セミナー室

高圧力が脂質に及ぼす影響生体膜脂質の分子構造と膜状態の相関性

Hitoshi Matsuki

松木

徳島大学大学院社会産業理工学研究部

Published: 2020-09-01

はじめに

脂質は水に不溶で,非極性有機溶媒に可溶な化合物の総称である.生体内における脂質は,単純脂質(脂肪酸とアルコールのエステル)として生体活動のエネルギーを供給したり,複合脂質(リン酸や糖を含有する脂質)として生体膜を形作ったり,誘導脂質(単純・複合脂質からの加水分解産物)として生理活性物質の前駆体に使われたりと,その機能は多岐にわたっている.脂質への圧力効果の調査は,生体膜に関する流動モザイクモデルが提唱された時期に,生体膜モデルとしてリン脂質が形成する二重膜を用いて麻酔メカニズムに関する圧力研究が行われたのが端緒である.その後,生命の起源における圧力の役割,深海生物の高圧力環境適応,微生物の高圧力殺菌及び食品加工における圧力応用といった目的で脂質に対する高圧力研究が行われてきている.

我々は脂質の機能のなかでも,特にその両親媒性が大きな役割を担っている膜形成能に着目し,種々のリン脂質が水中で形成する分子集合体である二重膜への圧力効果を調べてきた.リン脂質の膜状態は,近似的に均一な状態(相)としてみなすことができることから,リン脂質二重膜への圧力効果は圧力とともに温度や濃度といった変数を用いて構築できる熱力学的相図により解釈できる(1~3)1) 松木 均,後藤優樹,玉井伸岳:高圧力の科学と技術,23, 30 (2013).3) 松木 均:熱測定,47, 51 (2020)..本稿では,リン脂質二重膜への圧力効果を,脂質分子構造に我々がこれまでに構築してきたリン脂質二重膜の熱力学的相図を照らし合わせて紹介する.

高圧脂質膜研究の基盤:DPPC二重膜

生体膜脂質の研究は,真核生物の生体膜中の主要脂質であるホスファチジルコリン(PC)が形成する二重膜に対して数多くなされている.特に高圧力研究は,炭素数16の長鎖脂肪酸であるパルミチン酸を疎水アシル鎖に2つ有するジパルミトイルPC(DPPC)という特定のリン脂質に集中している.DPPCは生物の生体膜中における主要構成脂質であるとよく言われるが,厳密な意味では正しくない.原核生物の細胞膜はPCを含まないし,真核生物の生体膜中の主要脂質は2本の疎水鎖の長さが異なり,片方の疎水鎖に二重結合を含む非対称リン脂質である(4)4) L. K. Buehler: “Cell Membranes,” Garland Science, Taylor & Francis Group, 2015..それでもDPPCが脂質膜研究の主役になっているのは,安価で入手可能で,DPPCが形成する二重膜のゲル–液晶相転移や単分子膜の膨張–凝縮膜転移が常温・常圧下で実験的に容易に観測できるなどのモデル膜としての利点に起因している.

DPPCはグリセロリン脂質の一種である.DPPCを例としたグリセロリン脂質の分子構造を図1図1■グリセロリン脂質のモジュール構造とDPPCの立体構造(水和結晶・ゲル相,液晶相)に示す.グリセロリン脂質は3価アルコールであるグリセロールを骨格にし,その2つの水酸基に種々の脂肪酸が疎水鎖としてエステル結合し,もう一つの水酸基にリン酸を介して種々の極性基が親水基として結合した分子構造をとる.リン脂質は両親媒性物質であるため,水中では自己会合し分子集合体として存在する.脂質濃度が低い場合にはベシクルやリポソームと呼ばれる二重膜構造の閉鎖型小胞体を形成し,高い場合には積層した二重膜ラメラ構造をとる.リン脂質の形成する二重膜は,その置かれた環境に依存して膜状態を変化させる.この変化は脂質膜の相転移と呼ばれている.水分含量が少ない場合(約30%以下)を除き,相転移は脂質濃度にはほとんど依存せずに観測される(5)5) M. Kodama: Thermochim. Acta, 109, 81 (1986).

