Kagaku to Seibutsu 59(2): 64-74 (2021)
解説
生死の間をさまよう損傷菌その微生物学と動態評価—新HACCP時代における食品殺菌のダークマター?—
Injured Microbes Wandering between Life and Death: Their Microbiology and Dynamic Behaviors
Published: 2021-02-01
2020年に発生した新型コロナウィルス感染症によるパンデミックは,人類に対する痛烈なカウンターパンチと言えよう.その一方では,抗生物質が効かない薬剤耐性菌の問題も次第に深刻化しつつある.われわれはこれら有害な感染体や微生物と共存しつつも,常に彼らと闘わなければならない.食品産業ではHACCP(危害分析重要管理点)が制度化され,食品を危害微生物から守るための安全体制が強化される.一方で,消費者ニーズに応えるべく,殺菌条件を緩和した高品質食品がトレンド化しつつある.これらの潮流の中,食品微生物制御の分野で注目される損傷菌について,微生物学的な視点からその実態を論じるとともに,応用的視点からその集団動態の評価法を紹介する.
Key words: 損傷菌; 損傷と修復; 加熱殺菌; 食品保存; 発育動態
© 2021 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2021 公益社団法人日本農芸化学会
人類にとって有害とみなされる微生物の生存や発育を制御するためのテクノロジーは,微生物制御と呼ばれる.これには対象物(場),微生物,制御法の3つの基本要素があり(1)1) 土戸哲明:日本防菌防黴学会誌,36, 403 (2008).(図1図1■食品微生物制御の3つの基本要素),その種類や特性はそれぞれ多様である.実用上は,これらに加えて経済性,簡便性,安全性などの要素も関わるが,基本的には対象物がどのような特性(物性)をもち,それにはどのような微生物が制御対象となり,またそれらの間の組み合せに適した制御法や制御条件をどう選択すべきか,つまり三者間の双方向的な関係を考える必要がある.
食品製造における殺滅菌プロセスでは加熱法が主に用いられており,その制御条件の設定では缶詰食品について米国で構築された殺菌理論が基本となっている.近年,消費者の嗜好が変化してより高品質の食品製造が志向され,非加熱殺菌法にも期待される一方で,加熱殺菌においてもその条件緩和を図ろうとする傾向が強い.そこで問題になるのがここでとりあげる損傷菌である.序文に示したように,HACCPの新しいシステムが関係省庁によって制度化され,食品業界における一大パラダイムシフトとも言える衛生管理体制がスタートしようとしている(2, 3)2) 厚生労働省:https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000153364_00001.html (2020).3) 農林水産省:https://www.maff.go.jp/j/shokusan/sanki/haccp/ (2020)..このシステムでは,殺菌後の微生物検査による事後評価から事前予測の概念が導入され,科学的根拠に基づく管理体制と対策をとることを目指している.
損傷菌が殺菌処理後に生残すると,その後の保存中にその増殖・発育能を復活させて食中毒の発生や腐敗をもたらす可能性がある.そこで,食品の安全性・健全性の確保を合理的・定量的に図るためには,殺菌や保存処理の成否を左右する損傷菌の実態についての基礎研究と動態予測による応用研究が重要である.実態を把握するには,分子・細胞・細胞集団の各レベルでの研究を総合的に理解してその特性を抽出し,損傷の類別化や指標化を図ることが有効であろう.そして,損傷菌の動態解析に基づいてその挙動を数学的にモデル化すれば,予測理論を含む損傷菌の制御理論の構築が可能になると期待される.筆者らは,そのためには,損傷菌について基礎分野の微生物学をはじめ分子生物学,細胞生理学から,応用分野の食品工学,殺菌工学に至る各関連分野の関係性の高い情報を集約・連繋した包括的,横断的な解析が必要と考えている.本稿では,この考え方に基づいた構成で損傷菌について紹介したい.
本論に入る前に,用語について付言しておきたい.対象とする微生物は大腸菌などの細菌栄養細胞のほか,カビ胞子や細菌胞子(芽胞)も含めている。英語の「growth」に対応する和語は,「増殖」だけでなく「伸長」や「発芽」,「発芽後成長」などの意味ももつため,内容に応じてこれらの用語を適用する場合もあるが,一般的,包括的な意味では「発育」の用語を充てることとする.
損傷菌の存在は欧米では古くから知られていたが,わが国では凍結・乾燥による菌株保存の立場からその特性を研究された森地敏樹博士(4)4) 森地敏樹:食品衛生学雑誌,13, 173 (1972).が草分け的存在である.損傷菌とは端的には傷ついた菌のことで,食品製造で言えば殺菌・加工処理での物理的・化学的なストレス環境にさらされて,細胞の構造や機能に傷害を負った微生物のことをいう(4, 5)4) 森地敏樹:食品衛生学雑誌,13, 173 (1972).5) B. Ray: “Fundamental Food Microbiology”, 3rd edn., CRC Press, Boca Raton, USA, 2004, p. 103..狭義には可逆的な損傷を受けていてその後の適当な環境下で回復できる亜致死的(sublethal)損傷菌を指す(4, 5)4) 森地敏樹:食品衛生学雑誌,13, 173 (1972).5) B. Ray: “Fundamental Food Microbiology”, 3rd edn., CRC Press, Boca Raton, USA, 2004, p. 103..亜致死的損傷菌は生存菌であるが,これに対して不可逆的な損傷は致死的(lethal)損傷となって細胞に死滅をもたらす.その生死は微生物検査で判定されるが,損傷の程度や様式は制御法やその条件によって異なる.その境はどのように決まるかは,用いる評価法(の原理)やその適用条件に依存し,それによって必然的に生存数と死菌数も変動する.
