Kagaku to Seibutsu 57(12): 766-771 (2019)
学界の動き
岩手大学大学院連合農学研究科の挑戦博士課程教育をどう進めるべきか?
Published: 2019-12-01
© 2019 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2019 公益社団法人日本農芸化学会
博士課程の学生をいかに育てるか.このことは専門分野の如何を問わず,指導教員が頭を悩ませる課題の一つである.以前は,いわば「勝手に育つ」のが当たり前で,博士課程の「教育」というものを,ほとんど意識する必要はなかった.おそらく,現在でも「そうあるべき」と考える教授陣は少なくないであろう.しかし,今日の博士課程学生を巡る研究環境をはじめ,彼らが育ち体験してきた社会環境も以前とは大きく異なっている.「今の学生は打たれ弱い」といわれて久しいが,それは学生のせいではなく,そのような学生気質を育んできた社会の問題として,われわれは学生と向き合い,学生の成長を「教育」を通して促していく責務がある.
さて,博士課程では,学生が自分で研究課題を見いだし,研究の対象や研究方法を含めて研究計画を立案する能力をもつ,自立した研究者の育成が大きな教育目標になっている.その教育活動の大半は研究課題に密着した指導教員に委ねられているが,一方では学生は研究科という教育組織に所属し,そのなかで研究を軸とした教育を受けることになる.教育組織としての研究科は,学生に教育の場面で直接向き合うとともに,指導教員による学生教育を支援する役割も担っている.
筆者は,岩手大学大学院連合農学研究科(岩手連大)の専任教員を十数年務めるなかで,博士課程の学生教育に向き合ってきた.本稿では,岩手連大で開講している特色ある講義の紹介を通して,博士課程教育の必要性と課題について考えてみたい.
岩手連大を含め,わが国には6つの連合農学研究科(連大)がある.連大は,複数の大学の農学系の大学院(修士課程)を基盤組織とした博士課程のみの大学院である.連大の組織などについては,すでに本誌54巻で東京農工大学の船田良連合農学研究科長が詳しく紹介されているので説明は省略するが,ここでは岩手連大の沿革について少し述べておきたい.
岩手連大は1990(平成2)年,全国では5番目の連合農学研究科として,岩手大学を設置校とし,弘前大学,岩手大学,山形大学の3構成大学の体制で設置された.その後,1994(平成6)年には帯広畜産大学が合流し4構成大学となったが,同大学は2018(平成28)年に離脱し,現在は発足当時の3大学の体制に戻っている.
岩手連大は,発足初年度は12名の入学者で教育がスタートしたが,その後の入学者の増加や定員の変更,構成大学数の増減を経て,2018年度現在,学生定員24名に対し30名を超える学生が岩手連大に入学している.岩手連大は設置されて以降,社会情勢の変化に応じて何回かの改組を行い,特に2006(平成13)年には岩手大学が文部科学省の21世紀COEプログラム「熱-生命システム相関学拠点創成」に採択されたことに伴い,新たに寒冷圏生命システム学専攻が設置された.さらに翌2007(平成19)年には,岩手連大の教育課程をゼミナール制(学生が一定時間数の講義やセミナーなどを受講することで修了要件と認める制度)から,成績評価を伴う単位制に移行した.
岩手連大の研究指導は,ほかの連合農学研究科と同様,学生の配属大学とは異なる岩手連大構成大学の資格教員が副指導教員として研究指導を行う体制をとっている.このように,同じ大学の研究室内に閉じた研究指導体制ではなく,他大学の教員が学生指導に参画するシステムは,博士の学位の質保証の点で,全国6連合農学研究科の発足当初からの優れた特質である.
一方,岩手連大は2001(平成13)年に財団法人岩手生物工学研究センターと,2006(平成18)年に農研機構東北農業研究センターと,さらに2010(平成22)年には地方独立行政法人青森県産業技術センターと協定を締結し,連携大学院を発足させた.連携大学院は,各センターの研究員が岩手連大の資格審査を経て客員教授(または客員准教授)となり,岩手連大の学生を受け入れ指導できる仕組みで,各センターにとっては学位未取得のセンター研究員を主にセンター内で指導し学位を取得させることができるメリットがあり,岩手連大にとっても学生の教育・研究資源が拡大し,より幅広い分野の学生を受け入れられるメリットがある.
このほか,岩手連大ではサスカチュワン大学(カナダ),ダッカ大学(バングラディシュ)などの海外の大学とも協定を締結し,毎年,国際シンポジウムを共同開催するなど,教育の国際化を進めている.
