Kagaku to Seibutsu 58(3): 157-163 (2020)
解説
ビールつくりの主役:ビール酵母の特徴と発酵力の鍵ビール酵母の発酵力に寄与する因子の解明
The Leading Role in Making Beer: The Characteristics and the Key to Fermentation Performance of Brewer’s Yeast: Elucidation of Factors Contributing to the Fermentation Ability of Brewer’s Yeast
Published: 2019-03-01
酵母によるアルコール発酵は古くから人々に親しまれてきた酒類製造方法であるが,発酵は酵母の性状,活性状態,また多岐にわたる生化学反応がかかわる複雑な現象で不明なことが多く,経験に頼って制御しているのが現状でありその解明が望まれている.酵母にはビール酵母,清酒酵母,ワイン酵母といった種類があり,それぞれの酒類のつくり方に適した酵母が用いられている.世界で広く飲まれ,その生産量は約2億万キロリトッルにも及ぶビールはビール酵母を用いてつくられており,ビール酵母の性質はビールの味つくりに大きく影響している.今回はビールつくりの主役ともいえるビール酵母について,研究の歴史に触れつつその特徴と最近の研究成果を解説する.
© 2020 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2020 公益社団法人日本農芸化学会
ビール醸造に欠かすことのできない酵母によるアルコール発酵は,お酒つくりの手法として古くから慣れ親しまれている現象である.ビールの歴史は古く,メソポタミア文明まで遡るとされているほか,紀元前1900年頃のエジプトの木偶には,麦でつくったパンを水に溶かし発酵させてビールとして飲用していたとされる模型もあり(1)1) 鳥山國士,北嶋 親,濱口和夫:“ビールのはなし”,技報堂出版,1994, pp. 2–5.,ヒトによる文明とともに歩んできたとも言える.古くから人類にとって身近なものであったアルコール発酵であるが,肉眼では観察できない酵母による発酵という現象の存在は長い間知られることはなく,ビールは神の産物であると信じられていたという.酵母によるアルコール発酵という現象の理解は近年の研究によるものであり,酵母の発見は1680年,レーヴェンフックが発酵中のビールを顕微鏡で観察した際に見た楕円形のものであるとされている(2)2) 大内弘造:“酒と酵母のはなし”,技報堂出版,1997, p. 17..レーヴェンフックによる酵母の発見は100年以上注目されることはなかったが,パスツールにより1857年に「発酵過程は微生物活動に基づくもの」という生物発酵説が提唱された後(3)3) 春山行夫:“ビールの文化史2”,平凡社,1990, p. 127.,1883年にはハンセンによって酵母の純粋培養法が確立され(4)4) 小泉武夫:“発酵”,中央公論新社,1989, p. 42.,ビール醸造・発酵技術は飛躍的な発展を遂げた.パスツールが顕微鏡により酵母を観察し,単離に成功するまでは,醸造家たちは天然酵母を使用して自然発酵させることでビール醸造を行っていた.嗜好性の高いビールができた際にビールや原料の一部を保管し,次の仕込みに混ぜることで似た香味をもったビールつくりをしていたという.醸造家たちはビールつくりに合った酵母を自然に選び,継代培養に近い行為により酵母菌株保管まで行っていたのである.こうしてビール酵母はビールつくりに合った特徴をもつよう,ビールつくりの歴史とともに進化していった.
このようにビール醸造にとって必要不可欠であり古くから親しまれているビール酵母とアルコール発酵であるが,その現象の理解には至っておらずいまだ多くが謎のままである.後に述べるが,ラガータイプのビール醸造に使用される下面発酵ビール酵母は2種の酵母が融合した異種高次倍数体で複雑な遺伝的背景を有しており,このこともアルコール発酵という現象の解明を難しくしている.以降,ビールのつくり方,発酵とビール品質との関連やビール酵母の分類と特性について概説した後,発酵の鍵を握る因子について筆者らの研究で明らかとなってきたことを紹介する.
