解説

中枢ノルアドレナリンの最終代謝産物である3-methoxy-4-hydroxyphenylglycol(MHPG)の唾液ストレスマーカーとしての有用性

Usefulness of 3-Methoxy-4-hydroxyphenylglycol (MHPG) of the Final Metabolite in Central Noradorenaline as a Salivary Stress Marker

Hisayoshi Okamura

岡村 尚昌

久留米大学高次脳疾患研究所

Akira Tsuda

津田

久留米大学文学部心理学科

Published: 2020-05-01

ストレスおよび健康に関する今日の主要な研究テーマの一つは心身相関の解明,すなわち,ストレス関連疾患の発症と経過に関わる心理社会的ストレッサーの心身に及ぼす影響性と個人差について,バイオロジカルマーカーを用いた生物心理社会的機序の解明である.ストレスや健康状態を客観的に評価する唾液中バイオマーカーを用いた研究により一定の成果が得られつつある.そのなかでも,脳に由来するノルアドレナリン神経系の最終代謝産物である唾液中3-methoxy-4-hydroxyphenylglycol(MHPG)は不安および緊張状態を敏感に反映する有用な指標として以前から期待されてきた.本稿では,1)ストレス状況下におけるヒトのMHPGの代謝経路について概説し,2)ストレスおよび健康の客観的指標としての唾液中MHPG(sMHPG)の有用性についてわれわれの知見を引用しながら紹介する.

生体のストレス反応

外界からのさまざまな刺激(ストレッサー)は,まず大脳皮質で知覚され,視床下部に伝えられた後,次の2つの反応経路に分かれることが知られている(1)1) S. F. Maier & L. R. Watkins: Psychol. Rev., 105, 83 (1998)..一つは,交感神経-副腎髄質(sympatho–adrenal medullar; SAM)系であり,カテコールアミンを放出する.もう一方は下垂体-副腎皮質(hypothalamus–pituitary-adrenal; HPA)系であり,コルチゾールやデヒドロエピアンドロステロン(dehydroepiandrosterone; DHEA)などを分泌する.これらの反応に免疫系の調節機能が加わり,心身のバランスを保つ機構(ホメオスタシス)が発動する.これら3つの系はストレッサーの強度ならびに,短期・長期的なストレス事態によって,反応がダイナミックに変化することからストレスマーカーと称される(2)2) 野村収作,水野統太,野澤昭雄,浅野裕俊,井出英人:バイオフィードバック研究,36,23(2009).

SAM系がカテコールアミンによって活性化すると,心臓血管系と神経内分泌系では血圧や心拍,呼吸数,血糖値が上昇し,逆に消化活動が抑制される.これらの変化は,生体がストレッサーに対処できるように作用する.すなわち,ストレッサーによって引き起こされた怒り・恐怖などの緊急事態に対して生体が適応するための合目的な反応となる.しかし,近年ではカテコールアミンの増加は,社会的あるいは精神的な脅威によって特異的に惹起されていると考えられている(3, 4)3) S. Cohen, W. J. Doyle & A. Baum: Psychosom. Med., 68, 414 (2006).4) B. T. Mausbach, S. Ancoli-Israel, R. von Känel, T. L. Patterson, K. Aschbacher, P. J. Mills, M. G. Ziegler, J. E. Dimsdale, S. Calleran & I. Grant: Sleep, 29, 1347 (2006)..一方,HPA系が活性されると,血圧上昇,血糖上昇(糖新生の増加),心収縮力の上昇,心拍出量の上昇,免疫系(炎症抑制)などさまざまな生体機能の調節に影響を与える(5)5) 田中喜秀,脇田慎一:日薬理誌,137, 185(2011).

中枢神経と末梢神経におけるカテコールアミン代謝とMHPG

ノルアドレナリン(ノルエピネフリン)およびアドレナリン(エピネフリン)は自律神経系を反映する代表的なカテコールアミンとして,一般的に広く測定されてきた.カテコールアミンにはドーパミン(ノルアドレナリンの前駆体)も含まれ,脳や交感神経または副腎髄質において,アミノ酸の一種であるチロシンの水酸化および脱炭酸化によって合成される.