そもそも細胞損傷の研究は,主に動物細胞を対象とする放射線生物学で先行して進展し,損傷の類型として上述の亜致死的損傷と致死的損傷に潜在性致死(potentially lethal)損傷を加えた3つに分類されている(損傷の英語も食品微生物学と異なってinjuryの類義語のdamageが用いられる)(6, 7)6) 江島洋介,木村 博:“放射線生物学(改訂3版)”,オーム社,2019, p. 84.7) 土戸哲明,朝田良子:“芽胞・損傷菌とその検出・制御技術”(土戸哲明,古田雅一監修),シーエムシー出版,2020, p. 151..潜在性致死的損傷は本来致死的なものであるが,細胞分裂が抑制されるような環境下では修復が優位となって復活する場合とされる.現象的にこれに似た損傷は微生物でも観察されており,通常は致死的ながら回復過程での2次損傷によって,あるいは殺菌処理時でなく損傷の回復過程で誘起された反応によって絶命するとみられる致死損傷である(具体例を後述する).筆者ら(8, 9)8) 土戸哲明:日本食品科学工学会誌,65, 67 (2018).9) 土戸哲明,坂元 仁:日本生物工学会誌,97, 555 (2019).が提出した先行モデルではこの致死的損傷を即時的な死滅から区別していたが,本稿ではより明確化するため,これを上述の潜在性致死的損傷に対応させた改変モデルを図2図2■損傷菌の発生モデルに示す.
黒矢印は殺菌処理中,白矢印は処理後の反応.文献(7, 8)7) 土戸哲明,朝田良子:“芽胞・損傷菌とその検出・制御技術”(土戸哲明,古田雅一監修),シーエムシー出版,2020, p. 151.8) 土戸哲明:日本食品科学工学会誌,65, 67 (2018).を改変引用.
損傷の程度が厳しく,生死の境界にある半死状態の菌は,培養不能生存(viable but nonculturable; VBNC)状態にあるとする考え方(しかし,この用語中の生存の意味が,本来非生理学的変化である損傷への適用ではColwellら(10)10) R. R. Cowell & D. J. Grimes: “Nonculturable Microorganisms in the Environment”, ed. By R. R. Colwell & D. J. Grimes, ASM Press, Washington, D. C., 2000, p. 1.による提唱時の原意と異なる)があり,Ray(4)4) 森地敏樹:食品衛生学雑誌,13, 173 (1972).は通常培養不能(not normally culturable; NNC)状態の呼称も提唱している.筆者ら(8, 9)8) 土戸哲明:日本食品科学工学会誌,65, 67 (2018).9) 土戸哲明,坂元 仁:日本生物工学会誌,97, 555 (2019).はこの状態の菌を半致死的(semilethal)損傷菌と呼んでいるが,上述の潜在性致死的損傷菌もこれに含まれると考えられる.亜致死的損傷菌は準安定状態にあって通常の非選択条件下では復活するが,半致死的損傷菌はその条件下でも生死の間をさまよう不安定状態にあり,その設定は生死判定法の原理の違いによる評価生存数のあいまいさをカバーする概念になると思われる.
なお,亜致死的損傷からの回復後再び発育可能となる状態のものは元の健常状態に戻ったものと考えられがちであるが,厳密には後述の修復期のストレス応答の発現によるトレランス(獲得抵抗性)現象などの点から生理学的特性は異なる.筆者ら(8, 9)8) 土戸哲明:日本食品科学工学会誌,65, 67 (2018).9) 土戸哲明,坂元 仁:日本生物工学会誌,97, 555 (2019).はこれを回復菌として健常菌から区別し,さらに半死状態から復活した損傷菌を蘇生菌としている(図2図2■損傷菌の発生モデル).
損傷菌の発生は殺菌処理法の種類と処理時の諸条件に影響を受ける.加熱や高圧は比較的多くの部位に損傷を与え,多様な損傷菌を発生するが,紫外線やγ線処理では少ない方である.また,処理前の生育条件やその後の保持条件,また処理後の保存時の諸条件によっても量的(損傷の程度)および質的(損傷部の部位や様式の違い)に変動する.つまり,損傷菌の生死は殺菌処理直後に決定されるだけでなく,処理後の保存条件によっても左右されることに留意すべきである.
さらに,損傷の様式には幾つかのタイプがあり,以下のような損傷菌の特性上の相違を生じる(11)11) 土戸哲明,坂元 仁:日本食品科学工学会誌,65, 73 (2018)..主なものとして,①栄養要求性の厳格化による代謝損傷と添加食塩などへの耐性低下で評価される構造損傷(12)12) R. P. Straka & T. L. Stokes: J. Bacteriol., 78, 181 (1959).,②最初に曝露されたストレス処理で発生する1次損傷とそれが誘起する2次損傷,③修復が発育前に起こる発育非依存性損傷と発育中に修復される発育依存性損傷,④定常処理(定温加熱など)中の平衡下損傷と非定常過程(昇温加熱など)で生じる非平衡下損傷などの類型化が挙げられる.②,③,④については後述する.
