解説

疫病菌と交配ホルモンの科学作物病害を引き起こす微生物の性を科学する

The Plant Pathogen Phytophthora and Mating Hormones: Science of Sexual Reproduction of a Crop Pest

Makoto Ojika

小鹿

名古屋大学

Published: 2020-10-01

疫病菌とは植物に感染するPhytophthora属の病原微生物である.重要農作物に時に多大な損害を及ぼすが,1840年代にアイルランドで起きたジャガイモ飢饉は有名な歴史的事件である.疫病菌を如何に防除するかは重要な課題であるが,一方,この微生物の有性生殖に学術的興味が注がれてきた.疫病菌が有性生殖する際には相手の性(交配型と呼ぶ)を必要とし,そこには交配ホルモン(α1, α2)が介在する.疫病菌とはどのような微生物なのか,交配ホルモンの正体は如何に解明されたのか,有性生殖システムの全容解明に向けて今後,何が必要かを解説する.

Key words: 疫病菌; Phytophthora; 交配ホルモン; 有性生殖

はじめに

疫病菌は,植物を宿主とするPhytophthora属の病原糸状菌の総称である.疫病菌の多くは農作物に感染してしばしば甚大な被害を与える.Phytophthoraという属名はギリシャ語のphyton(植物)とphthora(破壊者)に由来することからも凶悪さが伺える.この病原菌の影響を受ける農作物は,ジャガイモ,トマト,キュウリ,ココア,イチゴ,大豆など多岐にわたるが,なかでもジャガイモとトマトを宿主にするP. infestansは,1840年代中ごろジャガイモを主食としていたアイルランドで蔓延し,「ジャガイモ飢饉“Great Famine”」を引き起こした(1)1) H. S. Judelson & F. A. Blanco: Nat. Rev. Microbiol., 3, 47 (2005)..ジャガイモ疫病による経済的損失は世界で年間数十億ドルとも言われ,防除に用いられる大量の農薬による環境負荷が懸念されている.疫病菌は以前,その外見から菌類に分類されていたが,菌類の約5倍のゲノムサイズ,胞子・遊走子の形態など菌類とは大きく異なっており褐藻・ケイ藻に近い(1)1) H. S. Judelson & F. A. Blanco: Nat. Rev. Microbiol., 3, 47 (2005)..今では原生生物界ストラメノパイル類卵菌綱に分類されている.疫病菌は後で述べるように,有性生殖において「卵胞子」を形成することから卵菌類と呼ばれミズカビに近い仲間である.

1876年にジャガイモ疫病(potato late blight)がカビのような微生物によって引き起こされることが判明し,種名P. infestansがde Baryにより初めて記載された.それ以降,新しい種が次々見つかり,2017年の報告では142種を数え10のクレード(同じ祖先をもつ近いグループ)に分類されている(2)2) X. Yang, C. Hong & B. M. Tyler: IMA Fungus, 8, 355 (2017)..筆者がNCBIのデータベースを利用して作成した種の数の積算グラフを図1図1■近年における疫病菌の爆発的な多様化に示したが,2020年4月末現在で180種がリストされている(3)3) NCBI: Taxonomy Browser, https://www.ncbi.nlm.nih.gov/Taxonomy/Browser/wwwtax.cgi?id=4783..グラフで特徴的なのは,2001年にP. ramorum(“Sudden Oak Death”と呼ばれる樹木立ち枯れの原因菌)が同定されて以降(4)4) D. M. Rizzo, M. Garbelotto & E. A. Hansen: Annu. Rev. Phytopathol., 43, 309 (2005).,急激に種の数が増加している点である.おそらく,P. ramorumに代表される非農業病害菌種の発見を契機とした新種探索の活発化や分子系統解析の進歩によるものであろう(5)5) E. M. Hansen, P. W. Reeser & W. Sutton: Annu. Rev. Phytopathol., 50, 359 (2012).

種の多様化と歩調を合わせるかのように,疫病菌を扱う文献の数も急速に増加している.SciFinder®を利用した検索によると,「Phytophthora」をキーワードとする文献は2020年4月末現在17,460件を数え,2000年頃から急激に増加,過去10年間は700件/年で推移している.文献全体の約4割はジャガイモ疫病菌P. infestansを取り上げており,植物病理学分野の重要な研究対象の一つでもある(6)6) S. Akino, D. Takemoto & K. Hosaka: J. Gen. Plant Pathol., 80, 24 (2014).

図1■近年における疫病菌の爆発的な多様化

NCBIのデータベースに基づき作成(3)3) NCBI: Taxonomy Browser, https://www.ncbi.nlm.nih.gov/Taxonomy/Browser/wwwtax.cgi?id=4783..変種,亜種,推定種は除く.