ノルアドレナリンとアドレナリンは,カテコール-O-メチル転換酵素(catechol-O-methyltransferase; COMT)やモノアミン酸化酵素(monoamine oxidase; MAO)により不活性代謝産物に変換される.中枢神経(大部分は青斑核)由来のノルアドレナリンは,アルデヒド脱水素酵素の作用により3, 4-ジヒドロキシフェニルエチレングリコール(3, 4-dihydroxyphenylethyleneglycol; DOPEG)に転換されCOMTの働きにより最終代謝産物のバニリルマンデル酸(vanilil mandelic acid; VMA)またはMHPGになる.一方,末梢クロム親和組織(交感神経あるいは副腎髄質)でのノルアドレナリンおよびアドレナリンは,アルデヒド脱水素酵素ではなく,アルデヒド酸化酵素,次いでCOMTによる代謝を受け最終産物のVMAに変換される(6)6) 米田 実,眞田寛啓:日本臨牀,68, 426(2010).図1図1■MHPGの代謝経路).

図1■MHPGの代謝経路

MHPGへの産出には,カテコールアミン-o-メチル転換酵素(COMT)とモノアミン酸化酵素(MAO)が関与し,アルコール脱水素酵素によるアルデヒド基の還元反応で,MHPGへと代謝される.文献6をもとに改変.AD: アルデヒド脱水素酵素,AO: アルデヒド酸化酵素.

体液中のMHPGは,中枢神経活動の変化に伴い増減するが,必ずしも末梢交感神経活動と相関が認められないことから,中枢神経由来のカテコールアミン代謝と末梢におけるカテコールアミン代謝動態には明らかな違いがあると考えられている.ノルアドレナリンの最終代謝産物であるMHPGは,中枢および末梢交感神経終末におけるカテコールアミン代謝と密接な関連があり,生体内のストレス状況を示す有用な指標として利用されている(7)7) T. Reuster, O. Rilke & J. Oehler: Psychopharmacology (Berl.), 162, 415 (2002).

MHPGは,主にラットの脳では硫酸抱合体となるが,ヒトの脳では脂溶性の遊離型MHPG(free-MHPG)となり,脳血管関門を通過して末梢血液循環に移行し,肝臓および腎臓でグルクロン酸抱合または硫酸抱合を受ける.そのため血漿中および尿中には比較的多く含まれており,末梢のMHPGの25~60%が中枢由来であると言われているが,報告によって大きく隔たりがある(8)8) J. D. Cooper, F. E. Bloom & R. H. Roth: “The biochemical and basis of neuropharmacology 7th,” Oxford University Press, 1996..唾液中では80%以上が遊離型MHPGである.

異なる試料におけるMHPGの基準値と異常値を示す病態および疾患

健常者の唾液中MHPG(sMHPG)濃度は7~10 ng/mLであり血漿中MHPG濃度の約2倍になる(9)9) S. Yamada, J. Yajima, M. Harano, K. Miki, J. Nakamura, A. Tsuda, H. Shoji, H. Maeda & M. Tanaka: Int. Clin. Psychopharmacol., 13, 213 (1998)..正常値は測定法によって異なるため,値の比較は注意を要する.髄液のMHPG濃度は,血漿中の濃度よりやや高い値を示す(6)6) 米田 実,眞田寛啓:日本臨牀,68, 426(2010).表1表1■尿,血漿,髄液および唾液中MHPGの濃度).

表1■尿,血漿,髄液および唾液中MHPGの濃度
資料正常値単位測定法
尿7.53±135.5µg/dayGC/MS
0.48±0.14µmol/hour
血漿3.80±0.30ng/mLGC/MS
髄液5.50±0.30ng/mLGC/MS
唾液7.90±2.20ng/mLGC/MS
文献6を一部改変.