図1■グリセロリン脂質のモジュール構造とDPPCの立体構造(水和結晶・ゲル相,液晶相)

DPPC二重膜の温度及び圧力誘起相転移

図2図2■DPPC二重膜の膜構造と温度–圧力相図上図にDPPC二重膜が温度と圧力に依存して取り得る膜状態を示す(6)6) R. N. A. H. Lewis & R. N. McElhaney: “The Structure of Biological Membranes,” ed. by P. L. Yeagle, CRC Press, 2012, pp. 23–26..常圧下,DPPC二重膜において観測される相は,水和結晶(Lc)相,ラメラゲル(Lβ′)相,リップルゲル(Pβ′)相及び液晶(Lα)相の4種類であり,低温から順に起こるLc/Lβ′,Lβ′/Pβ′及びPβ′/Lαの転移をそれぞれ副転移,前転移及び主転移と呼んでいる.ここでプライム記号は膜面に対して鎖が傾斜していることを表す.以後,図中では副転移を含むLc相関連転移,前転移を含むゲル相間転移及び主転移を,緑,青及び赤色でそれぞれ示す.更にDPPC二重膜では,加圧,溶媒置換等により,指組み構造ゲル(LβI)相を誘起する.Lc相と3種類のゲル相(Lβ′相,Pβ′相及びLβI相)では,脂質の疎水鎖はすべてトランス型のジグザグ配座をとる秩序性の高い膜で,二重膜間の水和水も少ない.Lc相は,疎水鎖の長軸回りの回転が著しく制限されており,完全に移行させるためには測定試料に対するアニーリング(低温貯蔵,凍結融解等の熱的前処理)が必要とされる.Lβ′相,Pβ′相及びLβI相は,PC二重膜の特徴でもあるゲル相での多形現象である.二重膜内のPC分子は極性頭部の大きなコリン基の立体障害により,ゲル相では疎水鎖の傾斜,二重膜の湾曲や相互陥入といった構造多形が出現する.Lβ′相からPβ′相への前転移は二重膜のパッキング変化から起こる転移であり,二重膜が平面ゲル相から波型リップル相に転移する.LβI相は,二重膜を構成する一方の膜の脂質炭化水素鎖が他方の膜の炭化水素鎖中へ侵入した非二重膜ゲル相である.Pβ′相からLα相への主転移は疎水鎖の融解現象に対応し,Lα相では疎水鎖の配座に回転異性体のゴーシュ型が増すため秩序性の低い膜となり,二重膜間の水和水も増加する.

図2■DPPC二重膜の膜構造と温度–圧力相図

相転移:(緑四角)副転移,(青三角)前転移及びゲル相間転移,(赤丸)主転移.実線は安定相間の転移,点線は準安定相間の転移を表す.

上記に挙げたDPPC二重膜の膜状態は,実験的に観測した相転移の温度(T)と圧力(p)を二次元的にプロットしたTp相図上で規定できる.図2図2■DPPC二重膜の膜構造と温度–圧力相図下図にDPPC二重膜に対して構築したTp相図を示す(7, 8)7) H. Ichimori, T. Hata, H. Matsuki & S. Kaneshina: Biochim. Biophys. Acta, 1414, 165 (1998).8) H. Matsuki, H. Okuno, F. Sakano, M. Kusube & S. Kaneshina: Biochim. Biophys. Acta, 1712, 92 (2005)..相転移観測の実験手法については文献(7~9)7) H. Ichimori, T. Hata, H. Matsuki & S. Kaneshina: Biochim. Biophys. Acta, 1414, 165 (1998).9) M. Goto, M. Kusube, N. Tamai, H. Matsuki & S. Kaneshina: Biochim. Biophys. Acta, 1778, 1067 (2008).を参照されたい.加圧により3種類の相転移温度は直線的に上昇し,100 MPa以上の高圧領域においてLβ′相とPβ′相の間にLβI相が誘起され,さらなる加圧はLβI相の領域を拡張する.注目すべきは,高圧力下では,Lβ′/LβI転移は他の相転移とは対照的に加圧と共に相転移温度が降下することである.Lβ′/LβI転移が負の勾配(dT/dp)値を持つことは,Clapeyronの式(dT/dp=ΔV/TΔH)に基づき考えると,この転移の体積変化(ΔV)が負値となることを意味し,両相の圧縮率差に関連している(7)7) H. Ichimori, T. Hata, H. Matsuki & S. Kaneshina: Biochim. Biophys. Acta, 1414, 165 (1998)..Lc相はアニーリング処理により観測されるが,Lc/Lβ′転移曲線とLβ′/LβI転移曲線は約115 MPaで交差するため,115 MPaまでの圧力領域ではLc/Lβ′転移が,それ以上の圧力領域ではLc/LβI転移が観測される.したがって,この圧力以上ではLβ′/LβI転移は準安定相間の転移となる(10)10) M. Kusube, H. Matsuki & S. Kaneshina: Biochim. Biophys. Acta, 1668, 25 (2005)..DPPC二重膜(図2図2■DPPC二重膜の膜構造と温度–圧力相図下図)では全圧力範囲で副転移曲線が主転移及び前転移曲線よりも低温側に位置するため,Lβ′相とLβI相は部分的には準安定相となるが,3つのゲル相(Lβ′, Pβ′及びLβI相)はすべて安定相として相図上に出現する領域を持つ.

