巻頭言

常用外漢字への拘り

Kazutaka Yamamoto

山本 和貴

国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構食品研究部門

Published: 2021-01-01

常用漢字の使用義務はない.常用漢字表(平成22年11月30日内閣告示)の前書きには,「1 この表は,法令,公⽤⽂書,新聞,雑誌,放送など,⼀般の社会⽣活において,現代の国語を書き表す場合の漢字使⽤の⽬安を示すものである.2 この表は,科学,技術,芸術その他の各種専⾨分野や個々⼈の表記にまで及ぼそうとするものではない.ただし,専⾨分野の語であっても,⼀般の社会⽣活と密接に関連する語の表記については,この表を参考とすることが望ましい.(以下略)」とある.つまり,学術誌で科学者が常用外漢字を使うことに問題はない.振り仮名の存在意義は,常用外漢字のためにあるのだろう.

恥ずかし乍ら,不見識な筆者は,常用漢字の意味を近年知った.漢字の知識も文化的素養も乏しい.しかしここでは,情報を自ら調べず鵜呑みにした過ちを反省し,学術表記における常用外漢字について,敢えて私見を述べる.

学生時代に,蛋白質の蛋白との違いを尋ね,「蛋白質は,酵素,受容体等の特定の物質に用いて,蛋白は総体としての呼称である」と習った.近年,これが間違いであることを知った.しかし,時既に遅し.長年,間違った知識で駄文を曝し,他人様に嘘を伝えてしまっていた.この場を借りて深くお詫び申し上げ,お許しを請いたい.

蛋白質は,タンパク質,たん白質,たんぱく質とも表記され,蛋白,タンパク,たん白,たんぱくと略記される場合もある.しかし,蛋白は,卵白のことである.中国では殻付き卵を「蛋」,その中身を「卵」として明確に区別している.「蛋白/卵白のような物質が蛋白質」である.昨今,蛋白質の学術表記は混沌とし,存在しない物質「植物性たん白」が公用文書にも見られる.植物蛋白質のことであろうが,植物性はどのように測定したものか.

こうなると,他の表現も気になってしまう.学会発表では,「沈澱」を「沈殿」で表記したスライドが散見される.当用漢字から「澱」を外したら「沈でん」となり不便だからと,国語審議会が代用語「沈殿」を定めた.殿様を沈めてはいけない.澱粉科学者が,学術誌でも公用文書の目安に従い,澱粉を「デンプン」と記すことがある.将来,「醗酵」が「発酵」を経て「発孝」となったら世も末だ.「蛋」,「澱」,「醗」等は,常用外漢字だが,本義を伝え,知識を普及するためには重要な文字と思う.仮名,代用字等で置換され,本義が伝わらない学術表現には,常用外漢字を常用しては如何か.学会が常用すれば,常用漢字表の見直しにも繋がろう.

また,学術誌の校正で,「更に→さらに」,「等→など」,「及び→および」等,常用漢字が平仮名に置き換えられることがある.しかし,学術誌は公用文書でもなければ新聞でもない.公用文書又は新聞では,平仮名表記が妥当な場合もあるだろうが,学術関連の読者に向けて,敢えて平仮名にする必要もなかろう.字数制限に悩む際には,漢字の方が有難い.

「拘」という文字には,手で遮り止める字義があり,良い所作は想起させない.しかし最近は,「こだわりの味」等,良い印象を与える意図で使われる場面も多い.筆者の常用外漢字への拘りは,字義通りである.五月蠅いと疎まれることも多い.たまに賛同して頂けると励みになる.いずれにせよ,情報発信では,知識及び語彙を増やしつつ,過ちを認めて正し,誤解を招かない表現に拘りたい.情報発信云々の前に,研究での精進不足への反省が問われるだろうが,猿並みには反省するので,ご容赦頂ければ幸いである.