海外だより

バクテリアtRNA修飾研究の海外動向tRNA転写後修飾によるタンパク質翻訳制御機構

Ryuichi Takase

髙瀬 隆一

京都大学

Published: 2019-03-01

筆者は日本で博士を取得後,米国東部ペンシルベニア州フィラデルフィアのThomas Jefferson Universityにて3年半の間,博士研究員としてタンパク質翻訳制御機構についての研究を行いました.私なりの視点で,米国での研究動向や研究生活をご紹介いたします.ご参考になりましたら幸いです.

タンパク質の構造機能相関研究から海外で核酸化学研究へswitch!

筆者は常温常圧,水溶媒中でさまざまな化学反応を制御することで生命を維持する酵素に興味を抱き,その機能を制御することを目的とした微生物由来タンパク質の構造機能相関解明をテーマとして博士の学位を取得しました.X線結晶構造解析により還元酵素の立体構造を決定し,酵素の触媒部位の電荷と空間容積を形成する2本のループを交換することで,還元酵素の補酵素(NADP(H)あるいはNAD(H))要求性を高い酵素活性を保ったまま変換することに成功しました(1)1) R. Takase, B. Mikami, S. Kawai, K. Murata & W. Hashimoto: J. Biol. Chem., 289, 33198 (2014)..論文発表から約1週間後に,米国Thomas Jefferson UniversityにてtRNA転写後修飾をはじめとする核酸化学の研究を推進しているYa-Ming Hou教授より博士研究員のポスドクのポジションを打診されました.Ya-Ming Hou教授はtRNAの修飾酵素に関する研究で著名ですが,それまで筆者は核酸化学のことは疎く,存じ上げておりませんでした.筆者は元々,学位取得後はタンパク質の構造機能相関をさらに追求したいと考えておりましたが,このポスドク打診のお話をいただいた際,直感でこのお話を受けてみようと感じ,履歴書の提出とインターネット通話ソフトスカイプによる面接を済ませ,無事博士研究員として受け入れていただくことになりました.渡米前に読んでおくように渡された参考論文を読み進めていくうちに,tRNAの転写後修飾とヒトの疾患の関係に関する研究など,筆者にとって全く新しい分野であると感じましたが,酵素の反応速度論的解析などは自身が行っていた研究と共通しており,少しは役立つことができそうだと思いました.しかし,核酸化学に関する知識の乏しさゆえ,その後苦労することとなります.

ユーミン戦法とノーゴール助っ人外国人

行き先が決まってからも博士論文の作成やパスポート・ビザの取得などで忙しく,緊張をする間もない状態で渡米し,あれよあれよという間にポスドク生活が始まりました.筆者が日本を出たのはこれが初めてでした.出発の際,ラボの後輩が見送りに来てくれたことが非常にうれしかったことを思い出します.肝心の英語ですが,予想どおり初日から自分の英語が通じないうえに相手に何を言われているかもよくわからないということを痛感しました.しかし何としてでも意思疎通を図ろうとして,筆者が生み出した苦し紛れの策が「ユーミン戦法」です.これは相手に質問をされた際,何を言われたかわからないものの,かすかに聞き取った単語,相手の表情や身振り手振り,その場の状況などから言いたいことを一瞬で予測し,それをYou mean ~? と自分の言葉で確認するという手法です.相手の質問とは違った場合はNoと言われるため,正解するまで繰り返し確認し続けるはめになります.時間はかかりますが,これで何とかコミュニケーションがとれるということがわかり,この戦法に1年近くお世話になりました.

図1■大学よりフィラデルフィア・センターシティーを望む

さて,肝心の研究ですが一生懸命やったつもりでも1年目は議論についていけず,またほとんどポジティブな結果を出すこともできませんでした.それにもかかわらずラボから給料をもらっているという立場上,次第にラボに居辛くなってしまいました.例えるならばサッカーで海外から移籍してきたフォワードの助っ人外国人選手が1シーズンノーゴールというようなものです.初めての海外生活で心細かったこともあったと思いますが,もう辞めて帰国してしまおうかと毎日考える日々を過ごしていました.そんな折,ずさんな体調管理などが原因で体調を崩して入院してしまいました.幸い,2週間ほどゆっくりすることができたのですが,少し元気が回復したお陰か,筆頭著者として論文を一報書いて帰る覚悟を決め,粘ることにしました.退院後も相変わらずデータが出ずに辛い日々は続きましたが,どうにかして過ごしていると徐々にデータも出るようになってきて,それに伴い次第に周りからも認められるようになり,居心地もよくなっていきました.また,英語で意思疎通が図れるようになってくると,日本で学生時代に学んだこともしっかり生かせるようになり,自分がラボに貢献していると実感できるようになっていきました.

研究の厳しさ~scrap and build

アメリカは競争が激しいということは事前に覚悟していましたが,果たして予想どおりでした.ポスドクはもちろん,研究室の主催者も強いプレッシャーの下で必死に研究を行っています.3年間予算を取れない状況が続くと,研究室が強制的に閉鎖されると耳にしました.実際,同じ研究棟に入っているほかの研究室が閉鎖された際は,残された実験器具などをもらいに行きました.あまり人目につかないよう(?)夕方以降にもらいに行きましたが,後片付けもされずにガラーンとした,機能を停止したラボの光景は予想を超えるインパクトがありました.その後,他大学から新たな研究チームがやって来てラボを構えました.こうして競争力を失ったラボを強制的に閉鎖し,新たな研究チームを迎え入れるシステム(scrap and build)により,高い研究レベルが保たれています.また,自分自身のみならず,ラボ全体でも良い結果が出ずに,思うように予算が取れない苦しい時期も経験しましたが,Hou教授の決して諦めない気迫も身近で感じとることができました.Hou教授は常にレベルの高いサイエンスを行うために妥協を許さず,時にたいへん厳しい要求をされますが,その姿勢はたいへん勉強になりました.そうして我慢の時期を乗り越え,予算状況も軌道に乗ってくるという経験を通じて,徐々にですが自分もタフになっていくことができたように思います.