疫病菌の有性生殖と交配ホルモン

疫病菌の繁殖は有性生殖と無性生殖の両方によって行われる(1)1) H. S. Judelson & F. A. Blanco: Nat. Rev. Microbiol., 3, 47 (2005)..筆者の研究室で培養した疫病菌の顕微鏡写真を図2図2■疫病菌(P. nicotianae)の菌糸と胞子に示した.繁殖器官のうち二重膜構造をもつものが有性胞子である「卵胞子」,二重膜をもたず一回り大きめのものが無性胞子の「遊走子嚢」である.無性生殖では,菌糸から遊走子嚢が分化し,中から多数の遊走子が放出される.遊走子は2本の鞭毛を使って水中を移動できるため,冷涼な気候(15~20°C)と雨が重なると一気に圃場に広がることになる.このサイクルは一シーズンに何度か繰り返され,1840年代に起きたジャガイモ飢饉のような壊滅的な打撃を農作物に与えることになる.一方,有性生殖では造卵器と造精器が形成され融合し,最終的に卵胞子の形成に至る.疫病菌には,単独でも有性生殖できるホモタリック種と異なる個体が出会って初めて有性生殖するヘテロタリック種が知られている(7, 8)7) E. J. Savage, C. W. Clayton, J. H. Hunter, J. A. Brenneman, C. Laviola & M. E. Gallegly: Phytopathology, 58, 1004 (1968).8) W. H. Ko: Annu. Rev. Phytopathol., 26, 57 (1988)..これは植物における自家和合性・不和合性に似た現象といえる.ヘテロタリック種はA1およびA2と呼ばれる2つの交配型から成り,バイセクシャルだが両者が出会って初めて有性器官を分化して受精できる.有性生殖で形成される卵胞子は耐久性のある二重膜構造をもち,条件が整うまで休眠構造として生きながらえることができる.こうした卵胞子の特徴は,農作物に付着して起きるグローバルな拡散や交雑による変異(特に急速な薬剤耐性獲得)に好都合と言える.興味深いことに,異種間でもA1,A2両交配型を混ぜると高頻度で卵胞子を形成することから,種間交雑が容易に起きるようである(7)7) E. J. Savage, C. W. Clayton, J. H. Hunter, J. A. Brenneman, C. Laviola & M. E. Gallegly: Phytopathology, 58, 1004 (1968)..このような特徴が,疫病菌の急速な変異(薬剤耐性獲得など)や爆発的多様化の要因かもしれない.

図2■疫病菌(P. nicotianae)の菌糸と胞子

(a)未分化の菌糸,(b)左右は卵胞子で二重膜構造をもち小型球状の造精器を伴う.中央は遊走子嚢で多数の遊走子が詰まっている.バー=50 µm.

疫病菌のヘテロタリック種においてA1, A2両交配型が出会ったときに有性生殖が起きるという不思議な現象は,他家受精を効率的に達成する仕組みとも言えるが,両交配型はどうやって相手を認識しているのだろうか.1929年にAshbyは,ヘテロタリックな疫病菌の有性生殖に何らかの化学因子を推定した(9)9) S. F. Ashby: Trans. Br. Mycol. Soc., 14, 18 (1929)..その後,ステロール化合物が有性生殖や無性生殖を促進することが実験的に示され著名な雑誌に次々掲載されたが(10, 11)10) L. J. Antonio, J. Friend & P. Holliday: Nature, 203, 545 (1964).11) J. W. Hendrix: Science, 144, 1028 (1964).,疫病菌の成分ではない普遍的な物質がホルモンとは考えにくかった.1978年,Koは巧妙な実験方法により内因性の物質の存在証拠をつかんだ(12)12) W. H. Ko: J. Gen. Microbiol., 107, 15 (1978)..すなわち,菌糸が直接接触できないようにポリカーボネート膜を挟んでA1, A2交配型を対峙培養すると,両方に卵胞子が形成されたのである.彼は膜を通過できるホルモン様化学物質が各交配型から分泌され別の交配型に有性生殖を誘導していると考え,A1交配型が分泌しA2交配型に有性生殖を誘導する物質をα1,逆の作用をする物質をα2と名付けた(13)13) W. H. Ko: J. Gen. Microbiol., 116, 459 (1980).図3図3■交配ホルモンが介在する疫病菌の有性生殖).その後,αホルモンの探索が精力的に行われたが,その正体が解明されることはなかった(14, 15)14) W. H. Ko: J. Gen. Microbiol., 129, 1397 (1983).15) L. L. Chern, C. S. Tang & W. H. Ko: Bot. Bull. Acad. Sin., 40, 79 (1999).