損傷菌では,細胞のどこに,どのような損傷が生じるのか,そして修復可能な場合それらの損傷はどのように修復されるのだろうか? またそれらの損傷の間では因果的な関係はあるのだろうか? 損傷機構が古くから研究された紫外線やγ線の1次的な損傷部位はDNAとされる(13)13) K. N. Kreuzer: Cold Spring Harb. Perspect. Biol., 5, a012674 (2013)..熱や高圧では細胞膜とタンパク質がその最有力候補と推定されている.凍結の場合は凍結と解凍速度に依存し,やや緩慢な速度では細胞内での比較的大きな氷晶の形成が要因とされ,細胞膜などの構造体を物理的に損傷すると考えられる(コラムのA)(14)14) P. Mazur: “Cryobiology”, ed. by H. T. Meryman, Academic Press, London, 1966, p. 213..本項では,図2図2■損傷菌の発生モデルの損傷発生モデルに関連して,加熱処理した大腸菌を例に損傷・修復機構について解説する.
大腸菌細胞を亜致死的ないし半致死的条件の50°C, 55°Cの温度に比較的短時間さらすと,外膜の一部が隔壁近傍や極に多くブレッブ(風船状)化さらにそれが遊離する膜胞化が起こる(15)15) N. Katsui, T. Tsuchido, R. Hiramatsu, S. Fujikawa, M. Takano & I. Shibasaki: J. Bacteriol., 151, 1523 (1982).(図3図3■加熱による大腸菌細胞の微細構造変化を示す透過型電顕像).また,細胞質内の低分子化合物とともにペリプラズム酵素が遊出する(15, 16)15) N. Katsui, T. Tsuchido, R. Hiramatsu, S. Fujikawa, M. Takano & I. Shibasaki: J. Bacteriol., 151, 1523 (1982).16) T. Tsuchido, N. Katsui, A. Takeuchi, M. Takano & I. Shibasaki: Appl. Environ. Microbiol., 50, 298 (1985)..この膜胞は化学分析から外膜由来とみられるがそのタンパク質の相対含量は低く,構成外膜タンパク質の組成にも特徴がみられる(15)15) N. Katsui, T. Tsuchido, R. Hiramatsu, S. Fujikawa, M. Takano & I. Shibasaki: J. Bacteriol., 151, 1523 (1982)..細胞加熱時の外膜構造は無傷細胞と異なり,外来phospholipase Cに感受性化することから細胞表面(外膜二重層の外葉)に健常細胞ではあまり存在しない脂質分子が転座して外部に露出しているとみられ,それに伴って局所的な細胞表面の疎水性化も起こる(16)16) T. Tsuchido, N. Katsui, A. Takeuchi, M. Takano & I. Shibasaki: Appl. Environ. Microbiol., 50, 298 (1985)..これらの加熱損傷菌の外膜損傷は,Nikaidoら(17)17) H. Nikaido & M. Vaara: Microbiol. Rev., 49, 1 (1985).がリポ多糖体欠損株とEDTA処理による外膜構造変化に対して提出したものに類似した損傷モデルで表わされる(18)18) 土戸哲明:“芽胞・損傷菌とその検出・制御技術”,シーエムシー出版,2020, p. 233.(図4図4■大腸菌外膜の加熱損傷・修復による構造変化と疎水性化合物感受性化のモデル).加熱損傷した大腸菌が疎水性の抗菌化合物や色素に感受性になる現象は,基本的にこのモデルで説明可能である(16, 19, 20)16) T. Tsuchido, N. Katsui, A. Takeuchi, M. Takano & I. Shibasaki: Appl. Environ. Microbiol., 50, 298 (1985).19) T. Tsuchido, I. Aoki & M. Takano: J. Gen. Microbiol., 135, 1941 (1989).20) T. Tsuchido & M. Takano: Antimicrob. Agents Chemother., 32, 1680 (1988)..
一方の細胞質膜(内膜)でもATPを含む細胞質低分子物質の漏洩,アミノ酸などの基質の輸送能の低下や細胞外の塩素イオンの流入などからその損傷が指摘でき,細胞運動速度や呼吸活性の低下などからエネルギー生成系の損傷も発生しているとみられる(21)21) 土戸哲明,坂元 仁:日本防菌防黴学会誌,48, 57 (2020)..また,一般に細胞質膜(内膜)局在タンパク質の活性は周囲の脂質の影響を受けるが,大腸菌細胞の加熱処理後の生存性も細胞膜脂質の相転移・相分離の影響を受けることが示されており(22, 23)22) 土戸哲明:膜(日本膜学会誌),33, 266 (2008).23) N. Katsui, T. Tsuchido, M. Takano & I. Shibasaki: J. Gen. Microbiol., 122, 357 (1981).,その要因は温度の急勾配が生じる非平衡下での細胞膜損傷に由来するものと推察される(21, 22)21) 土戸哲明,坂元 仁:日本防菌防黴学会誌,48, 57 (2020).22) 土戸哲明:膜(日本膜学会誌),33, 266 (2008).(コラムのB).
