Kagaku to Seibutsu 59(3): 122-129 (2021)
解説
インスリンシグナルの末梢味覚器における役割味細胞の機能調節から分化/増殖に対する影響まで
The Role of Insulin Signaling in Mammalian Peripheral Taste Tissue: From Taste Modulation to Maintenance of Taste Bud Homeostasis
Published: 2021-03-01
現在,さまざまな生活習慣病,特に肥満や高血圧,糖尿病が世界的に深刻な問題となっている.これらの疾病の根本的な予防と治療には,食事を含む生活習慣への介入が不可欠であり,それにはわれわれの摂食行動が味覚を通じてどのように形成されるかを理解する必要がある.味覚は全身の栄養状態の影響を受けて動的に調節されることがわかっており,栄養代謝にかかわるホルモンもその調節に寄与している可能性が高い.本稿では糖摂取に応じて膵臓より分泌されるインスリンが味覚器の機能や代謝に及ぼす影響について,過去の報告と,味蕾幹細胞3次元培養系を用いたわれわれの最新の研究結果を交えて総覧する.
Key words: 味蕾; インスリン; オルガノイド; 糖尿病
© 2021 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2021 公益社団法人日本農芸化学会
味蕾は食物中に含まれる呈味物質を感知するための感覚器官である.食物の味は,さまざまな栄養素,ミネラル,あるいは有害物質の検出に重要であり,生物の生存にとって必須の信号である.現在のところ,甘味,苦味,塩味,酸味,うま味(アミノ酸)の5つは,基本味として認識されており,ヒト,げっ歯類,そのほか多くの脊椎動物で保存されていることが知られている(1)1) J. Chandrashekar, M. A. Hoon, N. J. P. Ryba & C. S. Zuker: Nature, 444, 288 (2006)..味細胞からの感覚入力は単に美味しい,不味いという感情を引き起こすだけではなく,生理的な摂食行動の調節とそれに続く全身のエネルギーホメオスタシスの維持において重要なキューとなる.一般的に甘味とうま味は糖やアミノ酸のような栄養源の検出を可能にし,苦味と酸味は有毒化学物質や腐った食物の摂取を防ぎ,塩味は特定の電解質を検出するシグナルとなると考えられている.
これまでの研究で,味覚の入力は動物の栄養代謝状態に応じてダイナミックに変化することが示されており,多くの内的要因が味覚感受性に影響することが示唆されている.なかでも,いくつかのホルモンは味覚に影響を及ぼす強力な調節因子であると考えられている(2)2) S. Takai, R. Yoshida, N. Shigemura & Y. Ninomiya: Chemosensory Transduction, Elsevier, 2016, pp. 299–317..本稿では,全身のエネルギー代謝において極めて重要な働きをもつインスリンとその関連分子に着目し,その味蕾における発現と機能について概説する.併せて,高インスリン血症を示す糖尿病患者では,随伴症状として味覚の変調が高頻度で報告されている.この糖尿病に関連した味覚の変化に関する臨床所見についてもレビューする.