2018(平成29)年現在,岩手連大は改組により表1表1■岩手連大の専攻・連合講座の構成(2018年4月)のとおり3専攻,9連合講座の体制で博士課程教育にあたっている.
生物生産科学専攻(Bioproduction Science) |
植物生産学連合講座(Plant Production) |
動物生産学連合講座(Animal Production) |
生物生態制御学連合講座(Biological Ecology Control) |
生物資源科学専攻(Bioresources Science) |
生物分子機能学連合講座(Biomolecular Function) |
ゲノム・細胞システム学連合講座(Cellular Genomics) |
食品科学連合講座(Food Science) |
地域環境創生学専攻(Regional Environment Creation) |
地域資源・環境経済学連合講座(Regional Resources and Environmental Economics) |
地域環境工学連合講座(Agricultural and Environmental Engineering) |
地域資源・環境管理学連合講座(Regional Resources and Environmental Management) |
岩手連大の教育課程の単位制への移行については,当初,抵抗がないわけではなかった.そもそも当時の岩手連大の教員は,その大半が博士課程在学中に実質的な講義などを受けた経験をもっていない.博士の大学院時代は研究一本で過ごしてきた人々である.また本音としては,これ以上の講義負担は勘弁してほしいということもあった.しかし一方で,社会はすでに自らの周辺分野しかわからない狭義の専門家より,幅広い視野をもち柔軟な適応力をもつ博士人材を求めるようになっており,博士課程教育にもこうした人材の育成にふさわしい変革が求められ,単位制への移行は教育の実質化,質保証の内実を担保する上で不可避になっていた.こうしたなかで,岩手連大は文部科学省の「組織的な大学院教育改革プログラム」(いわゆる大学院GP, 2007~2009年度)に採択されたことを契機に,単位制による博士課程教育がスタートした.
岩手連大が採択された大学院GP「寒冷圏農学を拓く研究適応力育成プログラム」では研究適応力を「グローバルな視点で異分野を含む多くの研究者と交流しながら自らの分野の研究課題を解決できる能力」と定義し,科学英語力と科学コミュニケーション力を兼ね備えた研究者人材の育成を目指した.教育プログラムでは,科学コミュニケーション(必修1単位),研究インターンシップ(選択1単位),科学英語(選択1単位)の3科目を中心的科目と位置づけて教育課程を編成した.当時の教育課程の考え方は大学院GP終了後も発展的に受け継がれ,岩手連大の教育課程が構成されている.
岩手連大では,博士課程在学中に12単位以上の取得を修了要件としている.12単位の内訳は必修8単位,選択4単位以上である.学生がどの科目を履修し単位を取得する必要があるかは,取得しようとする学位によって異なっている.一例として,2019年4月時点の地域環境創生専攻の博士(農学)取得をめざす学生の履修科目一覧を表2表2■岩手連大(地域環境創生学・「博士(農学)」)教育課程表に示す.必修科目は,科学コミュニケーション(1単位),特別演習(1単位),特別研究(6単位)の計8単位で,このうち特別演習と特別研究は主指導教員および副指導教員2名による研究指導がその内実となっている.以下,主な講義科目の内容と教育上の意義について述べる.
必修選択 | 科目区分 | 科目名 | 単位数 | 備考 |
---|---|---|---|---|
必修科目 | 研究科 | 科学コミュニケーション | 1 | 合宿形式 |
専攻 | 地域環境創生学特別演習 | 1 | ||
地域環境創生学特別研究 | 6 | |||
選択科目 | 研究科 | 農学特別講義(英語) | 1 | 選択必修 |
農学特別講義(日本語) | 1 | |||
実践統計学(英語・日本語) | 1 | |||
研究インターンシップ | 2 | |||
国際学会コミュニケーション | 1 | |||
東北農学セミナー | 1 | |||
社会人特別演習 | 1 | 社会人のみ | ||
専攻 | 地域環境創生学特論 | 1 | ||
地域環境創生学教育研究指導 | 1 | 一般学生のみ | ||
専攻外 | 生物生産科学特論 | 1 | ||
生物資源科学特論 | 1 | |||
注1)学生は必修8単位,選択4単位以上,計12単位以上の取得を要する.注2)一般学生は一般入試の入学者,社会人は社会人入試入学者. |
科学コミュニケーションは,岩手連大が学位論文研究に直接かかわる特別演習,特別研究を別とすれば唯一必修科目として課しているもので,構成大学の1年次を中心とする学生が1か所に集まり,3日間生活を共にしながら,これからの研究者に必要な幅広い視野とコミュニケーション能力,プレゼンテーション能力の養成を目的とした合宿形式の科目である.科学コミュニケーションは,岩手大学,弘前大学,山形大学のもち回りで毎年夏に開催している.合宿のテーマや場所,授業内容は主催する大学に任されているが,①自らの研究内容を発表し指導教員以外の教員や他大学の学生から質問やコメントをもらう「研究課題別セミナー」(専攻,連合講座単位),②学生を専攻,留学生や社会人学生などをシャッフルして数班に分け,特定のテーマで課題を考えてその結果を発表する「ワークショップ」,③開催地にふさわしい場所を訪問,見学する「現地見学」の3つは必ず取り入れることにしている.