その一方,加熱細胞では細胞質や細胞表層局在のタンパク質の変性や酵素の失活も生じる.図3図3■加熱による大腸菌細胞の微細構造変化を示す透過型電顕像の顕微鏡写真の細胞内に散見されるように,細胞質内に顆粒状のものが出現するが,これは後述の加熱変性したタンパク質の凝集体と推測される.このとき,細胞内に常温で発現していた既存の熱ショックタンパク質(HSPs)のDnaK, GroE,低分子量HSPs(sHSPs)などの分子シャペロンはすぐさま変性タンパク質に結合するとみられる.しかし,これらσH因子支配のHSPs(24)24) B. Lim & C. A. Gross: “Bacterial Stress Response”, 2nd edn., ed. by G. Storz & R. Hengge. ASM Press, Washington, D.C., 2011, p. 93.および50°C以上の加熱で誘導されるσE因子支配の表層ストレスタンパク質(ESPs)(25)25) A. M. Mitchell & T. J. Silhavy: Nat. Rev. Microbiol., 17, 417 (2019).(第2のHSPsと呼ばれる)の両グループのタンパク質群が機能の本領を発揮するのは適当な栄養条件下での損傷後の回復期で,それらの遺伝子の転写・翻訳による.
加熱損傷を受けた大腸菌細胞では,細胞表層の損傷と並行して細胞内のタンパク質・酵素の変性・失活が発生するが,これらは回復時に再生・修復される.それらの中には自己再生するものもあるが,多くは上述の分子シャペロンHSPsによって修復再生される.外膜損傷やペリプラズムタンパク質などは上記のESPsの働きによって修復合成される.損傷菌におけるこれらの修復反応系の概要図を図5図5■大腸菌の加熱損傷細胞における主な修復反応の概念図に示す(21, 26)21) 土戸哲明,坂元 仁:日本防菌防黴学会誌,48, 57 (2020).26) 土戸哲明,坂元 仁:「損傷菌の発生機序の解明と検出・制御技術の開発」研究最終年度報告書,農林水産省農林水産会議,2018, p. 12, http://www.affrc.maff.go.jp/docs/project/seika/2016/attach/pdf/seika2016-89.pdf.内膜損傷の修復には,加熱処理の場合は定かでないが浸透圧やpHの変化に対応するCpx制御系が関わっており,内膜タンパク質の合成や排出関連,金属・酸化還元関連遺伝子の発現が上昇する(25)25) A. M. Mitchell & T. J. Silhavy: Nat. Rev. Microbiol., 17, 417 (2019)..
核酸と転写・翻訳系自体の損傷を除く.文献(18, 26)18) 土戸哲明:“芽胞・損傷菌とその検出・制御技術”,シーエムシー出版,2020, p. 233.26) 土戸哲明,坂元 仁:「損傷菌の発生機序の解明と検出・制御技術の開発」研究最終年度報告書,農林水産省農林水産会議,2018, p. 12, http://www.affrc.maff.go.jp/docs/project/seika/2016/attach/pdf/seika2016-89.pdfを改変引用.図中の抗酸化系酵素群の位置近傍の下方矢印は加熱損傷によるこれらの酵素の失活または活性低下を意味する.
加熱損傷後の修復中の細胞の可溶性画分から超遠心分離によって沈降する成分を分析すると,変性凝集タンパク質のほかに,特異的に低分子熱ショックタンパク質(sHSP)のIbpAとIbpB(初期の表記はC14.7とG13.5)とそれらの修飾(リン酸化?)体とみられる“4連スポット”が2次元電気泳動によって検出された(27, 28)27) T. Tsuchido, H. Cho, S. Matsuyama & M. Takano: J. Antibact. Antifung. Ag., 20, 131 (1992).28) T. Miyake, S. Araki & T. Tsuchido: Biosci. Biotechnol. Biochem., 57, 578 (1993)..これらの大腸菌sHSPsはcitrate synthaseなどの細胞質酵素・タンパク質に対して変性抑制作用をもつが,細胞内では多量体を形成し,加熱損傷によって解離して変性タンパク質に結合する(29~31)29) M. Kitagawa, Y. Matsumura & T. Tsuchido: Biocontrol Sci., 5, 81 (2000).30) M. Kitagawa, M. Miyakawa, Y. Matsumura & T. Tsuchido: Eur. J. Biochem., 269, 2907 (2002).31) D. Kuczynska-Wisnik, S. Kedzierska, E. Matuszewska, P. Lund, A. Taylor, B. Lipinska & E. Laskowska: Microbiology, 148, 1757 (2000)..また加熱によって細胞膜に相互作用する可能性も示されている(29)29) M. Kitagawa, Y. Matsumura & T. Tsuchido: Biocontrol Sci., 5, 81 (2000)..ただ,これらの遺伝子の高発現株は細胞の熱耐性を上昇させるものの,欠損株は親株と同程度の耐性であった(32)32) M. Kitagawa, Y. Matsumura & T. Tsuchido: FEMS Microbiol. Lett., 184, 165 (2000)..
