巻頭言

はじめにお読みください

Kenji Ueda

上田 賢志

日本大学生物資源科学部

Published: 2019-03-01

取扱説明書などでよく見かけるこのタイトル,普段どの程度目を通しておいででしょうか? ネット上にあふれる情報のなかに,どれを読むかを瞬時に決めなければならないこの時代,ありふれたものに費やす時間はありません.そんな多忙な読者の方々にも,『化学と生物』が選ばれ,かつ愛され続けるためには—学会の委員会ではさまざまな議論がなされています.現在,その一環として,配信メールからの閲覧がよりスムースに行える形式へとリニューアルが進行中です.会員の皆様におかれましては,どうぞ月はじめに届く発刊通知メールをお見逃しなきように,そしてそこに掘り出し物の農芸化学を見つけて熱いうちにお読みください.

『化学と生物』は,日本農芸化学会の会員がその特典として配付を受ける学術コミュニケーション誌として1962年に誕生しました.タイプライターが普及し始めるも,多くの原稿が手書きされていた時代,新しい学術情報を載せた冊子が自分宛に届くことの喜びはとても大きかったのではないでしょうか.私も学部生の頃,生協書店で本誌を手に取ると,中身を理解できないにもかかわらず,研究への憧れがゾクゾクと涌いてきて,自分も第一線の研究に携わってみたいと感じたことをよく覚えています.ページをめくるほどに目に飛び込んでくる実に多彩な分野の話題は,改めてこの学問領域の広さと自分の視野の狭さを実感させてくれます.そうした体験を重ねてきただけに,冊子体からオンライン版への移行が決まったときは,何ともやるせない気持ちになりました.

私の恩師である別府輝彦先生は,微生物学の権威でいらっしゃいますが,折にふれ多様なジャンルから興味深い話題を紹介してくださいます.その一つに,『カテドラルとバザール(大聖堂と市場)』という本がありました.20年ほど前の著作で,当時繰り広げられたコンピュータオペレーションシステムの開発における対照的な戦略を取り上げたものです.特定の開発チームのメンバーのみがプログラムに手を入れて改良を重ねていく,閉鎖的なトップダウン方式(カテドラル型)と,プログラムの中身を一般に公開し,不特定多数がその修正に加われるようにすることで,より良いものへと成熟させていく,開放的なボトムアップ方式(バザール型).先生は,これを放線菌の代謝産物がかかわる微生物コミュニケーションの2つの様式に当てはめて場をさらっておられましたが,本書の結末は,後者の方式をとったLinuxがより効率的に優れたプログラムを構築した,というものでした.

そもそも農芸化学は,生物学に相対峙する学問であった化学を農業に融合させたリービッヒの理念が遠く日本に持ち込まれ,その上にわが国ならではの独創的な研究成果の数々が重なり合うことで,自ずと築き上がったものでした.ネット上の本誌を通じて誰もが手軽にこのユニークな学問領域にアクセスできるようになった今,これまでにないスケールの自己組織化が誘発され,想像もつかない発展が始まろうとしているのかもしれません.本誌第一号に,当時会長を務められたジベレリン発見の立役者,住木諭介先生がお書きになった「創刊のことば」の一文を引用して,本稿を閉じます.「かくして,農芸化学会という共通の広場に同好の士がかたく手を握り,相切磋し,相励まし,斯界の発展に貢献したいと念願しているものである.もしそれ会員外の購読者が多数現われるならば,これ誠に望外の喜びである.」