巻頭言

造語のすすめ「希少糖」

Ken Izumori

何森

香川大学名誉教授

Published: 2020-04-01

希少糖は「自然界に存在量が少ない単糖とその誘導体」と国際希少糖学会(本部は香川大学)で定義されました.多くの物質の定義は,その性質や機能などに基づいて決められています.しかし希少糖の定義には,その性質とか機能などは含まれていないのです.そのかわりに存在量が定義に含まれています.

希少糖という言葉ができる以前には,非発酵性単糖とか,珍しい単糖などと記載され,明確な学術用語はありませんでした.研究材料としての入手も困難で1gが数十万円と高価なものも多いので,研究者はほとんど扱いませんでした.したがって,これらの単糖を表現する言葉は必要なかったのです.

希少糖の研究は「作ることを目的」として始まりました.具体的な用途を目標とすることなく研究は始められたのです.炭素数4, 5, 6のアルドース,ケトース,糖アルコールは全部で59個存在します.そのなかで存在量の少ないものは50個ほどです.これらを一つずつ作っていく中で,存在量の少ない単糖全体を表す言葉が必要だと感じ,何となく「希少糖」という言葉を造ったのでした.その後,国際希少糖学会で正式に定義が定められました.そのときの議論で,量を明確に定義する必要はないかという指摘がありましたが,当面は曖昧さを残したままの定義とすることとなったのです.

曖昧であっても希少糖という言葉を造ることで,存在量が少なくこれまで注目されなかった単糖を明確に認識できるようになりました.59種のアルドース,ケトース,糖アルコールを全部作る設計図(Izumoring:イズモリング)も完成し,大量生産が可能な希少糖もできました.これらの経験から,新しい概念を造語として表現することは重要だと実感します.造語は自由で,研究費も許可も不要です.学生たちに「造語のすすめ」をアドバイスすることにしているのです.

バイオの21世紀は高分子の遺伝子とタンパク質が主役ですが,一方で分子量が200に満たない小さな分子の希少糖の研究が進められています.これは,低分子である希少糖の高分子への挑戦だといえそうです.発展している最新のバイオ技術を使って希少糖を作り,用途の研究も進展して,希少糖の一つであるD-プシコースが機能性甘味料として大量生産が世界中で始まっています.2019年12月には世界12カ国からの研究者が集まり,国際希少糖学会の第7回コングレスが香川で開催されホットな討論が行われました.

香川大学では全学的な研究教育組織として国際希少糖研究教育機構が設立され,学部を超えた多くの研究分野での研究開発に取り組んでいます.また農学部では,希少糖学などの授業科目として,学生たちへの教育も行われています.希少糖という言葉を造った頃には想像もできなかったことです.

2018年に10年ぶりに改訂された第7版の広辞苑に「希少糖」という言葉が記載されました.「プシコース」も希少糖の一つとして記載されたのです.研究が進んで希少糖が大量に生産されるようになったことで,生理機能も発見され,社会に定着した言葉となったものと感慨深い出来事です.「造語のすすめ」そのものです.広辞苑に載ったことを香川大学農学部ホームページでは「希少糖が文化にまで発展した」と紹介されました.

さらに2019年開催の瀬戸内国際芸術祭に,希少糖をアートで表現した作品「Izumoring-cosmos of rare sugar」(作家名:太田泰友×岡薫/香川大学国際希少糖研究教育機構後援)を出展して参加しました.これは希少糖が科学から文化へ,そして芸術へまで発展したということです.

二十数年前に何となく造った「造語の希少糖」は,これから何処へ旅をするのか,楽しみにしているところです.