不安障害を中心に血漿および尿中MHPGを測定した数多くの報告があり,健常者も含めて不安やストレス状態を反映する指標と考えられている.ここではMHPGが異常値を示す主な病態・疾患を紹介する.

統合失調症,とくに未治療の統合失調症患者の血漿および髄液中MHPGは高値を示し,症状改善により,低下することが報告されている.一方,慢性統合失調症患者では,健常者に比較して血漿中MHPGが低値を示し,陰性症状の改善と同時に上昇することが明らかにされている(10)10) R. Yoshimura, N. Ueda, H. Hori, A. Ikenouchi-Sugita, W. Umene-Nakano & J. Nakamura: World J. Biol. Psychiatry, 11, 256 (2010).

術後せん妄の症状を呈している個人ほど血漿中MHPGは高値を示し,症状が改善するに伴って低下することが報告されている.さらに,術前の血漿中MHPG値が高い個人ほどせん妄を発症する傾向が示されている(11)11) J. Nakamura, N. Uchimura, S. Yamada & Y. Nakazawa: Int. Clin. Psychopharmacol., 12, 147 (1997).

そのほか,必ずしも一致した結果は得られていないが,未治療の気分障害(うつ病)や慢性疲労症候群,アルツハイマー病,自閉症では血漿および髄液中MHPGが低値であるといわれている.一方,トゥーレット症候群やハンチントン病,長期にわたる社会的孤立の状態では血漿,尿中および髄液中MHPGが上昇することが報告されている(12)12) 重富秀一:臨床検査,38,158(1994).

sMHPGと血中MHPG

sMHPG濃度は血漿中MHPGと高い相関(r=0.94)が示されていることから,ノルアドレナリン神経系の活性を反映する指標として注目されている.吉村・中村(13)13) 吉村玲児,中村 純:老年精医誌,23,923(2012).は,70歳までの健常者では血漿中MHPG濃度に変化はなく,性差も認められないことを報告しているが,sMHPG濃度においても加齢による変化や男女差は認められず,さらに午前8時から午後8時までの2時間毎の変動もほとんど認められない(14)14) J. Yajima, A. Tsuda & S. Yamada & M. Tanaka: Biog. Amines, 16, 173 (2001)..しかしながら,女性においては性周期の影響を受ける可能性を示唆した報告もあり(15, 16)15) 安納信子:久留米医会誌,69,14(2006).16) G. Y. Li, Y. Imamura, H. Ueki, Y. Yamamoto & S. Yamada: Biol. Psychiatry, 73, 209 (2006).,注意を要する.

唾液中MHPG(sMHPG)の測定

採取方法は,スポンジを(サリソフト:Salisoft, Sarsted社)を用いる方法か,自然に分泌された唾液を短いストローなどによって試験管などの容器に直接流し込む方法(Passive Drool)によって採取することが推奨される.採取された唾液は,大気中の異物との接触に注意し,試料分析まで−80°Cで冷凍保存する.

唾液採取の留意点として,唾液採取1時間前の激しい運動や飲食は避けさせるべきである.アルコールも前日の夜から控えさせるのが望ましい.その他に避けるべきものとしては,薬物や喫煙が挙げられる.もし可能であれば,薬の服用者や喫煙者は,研究対象から除外したほうが望ましい.また,疾患の既往歴も確認し,その既往歴が測定する指標に影響を及ぼす場合には研究対象から除外するべきである.