その後の研究(33~36)33) A. Mogk, B. Bukau & H. H. Kampinga: Mol. Cell, 69, 214 (2018).34) A. Mogk & B. Bukau: Cell Stress Chaperones, 22, 493 (2017).35) I. Obuchowski, A. Pirog, M. Stolarska, B. Tomiczek & K. Liberek: PLoS Genet., (2019).36) S. Carra, S. Alberti, J. L. P. Benesch, W. Boelens, J. Buchner, J. A. Carver, C. Cecconi, H. Ecroyd, N. Gusev, L. E. Hightower et al.: Cell Stress Chaperones, 24, 295 (2019).によって,これらsHSPsはholdaseやaggregaseと呼ばれてATP非依存的に細胞質内変性タンパク質の秩序だった凝集を生じ,別のHSP100 familyでdisaggregaseとよばれるClpBタンパク質によるATP要求性の解凝集反応に導く役割を果たすこと(コラムのC),またHSP70 familyのDnaK(補助的にDnaJ)がこれらの過程で重要な役割を果たすことがわかっている.因みにヒトの場合,sHSPsの機能不全がタンパク質凝集に絡む神経疾患など種々の疾病の原因となることが指摘されている(36)36) S. Carra, S. Alberti, J. L. P. Benesch, W. Boelens, J. Buchner, J. A. Carver, C. Cecconi, H. Ecroyd, N. Gusev, L. E. Hightower et al.: Cell Stress Chaperones, 24, 295 (2019)..
本項で述べた加熱損傷菌におけるこれら細胞膜とタンパク質の損傷は,損傷菌の生死の問題に深く関わり,後述の損傷菌の検出・計数にも強く影響する.なお,真菌を含め加熱などの処理ではDNA, RNA,細胞壁ムレインの損傷も知られるが,これらの多くは分解酵素の活性化によるとみられ,次項で述べる2次損傷に該当すると考えられる.
以上の大腸菌の例のように,加熱損傷菌では細胞内の様々な部位に損傷を受けており,細胞はその後の保存時にそれらを修復して生存性(発育能)を回復しようとする.しかし,個々の損傷やその修復機構が明らかになっても,どの部位のどの程度の損傷が致死をもたらすのかなど,それらの損傷とそれに対応する修復機構やストレス応答を含む生存に関わる統合的な制御ネットワークシステムとの間には,生命の本質に関わる深遠な問題がある.
それでもあえて踏み込んで単純に考え,微生物の熱死滅過程が見かけ上1次反応に従うことを前提にすれば,死滅に至る過程のどこかが律速段階になっている主反応が想定される.一般的な熱死滅反応の活性化エネルギーはタンパク質の熱変性反応とほぼ同等の特異的に高い値(一般化学反応の値のざっと3~5倍相当の300~500 kJ/mol)をもつが,いくつかの一般的な損傷検出法による加熱損傷反応の場合も,ほぼこの範囲内の値を示す(37)37) 堀切茂俊,土戸哲明:日本防菌防黴学会誌,48, 355 (2020)..これを前提に考えれば,加熱損傷による基盤的な致命的要因は生命維持に必須の何らかのタンパク質の変性や凝集で,細胞のproteostasis(タンパク質恒常性)における対応機能の破綻のために細胞死がもたらされるのではないかと推察される(36, 38)36) S. Carra, S. Alberti, J. L. P. Benesch, W. Boelens, J. Buchner, J. A. Carver, C. Cecconi, H. Ecroyd, N. Gusev, L. E. Hightower et al.: Cell Stress Chaperones, 24, 295 (2019).38) A. Strauch & M. Haslbeck: Essays Biochem., 60, 163 (2016)..
先に,放射線生物学では損傷のタイプとして潜在性致死的損傷が設定されていることを述べたが,微生物の細胞損傷でも,この概念に直接あてはまるものではないがそれに類似した細胞死の現象があるので,以下にその例を3つ挙げる.
一つは,大腸菌などを好気下で加熱など種々のストレスにさらしたときに,活性酸素種(ROS)を発生して死滅するケースである.これは,細胞の抗酸化酵素の部分失活によるROS消去能の低下も関与する可能性もあるものの,主に細胞膜に局在する呼吸鎖電子伝達系の損傷に起因すると推察されている(39~41)39) M. Marcen, V. Ruiz, M. J. Serrano, S. Condon & P. Manas: Int. J. Food Microbiol., 241, 198 (2017).40) K. R. Messner & J. A. Imlay: J. Biol. Chem., 274, 10119 (1999).41) P. J. Stephens, P. Druggan & G. N. von Caron: Int. J. Food Microbiol., 60, 269 (2000)..これは2次的しかも回復時に発生する損傷(2次損傷)として知られる現象である.培地に過酸化水素消去剤のピルビン酸やカタラーゼなどを添加すると,本来は死と判定される(図2図2■損傷菌の発生モデルの破線矢印)損傷菌が復活する(41~44)41) P. J. Stephens, P. Druggan & G. N. von Caron: Int. J. Food Microbiol., 60, 269 (2000).42) A. M. Wesche, J. B. Gurtler, B. P. Marks & E. T. Ryser: J. Food Prot., 72, 1121 (2009).43) L. C. McDonald, C. R. Hackney & B. Ray: Appl. Environ. Microbiol., 45, 360 (1983).44) P. Tandon, S. Chhibber & R. H. Reed: Lett. Appl. Microbiol., 44, 73 (2007).(図5図5■大腸菌の加熱損傷細胞における主な修復反応の概念図参照).ROS発生源が機能しない嫌気下での回復処理も生残を導く.2つ目は,枯草菌細胞の加熱ショック処理で細胞膜に表在するヌクレアーゼYokFが膜の損傷によって脱制御されて活性化し,細胞自身のDNAを攻撃してしまう現象である(45)45) J. J. Sakamoto, M. Sasaki & T. Tsuchido: J. Biol. Chem., 276, 47046 (2001)..この分解酵素の欠失株はこのような死から部分的に免れることが判明している.また本酵素の活性に要求されるCaイオンの不在や特定阻害剤の存在下でもその分の死滅が回避される可能性がある.3つ目の例は,Cladosporium属カビの分生子の低温加熱処理(43~47°C)で観察される死滅現象である.この温度域では高温側(47°C以上)と異なり,死滅反応の活性化エネルギーが明らかに低く,液胞の破壊によって内部のタンパク質分解酵素が細胞質に放出され,死に至ると推察された(46, 47)46) S. Horikiri,, M. Harada, J. Sakamoto, R. Asada, M. Furuta & T. Tsuchido: in preparation.47) 堀切茂俊:大阪府立大学博士論文(2020)..