ビール酵母はその発酵挙動により,上面発酵ビール酵母と下面発酵ビール酵母の2種類に分けられる(表1表1■上面発酵ビール酵母と下面発酵ビール酵母の特徴).上面発酵ビール酵母はエールタイプのビール醸造に使用され,20°C程度の比較的高温,短期間で発酵させる.発酵後期には,発酵中に発生する炭酸ガスとともに液上層に浮き上がることからその名がつけられた.一方,下面発酵ビール酵母は,ラガータイプのビール醸造に使用され,10°C前後の低温で比較的時間をかけて発酵させる.下面発酵ビール酵母によるラガータイプのビールは,ドイツで気温の低い時期につくられ,微生物汚染がなく香味の安定したビールであったために世界で広くつくられるようになった.また,下面発酵ビール酵母は発酵後期には凝集してタンク底に沈降するという特徴的な性質をもつ.ビール醸造において下面発酵ビール酵母の凝集沈降能は極めて重要な性質であり,沈降した酵母はタンク底より引き抜いて回収され,次のビール醸造に繰り返し利用される.繰り返し使用することで培養の手間が省けること,また遠心分離せずに酵母回収ができることから効率的なビールつくりが可能となっている.下面発酵ビール酵母によるビール醸造が広まったのは19世紀になってからであり,古くからビール醸造に用いられていた上面発酵ビール酵母よりも歴史が浅いが,繰り返し発酵による効率の良さや低温発酵による微生物汚染抑止効果等製造上有利なこともあり,下面発酵ビール酵母によってつくられるラガータイプのビールは世界で主流となった.下面発酵ビール酵母は,ビールつくりに適しておりかつ嗜好性の高いビールをつくりうる酵母としてヒトにより選ばれてきたのである.
上面発酵ビール酵母 | 下面発酵ビール酵母 | |
---|---|---|
つくられるビール | エール | ラガー |
分類 | Saccharomyces cerevisiae | Saccharomyces pastorianus |
発酵挙動 | 炭酸ガスとともに液上層に浮き上がる | 発酵後期にて凝集し,タンク底に沈降する |
凝集沈降能 | 弱い | 強い |
発酵温度 | 20°C前後 | 10°C前後 |
低温発酵能 | 弱い | 強い |
世界中で広く飲まれるラガータイプのビールをつくる下面発酵ビール酵母は,近年その由来や性質についての研究が試みられるようになり,分類学上の位置づけについても幾多の変遷を経て現在の説に至っている.酵母純粋培養法を確立したハンセンは,自身が所属していた醸造所にてビール醸造に使用されていた酵母の単離を行い,上面発酵ビール酵母をSaccharomyces cerevisiae,下面発酵ビール酵母をSaccharomyces carlsbergensisと命名して報告した(5)5) C. Børsting, R. Hummel, E. R. Schultz, T. M. Rose, M. B. Pedersen, J. Knudsen & K. Kristiansen: Yeast, 13, 1409 (1997)..その後1987年にはマルティーニにより下面発酵ビール酵母はS. cerevisiaeとSaccharomyces bayanusの両方に対してDNA相同性を示すSaccharomyces pastorianusとして報告され(6)6) A. V. Martini & M. Martini: Antonie van Leeuwenhoek, 53, 77 (1987).,1988年には分類学書においてもS. pastorianusとして分類された(7)7) C. P. Kurtzman & J. W. Fell: The Yeasts: a taxonomic study. Fourth edition, Elsevier Science Publishers, 1998..以来,下面発酵ビール酵母はS. cerevisiaeとS. bayanusの融合体であると考えられていたが,2011年に南米パタゴニアの森に生息するブナの葉より野生酵母Saccharomyces eubayanusが発見され,その全ゲノム配列解読結果よりS. pastorianusはS. cerevisiaeとS. eubayanusとの融合体であると提唱されて以降(8)8) D. Libkind, C. T. Hittinger, E. Valério, C. Gonçalves, J. Dover, M. Johnston, P. Gonçalves & J. P. Sampaio: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 108, 14539 (2011).,現在はその説で落ち着いている.
ビールの一般的なつくり方について簡単に述べる.ビール醸造は,大きく「仕込工程」「発酵工程」「熟成・貯酒工程」に分けられる(図1図1■ビールのつくり方).仕込工程では原料である大麦やその他副原料を煮ることで,原料に含まれるデンプンを麦に含まれるアミラーゼなどの酵素を利用して酵母が資化可能なグルコースやマルトースに,タンパク質はプロテアーゼによりペプチドやアミノ酸に分解する.得られた液を濾過して穀皮などの不要物を除去し,ホップと一緒に高温で煮沸することで苦味の付与などを行う.得られた液は麦汁と呼ばれる.次いで発酵工程では,麦汁にビール酵母を添加してアルコール発酵を行う.ビール酵母は麦汁中に含まれるグルコースやマルトースといった糖を資化してアルコールと炭酸ガスを生成する.また麦汁中のアミノ酸はビール酵母の増殖時に消費されるほか,ビールの香味に寄与するさまざまな成分の生成に利用される.発酵が終了したら,熟成・貯酒工程へと移行し,ビールにおいては不快臭と呼ばれる香味成分をビール酵母に還元させるほか,低温でおくことで発酵により生じた炭酸ガスを溶解させる.こうして得られたビールは必要に応じてろ過することでビール酵母などを取り除き,容器に詰められて製品化される.
