解説

凍結試料のイメージング質量分析凍結固定で“本来の状況”を可視化する

Imaging Mass Spectrometry of Frozen Samples: Freeze-Fixation to Visualize Original Distribution

Dan Aoki

青木

名古屋大学大学院生命農学研究科

Yasuyuki Matsushita

松下 泰幸

名古屋大学大学院生命農学研究科

Kazuhiko Fukushima

福島 和彦

名古屋大学大学院生命農学研究科

Published: 2019-12-01

イメージング化学分析とは,どのような物質がどこにあるのかを明らかにするための手法である.蛍光レポーター遺伝子の利用できるタンパク質,特定X線により同定可能な元素,固有波長の吸光・発光を利用できる一部の特殊な化合物などを除くと,細胞内,すなわちサブミクロン(≤1 µm)スケールでの分布可視化は容易ではない.たとえばグルコースなどの化合物を見たい場合にはどうしたら良いのだろうか.ここで有力な候補の一つとなるのがイメージング質量分析と呼ばれる手法である.本稿では特に低分子量成分を対象としたイメージング質量分析の概要と,凍結試料を用いた最近の成果について紹介する.

はじめに

イメージング質量分析では,粒子または電磁波を細く絞ったビームとして試料表面に照射し,その表面から生じた荷電粒子,すなわちイオンを検出する.イオンは電極によって運動エネルギーを受け,検出器へと向かう.詳細な原理は割愛するが,一般に飛行時間形(TOF)と分類される装置であれば,各粒子の検出器までの飛行時間を質量へと換算することで,マススペクトルが得られる.ある一点へのパルスエネルギー照射および質量分析を繰り返すことで,各画素(ピクセル)ごとにマススペクトルが得られ,イメージングデータとなる.ここで質量電荷比(m/z)とはそのイオンの質量を電荷数で除したものであり,たとえばAlは26.98, Al2+ならば13.49である.

現在最も汎用化の進んだイメージング質量分析装置はマトリクス支援レーザー脱離イオン化質量分析(MALDI-MS)法,そして二次イオン質量分析(SIMS)法によるものであろう.MALDI-MSではレーザー,SIMSでは(一次)イオンをビームとして利用する.イオン化原理に加えて空間分解能や検出範囲など,得手・不得手が異なる.MALDI-MSは高質量成分が検出可能な一方で空間分解能が低く,SIMSは低質量成分に限定されるものの高空間分解能であるとおおむね捉えて良い.SIMS測定の概要を図1図1■二次イオン質量分析の概要に示した.

図1■二次イオン質量分析の概要

5×5箇所についてそれぞれマススペクトルを得て,特定イオンの分布をイメージングするまでの流れを示した.実際には256×256以上での分析が一般的である.

測定される試料について,近年特に注目を集めているのが生体試料である.オミクス(網羅的)解析技術の進展によりさまざまな化合物が混在する状況からも化学的情報を抽出・精査できるようになったこと,ならびに分析装置の空間分解能および感度の向上により組織,細胞,そして細胞内レベルでの分析が可能になったことが大きく貢献している.たとえばラットの大脳に関する分析報告は多数見つかり,脳内においてこれまでに役割が異なると思われていた領域は,それぞれ構造の異なる脂質やペプチドから形成されていることなどが明らかになっている(1~3)1) E. R. Amstalden van Hove, D. F. Smith & R. M. A. Heeren: J. Chromatogr. A, 1217, 3946 (2010).2) C. Eriksson, N. Masaki, I. Yao, T. Hayasaka & M. Setou: Mass Spctrom., 2, S0022 (2013).3) K. O. Schubert, F. Weiland, B. T. Baune & P. Hoffmann: Proteomics, 16, 1747 (2016).

凍結試料のcryo-TOF-SIMS測定

質量分析に限らず多くの可視化技術において重要な点は,その分布状況が人為的なもの(アーティファクト)かどうか,である.すなわち,分析結果として何らかの意味ありげな分布状況が得られたとしても,生体内において真にそのような分布状況だったのではなく,試料作製や分析前処理の段階において人為的に与えられたものではないか,ということである.