図3■交配ホルモンが介在する疫病菌の有性生殖

交配ホルモンの正体

こうした背景のなか,筆者らはタバコ疫病菌P. nicotianaeを用いてαホルモンの同定に挑戦した.まず,各交配型を野菜ジュース寒天培地で培養し,寒天ごと溶媒抽出し,抽出物をペーパーディスクに載せて投与した.するとA1交配型の抽出物(α1を含む)がA2交配型に卵胞子形成を誘導した.そこで,合計約75 Lの寒天培養物(シャーレ3,700枚以上)を抽出し,分離操作毎に生物検定をしてα1の精製を試みたが,ホルモンの含量があまりにも低く成功しなかった.その後,3次元的に培養ができる液体培養に切り替え,さらに培地に相手のA2交配型菌体を少量加えてみた結果,A1株のホルモン産生が10倍以上に向上した.最終的に約2トン(培地1,850 L)のA1交配型を液体培養し,培養液上清の溶媒抽出,クロマトグラフィーによる精製を経て,合計1.2 mgのα1の精製に成功した(16, 17)16) L. Qi, T. Asano, M. Jinno, K. Matsui, K. Atsumi, Y. Sakagami & M. Ojika: Science, 309, 1828 (2005).17) 小鹿 一:化学と生物,44, 354 (2006)..1995年に研究を開始して10年以上が経過していた.NMRスペクトルを中心とした構造解析により,α1は図4図4■疫病菌交配ホルモンの構造に示すような新規な鎖状ジテルペンと決定された.この物質は,僅か3 ng/diskの投与量でA2交配型に卵胞子を誘導することがわかり,一つ目の疫病菌交配ホルモンの同定に初めて成功した.

図4■疫病菌交配ホルモンの構造

その後,2007年にα1の最初の化学合成が達成されたが,立体異性体の混合物だった(18)18) A. Yajima, N. Kawanishi, J. Qi, T. Asano, Y. Sakagami, T. Nukada & G. Yabuta: Tetrahedron Lett., 48, 4601 (2007)..筆者らは,α1の両端にある水酸基を光学活性な酸でエステル化しNMR解析することにより,4カ所の不斉炭素のうち2カ所の立体化学を3R,15Rと決定した(19)19) M. Ojika, J. Qi, Y. Kito & Y. Sakagami: Tet. Asym., 18, 1763 (2007)..2008年になり,3R,15Rの立体化学を固定した4つの立体異性体がすべて化学合成され,3R,7R,11R,15R異性体だけがホルモン活性を示したことでα1の立体構造が決定された(20)20) A. Yajima, Y. Qin, X. Zhou, N. Kawanishi, X. Xiao, J. Wang, D. Zhang, Y. Wu, T. Nukada, G. Yabuta et al.: Nat. Chem. Biol., 4, 235 (2008)..その後もα1は,その高いホルモン活性と立体特異性から全合成の格好のターゲットとなり,さらに4つの全合成が報告されている.

2005年のα1の同定後,筆者らは直ちにα2の単離に取りかかった.P. nicotianae A2交配型を液体培養し,培養上清の抽出物をテストすると,ホルモン活性(A1交配型に卵胞子を誘導する力価)は弱いものだった.α1同定の経験を参考にA2培養液にA1交配型を添加したが,なぜか逆効果だった.またもや大きな壁にぶつかったわけだが,いったん立ち止まってこれまでの結果を整理してみた.すなわち,A1交配型によるα1の生産がA2交配型の共存で促進することからα2はα1の前駆体ではないか,植物成分phytolがホルモン活性を示すという報告(21)21) H.-J. Jee, C.-S. Tang & W.-H. Ko: Bot. Bull. Acad. Sin., 43, 203 (2002).(筆者らの試験では活性なし)と構造の類似性からphytolが前駆体ではないか,と考えた.そこで,phytolを含む培地中でA2交配型を培養してみたところ,培養上清のホルモン力価がなんと約60倍に上昇した.これがブレークスルーとなり,83 Lの培養液から0.9 mgのα2の精製に成功した.構造解析の結果,予想どおりα1の類縁体であった(22)22) M. Ojika, S. D. Molli, H. Kanazawa, A. Yajima, K. Toda, T. Nukada, H. Mao, R. Murata, T. Asano, J. Qi et al.: Nat. Chem. Biol., 7, 591 (2011).図4図4■疫病菌交配ホルモンの構造).構造の4分の3(C5~C16位)がα1と共通だが,念のため15R配置を固定した4種の立体異性体を合成したところ,予想どおり7S,11R,15R立体異性体のみ天然物と同等の活性を示し,α2の構造決定が完了した.両ホルモンとも,ただ一つの立体構造しか活性を示さないので,極めて厳密にその化学構造が認識されていると言える.

