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脳の柔軟性を決める分子機構遺伝的および環境的要因によるニューロン周囲の細胞外マトリクス形成の制御

Shinji Miyata

宮田 真路

東京農工大学附属硬タンパク質利用研究施設

Published: 2020-07-01

神経可塑性とは,外界からの刺激や経験によって神経回路が再編成される性質を示し,記憶や学習の基盤となっている.一般的に,子供の脳は大人に比べて,可塑性が高いと言われている.たとえば,幼少期に英語を学習すれば,比較的容易に習得できるが,年齢に伴って可塑性が低下するため,大人なってからではネイティブスピーカーと同程度の英語を身につけるのは困難である.この可塑性の高い期間は“臨界期”と呼ばれており,脳の領域ごとにその時期が定まっている.過去20年あまりの研究から,脳の細胞外マトリクスが臨界期可塑性において重要な役割を果たすことが解明されつつある.細胞外マトリクスとは細胞の外側で形成される非細胞性の構造であり,細胞の足場となり組織の形態形成に必須の役割を果たす.脳では,多くの組織で主要な細胞外マトリクス成分である線維状コラーゲンが少なく,プロテオグリカンやヒアルロン酸が豊富に存在する.本稿では,細胞外マトリクスと神経可塑性の関連について最新の報告を交えて概説する.

特定のニューロンの周囲に網目状の構造体(ペリニューロナルネット;PNN)が存在することは100年以上前に報告されていた.PNNはコンドロイチン硫酸プロテオグリカン,ヒアルロン酸,テネイシン,リンクタンパク質からなる細胞外マトリクス分子の凝集体である.数メガDaにも及ぶ高分子ヒアルロン酸が基幹となり,そこに多数のコンドロイチン硫酸プロテオグリカン分子が非共有的に結合する.両者の結合はリンクタンパク質によって安定化される.さらに多量体化したテネイシンがコンドロイチン硫酸プロテオグリカンと会合することで巨大な複合体が形成されるというモデルが提唱されている(1)1) S. Miyata & H. Kitagawa: Biochim. Biophys. Acta Gen. Subj., 1861, 2420 (2017).図1図1■(上)Wisteria floribunda Agglutinin(WFA)レクチンによってPNNの網目状の構造が可視化できる.シナプス終末をVGlut2抗体によって染色すると,シナプスを囲むようにPNNが形成されるのがわかる.右のパネルは四角で囲んだ領域の拡大図.(下)可塑性の高い臨界期にはPNNは形成されていない.この時期は経験や学習に応じて神経回路が柔軟に組み変わる.成体になるとシナプス周囲にPNNが形成されシナプスを安定化させる.PNN形成される時期は,神経活動や末梢からのシグナルにより調節されている).PNNは脳のさまざまな領域に存在し,その形成時期は臨界期の終了と一致する.また,可塑性の制御に深く関与することが知られているパルブアルブミン陽性ニューロンの周囲にPNN選択的に形成されることから,PNNが臨界期可塑性の制御にかかわるのではないかと考えられていた.2002年に,成体ラットの大脳皮質視覚野にコンドロイチン硫酸分解酵素を注入しPNNを除去すると,低下していた可塑性が回復することが初めて証明された(2)2) T. Pizzorusso, P. Medini, N. Berardi, S. Chierzi, J. W. Fawcett & L. Maffei: Science, 298, 1248 (2002)..それ以降,他の脳領域でもPNNの形成を酵素的および遺伝的に阻害することで臨界期と同程度にまで可塑性が増強されることが複数報告された.これらの知見から,PNNは成体脳で可塑性を抑制する“分子ブレーキ”であると理解されるようになった.それに加え最近では,PNNがもつ正の側面が注目されている.生後初期に経験や学習を通じて獲得された記憶は,その後,神経回路が固定化されることで脳に長期的に定着する.PNNを除去すると,この“記憶の定着”が妨げられることから,PNNは記憶を長期にわたり保護するのに必要であることがわかってきた(3)3) W. Shi, X. Wei, X. Wang, S. Du, W. Liu, J. Song & Y. Wang: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 116, 27063 (2019)..つまり,まだPNNが形成されていない臨界期では,可塑性が高いため新たな記憶の獲得が容易であるが,一度獲得した記憶が固定化され長期的に維持されるためにはPNNの形成が必要であると考えられる(図1図1■(上)Wisteria floribunda Agglutinin(WFA)レクチンによってPNNの網目状の構造が可視化できる.シナプス終末をVGlut2抗体によって染色すると,シナプスを囲むようにPNNが形成されるのがわかる.右のパネルは四角で囲んだ領域の拡大図.(下)可塑性の高い臨界期にはPNNは形成されていない.この時期は経験や学習に応じて神経回路が柔軟に組み変わる.成体になるとシナプス周囲にPNNが形成されシナプスを安定化させる.PNN形成される時期は,神経活動や末梢からのシグナルにより調節されている).PNNはシナプスを囲い込んでいるため網目状に観察される.形成されたばかりのシナプス周囲にはPNNが存在しないが,その後にPNNがつくられることでシナプスを物理的に安定化させると考えられている.また,PNNはOtx2やセマフォリン3Aといった分泌性因子を細胞表面につなぎ止めることで,PNNに覆われたニューロンの機能を制御することも知られている(1)1) S. Miyata & H. Kitagawa: Biochim. Biophys. Acta Gen. Subj., 1861, 2420 (2017).