なかでもワークショップは,初対面で専門分野も異なる他大学学生,留学生,社会人学生が一つの班を構成し,与えられた課題について議論しながら一つの成果物にまとめ上げる作業で,まさに科学コミュニケーションそのものを体現した演習である.ここでは,「班のメンバーで申請可能な研究計画の作成」,「博士課程学生が必要としている新科目のシラバスの作成」,「地域の資源を活かした観光振興策の提案」などの課題をもとに,班の学生が知恵を出し意見交換しながら検討結果を日英併記のスライドの形でまとめ,発表会でプレゼンする取り組みを行っている(図1図1■ワークショップの様子).2012年度に岩手大学が担当したワークショップでは東日本大震災で被災した岩手県宮古市の宿泊施設を会場に,同市の協力も得ながら震災復興の現状についての情報提供とフィールド見学を行った後,「研究者の立場で震災復興に役立つことは何か?」をテーマに研究活動プランを検討させ,発表会には宮古市の職員も参加した.
当初,博士課程の教育課程に2泊3日の合宿を必修で課すことには懸念もあった.学生によっては実験やフィールド調査などでまとまった時間を取りにくいことや,岩手連大で約3分の1を占める社会人学生にとっては勤務先から休暇の許可を取って参加せねばならず,日程的に参加が厳しい場面も予想された.そこで,日程は年度当初にできるだけ早く知らせ,3年の在学期間で都合の付く年度の合宿に参加してよいこととするなど,一定の配慮を行い実施している.
科学コミュニケーションでは,合宿終了後に学生アンケートを実施し,学生から見て良かった点と改善点を把握しているが,参加学生の評価は概して良好である.それだけでなく,修了時のアンケートや懇談会でも「もう一度参加したかった」,「もっと3大学の博士学生の交流の機会がほしい」といった声があがっている.岩手連大の構成3大学は,いずれもいわゆる地方大学であり,岩手連大の学生の多くは研究室に博士の学生は自分1人である.研究室には修士の学生や学部学生から何かと頼りにされ,一方の自分には頼るべき先輩学生などがおらず孤独な存在である.こうした博士学生にとって,科学コミュニケーションは岩手連大の学生が取り組む異分野の研究に触れ自らの視野を広げる役割にとどまらず,日常の研究室での孤独を跳ね除け,研究のモチベーションをアップさせる数値化できない効果を,合宿終了時の学生の表情などから確実に読み取ることができる.
研究インターンシップは,文字どおりほかの大学や研究機関で2~3週間程度研修してくる内容であるが,自らの学位論文研究を遂行するためのデータ分析やスキルアップのための研修を行うことが主眼ではなく,むしろ自らの研究分野とは少し異なる他機関の研究室に身を置き,研修先の仕事の一部に携わることで研究者としての視野を広げ,自らが所属している大学の研究室とは異なる研究室内のチームワークや気風を感じながら,優れた点を吸収してくることを目的としている.研修先は国内でも海外の研究機関でもよく,特に海外の研究機関については協定校であるサスカチュワン大学でのインターンシップの受け入れを斡旋するほか,交通費を一部補助するなど,在学期間中に海外へ飛び立ちやすい環境を整えている(図2図2■研究インターンシップ(サスカチュワン大学)).研究インターンシップに参加した学生は,事後レポートの提出のほか,半年に1度開催される報告会で報告することになっている.報告会には指導教員のみならず,これから研究インターンシップの履修を考えている学生をはじめ誰でも参加できるようにしている.
研究インターンシップに対する学生の評価は良好で,海外の研究インターンシップについてはもっと受入れの枠を広げてほしいという要望も出されている.この科目の教育効果も定量的に検証することは難しいが,研究者として貴重な体験をし,有形無形に自らの研究能力の向上に寄与していることに疑う余地はない.