交配ホルモンの普遍性

疫病菌交配ホルモンα1, α2はそれぞれP. nicotianaeのA1, A2交配型から分離されたわけだが,これらの因子は疫病菌属内で種を超えて利用されているのだろうか.Savageらは11種のA1交配型と14種のA2交配型の掛け合わせ実験を行い,同種間では100%,異種間でも94%の確率で有性生殖が起きることを報告していることから(7)7) E. J. Savage, C. W. Clayton, J. H. Hunter, J. A. Brenneman, C. Laviola & M. E. Gallegly: Phytopathology, 58, 1004 (1968).,ホルモンの属内普遍性の可能性は高い.このことを検証するため,計19種80株からなる疫病菌ライブラリーを準備し,ホルモンの生産性と応答性を調べた.事前に,ホルモン単離に用いたP. nicotianae(A1, A2標準株)と各菌株を対峙培養して交配型の評価を行った結果,約7割に相当する55株がヘテロタリックであることがわかった(23)23) T. Tomura, S. D. Molli, R. Murata & M. Ojika: Sci. Rep., 7, 5007 (2017)..通常,疫病菌の交配型はA1とA2の2つとされるが,今回,基準株の両交配型に有性生殖を誘導できる「A1, A2」と仮称する株が7つ見いだされた.ちなみにKoは疫病菌の性の形として,各ホルモンの分泌の有無(α1, α2,両方,無の4パターン)と受容の有無(同様に4パターン)の組み合せで16クラスに分類している(8)8) W. H. Ko: Annu. Rev. Phytopathol., 26, 57 (1988)..筆者らが見いだした7株のA1, A2は両交配型に卵胞子を誘導するクラスに相当し,うち2株はA1交配型に応答し卵胞子を形成することもできる.なお,全体の4分の1以上(22株)は,相手交配型が不在でも卵胞子を形成できるホモタリック株であった.

ヘテロタリック種55株について,交配ホルモン生産性をLC/MSにより定量した結果,73%が交配ホルモンを分泌していた(23)23) T. Tomura, S. D. Molli, R. Murata & M. Ojika: Sci. Rep., 7, 5007 (2017).図5図5■交配ホルモンの普遍性).交配型別に見ると,A1交配型18株のうち13株でα1が検出され,α2は検出されなかった.一方,A2交配型30株のうち19株がα2を生産していたが,不思議なことに,多くのA2交配型(17株)がα1も生産し,このうち2株はα1のみを多量に生産していた.この結果はこれまで理解されていたA2交配型の概念を打ち砕くものであった.なお,ホモタリック種22株では,僅か2株で微量のα2が観測されたのみであったことから,ホルモンが関与しない未知の機構で自家受精を行っていると思われる.

図5■交配ホルモンの普遍性

疫病菌ヘテロタリック株のホルモンの生産性(a)とホルモンに対する応答性(b).

次にヘテロタリック種のホルモン応答性をディスク投与法により調べたところ,44%の株がホルモンに応答して卵胞子を形成した(23)23) T. Tomura, S. D. Molli, R. Murata & M. Ojika: Sci. Rep., 7, 5007 (2017).図5図5■交配ホルモンの普遍性).ホルモン生産性,ホルモン応答性ともに100%の株で観察されなかったのは,交配型の判定法とこれらの実験条件が異なるためと考えられる.以上の結果から,交配ホルモンは疫病菌属で普遍的に用いられる有性生殖促進因子と考えられた.

交配ホルモンはどこから来てどのように働くのか

疫病菌は交配ホルモンをどのように作るのだろうか.ホルモン同定の過程で以下の事実が判明している.(1)A2交配型の培養液にphytolを添加するとα2の生産量が数十倍に上昇する.(2)A1交配型の培養液にA2交配型菌体を少量添加して共培養するとα1の生産量が約十倍に上昇する.(3)phytolと両交配ホルモンの骨格構造は共通である.このことから,A2交配型がphytolをα2に変換し,A1交配型がα2をα1に変換していることが示唆された.そこで,重水素ラベルしたphytolをA2交配型に投与したところ,培養液から重水素化α2が得られ,さらにこれをA1交配型に投与した結果,重水素化α1が生成したことから,交配ホルモンがphytol→α2→α1というルートで生合成されることが証明された(22)22) M. Ojika, S. D. Molli, H. Kanazawa, A. Yajima, K. Toda, T. Nukada, H. Mao, R. Murata, T. Asano, J. Qi et al.: Nat. Chem. Biol., 7, 591 (2011)..分析の結果,実験で用いる培地(V8野菜ジュース)にはphytolが含まれているので,この培地で両交配型を同時培養すれば2つのホルモンが作られ有性生殖が起きることになる.