発酵工程はビール醸造における重要な工程の一つであり,その挙動はアルコール生産力やビールの嗜好性を左右する香味成分の生成など,ビール品質に大きく影響する.発酵力が強く発酵が速く進めば,アルコール収得量の向上や発酵期間の短縮が望める.反対に,発酵力が弱い場合,発酵期間延長による製造効率低下に加え,ビール中の残糖増加やアルコール量低下により好ましくない品質のビールとなる恐れがある.したがって,目標とするつくりたいビールに合った高い発酵力をもつ酵母の選択・使用が望まれる.ビール酵母の発酵力がビール品質にどのように影響するのか,ここでは日本市場で重要なビールの特性の一つであるキレと,近年注目される醸造技術の一つである高濃度醸造を例に挙げて説明する.
まずビールのキレについて,キレは一般に飲んだ際に感じる風味(味・香り)がすぐに消え,突出した風味が残らず後味がすっきりしていることを言う.飲みやすさや食事との相性など,その嗜好性の高さからキレは日本のビール市場において重要な特性の一つとなっている.キレに寄与する因子は複数あると推測され,いまだわかっていないことが多い.一方,ビール酵母の発酵力は糖の取り込み速度に影響し,ビール中の残糖量はキレの良し悪しにかかわることが知られている.残糖量が多ければそれは後味に寄与し,結果として後味の残る,キレ評価としては好ましくないビールとなる.キレの良いビールをつくるためには糖の消費能力に優れた発酵力の高いビール酵母の使用が望ましい.発酵力に優れており発酵後の残糖量が少なく,つくられたビールのキレ評価が高い酵母は経験的に得られてはいるが,その特性を裏付けるような研究は少なく,知見の獲得が望まれている.
続いて高濃度醸造について,近年,高濃度醸造と呼ばれる,通常よりも糖分などのエキス分含量の高い麦汁を発酵させる新しい醸造技術の確立が求められている.エキスとは麦汁の濃さを表す値であり,麦など原料由来の糖などの成分濃度のことを指し,一般に比重計を用いて測定されるビールの管理指標の一つである.一般的にビールは,エキス分10~12%程度の麦汁から発酵によりアルコール5%(v/v)程度を生成させて製造している.通常よりも高いエキス濃度の麦汁を発酵させ,より高いアルコール濃度のビールを製造することができれば,それを希釈して使用することでコスト削減や製造効率向上が見込めるほか,高アルコールビールといった新価値をもつビールをつくることも可能となる.これまでに酸素供給量を増やす(9)9) B. R. Gibson, S. J. Lawrence, J. P. Leclaire, C. D. Powell & K. A. Smart: FEMS Microbiol. Rev., 31, 535 (2007).,発酵温度を上げる(10)10) G. Beltran, N. Rozès, A. Mas & J. M. Guillamón: World J. Microbiol. Biotechnol., 23, 809 (2007).といった方法でビール酵母の発酵を促進しようという試みがなされているが,高浸透圧や高アルコールといったストレス条件下では増殖阻害による発酵遅延が生じ,さらには発酵を停止してしまうため健全な発酵ができない.また,高濃度醸造下では多量のグルコースの存在によるマルトース資化関連遺伝子の発現抑制によっても発酵遅延が生じてしまうため(9)9) B. R. Gibson, S. J. Lawrence, J. P. Leclaire, C. D. Powell & K. A. Smart: FEMS Microbiol. Rev., 31, 535 (2007).,結果として発酵性糖がビール中に残存して嗜好性を左右するキレにも影響してしまうといった問題があり,高濃度醸造の実現は現状では困難である.そこで,高濃度醸造に適したビール酵母の選択,また発酵力向上に寄与する因子の解明が望まれている.