科学英語は,2007年度に岩手連大が採択された大学院GPにより,外国人の英語講師(農学系分野の学位を取得した現役の研究者)を客員研究員として採用することで開講したもので,これは大学院GPの補助金終了後も継続し現在に至っている.この講義は研究適用力の重要な柱の一つである科学英語力の向上を目的としたもので,国際学会などでの英語による口頭発表やポスター発表時のプレゼンテーションスキル,海外の研究者とのコミュニケーションスキル,英語論文の書き方に関するライティングスキルの向上を目的とした学生参加型の演習と解説を基本としている.この科目は岩手連大が4月と10月の入学者がいることを考慮し,半期1単位の講義を年2回実施している.開講当初は,岩手連大の3構成大学が遠隔地にあることからすべてテレビ会議システムを利用した講義と演習として実施したが,教育効果の向上を図るため,現在では英語講師が3つの構成大学を回って履修者と対面で講義と演習を行う機会を大幅に増やして実施している.この科学英語の講義も学生からは高い評価を受けており,講義終了後も学生(特に留学生)が英語講師のもとにいろんな相談にくるようになっている.
岩手連大では「研究適応力」の育成を担う上記の主要3科目以外にも,ユニークな選択科目を準備している.座学としてはテレビ会議システムを利用してほかの連大(構成大学数18)と共同実施している「農学特別講義(英語)」および「農学特別講義(日本語)」,専攻ごとに開講している「専攻別特論」がある.「専攻別特論」は岩手連大の3専攻がもち回りで3年に1回すべて英語で講義することにしており,留学生が3年の在学期間中に,すべて英語で必要な講義の単位を取得できるようにしている.
また,自らの研究上で必要になった統計処理について各構成大学に配置している統計相談員(岩手連大の指導資格を有する教員が就任)に相談し,その結果をレポートとして提出するほか,構成大学の統計相談員がテレビ会議システムを通じて実施するオムニバスの講義を履修する「実践統計学」や,指導教員による事前・事後指導を前提に国内外で開催される国際学術集会などで英語による口頭発表やポスター発表を登壇者(筆頭者)として発表する取り組みを単位化した「国際学会コミュニケーション」などがある.
以上,岩手連大の主な講義科目について紹介してきた.冒頭に述べたように,現在でも,多くの指導教員は「博士の学生は勝手に育つもの」という意識をもっている.この考え方は,現在の博士課程学生の現状を考えれば首肯しがたいが,一つ真理を言い当てているとすれば,それは博士学生の学びは主体的であるべきだということである.与えられたものをこなすだけの学習で一人前の研究者になれないことは自明である.その意味で,博士課程に入ってまで受け身的な座学を課す必要はないという発想もありうるだろう.
先に紹介した岩手連大の講義科目は,いずれも主体的に学ぶ姿勢がなければ履修できない内容で提供しているが,大半を選択科目とし無理やり押し付ける教育プログラムにはしていない.われわれ教育者にとって大事なことは,博士の学生が自らの視野を広げ,科学コミュニケーション力を活かした国際的発信力を養えるように,学ぶ環境を整えることである.学生が単独で自らの視野を広げ,コミュニケーション力を身に着けること,すなわち研究適応力を向上させるために意識的に努力し続けることは困難である.研究適応力が向上する環境を如何に整え学生の学びを支援していくかが,博士課程の教育プログラムの役割であり存在意義である.
昨今,大学では教育面でも評価が求められ,入学後,学生にどんな能力が付いたか客観的に示すことまで要求されるようになっている.こうした要求にはある程度応えていかざるを得ないが,「評価のための評価」に陥ると実質的な教育効果の発揮は望めない.学生の成長は指導教員が質的に最もよく把握できるはずで,過度な評価の要求に惑わされず,学生の実質的な成長を促す教育的な取り組みを教育課程の中に活かしていくことが大切である.
最後に今日の博士学生に必要な心構えとして,研究者倫理の問題に触れておきたい.岩手連大では科目にはしていないが,必ず4月と10月に実施する「研究者倫理」の講習(約90分)を1回は受講することを修了要件としている.研究者倫理問題といえばSTAP細胞の存在をめぐる研究不正の問題が想起されるが,当時あれだけマスコミでも取り上げられながら,現在でも研究不正問題の発覚はとどまるところを知らない.研究者をめぐる競争的環境はますます激化しており,行き過ぎた業績主義は実際の研究にかかわっていない研究者を連名者にするなどの不適切なオーサーシップや粗悪学術誌(ハゲタカジャーナル)への投稿の誘惑となって若い研究者を脅かしている.
こうした状況を目の当たりにするとき,われわれがかつて議論した「そもそも研究とは何か?」,「誰のための研究か?」といった本質的な問いかけを含めて,博士課程教育と研究指導のあり方を常に内省しながら若手研究者の育成に取り組む必要があるだろう.