リン脂質分子のモジュール構造変化と膜状態

グリセロリン脂質は疎水鎖と親水極性基の組み合わせにより無数に存在し,実際,生体膜には多種類のリン脂質が混在している.続いてDPPCの分子構造を基軸に,その共通部分(モジュール)の構造を様々に変化させることで得られる他の生体膜脂質が形成する膜状態をそれら二重膜のTp相図に基づいて述べる.

1. 疎水鎖構造

炭素数16のパルミチン酸を有するDPPCの同族体PCで炭素数14のミリスチン酸を有するジミリストイルPC(DMPC)と炭素数18のステアリン酸を有するジステアロイルPC(DSPC)の二重膜に対するTp相図をDPPC二重膜のものとともに図3a図3■リン脂質二重膜の温度–圧力相図:疎水鎖モジュール構造変化に示す(7)7) H. Ichimori, T. Hata, H. Matsuki & S. Kaneshina: Biochim. Biophys. Acta, 1414, 165 (1998)..3種類の相転移温度は,疎水鎖長の増大に伴い全て高温領域に移行する.すなわち,DMPC, DPPC, DSPCの順序でLα相とPβ′相の領域は縮小(不安定化)し,Lβ′相及びLβI相の領域は逆に拡張(安定化)することから,PC分子間のvan der Waals相互作用の増加は,膜を硬くすることがわかる.また,注目すべきはLβI相の変化であり,疎水鎖の伸張とともに3つのゲル(Lβ′, Pβ′, LβI)相の共存点(最小指組み形成点)の圧力(MIP)が減少し,LβI相の領域が低圧領域まで顕著に拡張する.圧力誘起LβI相は飽和ジアシルPC二重膜の特徴であり,鎖長14から21までの飽和ジアシルPCが形成することが確認されている(11, 12)11) M. Goto, A. Wilk, A. Kazama, S. Chodankar, J. Kohlbrecher & H. Matsuki: Colloids Surf. B Biointerfaces, 84, 44 (2011).12) M. Goto, T. Endo, T. Yano, N. Tamai, J. Kohlbrecher & H. Matsuki: Colloids Surf. B Biointerfaces, 128, 389 (2015).

図3■リン脂質二重膜の温度–圧力相図:疎水鎖モジュール構造変化

相転移:(緑四角)副転移及びLc/Lα転移,(青三角)前転移及びゲル相間転移,(赤丸)主転移.実線は安定相間の転移,点線は準安定相間の転移,*は不飽和炭化水素鎖を表す.