これら3つの致死現象は上述の一般的なタンパク質変性・凝集と目される高温加熱による致死的損傷反応とは異なり,ここで言う潜在性致死的損傷の代表例と考えられる.これらの例での損傷菌は,通常の条件では死滅したと判断されるが,死への引き金が引かれない特定の条件におかれると復活可能になるため,実際には殺菌処理直後には生存していたことになる.本稿ではこの潜在性致死的損傷を,放射線生物学での定義とはやや異なるが,概念上類似した用語として微生物細胞に適用することとする.
微生物の生存数測定(生死判定)法については種々の方法があり,培養法と非培養法に大別される.培養法の代表は寒天平板法で,非培養法の代表は蛍光色素を用いた染色法であり,それぞれ長所と短所がある.ここで問題とする損傷菌の検出・計数では,一般に異なる原理や手法の2つの生存数測定法を併用し,両者の評価値の差分から求められる(11, 48, 49)11) 土戸哲明,坂元 仁:日本食品科学工学会誌,65, 73 (2018).48) V. C. H. Wu: Food Microbiol., 25, 735 (2008).49) 坂元 仁:日本防菌防黴学会誌,47, 239 (2019)..なかでも,二重平板法は古くから用いられている.この方法は選択の原理を導入したもので,高濃度食塩などを平板培地に含有させて損傷菌の発育を抑制するいわゆる選択培地とこれを含まない通常の非選択培地とを用い,その差から損傷菌を計数する.一方,迅速法の利点をもつ染色法では,例えばCFDA(carbonyl fluorescein diacetate)とPI(propidium iodide)を併用し,前者の染色でエステラーゼは失活しているが,後者の染色で細胞膜透過制御能が健常なものを損傷菌とみなす.どちらの検出・計数法も,どのような選択方法を適用するかによってそれぞれの原理に基づく特定の損傷菌を検出することになる.そのため,それら2つの方法による結果の間で,正相関は得られても1 : 1に対応しないことが多く,条件によっては相関しない場合も少なくない(11, 50)11) 土戸哲明,坂元 仁:日本食品科学工学会誌,65, 73 (2018).50) T. Tsuchido: Biocontrol Sci., 22, 131 (2017)..
これらの方法に対し,筆者ら(50, 51)50) T. Tsuchido: Biocontrol Sci., 22, 131 (2017).51) 土戸哲明:“芽胞・損傷菌とその検出・制御技術”,シーエムシー出版,2020, p. 209.は新たな二重後培養(殺菌後の二重培養)法を提唱している.図6図6■DiVSaL法の操作手順(A)と計測原理(B)にその方法(A)と原理(B)の概要を示す.この方法では,未損傷菌と復活可能な損傷菌とを含む総生存数,および損傷菌数を除いた未損傷菌のみの生存数とを別々の原理に基づく方法を併用して求め,それらの差から損傷菌数を算出する.一般には,前者を寒天平板法や最確数(MPN)法で,後者を以前(52)52) M. Takano & T. Tsuchido: J. Ferment. Technol., 60, 189 (1982).に提唱した液体培地利用の発育遅延解析(growth delay analysis; GDA)法によって算出する(図6A図6■DiVSaL法の操作手順(A)と計測原理(B)).
液体培地中での微生物の発育は,細菌の増殖やカビの伸長のいずれの反応も,初期に現れる誘導期(lag time, l [h])(胞子の場合は発芽期間も加わる)ののち,1次反応で表される対数増殖(または伸長)期に進行する.GDA法では,予め未処理と処理の両細胞集団について接種菌数を10倍ごと段階希釈し,その培地接種後の発育が対数期の一定値に到達するまでの遅延時間の増分として定義されるG10値[h]を求める(図6B図6■DiVSaL法の操作手順(A)と計測原理(B)).この値は比増殖(伸長)速度のμ[h−1]との間にG10=2.303/μの関係があって,菌種や培地などによって変動するが,これが未処理(G10, μ)と処理(G10′, μ′)の両細胞集団間で同じとみなせるかどうかを判定する.通常,細菌栄養細胞の場合これらはほぼ等しいが,細菌胞子やカビ胞子では異なることが多い.等しいと見なせる場合には(見なせない場合は後述),ストレス処理による発育遅延時間(τ[h])をG10値で割った商の値から換算生存率(integrated viability, IV,換算生存比としてはν)を計算する(52)52) M. Takano & T. Tsuchido: J. Ferment. Technol., 60, 189 (1982)..
