチが必要な研究対象といえるだろう.実際に,これまでも天然物化学や生化学,有機合成化学,昆虫行動学,昆虫生態学などの専門家が協調して課題を解決してきた.このような研究分野の発展には,優れたリーダーの存在が欠かせない.日本は,昆虫フェロモンの基礎研究および応用技術開発が世界のなかでも最も盛んに行われてきた国の一つであるが,それはこれまで活躍してきたカリスマ的研究者の影響によるところが大きい.このシリーズの執筆者で,日本農芸化学会の会長も務められた森謙治先生は間違いなくその一人で,有機合成化学者の立場からこの分野の発展のために常に第一線で尽力してこられたが(15)15) K. Mori & J. Tabata: Tetrahedron, 73, 6530 (2017).,このシリーズが企画されている最中にその訃報に接した.森先生の仕事に対する情熱を少しでも次の世代に語り継いでいきたいと考え,末筆ながらここで言及するとともに,心より哀悼の意を表す.

Acknowledgments

給餌フェロモンの研究を行うにあたり,バイロイト大学のSandra Steiger教授,北海道大学の鈴木誠治博士,京都大学の松浦健二教授,森直樹教授,土畑重人助教から,貴重な助言をいただきました.また,東京農工大学の佐藤俊幸准教授,小山哲史准教授,首都大学東京の松尾侑紀氏には供試昆虫の採集にご協力いただきました.本研究はJSPS科研費JP17H06796とJP18J01880の助成を受けたものです.ここに,感謝申し上げます.

Reference

1) 桐谷圭治,鎮西康雄,福山研二,五箇公一,石橋信義,国見裕久,久野英二,正木進三,松村正哉,守屋成一ほか:日本応用動物昆虫学会誌,55, 95(2011).

2) L. J. Gut, L. L. Stelinski, D. R. Thomson & J. R. Miller: “Integrated Pest Management—Potential, Constraints and Challenges,” eds. by O. Koul, G. S. Dhaliwal & G. W. Cuperus, CABI Publishing, 2004, pp. 73–122.

3) 日本植物防疫協会:“生物農薬・フェロモンガイドブック”,日本植物防疫協会,2014.

4) J. R. Miller & L. J. Gut: Environ. Entomol., 44, 427 (2015).

5) J. Tabata & M. Teshiba: Biol. Lett., 14, 20180262 (2018).

6) J. Tabata, R. T. Ichiki, C. Moromizato & K. Mori: J. R. Soc. Interface, 14, 20170027 (2017).

7) 日本植物防疫協会:“農薬要覧”,日本植物防疫協会,2018.

8) N. B. Davies, J. R. Krebs, S. A. West, (野間口眞太郎,山岸 哲,巌佐 庸訳):“行動生態学”,原著第4版,共立出版,2015, p. 248.

9) M. P. Scott: Annu. Rev. Entomol., 43, 595 (1998).

10) W. Haberer, T. Schmitt, K. Peschke, P. Schreier & J. K. Müller: J. Chem. Ecol., 34, 94 (2008).

11) J. Chemnitz, P. C. Jentschke, M. Ayasse & S. Steiger: Proc. Biol. Sci., 282, 20150832 (2015).

12) K. C. Engel, J. Stökl, R. Schweizer, H. Vogel, M. Ayasse, J. Ruther & S. Steiger: Nat. Commun., 7, 11035 (2016).

13) M. Takata, Y. Mitaka, S. Steiger & N. Mori; iScience, in press (2019).

14) R. A. Hayes, B. J. Richardson & S. G. Wyllie: J. Chem. Ecol., 29, 1051 (2003).

15) K. Mori & J. Tabata: Tetrahedron, 73, 6530 (2017).