真核生物の生体膜の主成分はDPPCのような2本の等価な疎水鎖を有する対称リン脂質ではなく,2本が異なる疎水鎖を有する非対称リン脂質である.疎水鎖の非対称性が膜状態に与える影響について,sn-1位とsn-2位に炭素数が2つ異なるアシル鎖を有する非対称飽和リン脂質,1-ミリストイル(炭素数14)-2-パルミトイル(炭素数16)PC(MPPC)とsn-1位とsn-2位のアシル鎖の配置を入れ替えた位置異性体,1-パルミトイル-2-ミリストイルPC(PMPC)を取り上げて説明する.元来,PC分子の2つの疎水アシル鎖(sn-1位鎖とsn-2位鎖)は等価ではない.sn-2位鎖はC2–C3位で折れ曲がるため,sn-1位鎖よりも若干短くなり,両鎖の末端メチル基の整列具合に差異を生じる.DPPCのような飽和対称リン脂質の両鎖が全trans配座を取った場合,両鎖末端は分子の長軸に沿って炭素数約1.5個分離れる(図1図1■グリセロリン脂質のモジュール構造とDPPCの立体構造(水和結晶・ゲル相,液晶相)).MPPC(sn-2位鎖が長い)とPMPC(sn-1位鎖が長い)では,各々炭素数約0.5, 3.5個分の差ができる(13)13) T. Bultman, H. Lin, Z. Wang & C. Huang: Biochemistry, 30, 7194 (1991).図3b, c図3■リン脂質二重膜の温度–圧力相図:疎水鎖モジュール構造変化上図).図3b, c図3■リン脂質二重膜の温度–圧力相図:疎水鎖モジュール構造変化は,MPPCとPMPCが形成する二重膜のTp相図である(14)14) M. Goto, S. Ishida, N. Tamai, H. Matsuki & S. Kaneshina: Chem. Phys. Lipids, 161, 65 (2009)..DPPC二重膜と同様,MPPC及びPMPC二重膜においても副転移,前転移,主転移の3つの相転移が観測されるが,副転移は前転移より高温側に移行する.また,3つの相転移温度は全てMPPC二重膜の方がPMPC二重膜よりも高い(図3b, c図3■リン脂質二重膜の温度–圧力相図:疎水鎖モジュール構造変化).アシル鎖末端部の非対称性が大きいPMPCは,差分のアシル鎖部分によりその二重膜ゲル相やLc相の安定性が低下する.他方,MPPC二重膜では,低減したアシル鎖末端部の非対称性が副転移と指組み構造化に現れ,副転移温度の大幅な上昇とMIP値の顕著な低下を引き起こす(図3b図3■リン脂質二重膜の温度–圧力相図:疎水鎖モジュール構造変化).Lc相及びLβI相のような脂質分子の充填状態が密な膜状態はアシル鎖末端の整列具合が明確に反映される.

生体膜脂質は不飽和脂肪酸を高比率で含有している.次に不飽和アシル鎖が膜状態に及ぼす影響を述べる.オレイン酸(炭素数18の脂肪酸で鎖の中央(C9–C10)にcis型二重結合をもつ)を疎水鎖として2本有する対称不飽和PCであるジオレオイルPC(DOPC),sn-1位にステアリン酸とsn-2位にオレイン酸を有するステアロイル-オレオイルPC(SOPC)及びその位置異性体であるオレオイル-ステアロイルPC(OSPC)の2種類の非対称飽和–不飽和及び非対称不飽和–飽和混合鎖PC(図3d図3■リン脂質二重膜の温度–圧力相図:疎水鎖モジュール構造変化上図)のTp相図を図3d図3■リン脂質二重膜の温度–圧力相図:疎水鎖モジュール構造変化に挙げる(15, 16)15) S. Kaneshina, H. Ichimori, T. Hata & H. Matsuki: Biochim. Biophys. Acta, 1374, 1 (1998).16) K. Tada, E. Miyazaki, M. Goto, N. Tamai, H. Matsuki & S. Kaneshina: Biochim. Biophys. Acta, 1788, 1056 (2009)..不飽和リン脂質が形成する二重膜にはゲル相の多形は見られない.DOPCとOSPC二重膜は2つの転移を,SOPC二重膜は一つの転移のみを起こす.これら転移の熱履歴や高圧力下における出現様式及びdT/dp値を検討した結果,DOPC二重膜はLc相からLα相への相転移(低圧)とLβ相からLα相への主転移,OSPC二重膜ではLc相からLβ相への相転移と主転移,SOPC二重膜では主転移のみを引き起こすことを結論づけた.