われわれの舌表面の味蕾は舌前方部では茸状乳頭,舌後方部では葉状乳頭や有郭乳頭に多く分布している.味蕾は1個あたり100~150個の味細胞が包含された内胚葉性上皮由来の組織であるが,周囲の舌粘膜上皮とは全く性質を異にする特殊な器官である(3)3) S. D. Roper: Semin. Cell Dev. Biol., 24, 71 (2013)..味蕾には解剖学的,生理学的な特徴の違いから少なくとも4種類の味細胞(I型,II型,III型,IV型細胞)が含まれており,それぞれの細胞が特徴的な分子発現と機能をもつ(図1図1■哺乳類味細胞の分類と味覚受容体の発現).I型細胞は味細胞の約50%を占め,グリア細胞様の形態をもつ細胞である.支持細胞として味蕾の形態維持にもかかわるが,その機能には不明な点も多い(4)4) S. D. Roper & N. Chaudhari: Nat. Rev. Neurosci., 18, 485 (2017)..II型細胞には甘味受容体(T1R2+T1R3ヘテロダイマー(taste receptor type 1 family, members 2+3)),うま味受容体(T1R1+T1R3ヘテロダイマー(taste receptor type 1 family, members 1+3)),苦味受容体(T2R(taste receptor type 2 family))や,α-gustducin, PLCβ2(phospholipase C β2),TRPM5(transient receptor potential cation channel subfamily M member 5),CALHM1/3(calcium homeostasis modulator 1/3)といった分子が発現しており,甘,苦,うま味の受容を担っている(4)4) S. D. Roper & N. Chaudhari: Nat. Rev. Neurosci., 18, 485 (2017)..III型細胞には,酸味受容体としての機能が報告されたOTOP1(otopetrin-1)やPKD1L3やPKD2L1(polycystic kidney disease 1-like 3や2-like 1)(5~7)5) Y. Ishimaru, H. Inada, M. Kubota, H. Zhuang, M. Tominaga & H. Matsunami: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 103, 12569 (2006).6) A. L. Huang, X. Chen, M. A. Hoon, J. Chandrashekar, W. Guo, D. Tränkner, N. J. P. Ryba & C. S. Zuker: Nature, 442, 934 (2006).7) B. Teng, C. E. Wilson, Y.-H. Tu, N. R. Joshi, S. C. Kinnamon, E. R. Liman Correspondence & E. R. Liman: Curr. Biol., 29, 3647 (2019).,また,シナプス伝達に関連する分子,たとえば,serotonin(5-HT),SNAP25(synaptosomal-associated protein)や,NCAM(neural cell adhesion molecule),またGAD67(glutamate decarboxylase67)等が発現している(4)4) S. D. Roper & N. Chaudhari: Nat. Rev. Neurosci., 18, 485 (2017)..IV型細胞は味蕾の基底部に位置する細胞群であり,ほかの細胞と違い味孔には接しておらず,味の受容には関係しないとされる.SHH(sonic hedgehog)やSOX2(SRY[sex-determining region Y]-box 2),keratin 5等の発現が見られ(8~11)8) Y.-K. Shin, Z. Chen, L. Xin, J. M. Egan, R. Short, J. K. Napora, J. O. Odetunde, O. D. Carlson, Z. Liu, W. Kim et al.: PLoS ONE, 6, e16096 (2011).9) D. Castillo, K. Seidel, E. Salcedo, C. Ahn, F. J. de Sauvage, O. D. Klein & L. A. Barlow: Dev., 141, 2993 (2014).10) H. Miura, H. Kato, Y. Kusakabe, M. Tagami, J. Miura-Ohnuma, T. Ookura, Y. Shindo, Y. Ninomiya & A. Hino: Chem. Senses, 30(Supple. 1), 50 (2005).11) T. Okubo, C. Clark & B. L. M. Hogan: Stem Cells, 27, 442 (2009).,成熟味細胞に至る前の前駆細胞がこのIV型細胞に含まれていると考えられている.
