Kagaku to Seibutsu 59(2): 55 (2021)
巻頭言
いつも今が面白い
Published: 2021-02-01
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© 2021 公益社団法人日本農芸化学会
囲碁の諺に「岡目八目」がある.実際に囲碁のゲームをしている二人よりも,そのゲームを端で見ている人の方が,戦況がよくわかり,その差が8目あるというものだ.先番の黒には6目半のコミ出しがあり,岡目はそのコミ分よりも大きく,客観的にものを見ることの大切さを教える言葉と言える.私は,すでに退職し,言わば岡目の立場である.少しは客観的に見えているはずと思って,この巻頭言を自由な気持ちで書いてみたい.
いつも実際に生きている今この瞬間が一番面白いと思う.時々刻々と変化する流れのなかで,いつも新鮮なことに出会う.最近の囲碁の例では,AI(artificial intelligence,人工知能)が登場し,最高位のプロ棋士を負かしたのは驚きであった.AlphaGoというAIが登場しプロ棋士と打つ様子がネットで放映された.そのときはAIが4勝1敗であった.その後,さらに強いAlphaGo Zeroが開発され,そのAIは,2千九百万回の自己対戦(self-learning)による学習だけでその強さを獲得したとある.AIはその場面での最善手を評価値で表示し,今ではAIの打つ手が参考にされる.このソフトを開発したDemis Hassabisは,プログラム開発後,AIをヒトの健康分野に応用することを目指すと述べていたのが印象的だ.AIはますます応用分野を広げつつあるように思う.
一方,ヒトゲノム解析で名を馳せたJ. Craig Venterは,海洋微生物の網羅的なゲノム収集や合成遺伝子による人工微生物を合成した.その彼も最近ではhuman longevity(長寿)に関係する研究を展開している.期せずして,二人がヒトの健康領域に進んでいて興味深い.
人にとって健康であることは切なる願いである.発明家の中松義郎は自ら食べた食事の写真を35年間取り続け,食べものの体調への影響を分析したとイグノーベル賞を受賞,また「144歳健康法 ドクター・中松のリボディ」という本を書いている.人の健康にとって,摂取する食べ物は最も重要な因子であることは明白だろう.ただ食事は調理して作るので,その際の熱反応による化学変化があり,おそらく非常に複雑な化学変化があると思われる.調理する材料の組み合わせは無数にあるので,何が起こっているかは誰にもわからないのが現状ではないかと思う.その反応のなかには生命の起源で起こったような化学変化もあるかもしれない.
私は,いつからか「無限」と言う言葉が,実感として存在することが面白いと思うようになった.有機化合物の無限の可能性は以前から思っていたが,ふと気づくと人間の活動やその作り出すものなど,それこそ無限だ.そして人の考えは無限に広がり,面白いのである.また「面白い」ことが一番だと考えるようにもなった.研究で新しい実験事実を知るのはすごく面白かった.また面白いと関連して「楽しい」もある.「団塊の世代」の言葉を作った堺屋太一が,未来社会のキーワードの一つに「楽しい」を上げていたのを思い出す.楽しくて面白いことが社会を進歩させる本当の原動力かもしれない.研究を楽しむという意識を毎日もつわけではなく,振り返ると楽しかったということなのだろう.
最近の測定機器の目覚ましい進歩に目がとまる.CryoEMの進歩もすさまじく,タンパク質の水素原子も捉えられた.質量分析機器のTOF-MSのイオン周回型装置の開発も目を引く.分解能は上がる一方だ.技術進歩は驚異的だ.使ってみたいが,想像するだけでも楽しい.またAIがあらゆる面で身近で便利になると思われる.どんな“新しさ”がくるのか,楽しみである.