図3d図3■リン脂質二重膜の温度–圧力相図:疎水鎖モジュール構造変化において,3種類の不飽和リン脂質の常圧における主転移温度をその同族体であるDSPCと比較してみると,DSPC, OSPC, SOPC, DOPCの順に55.6, 8.7, 6.7, −40.3°Cとなり,DSPCのステアリン酸鎖をオレイン酸鎖で置き換えると不飽和鎖1本につき48°Cほど転移温度が下がる.また,sn-2位への導入の方がその効果が僅かに大きい.ゲル相ではcis二重結合は鎖が「く」の字型に屈曲しているために膜内における脂質分子間のvan der Waals相互作用が減少し,その安定性が著しく減少する.cis型不飽和脂肪酸導入によるLα相領域の顕著な拡大は,一般に海洋生物及び極限環境微生物の耐圧性が高いほど,不飽和リン脂質の比率が高い事実とよく相関する.他方,水の凝固点以下の不飽和リン脂質の相転移には注意を要する.不飽和リン脂質の低温相転移は一般にゲル-液晶間転移の主転移であると捉えがちだが,水の凝固点以下ではバルク水が凍結するのと同時に二重膜間の層間水を引き抜くためLc相に落ちやすくなり,DOPC二重膜に見られるように,その転移は往々にしてLc/Lα転移である(17)17) M. Kusube, M. Goto, N. Tamai, H. Matsuki & S. Kaneshina: Chem. Phys. Lipids, 142, 94 (2006).

2. 疎水鎖結合様式

ジアシルPCは脂肪酸がグリセロール骨格とエステル結合した脂質である.他方,生体膜には疎水鎖が骨格とエーテル結合した脂質も存在し,好熱性微生物や深海微生物の細胞膜等に多く含まれている.DPPCの分子構造中の脂肪酸(パルミチン酸)を同鎖のアルコール(ヘキサデカノール)に置き換えたエーテル結合型脂質,ジヘキサデシルPC(DHPC)が示す膜状態を比較してみる.分子構造中の両者の相違は,グリセロール骨格におけるカルボニル酸素2個の有無のみである.DHPC二重膜では,主転移はDPPC二重膜と同様,Pβ′相からLα相への転移であるが,DHPCは膜中における脂質分子間の相互作用が弱く,その二重膜は常圧下,低温では水和のみで非二重膜である指組み構造へと変化するため,前転移はLβI相からPβ′相への転移となる(18)18) J. T. Kim, J. Mattai & G. G. Shipley: Biochemistry, 26, 6592 (1987)..常圧下,DHPCとDPPC両二重膜の前転移温度と主転移温度は極めて近接し,かつ相転移熱力学量も類似しているため,両脂質の膜状態の判別は困難であるが,以下に示すように加圧はその違いを明確に区別する.

図4図4■リン脂質二重膜の温度–圧力相図:鎖結合様式モジュール構造変化にDHPC二重膜のTp相図(上方)をDPPC二重膜のもの(下方)と重ねて示す(19)19) H. Matsuki, E. Miyazaki, F. Sakano, N. Tamai & S. Kaneshina: Biochim. Biophys. Acta, 1768, 479 (2007)..両二重膜の前転移の差違は前転移曲線のdT/dp値に現れる.DPPC二重膜の前(Lβ′/Pβ′)転移のdT/dp値は主転移のものよりも小さいが,DHPC二重膜の前(LβI/Pβ′)転移では主転移のものよりも大きい.加圧により前転移と主転移の相境界線はある圧力で交わり,それより高圧領域ではPβ′相は消滅し,LβI相からLα相への主転移のみが起こる.したがって,加圧はPβ′相を縮小させ,LβI相を拡張する.一見すると,DHPC二重膜のTp相図はDPPC二重膜のものとは大きく異なるが,図4図4■リン脂質二重膜の温度–圧力相図:鎖結合様式モジュール構造変化からわかるようにDPPC二重膜の高温・高圧下の相挙動はDHPC二重膜の常温・常圧下の相挙動に対応する.エーテル結合型脂質が高圧・高温といった極限環境に生息する古細菌等の生体膜に多く含まれることとエーテル結合がエステル結合に比べて化学的に安定であることを考えるとき,両二重膜の相挙動からは高温・高圧下で化学的に安定なエーテル結合から常温・常圧下で化学的に分解されやすいエステル結合へと変遷が垣間見えるのは興味深い.

図4■リン脂質二重膜の温度–圧力相図:鎖結合様式モジュール構造変化

相転移:(青三角)前転移及びゲル相間転移,(赤丸)主転移.

