Kagaku to Seibutsu 58(8): 437 (2020)
巻頭言
創薬の秘訣
Published: 2020-08-01
© 2020 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2020 公益社団法人日本農芸化学会
2014年,蚊によって伝染するデング熱患者が,東京の代々木公園を中心に160人発生したことは,まだ記憶に新しい.日本では忘れ去られたデング熱であるが,蚊が媒介する感染症としては,これ以外にマラリア,黄熱病,ウェストナイル熱,日本脳炎,ジカ熱,チクングニア熱などが挙げられる.特にマラリアによって,アフリカ,中南米,東南アジアを中心に年間40万5,000人(2018年)もの尊い命が奪われている.現在,蚊の防除剤としてはピレスロイド系殺虫剤が主に使用されている.
ピレスロイドとは,除虫菊に含まれる殺虫成分ピレトリンの構造を改変した化合物である.今まで数多くの研究者が,ピレトリンの優れた安全性を維持しながら,高い殺虫活性あるいは天然物にない光安定性を付与し,天候に左右されずに工場で安定生産可能なピレスロイドを創ることに挑戦してきた.これまでに30種余りのピレスロイドが世界で実用化され,蚊のみならずさまざまな害虫防除のため使用されている.驚くべきことにその約4割は日本人による発明である.天然物由来の医薬・農薬は数多くあるがピレスロイドほど世界の各社が新規剤の探索に注力した化合物はほかに例がないであろう.
筆者は,東京大学農学部農芸化学科で,松井正直先生から新規ピレスロイド探索の重要性と面白さをご教授いただいた.それから住友化学で41年,大日本除虫菊で5年にわたって新規ピレスロイドの探索研究を行い,これまでに4つの実用化されたピレスロイドの発明に関与した.
ところで,筆者が関与していない実用化されたピレスロイドの発明の背景にも興味を持ち,日本および海外の発明者に直接インタビューし,どのようにして最終化合物にたどり着いたのかを探った.近年,医薬を含め創薬研究はますます難しくなってきており,新しい農薬を見つける確率は14万分の1以下と言われている.私自身の経験,および上記のインタビューを通じて得られた創薬の秘訣を以下にまとめた.
発明,発見のもう一つの大きな要因として偶然に起きた事象の対処方法が挙げられる.
ノーベル賞を受賞された白川先生は,先生の指示とは異なり間違って触媒量を大過剰加えてしまった学生の実験結果を細かく解析することによって,電導性ポリマーに結びつく化合物の合成に世界で初めて成功した.ほとんどの研究者は,触媒量を正確に加えてもう一度やりなさいと言って,間違った結果には目もくれないであろう.上記のインタビューでも,目的物とは異った副成物の構造解明を契機として新規ピレスロイドの発明に結び付いた例があった.
これから医農薬の探索を行う若い研究者の方々に上記で述べた創薬の秘訣が少しでも参考になり,引き続き日本発の医農薬の発明に結び付くことを願っている.