さらに,唾液を採取する場合は,採取前の歯磨きも避けてもらうよう教示する.歯磨きは歯茎を出血させる可能性があり,得られた唾液に血液が混入すると,測定結果に大きな影響を与える.また唾液を採取する前は可能な範囲で口をゆすがせたほうがよいが,口をゆすいだ直後に唾液を採取すると唾液に水分が混入してしまうため,十分に時間をおいてから唾液を採取するのが望ましいと考えられている(17)17)井澤修平:“生理心理学と精神生理学 第I巻”,北大路書房,2017, p.269.

sMHPG濃度測定には主に高速液体クロマトグラフィ(HPLC),またはガスクロマトグラフィ質量分析(GC/MS)法を用いて測定される.HPLCによる測定は,あらかじめ前処理した唾液を試料にして,逆相分配カラムを用いて分離後に測定する方法(18)18) R. K. Yang, R. Yehuda, D. D. Holland & P. J. Knott: Biol. Psychiatry, 42, 821 (1997).や,セミミクロHPLCをスリーカラムスイッチングシステムとして用いることにより,一切の前処理を行うことなく,十分な感度と精度で測定する方法が用いられる(19)19) 永 忍夫,清水 遵,田丸政男,戸塚裕久:生物試料分析,25,178(2002)..しかしながら,HPLCではクロマトグラム上の挟雑ピークの妨害が問題となる場合が多いため,近年では,高感度で特異性も高いGC/MS法を用いて測定されている.

筆者らは,Yajima et al.(14)14) J. Yajima, A. Tsuda & S. Yamada & M. Tanaka: Biog. Amines, 16, 173 (2001).に従ってGC/MS法を用いて測定した.すなわち,唾液0.2 mLに内部標準物質として10 ngのD3-MHPG(MHPG-d3pipekazine salt, MSD isotopes)と1 mLの0.2 M酢酸ナトリウム緩衝液(pH 4.2)を加え,さらに4 mLの酢酸エチルによる有機溶媒抽出を行い,真空遠心乾燥機を用いて乾固する.その後50 µLのトリフルオロ酢酸を加え,120°Cで20分間加熱して誘導体化する.試料は乾固後に10 µLの酢酸エチルに溶解後,0.1~0.2 µLをGC/MSに注入する.GC/MSは磁場型を用い,信号の検出はMHPG(m/z 472)とD3-MHPG(m/z 475)のイオンをモニターしselected ion monitoring(SIM)法により両者のピーク面積比を算出して定量分析した.測定内変動係数は4%以下,測定間変動係数は6%以下であった.

sMHPGを用いた主なストレス研究

sMHPGは運動や心理的ストレスによって上昇する(20, 21)20) L. Brydon, C. Walker, A. Wawrzyniak, D. Whitehead, H. Okamura, J. Yajima, A. Tsuda & A. Steptoe: Brain Behav. Immun., 23, 217 (2009).21) M. D. Drici, M. Roux, M. Candito, A. Rimailho, P. Morand & P. Lapalus: Clin. Exp. Pharmacol. Physiol., 18, 807 (1991)..例えば,実験室でメンタルストレス課題としてストループ干渉課題やスピーチ課題,Trier Social Stress Test(TSST)の負荷によって有意に上昇することが明らかにされている(22, 23)22) S. Horiuchi, A. Tsuda, H. Okamura, J. Yajima & A. Steptoe: J. Behav. Med., 16, 31 (2006).23) 岡村尚昌,津田 彰,矢島潤平,今村勝喜:Aroma. Res, 49,64(2012)..さらに,メンタルストレス課題によるsMHPGの反応性や回復過程には,精神健康度や睡眠時間などに影響を受けることが示されている.矢島ら(24)24) 矢島潤平,津田 彰,桑波田 卓,山田茂人:行動医研,8,17(2002).は,精神健康調査票(GHQ-28)によって評価された身体的症状の訴えの少ない個人に比較して,それが強かった個人ではストループ干渉課題中および課題後のsMHPGが顕著に高いことを報告している.同様に,筆者らは(25)25) H. Okamura, A. Tsuda, J. Yajima, M. Hamer, S. Horiuchi, N. Toyoshima & T. Matsuishi: Int. J. Psychophysiol., 78, 209 (2010).は,実験室でストループ課題を負荷した際の反応性が習慣的睡眠時間いかんによって異なることを報告している.すなわち,適時間睡眠(6~8時間睡眠)群は課題中に有意に上昇し,回復期で順応期の水準に戻ったのに対し,短時間睡眠(5時間以下の睡眠)群は,基礎値が高く,課題直後には変化を示さなかったが,回復期に顕著な上昇を示した.また,長時間睡眠(9時間以上の睡眠)群においては,課題による変化が認められなかった(26)26) 岡村尚昌,三原健吾,矢島潤平,津田 彰:ストレス科学,29, 29(2014).