このような問題は特に電子顕微鏡観察において古くから議論されており,細胞内容物の形状を正しく見るために細胞の凍結固定が大きな役割を果たしてきた(4)4) 高部圭司:木材学会誌,61, 123 (2015)..顕微鏡観察において重要な技法である凍結固定試料からの切片作製は,イメージング質量分析においても基本的なサンプル調製法となっているが,切片は乾燥後に分析されるのが一般的であった.しかしながら,生きている状態から乾燥状態への変化として確実に生じる微細構造の変形ならびに内容物の位置情報劣化といったアーティファクトは,近年の高空間分解能のイメージング質量分析において重要な課題である(コラムも参照).

凍結固定した試料を可能な限りそのまま分析しようとする試みは,イメージング質量分析の分野においても検討されてきた.実際にSIMS測定用の低温(cryo)試料ステージは,電子顕微鏡分野への急速凍結法導入とほぼ時期を同じくして開発されている(5, 6)5) M. T. Bernius, S. Chandra & G. H. Morrison: Rev. Sci. Instrum., 56, 1347 (1985).6) S. Chandra, M. T. Bernius & G. H. Morrison: Anal. Chem., 58, 493 (1986)..しかしながら,実際に凍結試料を用いて,特に有機化合物を対象としてTOF-SIMS分析を行った報告例は最近まで非常に少なかった.以下ではcryo-TOF-SIMSによる凍結試料の測定について,特に植物を対象とした最近の研究を紹介する.

TOF-SIMSで検出される二次イオンについて

植物の話に入る前に,TOF-SIMS分析において試料表面から放出される二次イオンについて簡単に説明する(7)7) J. C. Vickerman & D. Briggs : “ToF-SIMS Surface Analysis by Mass Spcterometry,” SurfaceSpectra & IMPublications, 2001..一次イオンのパルス照射によって表面から発生する粒子のうち,荷電している粒子は有機化合物の場合で1%未満と言われている.その中には元の構造をほぼそのまま維持した分子あるいは単原子イオン,分解を受けたフラグメント(断片)イオン,中性粒子に何らかのイオンが付加して全体として電荷を共有するアダクト(付加)イオンなどがあり,これらが二次イオンとして検出される.TOF-SIMS分析において,多くの高分子量化合物はフラグメントイオンとしてのみ検出され,検出できる最大の分子量は数千程度とされている.低分子量化合物からも多くのフラグメントイオンが発生する.ある化合物からさまざまな二次イオンが生成する様子を図2図2■二次イオン発生の概要に示した.

生体はさまざまな物質が共存する複雑な系である.ある二次イオンが単一の化合物からのみ発生しているのかどうかは,非常に重要であるとともに,その証明は難しい.カリウムのような無機単原子イオン(m/z 38.96)であれば確実にカリウムであると決定できるが,二次イオンの重複が懸念されるような有機化合物については,液体/ガスクロマトグラフィーによる共存化合物の定性・定量あるいはタンデム質量分析などを併用し,慎重に議論すべきである.

図2■二次イオン発生の概要

一種類の化合物から複数の二次イオンが生じる.フラグメント化の挙動は対象分子の存在状態や照射する一次イオンビームのエネルギーなどに影響を受ける.アダクトイオンの発生は周囲に共存する化合物の種類,量,状態に左右される.このような周囲環境の影響をマトリクス効果と呼ぶ.SIMSにおいて定量分析が難しい要因の一つである.

イオン性化合物の可視化

SIMS測定における荷電粒子の発生確率は化合物依存性が大きい.一般的な有機化合物のイオン化効率は前述のように1%未満と言われているが,無機金属元素は比較的イオン化しやすく,感度が高い.さらに同一質量の他化合物による重複がないため,同定も容易である.一方,有機化合物にもイオン化しやすい化合物が存在し,それらは比較的高感度に可視化できる.図3図3■凍結コブシ横断面のcryo-TOF-SIMS/SEM分析結果には被子植物コブシの横断面について,電子顕微鏡写真(SEM),カリウム(K),ホスホコリン(PC,植物細胞の細胞膜主成分であるホスファチジルコリン由来のフラグメント),および四級アンモニウムアルカロイドの一種であるサリシホリン(SA)の分布を示した(8)8) W. Okumura, D. Aoki, Y. Matsushita, M. Yoshida & K. Fukushima: Sci. Rep., 7, 5939 (2017)..また木繊維の細胞死タイミングや,実際に測定されている凍結試料の様子も示した.