上述のとおり,下面発酵ビール酵母はS. cerevisiae型(Sc型)とS. eubayanus型(Se型)のゲノムを有する異種高次倍数体であり,その複雑な遺伝的背景も発酵機構の解明を難しくしている.下面発酵ビール酵母はSc型とSe型,またSc型およびSe型両方との相同性を示す新規ホモログ遺伝子を保有しており,それぞれが機能して固有の醸造特性を発揮していることが推察される.多くの研究がなされているS. cerevisiaeとは異なる下面発酵ビール酵母ならではの特性を明らかとすることが望まれる.
また,高次倍数体の染色体およびゲノムは不安定であると言われており,ストレス条件下などで酵母は染色体の部分欠失や重複といった変化を起こすことが知られている(11)11) J. M. Sheltzer, H. M. Blank, S. J. Pfau, Y. Tange, B. M. George, T. J. Humpton, I. L. Brito, Y. Hiraoka, O. Niwa & A. Amon: Science, 333, 1026 (2011)..この不安定さも一助となって,人類はビール醸造の長い歴史を経てビール環境に適応した酵母を獲得していった.たとえば,一般的な下面発酵ビール酵母は麦汁中に多く含まれる糖であるマルトース・マルトトリオースの取り込み遺伝子Se型MAL31やビールの香味を劣化させてしまうおそれのある酸化への耐久性を獲得可能である亜硫酸生成経路上の数種の遺伝子のコピー数が倍加していることが明らかとなっている(12)12) Y. Nakao, T. Kanamori, T. Itoh, Y. Kodama, S. Rainieri, N. Nakamura, T. Shimonaga, M. Hattori & T. Ashikari: DNA Res., 16, 115 (2009)..先に述べた下面発酵ビール酵母の特徴の一つである凝集沈降する性質を利用したビール醸造における酵母の繰り返し発酵は,時に染色体のダイナミックな変化を引き起こし,産業上有利な酵母へと進化する一因となっていると考えられる.
下面発酵ビール酵母の高次倍数体という特徴は,ビール醸造に適した酵母へと進化を遂げた意味で非常に有効であったが,一方,その複雑な遺伝的背景のためいまだ不明なことも多くビール酵母の特徴を裏付けるようなさらなる研究が望まれている.ここでは,近年明らかとなってきた下面発酵ビール酵母の発酵性に寄与する因子について,筆者らの研究をもとにその一部を紹介する.
日本で製造されるビールのほとんどをラガータイプのビールが占めており,ビールの香味に影響する下面発酵ビール酵母の特性について注目されている.特に,ビール酵母の発酵力はビールの品質を左右する.たとえば,日本市場において重要なビールの官能特性の一つであるキレと発酵とのかかわりは深く,上述したようにキレの良いビールをつくるためには糖の取り込み能力に優れたビール酵母の使用が望ましい.当社では,保有する酵母ストック中の下面発酵ビール酵母から,キレの良いビールをつくる酵母の候補として,親株よりも発酵速度が速く,発酵終了時の残糖が少ない酵母の選抜をビールの繰り返し発酵による馴化培養によって行っているが,その要因については明らかとなっていなかった.そこで本選抜株の高い発酵力に寄与している遺伝子の解明を目的として,親株と選抜株について次世代シーケンサによるゲノム比較解析が行われた.結果,選抜株では親株と比較してグルコース取り込み,タンパク質合成,解糖系など,発酵促進にかかわる遺伝子が座乗するいくつかの染色体のコピー数が倍加していることが示されている(13)13) M. Oomuro, Y. Motoyama & T. Watanabe: J. Inst. Brew., 125, 47 (2019)..