さらに,筆者らはUniversity College LondonのAndrew Steptoe教授のグループと共同で抑うつ感情とsMHPGとの関係について調べている.その結果,抑うつ気分の強い個人ほど抑うつ気分が喚起されるスピーチ課題では課題終了後30分後に上昇したのに対し,怒りを喚起するスピーチ課題では課題直後に有意に上昇した(27)27) M. Hamer, G. Tanaka, H. Okamura, A. Tsuda & A. Steptoe: Biol. Psychol., 74, 20 (2007)..このことから,sMHPGのメンタルストレス課題に対する反応性は,課題内容や課題によって喚起される感情に依存する可能性が示唆される.

これらの知見から,状況設定を組織的に操作し,十分に統制された刺激(ストレス)負荷に対する不安や恐怖,抑うつ,怒りなどの気分状態にあるときの中枢ノルアドレナリン神経系やSAM系の動態評価にsMHPGは有用である.すなわち,sMHPGを用いることで非侵襲的に中枢ノルアドレナリン神経系やSAM系の反応に及ぼす健康状態や生活習慣,心理社会的ストレッサーの影響や個人差を明確にすることができる.ストレスに関連する心身疾患の症状や精神疾患の多くは,生理学的経路を介して発現することは明らかである.とくに,ノルアドレナリンはさまざまな精神疾患やストレス関連疾患と関連することが明らかにされていることから,sMHPGを用いてノルアドレナリン神経系の動態がわかることは,心身の変調のみならず,まさにストレス状況に在る,その場所,その時での瞬間的なストレスや精神状態が把握できることになり,ストレスの実体,心身相関のメカニズムに迫るツールとしての期待は大きい.

最近では,急性ストレスに対するアロマ精油や香り成分含有清涼飲料などの抗ストレス効果について,sMHPGを用いた検証が行われている.例えば,Ohara et al.(28)28) K. Ohara, A. Y. Misaizu, Y. Kaneko, T. Fukuda, M. Miyake, Y. Miura, H. Okamura, J. Yajima & A. Tsuda: Nutrients, 11, 9 (2019).は,自律神経活動を調節し,精神的ストレス負荷による交感神経の活性化を抑制すると考えられているβ-ユーデスモール含有清涼飲料の単回摂取が,TSSTを負荷した際の心理生物学的ストレス反応に及ぼす影響について検証した.その結果,コントロール群に比較して,β-ユーデスモールを摂取した群ではTSST負荷直後のsMHPGが有意に低く,β-ユーデスモールが急性ストレス(精神的ストレス)によるノルアドレナリン神経系の活性化を抑制する可能性が示唆された(図2図2■TSST負荷によるsMHPG濃度の変化).このことから,sMHPGがストレスマネジメントや抗ストレスを目的とした栄養補助食品などの効果判定にも,有用な指標になり得ると考えられる.

図2■TSST負荷によるsMHPG濃度の変化

βユーデスモール摂取群ではコントロール群に比較してTSST負荷直後のsMHPG濃度が有意に低く(A),実験実施中全体の濃度も有意に低い(B).文献28を参照.

