今日の話題

清酒製造と人工知能伝統と人工知能は融合できるのか

Koichi Uegaki

上垣 浩一

近畿大学農学部

Yoshihiro Yamamoto

山本 佳宏

地方独立行政法人京都市産業技術研究所

Published: 2019-01-01

近年,人工知能(AI)があらゆる分野で利用されようとしている.昨今のニュースでも取り上げられているように,清酒製造も例外ではなく,AI技術を用いて純米や吟醸酒,といった高付加価値清酒の製造に利用しようとする取り組みが始まっている.AIを利用する際,必ず“従来の経験と勘を頼りにした方法と比較して…”とうたい文句が出てくる.そもそもAIを使うにはモデル化,ビックデータの利用とシミュレーション,それに続く実際の数値計測,制御が必要となる.清酒製造現場の“従来の経験と勘”をどのようにAIに置き換えていくのであろうか.現在の取り組みを紹介したい.

まずは,わが国を代表する国酒である清酒の現状を見てみたい.近年,嗜好の変化により,われわれの年代になじみの深い? 普通酒(本醸造酒)の消費量は年々の減少し,ダウントレンドから抜け出せない(1)1) 農林水産省:日本酒をめぐる状況,http://www.maff.go.jp/j/seisaku_tokatu/kikaku/attach/pdf/sake-2.pdf.一方,ワインブームの影響から,吟醸香と呼ばれる香りの高い純米・吟醸酒を求める若・中年層が増加し,清酒に占める比率は年々,増加している(1)1) 農林水産省:日本酒をめぐる状況,http://www.maff.go.jp/j/seisaku_tokatu/kikaku/attach/pdf/sake-2.pdf.これらの特定名称酒(吟醸酒,純米酒など)は普通酒に比べ製品価格に3倍以上の差があることから,清酒の出荷額で見れば人気の高い特定名称酒(いわゆる高級酒)が25%のシェアを占め,市場のボリュームゾーンとなっている.この傾向は清酒の輸出においても見られる.官民一体となり,国酒として日本酒を海外に売り込む努力が実を結び始め,純米・純米吟醸酒といった高価格帯の特定名称酒が年数%で伸びている(2)2) 国税庁:平成30年酒類の輸出動向について,http://www.nta.go.jp/information/release/kokuzeicho/2018/sake_yushutsu/01.pdf.今後,さらに国内,海外で清酒の市場を開拓するためには純米酒,純米吟醸酒の供給を強化しなければいけない.ところが清酒製造を指揮する杜氏の養成には経験を積む期間,すなわち極めて長い時間がかかるとともに若い製造担当者の確保も難しい状況にある.今日の人工知能の進化を鑑みれば,人工知能に杜氏の知識経験の肩代わりを期待するのも理解できる.このような背景のもと人工知能を利用し,杜氏の勘に頼らず,いつでも,どこでも,計画した味,風味をもつ清酒を安定的に製造したいというニーズが生まれてきても不思議ではない.

ここで,日本酒は世界的に見てもまれな醸造方法で作られている.ワインでは絞ったブドウ果汁に酵母を入れて発酵させる単発酵と呼ばれる方法で作られる.ところが日本酒は麹菌で米の澱粉を糖化すると同時に酵母を添加し,発酵させる並行複発酵式と呼ばれる醸造方法で作られる.このように日本酒は2種類の菌(正確ではないが)の力を利用して製造されているがゆえ,そのモデル化は非常に複雑である.

ところで,清酒を製造するうえで「一麹,二もと,三造り(いちこうじ,にもと,さんつくり)」といわれ伝えられているとおり,清酒製造の要になる工程は大きく分けて3つある.これらの工程でどのように人工知能が利用されようとしているのか.

①製麹:蒸した酒米に麹菌の胞子を振りかけ繁殖させる.この際,大量のアミラーゼが麹から分泌され,でんぷんの糖化に利用される.製麹では酒米を蒸すとき,どの程度,給水させるのかの判断が非常に難しく,杜氏が目で見て給水の加減を判断する.この判断をAIに助けてもらう取り組みが始まってる.給水度合いの酒米の画像とその後の米麹の出来具合をデータ化,多量の画像データをAIで画像認識処理をするという,まさにAIらしい取り組みといえる(3)3) 業界初酒造りにAI:2018/02/21, https://i-ma.jp/images/news_201802.pdf.杜氏の目で見た感性と実際の画像をどれだけ関連付けられるかが必要で,今後の進展が楽しみである.ただ,製麹工程はこれだけではなく,触感,目視,嗅覚など,官能的な評価の部分が極めて大きい.給水の画像処理に加え,これらの官能的な部分をどうデータ化するかが,次の取り組みになるのではないだろうか.現在でも,麹の生産は,手作業により少量ずつ製造することが,大手企業においても高品質・均質の麹を得る最良の方法であり,特に付加価値の高い大吟醸酒には麹蓋と呼ばれる木の箱で少量ずつ製造する方法が用いられている.

