巻頭言

奈良秋篠寺の伎芸天立像と農芸化学

Hiroshi Kanzaki

神崎

岡山大学大学院環境生命科学研究科

Published: 2019-01-01

「秋篠」という言葉は「秋篠宮」の名前の由来となっているので,皆さんもよくご存知のことと思いますが,私は奈良市秋篠町に生まれ育ちました.この地には秋篠寺がありますが,平城京西北の外れに位置しているため,穴場的なお寺となっています.この寺にはその特徴的な姿から有名な「伎芸天立像」があります.伎芸天は芸能をつかさどる女神のため,多くの芸術家や芸能人らに慕われています.「天」は如来・菩薩・明王・天という4区分ある仏教の尊像の一つで,伎芸天は吉祥天・弁財天などとともに女性神の一つです.吉祥天や弁財天は日本各地に現存しますが,伎芸天と名のつく像は秋篠寺以外には知られていない珍しい仏像です.(東洋のミューズ奈良秋篠寺の伎芸天 https://www.youtube.com/watch?v=WOziKk19Itw,奈良秋篠寺“伎芸天”と秋篠窯 https://www.youtube.com/watch?v=fgd3K49SBfk)

実はこの伎芸天立像は,頭部と体部が異なる時代に作られたものが合体されているのです.頭部は奈良時代に脱活乾漆法で作られ,体部は鎌倉時代の有名な仏師,運慶の作による木造というたいへん異色の仏像なのです.仏像を作り方で分類すると,「銅造」「塑造」「乾漆造」「木造」の4種で,乾漆造はさらに,脱活乾漆と木心乾漆に細分類されます.

どなたが見ても,この仏像の全体像が違和感なく全体のバランスが取れており,一体感のある素晴らしい形をしていることがわかります.加えて,乾漆という技法は,ウルシを使った東洋独特の伝統的技法を仏像製造に利用しており,その仏像は木造仏と全く違うため,それに木造を組み合わせた運慶の力量のすごさを改めて実感することができます.運慶は慶派と言われる奈良仏師に属しており,慶派は平家により焼かれた東大寺や興福寺の仏像を円派や院派と呼ばれる京都仏師と分担して再興したことでたいへん有名で,なかでも運慶は数多くの現存する仏像を再興しています.

さて,農芸化学会はもうすぐ創立100周年を迎え,生命・食・環境を化学する研究者の集まりとしてたいへん幅広い分野の研究にかかわっていますが,古来から「作物を食する」「発酵食品を作る」「自然と調和して行う」ことを日本人は行ってきており,日本特有の農芸化学という素地があったことになります.

伎芸天立像が,天平時代の技術で作られた仏像の頭部に鎌倉時代に運慶が最高の技術で全体像を修復し,一体感のある素晴らしい仏像として現存していることは,農芸化学者が,古来からの伝統を最先端の技術で解き明かすとともに,新たなイノベーションへと結びつけてきたこととつながるところがあると思います.日本の地域には独特の食文化があり,それらを生かした新たな取り組みが行われており,農芸化学者がかかわっておられます.その研究者の中から何十年,何百年後に,農芸化学の運慶と呼ばれるようになる方がたくさん出てくることを期待したいと思います.

私は最近,時々仏像をゆっくり見るようにしており,伎芸天立像も,いろんな角度や距離から眺めると,新たな発見があります.研究においても全体像をいろんな方向から俯瞰できると,思わぬ進展があり,素晴らしいイノベーションが生まれると思います.農芸化学者の皆さん,学会などで奈良の近くに来られることがあれば,一度は秋篠寺を訪れていただき,伎芸天立像の前に立ってみてください.どなたもこの像の素晴らしさに感動されると思いますし,その感動が研究の新たな展開につながると思います.