sMHPGを用いた主な健康心理学的・臨床的研究

sMHPGは,実験室場面でのストレス研究のみならず,健康心理学的・臨床的研究においても,その有用性が報告されている.習慣的に睡眠時間が短い個人ほど主観的健康観が低下しており,それに関連してsMPHGが高値であることが示されている(29)29) 岡村尚昌,津田 彰,矢島潤平,堀内 聡,松石豊次郎:行動医研,15,33(2009)..また,日常生活における肯定的感情が低く,ソーシャルサポートや経済状況,共住環境に対する受容・適応状況が悪い高齢者ほどsMPHGが高いことも明らかにされている(30)30) 豊里竹彦,與古田孝夫,岡村尚昌,矢島潤平,森山浩司,太田光紀,古謝安子,津田 彰,石津 宏:心身医,50,53(2010)..最近では,sMHPGとポジティブ感情,とくにウエルビーイング(well-being)のなかでも人生満足感や人格成長などの側面であるeudaimonic well-beingとの関連が報告されており,eudaimonic well-beingが高いほどsMHPGが低値であることが報告されている(31)31) 三原健吾,岡村尚昌,矢島潤平,津田 彰:行動医研,24,84(2019).

臨床的研究においては,治療前の不安障害および気分障害患者のsMHPGは健常者に比べて高値を示し,抗不安薬や抗うつ薬の投与により低下すること(9)9) S. Yamada, J. Yajima, M. Harano, K. Miki, J. Nakamura, A. Tsuda, H. Shoji, H. Maeda & M. Tanaka: Int. Clin. Psychopharmacol., 13, 213 (1998).,抑うつ症状を呈する気分障害患者のMHPGも健常者に比べて高値であり,とくに,高齢者においては,安静時のMHPGが高い個人ほど,3年後の抑うつ状態が強いことが示されている(32)32) L. Watanabe, G. Y. Li, Y. Imamura, H. Nabeta, Y. Kunitake, H. Ishii, M. Haraguchi, Y. Furukawa, H. Tateishi, N. Kojima et al.: Psychiatry Res., 195, 125 (2012)..さらに,長期的なsMPHGの上昇が,PTSD(Post Traumatic Stress Disorder)発症リスクを高める可能性も示唆されている(33)33) R. E. Marshall, J. S. Milligan-Saville, P. B. Mitchell, R. A. Bryant & S. B. Harvey: Psychiatry Res., 253, 129 (2017)..最近では,起床後のsMHPGが交感神経活動を反映し,慢性ストレス状態や抑うつ症状の有用な指標になり得ると期待されている(34)34) N. Sugaya, S. Izawa, R. Yamamo, N. Ogawa, J. Yajima, H. Okamura, S. Horiuchi, A. Tsuda & S. Nomura: Psychophysiology, 52, 425 (2015).

これらのことから,sMHPGが健康や心理的安定が創生されていくポジティブな側面や,不安およびうつ状態を把握するのに有用であると同時に,精神障害の臨床症状の客観的指標として有用であることが示唆される.

今後の課題と展望

本解説では,最初にMHPGを概説し,次にsMHPGの測定法や,それを用いた主なストレス研究や健康心理学的・臨床的研究の結果を紹介して,sMHPGのストレスや健康の客観的指標としての有用性について述べてきた.sMHPGを測定する一番もメリットは研究参加者から痛みや負担を伴わず,非侵襲的に検体採取ができることである.そのため,場所や時間の制約を受けずに,フィールド場面でもデータの収集が可能である.しかしながら,ストレッサーや心理的介入の種類,それを受けてからの時間経過や期間によって,sMHPGがどのように変動するかについての詳細を明らかにするまでの十分な研究結果が集積されていないのが現状である.

近年では自己のへ肯定的な評価や,成長への意欲や人生の目的の獲得といったwell-beingがもつポジティブな機能を客観的に評価することの重要性が認識されつつある.今後,ストレス研究だけでなく,ポジティブな心理状態がストレスや心身の健康に与える影響や,臨床研究やヘルスプロモーションを目的とした研究において,sMHPGが評価し得る側面や特徴を明らかにする必要がある.これらの関係性を明らかにすることができれば,さまざまな疾患の発症や経過に影響を及ぼすと考えられている心理社会的ストレスの心身相関の生物学的メカニズムの解明のみならず,健康や心理的安定が創生されていくポジティブな側面や過程を理解するのに大いに貢献できるであろうと考える.

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