②醸造工程:醸造工程の管理がAIに最も期待されている工程であろう.杜氏の五感を駆使して寝ずの温度,掛け米のタイミングなど,ち密な醸造管理は昔から知られているところである.旭酒造と富士通研究所は過去に蓄積した醸造工程でのデータを基に,AI予測モデルの開発を行い,そのモデルの妥当性について醸造データと確認・検証を実施することを計画していると聞く.富士通研究所が開発したAI予測モデルは,日本酒醸造過程を数理モデル化し,日本酒に含まれる成分の計測値を用いた機械学習を組み合わせ,日本酒醸造における工程管理を支援する(4)4) 富士通プレスリリース:2018/4/19, https://pr.fujitsu.com/jp/news/2018/04/19.html.同様の取り組みが月桂冠でも開始されたと聞く.人工知能を使えばすぐにでも醸造工程の管理ができそうに思うが,発酵をち密に制御するためにはリアルタイムで情報を得る必要がある.今でも香気成分や有機酸の成分分析は時間がかかってしまう.半日かかってしまうと,半日遅れで制御が始まるということになってしまう.これではち密な制御には程遠い.AIを使った制御で一番の課題が実はこの部分であり,ヒトの味覚・嗅覚のように瞬時の判断ができるセンサーが必要とされる.製麹でも,触覚,嗅覚が勘所として必要と述べたが,実は瞬時に判断するという五感(触覚,嗅覚,聴覚など)をいかにデータ化してAIにもっていくのか,新しい測定法・センサー開発も含め,今後の課題ではないだろうか.このようにAIを利用することで図1図1■AIを利用した清酒製造工程管理の革新に示したように新たなデータを利用した新たなビジネスモデルが期待でき,その結果,新たな醸造製造,分析技術,センサー開発,流通・検査分野へと波及効果が見込まれる.このようにAIを活用すれば,新たなイノベーション創出の期待が実は大きなメリットではないかと筆者らは考えている.

図1■AIを利用した清酒製造工程管理の革新

従来,杜氏が行っていた判断をAIを用いて,予測工程管理が実現すれば,新たなビジネスモデルに加え分析,品質管理等,幅広い分野に対するイノベーションが期待できる.

一方,清酒製造業の特徴は,中小企業が圧倒的に多く,その多くは伝統的な製法で行い,高い品質の有名銘柄酒を製造している.人工知能を活用するためにはできるだけ多く,また多方面からの計測値,いわゆるビックデータをインプットする必要がある.大手の企業では,各種成分を分析する技術をもち,また過去の計測データを利用することができるだろうから,データ収集は有利であろう.ところが,中小の杜氏に頼った酒蔵ではそうはいかない.新たに数値としてデータを収集する必要が出てくる.こうなると大手と中小の差がさらに広がり清酒業界全体のボトムアップとならない.この問題に取り組むため,近畿圏の公設試と産業技術総合研究所・関西センターが連携し,共通の手順で試験醸造を行い,各種成分データを手分けして収集しAIを用いた発酵制御の手順書づくりに向けた取り組みを始めたところである.微力ながら筆者らもこの取り組みに参加しデータ収集に協力しているところである.

最後に人工知能を使った酒造りに対してもいろいろな意見があることも紹介したい.そもそも人工知能はビックデータを使い,最適な解を導き出すことにたけている.同じ材料を用い,AIが主体になると誰が作っても(どこの酒蔵でも)同じような酒が造れることになる.つまり酒蔵による特徴がない酒を量産してしまうことにもなりかねない.人工知能が導き出す商品は果たして最高の商品なのであろうか? 第5回伏見酒造研究会での講演で竹鶴の石川杜氏は目標を定めない酒造りに取り組んでいると話していた.石川杜氏は酵母の発酵を成就させることが目標であり,成就した結果の酒を世に出すと言っていた.確かに日々状況が変動する条件下で酵母の発酵力を最大限に引き出すことは,過去のデータから安全性の高い製造工程を予測するAIにはできない,経験をもつ杜氏のみが可能な酒造りであろう(5)5) 第5回伏見酒造研究会:2019/7/5.人工知能はビックデータを利用して最適解を見つけ出す,しかし,たどり着く目標が明確でなければ,ただのデータ遊びになってしまう.手作り,伝統ということに付加価値を見いだすなら,一期一会の酒との出会いもまた楽しいのではないだろうか.

Reference

1) 農林水産省:日本酒をめぐる状況,http://www.maff.go.jp/j/seisaku_tokatu/kikaku/attach/pdf/sake-2.pdf

2) 国税庁:平成30年酒類の輸出動向について,http://www.nta.go.jp/information/release/kokuzeicho/2018/sake_yushutsu/01.pdf

3) 業界初酒造りにAI:2018/02/21, https://i-ma.jp/images/news_201802.pdf

4) 富士通プレスリリース:2018/4/19, https://pr.fujitsu.com/jp/news/2018/04/19.html

5) 第5回伏見酒造研究会:2019/7/5