図6図6■疫病菌有性生殖のシステムには,予想される疫病菌有性生殖のシステムをまとめた.ヘテロタリックな種の2つの交配型が出会い,そこにphytolが存在すると(宿主である植物のクロロフィルから供給可能と思われる),まずA2交配型がphytolをα2へ変換・分泌する.A1交配型は,α2を目印にA2交配型の存在を感知し有性生殖を開始すると同時に,α2をα1に変換・分泌する.A2交配型は,α1を目印にA1交配型の存在を感知し有性生殖を開始する.ホルモンの生成には,未知の酸化酵素を含む各生合成系が関与していると考えられる.では,ホルモンはどのように各交配型に働き,有性生殖(卵胞子形成)を誘導するのだろうか.筆者が考えるシナリオは次のようなものである.相手交配型が分泌したホルモンをセンサー分子「受容体」(一般にタンパク質)が感知する(図6図6■疫病菌有性生殖のシステム).ホルモンは数ナノグラムで作用し,しかもα1はA2交配型だけに,α2はA1交配型だけに特異的に作用するので,化学構造を厳密に認識できる高感度分子と言える.ホルモンを受け取り構造変化した受容体は情報を核に伝え,特定の遺伝子が活性化される.性分化関連タンパク質が次々と発現し卵胞子形成に至る.ホルモンの生合成系や受容体を明らかにすることは,疫病菌有性生殖を分子レベルで理解するための重要な鍵である.

図6■疫病菌有性生殖のシステム

黒矢印は化学的過程,赤矢印は生物学的過程を示す.

まとめと展望

1840年代にアイルランドで起きた大規模ジャガイモ飢饉の原因が,カビのような姿をした微生物であることをde Baryが解明して以降,人類は農薬の開発やジャガイモの品種改良といった形で疫病菌と戦ってきた.こうした農業分野の応用研究と並行して,「疫病菌の性」という生命現象に対する学術的な興味がもたれるようになり,1978年には疫病菌の性を特徴づける未知のホルモン様因子の関与が示された.しかし,2005年に筆者らがホルモンの一つα1の化学構造を決定するまで,その正体は未解明のままだった.本稿では主に,有性生殖を制御する交配ホルモンについて,これまでの天然物化学的研究成果を中心に紹介した.

筆者は最終的に,疫病菌の有性生殖を支配する分子基盤の全容を解明したいと考えている.そのためには,これまでの化学的研究に加えて生化学・分子生物学的研究にも踏み込む必要がある.具体的には現在,(1)ホルモンが如何に生合成されるのか? (2)ホルモン受容体はどんな分子か? (3)どんな細胞内シグナル分子を介して性分化(卵胞子の形成)に至るのか? について解明を進めている.これらの課題は図6図6■疫病菌有性生殖のシステムの網掛けの部分と赤矢印に相当する.(1)については最近,少し進展がみられた.交配ホルモンは化学構造から,酸化酵素cytochrome P450(CYP)によるphytolの酸化で生じると考えられるので,さまざまなCYP阻害剤を疫病菌に投与しホルモン生産を調べた結果,ある阻害剤がホルモン生合成を選択的に阻害することわかった(未発表).現在,遺伝子発現解析による生合成酵素遺伝子の同定を進めているが,CYPに着目した絞り込みが可能となり候補遺伝子が見つかりつつある.

ところでKoは,疫病菌の交配型について遺伝学的な考察をしている(24)24) W. H. Ko: Bot. Stud. (Taipei, Taiwan), 48, 365 (2007)..彼は交配型が環境要因により変換する(つまり性転換が起きる)ことに着目し,次のような仮説を提唱している.A1遺伝子(P1R2)とA2遺伝子(P2R1)が同じ染色体上に存在し(P1, P2: α1, α2の生合成遺伝子,R1, R2:同受容体遺伝子),A1交配型ではA2遺伝子がリプレッサーにより抑制され,A2交配型ではA1遺伝子が抑制されているという.交配相手が不在でも自家受精してしまうホモタリック種は,このリプレッサーが働かない個体であり,エネルギーの無駄使いや遺伝子変異の低下という不利さから,進化的に古いタイプと言えるかもしれない.疫病菌の科学は応用も含めさまざまな分野の研究者が興味をもちその解明に挑んでおり,今後のさらなる展開が期待される.

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