2013年に味蕾幹/前駆細胞が舌後方部有郭乳頭部でLgr5陽性細胞群と同定され(12)12) K. K. Yee, Y. Li, K. M. Redding, K. Iwatsuki, R. F. Margolskee & P. Jiang: Stem Cells, 31, 992 (2013).,これをさまざまな成長因子と細胞外基質成分を含む培地内で3次元培養することにより味細胞のオルガノイド培養系が作製できることが発表された(13)13) W. Ren, B. C. Lewandowski, J. Watson, E. Aihara, K. Iwatsuki, A. A. Bachmanov, R. F. Margolskee & P. Jiang: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 111, 16401 (2014)..さらに同培養系を用いて単一のLgr5陽性味蕾幹細胞がI型~III型すべてのタイプの成熟味細胞に分化可能であることが示された(図2図2■マウス味蕾オルガノイドの作製).味蕾オルガノイドは現在世界で唯一の味細胞の培養系であり,これまで困難であった味細胞機能解析への応用試行が始まっている.生体の味細胞機能解析を困難なものにしてきた要因はさまざまあるが,マウス味覚器のサイズの小ささや,味細胞自体の数が少ないこと,また,成熟味細胞は味蕾から単離するとわずか数時間で死滅するという寿命の短さが主な技術的な足かせとなってきた.一方,味蕾オルガノイドコロニーは,生体味蕾よりもはるかにサイズが大きく,長期間(1カ月以上)の味細胞幹細胞~成熟味細胞培養が可能である(14)14) E. Aihara, M. M. Mahe, M. A. Schumacher, A. L. Matthis, R. Feng, W. Ren, T. K. Noah, T. Matsu-Ura, S. R. Moore, C. I. Hong et al.: Sci. Rep., 5, 17185 (2015)..まだ開発されたばかりの技術であり,発展途上の実験手法であるが,味細胞を用いた実験を多くの技術的制約から解放しうる可能性を内包する研究ツールであり,呈味物質のスクリーニングや,薬剤の効果や味細胞に対する副作用のスクリーニング,味細胞分化機構の詳細な解析などへの応用が期待されている.
インスリンは膵β細胞で合成され,血糖上昇に反応して放出されるホルモンである.インスリンは脂肪細胞および骨格筋でのグルコース取り込みを促進,肝臓でのグルコース産生を阻害することによって血糖値を低下させ,炭水化物および脂肪代謝の調節において極めて重要な役割を果たしている(15)15) A. R. Saltiel & C. R. Kahn: Nature, 414, 799 (2001)..味蕾と膵島は共通の生理活性分子を有することが知られている.たとえば,グレリン,グルカゴンといったホルモンや(16~18)16) S. S. C. Calvo & J. M. Egan: Nat. Rev. Endocrinol., 11, 213 (2015).17) Y.-K. Shin, B. Martin, W. Kim, C. M. White, S. Ji, Y. Sun, R. G. Smith, J. Sévigny, M. H. Tschöp, S. Maudsley et al.: PLoS One, 5, e12729 (2010).18) A. E. T. Elson, C. D. Dotson, J. M. Egan & S. D. Munger: FASEB J., 24, 3960 (2010).,それらのホルモンの活性化に必要な酵素であるPC 1/3およびPC 2(19)19) Y. K. Shin, B. Martin, E. Golden, C. D. Dotson, S. Maudsley, W. Kim, H. J. Jang, M. P. Mattson, D. J. Drucker, J. M. Egan et al.: J. Neurochem., 106, 455 (2008).,またインスリン分泌に必要な細胞の脱分極をもたらすATP感受性K+チャネル(15, 20)15) A. R. Saltiel & C. R. Kahn: Nature, 414, 799 (2001).20) K. K. Yee, S. K. Sukumaran, R. Kotha, T. A. Gilbertson & R. F. Margolskee: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 108, 5431 (2011).などさまざまな分子が膵島と味蕾に共通して発現している.最近の研究では,インスリン自体がマウス,ラット,ヒトの味細胞の一部で合成されており,このインスリン産生味細胞はII型もしくはIII型味細胞マーカーを共発現することが報告された(21)21) M. E. Doyle, J. L. Fiori, I. Gonzalez Mariscal, Q.-R. Liu, E. Goodstein, H. Yang, Y.-K. Shin, S. Santa-Cruz Calvo, F. E. Indig & J. M. Egan: Endocrinology, 159, 3331 (2018)..味覚上皮のインスリン含量はマウス膵臓の等価重量の10倍程度低く(21)21) M. E. Doyle, J. L. Fiori, I. Gonzalez Mariscal, Q.-R. Liu, E. Goodstein, H. Yang, Y.-K. Shin, S. Santa-Cruz Calvo, F. E. Indig & J. M. Egan: Endocrinology, 159, 3331 (2018).,また,味蕾組織の大きさを鑑みると,味細胞のインスリンが血流を介して全身反応を引き起こすかどうかに関しては議論の余地がある.