続いて,株間で差異が見られた染色体に座乗する遺伝子のなかで,グルコースを感知して下流のグルコース取り込み遺伝子の発現を上昇させる役割をもつSe型YCK1(SeYCK1)遺伝子(14, 15)14) H. Moriya & M. Johnston: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 101, 1572 (2004).15) C. Snowdon & M. Johnston: Mol. Biol. Cell, 27, 3369 (2016).に着目した検証が行われている.アルコール発酵においていくつかの重要な因子が特定されており,その一つは解糖系の律速段階である糖の取り込みである(16, 17)16) A. Kotyk & A. Kleinzeller: Biochim. Biophys. Acta, 135, 106 (1967).17) J. U. Becker & A. Betz: Biochim. Biophys. Acta, 274, 584 (1972)..麦汁中に含まれる主な発酵性糖は,一般的にマルトース(約50~60%),グルコース(約20%),およびマルトトリオース(約20%)である.これら資化性糖の中で,酵母は取り込みやすいグルコースを優先して消費し,増殖・発酵を開始する.またグルコース取り込みの遅延は,酵母細胞外グルコースの存在により麦汁中に多く含まれるマルトースやマルトトリオースの資化にかかわる遺伝子の発現抑制を引き起こし,糖の取り込み速度に影響を及ぼす(18, 19)18) H. J. Federoff, T. R. Eccleshall & J. Marmur: J. Bacteriol., 156, 301 (1983).19) J. M. Gancedo: Microbiol. Mol. Biol. Rev., 62, 334 (1998)..以上のことから,発酵初期のグルコースの取り込み能力は発酵が健全に進むかを決める鍵を握っていると考えられ,ビール醸造中の発酵速度に大きく影響するグルコース取り込みの調節機構に焦点が当てられた.近年の研究により,グルコース取り込みにかかわるSeYCK1遺伝子をモデル下面発酵ビール酵母にて過剰発現させると,発酵が促進されることが明らかとなっている(13)13) M. Oomuro, Y. Motoyama & T. Watanabe: J. Inst. Brew., 125, 47 (2019)..本結果は,SeYCK1遺伝子のコピー数倍加に伴う遺伝子発現レベルの向上による発酵促進が,糖の取り込み量を最大限にしてビール中の余分な後味を減らし,キレの良さを実現していることを示唆している.今後,ビール醸造における繰り返し発酵後のSeYCK1遺伝子のコピー数増減を評価することで,実製造における繰り返し酵母の使用可否判断など,酵母発酵性の判断指標の一つとしての展開が期待される.
先に述べたように,高エキス濃度の麦汁を発酵させる高濃度醸造と呼ばれる醸造技術の実現が求められている.そこで高濃度醸造下における下面発酵ビール酵母の発酵性に寄与する因子の解明を目的とし,清酒もろみ発酵中にアルコール20%(v/v)程度を産生することが知られる清酒酵母の特性に着目した研究が行われた.近年,清酒酵母の高発酵性の一因として,清酒酵母はアルコール濃度の上昇を含む多様な外界ストレスを感知しても増殖を停止せず,休止期(G0期)移行に欠損を示すこと,すなわち細胞周期と関係があることが報告されている(図2図2■清酒酵母の特徴).多くの酵母は,ストレスを感知するとRim15タンパク質の活性化によって休止期移行が引き起こされるが,一部の近代清酒酵母においては,RIM15遺伝子上の機能欠失変異によって休止期移行に欠損が生じることが明らかとされている(20)20) D. Watanabe, Y. Araki, Y. Zhou, N. Maeya, T. Akao & H. Shimoi: Appl. Environ. Microbiol., 78, 4008 (2012)..また,実験室酵母と比較して,清酒酵母菌株Kyokai no. 7(K7)におけるG1サイクリンCLN3 mRNAの発現は発酵中に上昇することが報告されている(21)21) D. Watanabe, S. Nogami, Y. Ohya, Y. Kanno, Y. Zhou, T. Akao & H. Shimoi: J. Biosci. Bioeng., 112, 577 (2011)..モデル下面発酵ビール酵母にRIM15遺伝子破壊やCLN3遺伝子分解抑制変異を導入し,清酒酵母と同様の休止期移行欠損を示すよう作製した株では高濃度醸造下において発酵速度が向上することがわかっており,下面発酵ビール酵母の発酵性と細胞周期に関連があることが示されている(22)22) M. Oomuro, T. Kato, Y. Zhou, D. Watanabe, Y. Motoyama, H. Yamagishi, T. Akao & M. Aizawa: J. Biosci. Bioeng., 122, 577 (2016)..本知見は細胞周期をターゲットとして高発酵力を示す酵母の育種に応用して高濃度醸造に利用すること,また酵母の状態把握のために発酵中の細胞周期をモニタリングして酵母活性の判断指標とすることなどへの利用が期待できる.