図1■(上)Wisteria floribunda Agglutinin(WFA)レクチンによってPNNの網目状の構造が可視化できる.シナプス終末をVGlut2抗体によって染色すると,シナプスを囲むようにPNNが形成されるのがわかる.右のパネルは四角で囲んだ領域の拡大図.(下)可塑性の高い臨界期にはPNNは形成されていない.この時期は経験や学習に応じて神経回路が柔軟に組み変わる.成体になるとシナプス周囲にPNNが形成されシナプスを安定化させる.PNN形成される時期は,神経活動や末梢からのシグナルにより調節されている

適切な時期にPNNが形成されることが重要であり,それにはさまざまな因子がかかわっている.われわれは以前,生後の脳発達に伴いコンドロイチン硫酸の硫酸化構造が変化することがPNN形成に重要であり,この変化が起こらないような遺伝子改変マウスでは成体でも可塑性を維持することを明らかにしている(4)4) S. Miyata, Y. Komatsu, Y. Yoshimura, C. Taya & H. Kitagawa: Nat. Neurosci., 15, 414, S1 (2012)..また,PNN構成成分のいくつかは,ニューロンの活動依存的にその遺伝子発現が増加することで,PNNの形成を調節する.たとえば,おもちゃや道具を加えた刺激が多い“豊かな環境”でラットを飼育すると,通常の飼育環境に比べPNN形成が促進される(5)5) K. E. Carstens, M. L. Phillips, L. Pozzo-Miller, R. J. Weinberg & S. M. Dudek: J. Neurosci., 36, 6312 (2016)..いったん形成されたPNNは長期間安定して存在するが,実験的にてんかん発作を誘発するとPNNが分解される.これにはマトリクスメタロプロテアーゼが関与しており,他の神経変性疾患においてもPNNの減少が認められる.

これらに加え,栄養と代謝に関連するホルモン性シグナルがPNN形成に影響することがわかってきた(6)6) Z. Mirzadeh, K. M. Alonge, E. Cabrales, V. Herranz-Pérez, J. M. Scarlett, J. M. Brown, R. Hassouna, M. E. Matsen, H. T. Nguyen, J. M. Garcia-Verdugo et al.: Nat. Metab., 1, 212 (2019)..レプチンは脂肪細胞から分泌されるホルモンであり,視床下部の弓状核に存在する摂食関連ペプチドを産生するニューロン上の受容体に結合し,摂食を強力に抑制する.そのため,レプチン欠損マウスは重度の肥満と糖尿病を発症する.弓状核神経回路には臨界期が存在しており,レプチン欠損マウスで見られる症状は,生後1カ月以内であればレプチン投与により回復するが,それ以降では効果が見られない.摂食関連ペプチド産生ニューロンのなかでも,アグーチ関連ペプチド産生ニューロンの周囲にPNNが形成され,その時期は臨界期の終了と一致している(6)6) Z. Mirzadeh, K. M. Alonge, E. Cabrales, V. Herranz-Pérez, J. M. Scarlett, J. M. Brown, R. Hassouna, M. E. Matsen, H. T. Nguyen, J. M. Garcia-Verdugo et al.: Nat. Metab., 1, 212 (2019)..レプチン欠損マウスではPNN形成が低下しており,これはレプチン投与により正常化することから,PNNの形成にはレプチン刺激が必要であることがわかる.レプチン刺激によって形成されるPNNが,弓状核神経回路の臨界期可塑性および摂食行動にどのように関与するのかさらなる解析が必要である.また,弓状核はレプチンだけでなくインスリン,グルコース,アミノ酸や脂肪酸などの栄養素の変化を監視しており,これらの栄養シグナルがPNN形成を調節する可能性もある.このように末梢からのシグナルが,中枢神経系におけるPNNの形成を介して神経可塑性を制御する分子機構を明らかにするために,今後の研究が期待される.

Reference

1) S. Miyata & H. Kitagawa: Biochim. Biophys. Acta Gen. Subj., 1861, 2420 (2017).

2) T. Pizzorusso, P. Medini, N. Berardi, S. Chierzi, J. W. Fawcett & L. Maffei: Science, 298, 1248 (2002).

3) W. Shi, X. Wei, X. Wang, S. Du, W. Liu, J. Song & Y. Wang: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 116, 27063 (2019).

4) S. Miyata, Y. Komatsu, Y. Yoshimura, C. Taya & H. Kitagawa: Nat. Neurosci., 15, 414, S1 (2012).

5) K. E. Carstens, M. L. Phillips, L. Pozzo-Miller, R. J. Weinberg & S. M. Dudek: J. Neurosci., 36, 6312 (2016).

6) Z. Mirzadeh, K. M. Alonge, E. Cabrales, V. Herranz-Pérez, J. M. Scarlett, J. M. Brown, R. Hassouna, M. E. Matsen, H. T. Nguyen, J. M. Garcia-Verdugo et al.: Nat. Metab., 1, 212 (2019).