本来,発育再開までの遅延発生の要因には,死菌発生のほかに復活可能な損傷菌による回復が加わる.このGDA法では横軸の回復時間を含めた全体の発育遅延時間をそのまま縦軸の生存数の低下分に換算して生存数を求める.したがって,この場合の生存数は非損傷菌数(初発生存数との差をとれば,損傷菌数+死菌数)とみなせる.その一方で,2次損傷の発生防止や栄養源の最適化を図った強化寒天平板法でのコロニー数(CFU)から非損傷菌数+損傷菌数(同死菌数)を計算する.そして,両者の計数値の差から損傷菌数を求める(2次損傷菌の数はこの強化対応措置を取らない培養法によって別途求めることができる)(50, 51)50) T. Tsuchido: Biocontrol Sci., 22, 131 (2017).51) 土戸哲明:“芽胞・損傷菌とその検出・制御技術”,シーエムシー出版,2020, p. 209..図6B図6■DiVSaL法の操作手順(A)と計測原理(B)に示した処理の例では,遅延時間τはちょうどG10値の2倍であり,この場合の換算生存率(IV)は0.01(未損傷菌数の相対比),すなわち1%となる.平板法による生存率(CFU)が仮に10%であったとすると,損傷菌数はその差分の9%となる.
この方法の詳細は原著(50~52)50) T. Tsuchido: Biocontrol Sci., 22, 131 (2017).51) 土戸哲明:“芽胞・損傷菌とその検出・制御技術”,シーエムシー出版,2020, p. 209.52) M. Takano & T. Tsuchido: J. Ferment. Technol., 60, 189 (1982).に委ねるが,その基本原理では,全細胞集団中の各損傷亜集団分布比(ni, 0<ni<1, Σni=1)の損傷指標として誘導期間延長時間(λi[h])の分布を導入した数学的理論を提示しており,処理後のμ′がμに等しいとき,ν=Σni・exp(−μλi)で表わされる関数値として,IVの−log νを定義している.実際の計測では菌数の測定は非現実的なため,培養液の濁度(OD)で代替測定し,菌数とODが定量相関する対数期中期の一定値(それぞれ,NaとODa)で評価する.この一定値に到達する所要時間を未処理集団と処理集団双方で求め,その差分時間であるτ[min]を評価する.発育中のODの自動計測には振とう培養を兼ねてマイクロプレートリーダーを用いる.
この方法は,選択の原理を用いずに微生物衛生で重視される発育能の程度で損傷を評価するため,より普遍的に活用できる.また,食品のいわゆるshelf life(品質保証期限)の概念にも通じる点で実用に則した方法といえる.上記の二重後培養法は固体培地と液体培地の組合せなので,固液培地差分生存性評価法,通称DiVSaL(differential viabilities between solid and liquid media)法と呼ぶ(50)50) T. Tsuchido: Biocontrol Sci., 22, 131 (2017)..平板法の代わりに最確数法を用いれば,液体培地同士なのでDiVLaL法となる.これらの他にも類似の原理を用いた種々の変法がある(51)51) 土戸哲明:“芽胞・損傷菌とその検出・制御技術”,シーエムシー出版,2020, p. 209..
この二重後培養法の基本原理は,さらに保存過程における損傷菌の動態の解析法に転用することができる.殺菌処理を受けて生残した損傷細胞(胞子を含む)の集団はどのように回復し,発育するのか,その動態を把握できれば,その予測理論やさらには損傷菌の制御理論の構築への途も拓かれ,食品の微生物衛生管理に活用できるだろう.以下,その基本理論とその大腸菌(μ′=μの例)とカビ胞子(μ′≠μの例)への適用例を紹介する(53, 54)53) C. V. Khanh, J. J. Sakamoto, R. Asada, M. Furuta & T. Tsuchido: In preparation.54) S. Horikiri, M. Furuta & T. Tsuchido: Biocontrol Sci., 25, 131 (2020).(図7図7■損傷菌の動態解析の原理).
損傷菌の発育動態評価の基軸となる損傷様式として,前述したように,後培養時の初期の発育停止期に現れる発育非依存性の損傷修復と,その後の再増殖・再伸長時期に現れる発育依存性の損傷とがある.これらは,それぞれ上述した発育誘導期の延長時間λの増加と発育再開後の比増殖(または伸長)速度μの低下として現れることから,ここではλ損傷とμ損傷と呼ぶ(54, 55)54) S. Horikiri, M. Furuta & T. Tsuchido: Biocontrol Sci., 25, 131 (2020).55) 土戸哲明:芽胞・損傷菌とその検出・制御技術”,シーエムシー出版,2020, p. 278..λ損傷はその損傷回復に要する期間,つまり再発育開始の遅延として広く観察される.他方のμ損傷は細菌胞子やカビ胞子でみられ,その損傷が発育に持ち越された影響のため,あるいはその修復を並行させながら発育するために,再発育開始後の発育速度低下として現れるものと推察される.
これらの損傷を評価するために,図7図7■損傷菌の動態解析の原理中に示した未処理(曲線a)と処理集団(同b)についてそれぞれの発育曲線を想定する.未処理集団は誘導期lと発育速度μとをもつが,処理集団では誘導期はl+λで,この延長時間λ(つまりλ損傷由来)と未処理のそれから低下した発育速度μ′(μ損傷による)をもつとする.さらにそれらに加え,解析用に未処理集団と同一のμをもつ2つの仮想発育曲線(同cとd)を設定する(54, 55)54) S. Horikiri, M. Furuta & T. Tsuchido: Biocontrol Sci., 25, 131 (2020).55) 土戸哲明:芽胞・損傷菌とその検出・制御技術”,シーエムシー出版,2020, p. 278..これらの曲線は現実にそれぞれ,損傷菌が全く発生しない処理の場合(c)とλ損傷のみ発生してμ損傷は発生しない場合(d)の過程を表すものでもある.
