プロダクトイノベーション

口腔保健用ナマコ加工食品の開発本家中国4000年の歴史を超える新製品?

Akira Yano

矢野

公益財団法人岩手生物工学研究センター

Mitsuo Kishi

光男

岩手医科大学

Published: 2019-12-01

序章

厳しい暑さに見舞われた2010年の夏が過ぎた10月15日,岩手県盛岡市でのことである.矢野は食品を口腔保健に利用する基礎研究の過程でin vitro実験に限界を感じていたため,岩手医科大学予防歯科教室に所属する旧知の岸を訪ねていた.雑談のなかでがん患者さんの話が出た.当時は,がんチーム医療の黎明期で,岩手医科大学は先進的とも言える医歯連携を実施しており,歯科衛生士によるがん手術前後の口腔ケアを実施していた.

「とにかくカンジダが厄介で,術前に一通りの口腔ケアをしても術後の発生が頻繁に起きる.最近は抗真菌剤であらかじめ叩いておくけれど,薬剤との相性もあって使いづらい.入院中はケアできるけど,退院後のケアはできないし,何かいい方法はないだろうか?」.矢野は新しいテーマとして,食品の抗真菌作用に着目し始めていた矢先で,付け焼き刃の知識から「ナマコを食べてもらえば良いんじゃないでしょうか?」と何気なく返したのだが….思い返せば,この会話がすべての始まりだった.

食べやすいナマコ加工食品を作る

ナマコは棘皮動物門ナマコ網に属し,世界中の海におおよそ1,400種の報告があり,うち58種程度が漁獲対象で食用などに利用されている(1, 2)1) 高橋明義,奥村誠一:“ナマコ学”,成山堂書店,2012, pp. 1–17.2) S. W. Purcell, Y. Samyn & C. Conand: FAO Species Catalogue for Fishery Purposes, 6. Food and Agriculture Organization of the United Nations. Rome (2012)..最も近い生物は棘で身を守るウニ(網)であるが,硬い棘をもたず一見無防備にも見えるナマコは化学防御を進化させ,魚が嫌がるサポニンを有する(3)3) M. A. M. Mondol, H. J. Shin, M. A. Rahman & M. T. Islam: Mar. Drugs, 15, 317 (2017)..日本で一般的に流通するのはマナマコApostichopus japonicusで,トリテルペンに糖鎖が付加したサポニン,ホロトキシンをもつ.これが絶妙な活性を有する.長年日本人がマナマコを生食してきた食経験が示すように,ヒトに対しては高い安全性をもつ一方,真菌に対する強い殺菌力を有することから白癬菌を殺菌する水虫薬“ホロスリン”の主成分としても活用されている(4)4) ホロスリン製薬株式会社 https:/www.holosrin.com.ホロトキシンは日本人の島田恵年(しまだ しげとし)氏が1969年Science誌に報告し,後に阪大薬学部の北川 勲博士らが糖鎖構造の異なる主要4種(A, A1, B, B1)の構造を報告している(5, 6)5) S. Shimada: Science, 163, 1462 (1969).6) I. Kitagawa, H. Yamanaka, M. Kobayashi, T. Nishino, I. Yosioka & T. Sugawara: Chem. Pharm. Bull., 26, 3722 (1978).

さて,ナマコが本当に真菌に効くのか? 翌11月末には沿岸の水産加工業者を訪ね,その場にあった岩手,北海道,青森産の干しナマコを約20 gずついただいてもち帰った.干しナマコは主成分のコラーゲン繊維が硬化しており,実験を行うためにはハンマーで砕く必要があった.粉末から50%エタノール抽出物を調整し,手元にあった出芽酵母と麹菌を用いて試験したところ,見事,両プレートに明確な阻止円を確認することができた.われわれはマナマコを口腔保健に利用すべく,臨床試験の実施を目指して動き始めた.

翌年2011年3月11日,東日本大震災が発生し三陸沿岸部を津波が襲った.復興に貢献するためにも,カンジダを抑制するナマコ食品を実用化しなくてはならないと考え,手元の研究費から急遽安全キャビネットを購入し,カンジダを扱えるよう実験環境を整えた.当時われわれは,ほとんどナマコを食したこと,ましてやさばいたこともなく,ナマコの食べ方から手探りで研究を行うことになった.背骨も中枢神経も目も鼻も筋肉ももたないナマコだが,イオン強度の変化に応じて組織を固化させ,独特のコリコリした食感を生み出している.脂肪がほとんど無くあっさりした喉越しと味,磯の香が酒の肴として好まれる要因であろう.ナマコの内臓を取り除き,身をさばきながら考えたのはグミである.口腔内のカンジダを抑制するには,高齢者でも気軽に食べられ口のなかに長時間とどまるように加工しなくてはならない.ナマコの主成分は水とタンパク質(コラーゲン=ゼラチン)である.タンパク質分解酵素でナマコを溶かした後,ゼラチンで再びグミとして固めれば,成分は同質のまま高齢者でも気軽に食べられるはずである.グミの硬さや味は,ゼラチンの量,甘味料,香料などで整えればよいので,被災した沿岸の企業含め,多くの食品加工業者が製造可能であろうと考えた.

