Kagaku to Seibutsu 59(3): 109 (2021)
巻頭言
「生物」を「化学」で理解する—腸内細菌やプロバイオティクス研究に思うこと
Published: 2021-03-01
© 2021 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2021 公益社団法人日本農芸化学会
このたび,清田編集長から「化学と生物」巻頭言執筆の依頼をいただき,安請け合いしたのだが,過去の高名な先生方による心意気の込めた巻頭言をみて,たいへんなことを引き受けてしまったと後悔した.いろいろ悩んだ末,一企業人としてこれまで実践してきたこと,ならびに今抱えている思いを本誌の誌名にちなんで書き綴らせていただくこととした.
近年の研究によりヒトの腸管内では数百種類,数十兆個もの細菌が棲息し腸内細菌叢を構築していること,さらに腸内細菌叢の乱れが大腸がんや炎症性腸疾患などなどの消化器疾患,動脈硬化や肥満,喘息,アレルギー,精神疾患などの全身性疾患と関連することが明らかになっている.腸内細菌のうち,特にビフィズス菌は古くから多く研究されてきており,ビフィズス菌や乳酸菌などのプロバイオティクス製品も多く開発されてきている.
一方,腸内細菌の構成に関しては人種や国・地域,さらに個々人によって違いがあることが知られており,その理由ならびにどんな腸内細菌の構成をもつことが健康的なのかについて統一した見解は得られていない.私は腸内細菌という「生物」現象を「化学」的に理解することが「鍵」ではないかと考えている.つまり,それぞれの腸内細菌の代謝産物や宿主との相互作用を物質レベルで解明することで,その働きを理解するということである.ここで,筆者らがかかわったビフィズス菌に関する研究を少し紹介させていただく.
ビフィズス菌は偏性嫌気性菌で,主にヒトや哺乳類,昆虫,鳥類などの腸管を棲み処にしていることが特徴である.生まれて間もなくビフィズス菌が勃興し,ビフィズス菌優勢の菌叢をもつのは哺乳類のなかでもヒトのみであり,ヒトに特異的な現象である.現在,ビフィズス菌は,90以上の種・亜種が発見されているが,その棲息場所は種・亜種によって異なり,ヒト腸管に棲んでいるのは10菌種程度(Human-Residential Bifidobacteria; HRB)で,さらに乳児腸管から検出されるのは4~5菌種のみ(乳児型HRB)である.
私たちはビフィズス菌の各菌種はどのように棲み分けているのか,そしてそれぞれにどんな機能的な特徴の違いがあるのかについて疑問をもちながら研究に取り組んだ.その結果,乳児型HRBが母乳に含まれるオリゴ糖(HMOs)に対して高い資化能を有することに加えて,抗菌作用を有するリゾチームに対して高い耐性をもっていることが判明した.豊富な種類のHMOsや高濃度のリゾチームを含有していることがいずれもヒトの母乳に特有のものであることを考えると,母乳が乳児型HRBを意図的に選択しているということが言え,たいへん興味深い.さらに,ヒトと動物のおなかに棲息する菌種では,その代謝産物に多くの違いが存在していることが判明し,それぞれの特徴(HRB vs. non-HRB)が「化学」的に少し見えてきた.
ビフィズス菌や乳酸菌などのプロバイオティクスの働きに関する研究についても同じことが言える.現在,さまざまなプロバイオティクス製品が市場に出回っているが,その作用機序が明確になっているものは多くない.その理由としてプロバイオティクスの作用機序がたいへん複雑で解明が難しいことが挙げられ,それゆえ欧州食品安全機関(EFSA)はいまだにプロバイオティクス製品のヘルスクレームを一つも認めていない状況にある.今後,プロバイオティクスがどのような機序で宿主に作用しているのかを物質レベルで「化学」的に解明することが必須となる.一企業研究者として責任を感じるとともに,より若い世代の研究者の手によって,腸内細菌やプロバイオティクスについて「化学」的な視点から研究を進め,発展させていくことを期待する.