3. 親水基構造

ここまでは極性基サイズが大きく嵩高いコリン基を有するPCが形成する二重膜の膜状態を示した.生体膜中には,PCとは極性基構造の異なるリン脂質も数多く存在している.続いてDPPCと同等な疎水アシル鎖長を有し,極性基サイズや荷電状態が異なる同族体のリン脂質を取り上げる.

ジパルミトイルホスファチジルエタノールアミン(DPPE)は,その極性基であるエタノールアミン基がコリン基の3つのメチル基を全て水素原子で置換した構造のため,DPPCに比べて極性基サイズが非常に小さい.DPPEは,その小さな極性基に起因して二重膜内では膜面に対して垂直配向し,隣り合うDPPE分子の極性基間で分子間水素結合を形成する.DPPE分子の極性頭部を一つあるいは2つメチル化したN-メチル化DPPE(DP-N-メチルPE(DPMePE),DP-N,N-ジメチルPE(DPMe2PE))及びDPPE二重膜のTp相図を図5a, b図5■リン脂質二重膜の温度–圧力相図:親水基モジュール構造変化に示す(10, 20)10) M. Kusube, H. Matsuki & S. Kaneshina: Biochim. Biophys. Acta, 1668, 25 (2005).20) H. Matsuki, S. Endo, R. Sueyoshi, M. Goto, N. Tamai & S. Kaneshina: Biochim. Biophys. Acta, 1859, 1222 (2017)..DPMePE及びDPMe2PE二重膜の相挙動は,Lc/Lβ転移温度及びLβ/Lα転移温度が加圧に伴い単調に上昇する単純なものであるが(図5a図5■リン脂質二重膜の温度–圧力相図:親水基モジュール構造変化),DPPE二重膜は転移曲線に交差を含む複雑な相挙動をとる.常圧下,DPPE二重膜では熱履歴に依存して2種類の相転移,Lc/Lα転移と主(Lβ/Lα)転移が現れる.DPPE二重膜のLα相は常温下ではLc相へ転移するのに時間を要し,主転移よりも高温側にLc/Lα転移が観測されることから,常圧下,Lβ相は準安定相として存在する.加圧により両相転移温度は上昇するが,主転移曲線のdT/dp値がLc/Lα転移曲線のものよりも大きいため加圧により2つの相境界線は約22 MPaで交差する(図5b図5■リン脂質二重膜の温度–圧力相図:親水基モジュール構造変化).交差点以降の高圧領域では,Lβ相は準安定相から安定相へと転移し,主転移温度よりも低温側にLc相からLβ相の転移が出現する.N-メチル化PE同族体二重膜のTp相図をDPPC(DP-N,N,N-トリメチルPE)二重膜を含めて比べてみると,相転移温度は極性基サイズの減少とともに段階的に増加し,ゲル相の多形現象はDPPC二重膜においてのみ観測されるのがわかる(10)10) M. Kusube, H. Matsuki & S. Kaneshina: Biochim. Biophys. Acta, 1668, 25 (2005)..特にDPPE二重膜では,顕著にLc相が安定化し,密な充填構造の硬い膜を形成するのでLα相領域が縮小する.しかし,この強い相互作用は高温領域において,Lα相から非二重膜構造の逆ヘキサゴナル(HII)相への相転移を引き起こす.HII相は細胞分裂や小胞輸送など膜の形態変化が関わる事象には必須である.飽和ジアシルPE二重膜ではHII相の観測は困難であるが,不飽和鎖を導入して相転移温度を低下させることで観測可能になる.ジオレオイルPE(DOPE)に対して得られたTp相図を図5c図5■リン脂質二重膜の温度–圧力相図:親水基モジュール構造変化に挙げる(20)20) H. Matsuki, S. Endo, R. Sueyoshi, M. Goto, N. Tamai & S. Kaneshina: Biochim. Biophys. Acta, 1859, 1222 (2017)..Lα相からHII相への転移曲線は,著しく大きなdT/dp値を示し,熱力学的考察からLα/HII転移は体積駆動の転移であることが明らかにされている(20)20) H. Matsuki, S. Endo, R. Sueyoshi, M. Goto, N. Tamai & S. Kaneshina: Biochim. Biophys. Acta, 1859, 1222 (2017).