震災後,一時的に水揚げが止まっていた北海道や青森県では,翌シーズンに中国向け輸出が再開され,一般市場からのナマコ入手が困難になったが,岩手県水産技術センターの協力を得て北海道や青森県の種苗施設などから特別にナマコを分けていただき,何とか開発を進めることができた.ナマコの加工については岩手県工業技術センターの食品技術部にご指導いただいた.グミを目指したものの,ナマコ独特の風味をお菓子風にするのは難しい.試行錯誤の末,水分が多めで口腔内にいきわたりやすく,高齢者でも嚥下しやすいフルーツ風ゼリーの試作品が完成した.鍵となる有効成分のサポニンは凍結やボイルなどの温度変化,酢酸やクエン酸などの弱酸にも耐えることがわかり,加工工程そのものに大きな問題はなかったが,思いのほか腐敗しやすかった.ホロトキシンは真菌を殺菌するが,細菌の増殖にはほとんど影響しないのである.実はこの性質こそ,われわれがナマコを新しい口腔保健用食品として期待している理由である.

カンジダは口腔の常在菌だが,健常成人では検出限界以下の量しか生息していないことが多い.ところが高齢になると唾液量が減少し常在菌が増えにくい環境が生まれる.ライバルの減ったカンジダは,がん治療時や要介護状態など全身状態が悪化したときに一晩で急増する.ホロトキシンでカンジダを抑え込みナマコのコラーゲンで口腔粘膜を保湿し常在細菌を守れば,高齢者の口の健康を取り戻せるのではないだろうか.

世界初のナマコ臨床試験

ナマコ食品開発と同時にそのような食品にどの程度の需要があるのか,われわれはヒトを対象とした臨床的,疫学的研究も平行して進めていった.

がん患者の治療中には重篤な口腔粘膜炎が高頻度に発生する.これは抗がん剤の副作用や放射線照射によるものだが,治療中の口腔乾燥や免疫力の低下によりカンジダが増殖することも粘膜炎重篤化の要因と考えられている.カンジダが関与する口腔粘膜炎では偽膜と呼ばれる白色の薄膜が粘膜上に形成されるのが特徴である(図1図1■がん化学療法中に発症した口腔粘膜炎).岩手医科大学附属病院で食道がんに対する化学療法を受けた者106名についてカンジダと口腔粘膜炎の関連を調査したところ,化学療法開始前に口腔からカンジダが検出された者は検出されなかった者に比べて有意に高い口腔粘膜炎の発症率を呈した(図2図2■カンジダ保有と口腔粘膜炎発症の関連).また,化学療法開始前にカンジダを保有していた者では化学療法開始後に菌量が有意に増加していた.

図1■がん化学療法中に発症した口腔粘膜炎

口蓋粘膜に偽膜が形成され,カンジダの関与が大きいことがうかがわれる.

図2■カンジダ保有と口腔粘膜炎発症の関連

カンジダ保菌者ではがん治療中の口腔粘膜炎発症率が有意に高い(p<0.001, Fisherの直接確率検定).

一般の高齢者は,カンジダをどの程度保有しているのか,われわれは震災から3年後の被災地,岩手県大槌町で60歳以上の者266名(平均年齢72.3歳)について口腔へのカンジダの定着状況について調査を行った.口腔に定着するカンジダにはいくつかの種があるが,最も高頻度に見られ口腔粘膜炎との関係が強いとされるCandida albicansは53.4%の者から,そのほかのカンジダ(Non-albicans)を含めたカンジダ属は60.9%の者から検出された.定着要因について分析したところ,C. albicansではむし歯があることや口腔清掃不良といった口腔環境の劣化に加え,自宅から避難していることが有意な要因であった(7)7) T. Sato, M. Kishi, M. Suda, H. Shimoda, H. Miura, A. Ogawa & S. Kobayashi: BMC Oral Health, 17, 51 (2017)..被災地域以外の高齢者について,盛岡市の老人クラブの協力を得て調査を行った際には,活発に活動する老人クラブに所属する高齢者からのカンジダ属検出率は2割程度であった.当時被災者の多くは仮設住宅で避難生活を送っており,そのようなストレスがカンジダの定着と相関することは興味深い発見であった.

われわれはさらに要介護施設入所者の調査を行った.要介護者の8割の口腔から多数のカンジダが検出された.その後倫理委員会の承認を取り,同施設で要介護高齢者を対象としたナマコゼリーの摂取試験を行った(図3図3■要介護高齢者を対象とした臨床試験の様子).実際に被験者に提供したのは,われわれのレシピを元に中華料理店のシェフが仕上げた美味しいフルーツゼリーである.介護施設では食べやすく美味しいと評判で,1週間で終わってしまうのを惜しむ被験者が多かった.臨床試験登録システム(UMIN-CTR)に登録し,CONSRT2010声明(8)8) 臨床試験のための国際ガイドライン,http://www.consort-statement.org/に則り実施されたナマコの二重盲目無作為化対照摂取試験を実施したのは,現在でもわれわれだけと考えている(9)9) A. Yano, A. Abe, F. Aizawa, H. Yamada, K. Minami, M. Matsui & M. Kishi: Mar. Drugs, 11, 4993 (2013)..ナマコゼリーとプラセボゼリーの群間比較結果は,若干p値が足りず有意差が出なかったが,ナマコ摂取群における前後比較では有意にカンジダが減少した.要介護度が3~4の被験者は全身状態が変化しやすいこともあり,分析対象者数30名が最終的に19名に減少したことが,群間有意差を得られなかった原因と考えている.興味深いことに,ナマコゼリー群では,ゼリー摂取終了1週間後もカンジダの抑制が続いていた.健常者を対象としたプレ試験でも,カンジダ陽性者が陰性に変わる事例が見られ,その優れた口腔保健機能に手応えを感じて