Kagaku to Seibutsu 58(6): 321 (2020)
巻頭言
論と証拠の質機能水の振興に思う農芸化学の意義
Published: 2020-06-01
© 2020 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2020 公益社団法人日本農芸化学会
インターネットでは大量の情報が飛び交い,誰でも発信し利用することが可能になっている.しかしながら,フェイク情報が乱れ飛んでおり,多くの人たちが“フェイク情報感染症”に罹っているように思える.マスコミに登場するコメンテーターや専門家と称する人たちのなかにも的確なファクトチェックをせずに憶測で発言し,いたずらに不安を煽って世の中を惑わせている例が少なくない.豊洲市場の安全性のこと然り,昨今の新型コロナウイルス感染症騒動然りである.研究においても,エビデンスの捏造という不正が時おり出現する.いずれの場合も,「論より証拠」よりも「証拠より論」の方が勝っていることが共通している.論が大切なことは言うまでもないが,論を裏付ける客観的エビデンスを踏まえることを専門家や研究者は矜持としなければならないはずである.
一方,原理や現象の再現性がしっかりしているにもかかわらず信用されない事例が時おり現れる.その理由は,科学的原理や客観的エビデンスが明示されない(できない)ままに的外れな思い込みによる因果関係の説明(論)が展開されるためである.こうした事例が信用を得るには多くのエネルギーと時間を費やさざるを得なくなる.筆者が長く関与してきた機能水が典型的である.機能水とは,科学的処理によって再現性ある新たな機能を獲得した水溶液を指し,代表例が薄い食塩水の電気分解で生成する酸性電解水である.1980年代末に登場したこの電解水は,当時深刻な院内感染問題であったMRSAを瞬時に殺すこと,そして殺菌要因は従来の殺菌剤では知られていない高い酸化還元電位(ORP)という物理化学的要因であると説明され,魔法の水としてマスコミの脚光を浴びた.
この殺菌要因説はしばし罷り通った.なぜかというと,酸性電解水は工学系の人が発明し,殺菌力は医学系の人たちが評価したのだが,化学的な評価が欠落していたためである.すなわち,食塩水の中の塩化物イオン(Cl−)の陽極電解により次亜塩素酸(HClO)が生ずるという初歩的な電気化学反応が顧みられなかったためである.したがって,化学の素養のある人たちの信用は得られなかったのは言うまでもない.こうしたなか,農芸化学出身の筆者らがかかわることになってすぐに,ORP説は否定され,次亜塩素酸が殺菌基盤であることが明らかになった.しかし,濃度が低く,有機物と反応するため消毒には不十分という評価が医療分野でくだされてしまった.20余年前のことであった.以来,逆風がいろいろ吹くなか,酸性電解水の品質(次亜塩素酸生成原理,物性,規格),有効性(殺菌スペクトルと効果的使用法),安全性に関して国が要求する客観的なデータを積み上げ,次亜塩素酸水という名称での食品添加物指定(2002年)や生成装置のJIS規格(2017年)などを獲得してきた.今では,人や動物,環境に安全で有効性があるということで,医療・歯科,食品・畜産,環境などの諸分野で有効利用が広がっている.特に昨今,新型コロナウイルス感染症対策においてアルコールや次亜塩素酸ナトリウムを補完する役割を果たしている.
以上のように,バイオ絡みの学際的新興技術が科学的にも社会的にも信用を獲得し成長するためには,論と証拠と関係者自体の品質・有効性・安全性のレベルが重要なチェックポイントであり,特に化学的チェックと異分野の橋渡しにおいて農芸化学の存在意義は大きいと感じている.