図5■リン脂質二重膜の温度–圧力相図:親水基モジュール構造変化

相転移:(緑四角)副転移及びLc/Lα転移,(青三角)前転移及びゲル相間転移,(赤丸)主転移,(黒逆三角)Lα/HII転移.実線は安定相間の転移,点線は準安定相間の転移,*は不飽和炭化水素鎖を表す.

最後に極性基部分に負電荷を有する酸性リン脂質が形成する二重膜を紹介する.ジパルミトイルホスファチジルグリセロール(DPPG)は,その極性頭部の負電荷間に斥力の静電的相互作用が働くため純水中では形成されるベシクルの曲率が大きくなり,膜の多重度が減少し,単層ベシクルとなる(21)21) M. Kodama, H. Aoki & T. Miyata: Biophys. Chem., 79, 205 (1999)..結果,相転移の協同度が著しく低下し,相転移を観測することが困難となる.そこで,高添加塩(NaCl)濃度下,極性基間の相互作用を遮蔽した条件のもとでその膜状態を調べた.図5d図5■リン脂質二重膜の温度–圧力相図:親水基モジュール構造変化に1 mol kg−1のNaCl濃度下におけるDPPG二重膜のTp相図を挙げる(22)22) M. Goto, H. Okamoto, N. Tamai, K. Fukada & H. Matsuki: High Press. Res., 39, 238 (2019)..DPPG二重膜では,観測される相状態がアニーリングの影響を顕著に受け,複雑な相挙動をとる(23)23) S. Tanaka, N. Tamai, M. Goto, S. Kaneshina & H. Matsuki: Chem. Lett., 41, 304 (2012)..常圧下,非アニーリング試料では,球状ベシクルを形成し,前転移と主転移及び短期間の静的(低温貯蔵)アニーリングにより副転移が観測される.上記の条件下で加圧するとLβI相が誘起され,その相挙動はDPPC二重膜のものと類似する.他方,長期間の動的(凍結融解)アニーリング処理を施した場合には,棒状ベシクルを形成し,主転移温度より高温側に一つの転移のみが出現する.この転移は安定水和結晶(Lc2)相からLα相への転移であり,短期間のアニーリング処理により出現するのは準安定水和結晶(Lc1)相である.加圧により,このLc2/Lα転移温度は上昇するが,そのdT/dp値は主転移のものよりも小さいため,低圧領域において両転移曲線は交差する.この相挙動はDPPE二重膜のものと類似する.したがって,DPPG二重膜の膜状態は,DPPCとDPPE両二重膜が示す膜状態を併せ持ったものとして理解できる.

おわりに

本稿では,代表的なモデル膜脂質であるDPPCの分子構造中の三箇所のモジュール部分(疎水鎖構造,疎水鎖結合様式,親水基構造)の変化が膜状態に与える影響を,変化導入により得られる各脂質の形成する二重膜のTp相図に基づいて示した.生体膜は,元来,多種類の脂質から構成されており,単一脂質のモデル膜とは大きな相違がある.しかしながら,実細胞における生体膜の物性値を物理化学手法で測定してみても,そのままではあまり有用な情報は得られない.一例として,大腸菌に代表される原核生物の細胞膜に対して熱量測定を実施してみても,低温側に膜脂質のゲル–液晶転移によるブロードなピークが,高温側に膜蛋白質の熱変性によるブロードなピークが現れるのみである(24)24) T. Heimburg & A. D. Jackson: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 102, 9790 (2005)..モデル膜は,実細胞の生体膜に比べると膜構造を簡略化しすぎているが,構成成分数が少ないゆえに分子間相互作用を明確化することができる.

リン脂質のモジュール構造は脂質分子の多様性を生み出す根源となっている.その一方で,基本モジュール単位(疎水鎖結合様式や極性頭部のリン酸を介した結合配列等)に関しては,大半の膜脂質で共通で,例外はほとんど見られない.この共通構造には何か利点が存在するものと思われる.現在,脂質分子構造と膜状態の相関関係のさらなる解明を目指し,脂質分子骨格中の共通のモジュール構造自体を変化させた非天然のモジュール構造変更アナログ脂質を有機合成し,その膜状態のキャラクタリゼーションを試みている.

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