図3■凍結コブシ横断面のcryo-TOF-SIMS/SEM分析結果

(a)cryo-SEM写真(フリーズエッチング後),ならびにcryo-TOF-SIMSによって得られた(b)カリウム(K),(c)ホスホコリン(PC),(d)サリシホリン(SA)の分布,および(e)実際の試料状態および測定範囲.スケールバーは(a, b, c, d)が100 µm,(e)が1.0 mmである.

Kは植物の必須元素であり,形成層帯から木部側に向けての分化中の領域で特に強く検出されるが,必ずしも生きた細胞のみから検出されるわけではなく,細胞死後の道管内にも存在する.細胞膜主成分であるPCは師部,木部共におおよそ同程度の強度で検出されており,細胞死と共に検出されなくなる.道管の細胞死が木繊維よりも早いこと,木繊維の細胞死以降も放射組織は生存していることがPCの分布からもわかる.SAは主に樹皮に存在し,防御的機構などへの関与が考えられるが,実は細胞壁形成中の木部からも検出されている.植物内での輸送状況や役割についてはさらなる研究が必要である.

糖類とリグニン前駆体の可視化

裸子植物イチョウの横断面について,SEM,単糖類(MS),二糖類(DS),およびモノリグノール(リグニン前駆体)配糖体であるコニフェリン(CF)の分布を図4図4■凍結イチョウ横断面のcryo-TOF-SIMS/SEM分析結果に示した(9)9) D. Aoki, W. Hanaya, T. Akita, Y. Matsushita, M. Yoshida, K. Kuroda, S. Yagami, R. Takama & K. Fukushima: Sci. Rep., 6, 31525 (2016)..CFの構造は図4図4■凍結イチョウ横断面のcryo-TOF-SIMS/SEM分析結果中に示したとおりであり,ベンゼン環と二重結合を有するコニフェリルアルコール単位がリグニンの前駆体である.ここでMSは主にグルコースとフルクトース,DSはほぼスクロースのことであるが,SIMSでは構造異性体の分離・識別が難しいため,まとめて表記した.なお糖類はカリウムが付加したアダクトイオン,CFはフラグメントイオンを利用して可視化している.

図4■凍結イチョウ横断面のcryo-TOF-SIMS/SEM分析結果

(a)cryo-SEM写真(フリーズエッチング後),ならびにcryo-TOF-SIMSによって得られた(b)単糖類(MS),(c)二糖類(DS),(d)コニフェリン(CF)の分布,および(e)実際の試料状態および測定範囲.スケールバーは(a, b, c, d)が100 µm,(e)が1.0 mmである.

MSは分化中木部に幅広く存在し,樹皮側からも多少検出されている.DSでは形成層帯に近い師部で二列の輸送組織が見えており,また分化中木部や放射組織からも検出されている.CFは形成層帯から分化中木部の途中まで徐々に濃度が上がり,一気に減少する様子が見られた.ちょうどこの減少タイミングにおいて,細胞壁全体への活発なリグニン沈着が開始される.このことから,裸子植物仮道管細胞内では,リグニンの活発な沈着へ向けて前駆体が貯蔵されていると考えることができる.リグニンの沈着は細胞死へと向かう過程であり,自身内の生合成能力だけで細胞壁形成を完遂できるのかどうかはいまだ不明である.たとえばより若い細胞が生合成を担当し,木化中の細胞へと前駆体を輸送するような機構が存在する可能性もある.被子植物ムラサキハシドイ(ライラック)に関する研究ではリグニン前駆体が道管および放射組織中からも検出されており,細胞間輸送が示唆されている(10)10) D. Aoki, Y. Okumura, T. Akita, Y. Matsushita, M. Yoshida, Y. Sano & K. Fukushima: Plant Direct, 3, e00155 (2019)..このような低分子量成分が生体内をどのように移動し,利用されているのかについてはいまだ不明な点が多い.

色素錯体の可視化

錯体とは,金属系元素を中心として配位子が結合した構造をもつ化学種である.単一の分子と比べると変質・解離しやすく,植物内の錯体をそのまま取り出すにはさまざまな困難がある.そこでcryo-TOF-SIMSによる錯体成分の直接検出に挑戦したところ,検出・分布可視化に成功した(11, 12)11) T. Ito, D. Aoki, K. Fukushima & K. Yoshida: Sci. Rep., 9, 5450 (2019).12)青木 弾,吉田久美:academist Journal, https://academist-cf.com/journal/?p=10634, 2019.