まず,対照の未処理集団の発育経過を曲線aで示すと,この菌数変化は式(1)で表せる.なお,Nは培養時間t[h]後の菌数[mL−1]であり,N0は初発菌数である.
一方,処理集団の発育曲線bは,全集団中の生存集団の比をnvとおいて,式(2)で表す. また,曲線cで示す損傷菌を除いた死菌のみによる発育遅延τdを示す仮想曲線は,式(3)となる. さらに,遅延がλ損傷のみによる場合(τr)の発育曲線dは,式(4)で表わされる.これらの式をもとに,例えば加熱処理で発生する死菌,λ損傷菌,μ損傷菌の割合は,それぞれ,1–nv, nv–v, nv–ng·nv(ng=μ′/μ)として評価できる.なお,これらの関係式の適用にあたっては,いくつかの前提条件(53)53) C. V. Khanh, J. J. Sakamoto, R. Asada, M. Furuta & T. Tsuchido: In preparation.を満たす必要があるので,留意が必要である.また,μ′は再発育初期の一時的に現れることが多く,暫時後にはμに復帰する傾向を示すので,正確に評価するには,初発数を遅延評価レベル(Na)のOD(ODa)に比較的近接した値を設定する必要がある.このDiVSaL法を大腸菌の加熱損傷に適用した例では50°C, 10分の加熱処理により,0.1%ピルビン酸添加LB培地で評価すると,死菌が3.2桁発生のときλ損傷数を1.6桁生じ,μ損傷菌は検出限界以下であった(53)53) C. V. Khanh, J. J. Sakamoto, R. Asada, M. Furuta & T. Tsuchido: In preparation..またカビ胞子のCladosporium cladosporioides分生子では,45°C, 8分の加熱後ポテトデキストロース培地で培養の結果,0.81桁の死菌発生のときλ損傷菌数は1.41桁,μ損傷菌数0.17桁の発生を認めている(54)54) S. Horikiri, M. Furuta & T. Tsuchido: Biocontrol Sci., 25, 131 (2020)..なお,これら両損傷菌はそれぞれ独立して評価しているため,双方の損傷を重複発生した菌数も含む.
この方法は,他の微生物や種々の殺菌法に適用可能とみられる.胞子の場合には損傷回復の前に発芽系の損傷が先行して加わり,この遅延を考慮する必要があるほか,それが胞子本体の損傷よりも甚大な場合は,生存しているが発芽できない(viable but non-germinatable; VBNG)状態(7)7) 土戸哲明,朝田良子:“芽胞・損傷菌とその検出・制御技術”(土戸哲明,古田雅一監修),シーエムシー出版,2020, p. 151.の芽胞が生じる.またγ線照射のようにDNAが主標的の処理の場合は,数世代間発育した後死滅する増殖死・伸長死が修復と並行して発生するため,これらを識別して解析する工夫が必要となる(56)56) R. Asada, H. Den, J. Sakamoto, T. Tsuchido & M. Furuta: in preparation..今後,これらの殺菌法に対する微生物の損傷・修復機構やその動態解析による知見を集積して再構成することにより,損傷菌の制御のための理論が構築されることが期待される.
紙面の都合で割愛したが,損傷菌関連問題として2点追記しておきたい.一つは,損傷菌のトレランスで,損傷菌はその回復中のストレス応答システムの作動によって再度負荷される致死ストレスに対して健常菌よりも著しく抵抗性となることが多い(筆者らが図2図2■損傷菌の発生モデルで回復菌≠健常菌と考える主因)(27, 57)27) T. Tsuchido, H. Cho, S. Matsuyama & M. Takano: J. Antibact. Antifung. Ag., 20, 131 (1992).57) 朝田良子,土戸哲明:“実践 微生物制御による食品衛生管理”(松永藤彦,稲津早紀子監修),エヌ・ティー・エス,印刷中..この現象は普遍的に観察されるので,実用上の微生物検査と損傷菌対策において特に留意すべき点である.
もう一つは,損傷菌対策である.大きくはその発生の防止と発生した場合はその後の発育抑制である.以前に原理上の技術的な提案(58)58) 土戸哲明,坂元 仁:食品工業,55, 45 (2012).を示しているが,今後の研究の進展によって,ここで示した動態解析を基盤とした損傷菌の制御理論(59)59) 土戸哲明,中村一郎:損傷菌セミナー2018要旨集,日本損傷菌研究会,2018, p. 13.が確立され,それが実用に展開されることを期待したい.
本稿では限られた紙面で多くの知見を紹介し,説明不足の感を免れないが,詳細は引用文献の解説・総説を参照いただければ幸いである.
Acknowledgments
本研究の成果の一部は,農林水産省委託「食品の安全性と動物衛生の向上のためのプロジェクト・損傷菌の発生機序の解明と検出・制御技術の開発事業」(2013~2017年)の分担研究として実施したもので,関係機関・各位に深甚の謝意を表する.
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