巻頭言

統計教育に思うこと

Ikuo Ikeda

池田 郁男

東北大学未来科学技術共同研究センター,戦略的食品バイオ未来産業拠点の構築プロジェクト

Published: 2020-10-01

統計学は多くの研究者にとって必須の学問の一つであるといっても過言ではない.統計は幅広い研究分野で必要とされるが,そればかりではなく,客観的なものの見方,考え方を養ううえでも重要なので,分野を問わず大学で学んでおくべき学問と筆者は考える.農芸化学分野の研究者がよく用いるのは,標本から母集団を推定する推測統計の推定や検定であるが,学会発表を聴き,論文を読むにつけ,統計を理解していないと考えられる統計検定の間違いが数多く見受けられる.世界中の生命科学系研究において,不適切な統計検定を行なっている論文は30–50%にのぼるという調査結果もあるので,問題は日本に止まらない.

一般に,大学では統計学が開講されているが,研究現場の現状をみると,統計教育は十分に機能していないようである.筆者は大学生のときに統計学を教養と専門課程で2度受講したが,卒論研究で用いることになった標準誤差とt検定を十分に理解できていなかった.筆者の専門の一つは栄養科学である.この分野の国際雑誌は以前から統計検定法に厳しく,筆者が投稿した論文に対して,別の統計検定法でやり直すよう指示が届いた.ところが,なぜその検定法を用いるべきなのかが当時の筆者には理解できず,仕方なく指示どおりに修正するしかなかった.論旨とずれない検定結果になったので事なきを得たが,もし論旨とずれていたら,大幅な書き直しを迫られるところであった.当時,統計の勉強を怠っていたわけではなく,統計書でかなり勉強したつもりであったが,それでも本質をつかめていなかった.統計書で学習してもなぜ統計の理解は難しいのか随分悩んだものである.

最近の大学での統計教育をみると,統計学を教育できる教員が不足している大学があり,筆者のように専門ではない教員が教えている,あるいは,カリキュラムから除外している大学がある.ただ,統計学専門の教員が教えると難しくてわからないという意見もよく耳にすることから,教員が足りていても必ずしも理解が進むとは限らない.必修でなければ履修しない学生も多いようである.したがって,多くの大学生や大学院生は統計を十分に学ばずに社会に出ているのが現状であり,教育環境は筆者の若い頃よりも悪化しているかもしれない.筆者はこれまで統計に関する講演や講義を行ってきたが,大学院生から直接講演依頼を受けるケースが少なからずあり,統計を理解したいという欲求が強いことを肌で感じている.しかし,筆者のような門外漢に講演依頼が届くことに,統計教育の問題を感じざるを得ない.

統計の理解が難しい原因はどこにあるのか常々考えてきた.講義や講演で学生諸君から受けた質問からみえてきたのは,結局,標準偏差,標準誤差,統計的有意差の意味などの基本が十分に理解できていないためという至極当たり前の結論である.“統計的有意差がある/ない”ことは“差がある/ない”ことと思い込んでいる学生や研究者は少なからず存在する.Nature誌でもこの問題は指摘されているが,実は基本中の基本の一つである.この基本がわからなければ,統計の本質は理解できないはずである.統計に悩んでいる皆さんには,まずは,基本を徹底的に理解することをお薦めする.難しい統計の理解はその後である.