上述の研究では細胞周期関連遺伝子を改変することで高濃度醸造下における下面発酵ビール酵母の発酵力向上に成功しているが,日本市場において遺伝子組換え体酵母の使用は倫理的ハードルが高く,遺伝子組換え技術によらず育種することが好ましい.そこで,下面発酵ビール酵母の発酵中に変化する代謝産物に焦点を当てた研究が行われた.高濃度醸造下における発酵中の酵母菌体内代謝産物の網羅解析により,S-アデノシルメチオニン(SAM)(図3図3■S-アデノシルメチオニンと周辺代謝経路)が増加していることが明らかとされた(23)23) M. Oomuro, D. Watanabe, Y. Sugimoto, T. Kato, Y. Motoyama, T. Watanabe & H. Takagi: J. Biosci. Bioeng., 126, 736 (2018)..SAMはアルコール20%(v/v)程度まで生成可能な清酒酵母において高蓄積することが知られており(24, 25)24) S. Shiozaki, S. Shimizu & H. Yamada: Agric. Biol. Chem., 48, 2293 (1984).25) M. Kanai, T. Kawata, Y. Yoshida, Y. Kita, T. Ogawa, M. Mizunuma, D. Watanabe, H. Shimoi, A. Mizuno, O. Yamada et al.: J. Biosci. Bioeng., 123, 8 (2017).,さらには解糖系調節にSAMが関与している(26)26) S. Li, S. K. Swanson, M. Gogol, L. Florens, M. P. Washburn, J. L. Workman & T. Suganuma: Mol. Cell, 60, 408 (2015).という知見もあることから,SAMがアルコール発酵に及ぼす影響について検証が行われた.高濃度麦汁中へのSAMの添加やSAMを酵母菌体内に高蓄積することで知られるADO1遺伝子破壊(27, 28)27) A. Iwashima, M. Ogata, K. Nosaka, H. Nishimura & T. Hasegawa: FEMS Microbiol. Lett., 127, 23 (1995).28) M. Kanai, M. Masuda, Y. Takaoka, H. Ikeda, K. Masaki, T. Fujii & H. Iefuji: Appl. Microbiol. Biotechnol., 97, 1183 (2013).が発酵速度を向上させる効果があることが示され,SAMの酵母菌体内への高蓄積が高濃度醸造下において下面発酵ビール酵母の発酵性に寄与することが明らかとされている(23)23) M. Oomuro, D. Watanabe, Y. Sugimoto, T. Kato, Y. Motoyama, T. Watanabe & H. Takagi: J. Biosci. Bioeng., 126, 736 (2018)..さらに,SAMを高蓄積することで知られる薬剤であるコルディセピンに耐性(29)29) K. Lecoq, I. Belloc, C. Desgranges & B. Daignan-Fornier: Yeast, 15, 335 (2001).を示す株がモデル下面発酵ビール酵母より取得され,当株が親株よりも高濃度醸造下で発酵が促進されることが示されている(23)23) M. Oomuro, D. Watanabe, Y. Sugimoto, T. Kato, Y. Motoyama, T. Watanabe & H. Takagi: J. Biosci. Bioeng., 126, 736 (2018)..また,その際の発酵終了時の酵母菌体内SAM含量はコルディセピン耐性株で親株よりも上昇していた.本知見は,遺伝子組換え技術によらない,コルディセピンを指標とした高発酵力をもつ下面発酵ビール酵母の新規育種技術として活用できる可能性を秘めており,食品製造において遺伝子組換え体使用のハードルが高い日本市場において意義深い.またこれまでにSAMが発酵に影響するという報告はなく,本研究をもとに解糖およびアルコール発酵調節の新規メカニズム解明への貢献が望まれる.
今回は,下面発酵ビール酵母の発酵性に寄与する因子について最新の研究成果を紹介した.ビール酵母によるアルコール発酵は古くから人類に親しまれている身近なものであり,ビール酵母はビールつくりの長い歴史を経て特徴的な性質,たとえば下面発酵ビール酵母の低温増殖能や凝集沈降能などを獲得していった.ビールつくりという特殊な環境に合うようビール酵母が進化していったともいえる.今回紹介したビール酵母の発酵性に寄与する因子に関する研究については,得られた知見を高濃度醸造や新規酵母育種へ応用しようという試みがなされている.自然選択を待つのではなく,酵母の特徴を理解し,新規育種技術や品質を安定的かつ効率的に醸造する技術を獲得してビール酵母をさらに進化させていくことでビール醸造技術は飛躍的に発展していくだろう.嗜好性の多様化に伴い高濃度醸造だけでなくさまざまなビールが求められている今,先人たちによる下面発酵ビール酵母の分類や特徴的な遺伝子同定の研究を礎に,今回紹介したような知見をさらに蓄積していくことでヒトがビール酵母を進化させ,ビール醸造とビール酵母の新たな歴史が築かれていくことに期待したい.
Reference
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