アジサイの花の色変化に関して,古くから土壌の酸性度(pH)やアルミニウムの存在が影響することは知られていたものの,その青色が人工的に再現・解析され,その構造が3成分からなる色素錯体であると具体的に提案されたのはつい最近のことである(13)13) T. Ito, K. Oyama & K. Yoshida: Molecules, 23, 1424 (2018)..そこで,この再現された構造と同じものが天然アジサイ中からも検出できるのか,青色の細胞と分布が一致するのかを調査した.

図5図5■凍結アジサイガク片横断面のcryo-TOF-SIMS分析結果は青色アジサイガク片の横断面を分析した結果である.助色素,青色色素錯体,K,およびAlの分布を見ると,青色色素錯体およびAlは第2層の細胞から検出されていた.アジサイガク片を光学顕微鏡観察すると,第一層の細胞は無色透明であるのに対して,この第二層の細胞が青色に染まっていることがわかる.

図5■凍結アジサイガク片横断面のcryo-TOF-SIMS分析結果

Cryo-TOF-SIMSによって得られた(a)助色素,(b)青色色素錯体,(c)K,(d)Alの分布,および(e)実際の試料状態および測定範囲と(f)光学顕微鏡による断面観察結果.(g)には錯体の構造を示した.

アルミニウムは生物毒性元素であり,酸性土壌における育成不良問題の原因となっている.アジサイのアルミニウム耐性に関する詳細な機構解明は為されていないが,特定の細胞へ,特有の錯体構造によって無毒化しながら濃縮し,かつ花色にも活用していることが明らかとなった.

おわりに

最近ではイメージング質量分析を質量(分析)顕微鏡法と呼ぶこともある.分光法,核磁気共鳴法,あるいは原子間力(プローブ)法などのさまざまな原理を利用しながら,イメージングする手法をまとめて顕微鏡と呼ぶ流れのようである.そしてLive(リアルタイム)かどうか,も重要なキーワードである.静止画を動画にするためには単純に単位時間分のデータ集積が必要となり,必要なデータ処理負荷も増大の一途である.特殊な最新大型装置でなければ得られないデータを,特殊技能と計算環境を駆使した多人数の専門チームで解析する取り組みは多くの分野で一般化しつつあるように見受けられる.自身の専門分野に関する知見のみならず,他分野への広い視野,柔軟な研究姿勢がますます重要となる.本稿がイメージング質量分析へのちょっとした接点となれば幸いである.

Reference

1) E. R. Amstalden van Hove, D. F. Smith & R. M. A. Heeren: J. Chromatogr. A, 1217, 3946 (2010).

2) C. Eriksson, N. Masaki, I. Yao, T. Hayasaka & M. Setou: Mass Spctrom., 2, S0022 (2013).

3) K. O. Schubert, F. Weiland, B. T. Baune & P. Hoffmann: Proteomics, 16, 1747 (2016).

4) 高部圭司:木材学会誌,61, 123 (2015).

5) M. T. Bernius, S. Chandra & G. H. Morrison: Rev. Sci. Instrum., 56, 1347 (1985).

6) S. Chandra, M. T. Bernius & G. H. Morrison: Anal. Chem., 58, 493 (1986).

7) J. C. Vickerman & D. Briggs : “ToF-SIMS Surface Analysis by Mass Spcterometry,” SurfaceSpectra & IMPublications, 2001.

8) W. Okumura, D. Aoki, Y. Matsushita, M. Yoshida & K. Fukushima: Sci. Rep., 7, 5939 (2017).

9) D. Aoki, W. Hanaya, T. Akita, Y. Matsushita, M. Yoshida, K. Kuroda, S. Yagami, R. Takama & K. Fukushima: Sci. Rep., 6, 31525 (2016).

10) D. Aoki, Y. Okumura, T. Akita, Y. Matsushita, M. Yoshida, Y. Sano & K. Fukushima: Plant Direct, 3, e00155 (2019).

11) T. Ito, D. Aoki, K. Fukushima & K. Yoshida: Sci. Rep., 9, 5450 (2019).

12)青木 弾,吉田久美:academist Journal, https://academist-cf.com/journal/?p=10634, 2019.

13) T. Ito, K. Oyama & K. Yoshida: Molecules, 23, 1424 (2018).