単離味細胞を用いた電気生理学的実験では,インスリンがマウスの塩味感受性に影響を及ぼす可能性が示されている(図3図3■インスリンが味細胞に与える影響).マウスにおける生理的な塩味(Na+味)に対する受容体は,上皮性ナトリウムチャネル(ENaC)であると考えられている(1, 22)1) J. Chandrashekar, M. A. Hoon, N. J. P. Ryba & C. S. Zuker: Nature, 444, 288 (2006).22) G. L. Heck, S. Mierson & J. A. Desimone: Science, 223, 403 (1984)..マウス味覚器におけるENaC発現様式に関してはさまざまな報告がある.過去には,TRPM5-GFPマウスを用いた電気生理学的特性による細胞分類から,アミロライド(ENaC阻害剤)依存性内向き電流をもつ細胞は,Trpm5-GFP蛍光をもたない電位依存性内向き電流を欠く細胞であると報告された.この細胞群は電位依存性Na+電流とK+電流をもつ典型的なII型細胞や(23)23) K. F. Medler, R. F. Margolskee & S. C. Kinnamon: J. Neurosci., 23, 2608 (2003).,電位依存性Na+,K+,Ca2+電流をもつ典型的なIII型細胞(23)23) K. F. Medler, R. F. Margolskee & S. C. Kinnamon: J. Neurosci., 23, 2608 (2003).とは異なる細胞群であることが推測された(24)24) A. Vandenbeuch, T. R. Clapp & S. C. Kinnamon: BMC Neurosci., 9, 1 (2008)..近年,遺伝工学的手法によりENaCαサブユニットはIII型細胞(AADC(aromatic l-amino acid decarboxylase)発現細胞,CA4(Carbonic anhydrase 4)発現細胞)に発現する一方,ENaCβサブユニット発現はII型細胞マーカー(TRPM5, PLCβ2)やIII型細胞マーカーとはほぼマージしないとする報告もなされ,ENaCはサブユニットごとに異なる発現パターンを示すことが示唆された(25)25) K. Lossow, I. Hermans-Borgmeyer, W. Meyerhof & M. Behrens: Chem. Senses, 45, 235 (2020)..一方,最新の研究では,CALHM1発現細胞依存的であることから,II型細胞の一部にENaCが発現し機能的な塩味受容を担っている可能性が示されており(26)26) K. Nomura, M. Nakanishi, F. Ishidate, K. Iwata & A. Taruno: Neuron, 106, 816 (2020).,一定の結論は出ていない.腎臓ではインスリンはENaCの開口確率(27)27) B. L. Blazer-Yost, X. Liu, S. I. Helman, Am. J. Physiol.-Cell Physiol., 274, 5 (1998).およびENaCの膜輸送を増強することが報告されている(28)28) T. S. Pavlov, D. V. Ilatovskaya, V. Levchenko, J. Li, C. M. Ecelbarger & A. Staruschenko: FASEB J., 27, 2723 (2013)..茸状乳頭の味細胞の一部で,インスリンを作用させると内向きNa+電流の有意な増加が見られた(29)29) A. F. Baquero & T. A. Gilbertson: Am. J. Physiol. Physiol., 300, C860 (2011)..このNa+電流増強はアミロライドおよびベンザミル(どちらもENaCの阻害剤)感受性であったことから,インスリンが味細胞ENaCの内向きNa+電流を増強することが示唆された.また,このインスリンの作用は,LY294002やウォルトマンニンなどのPI3KやPI4K(phosphatidylinositol-3 or 4-kinase)の阻害剤によっても抑制されることから,インスリンによるENaCの増強はPI3KやPI4Kシグナル伝達経路依存的であると予想される.味覚嗜好性試験では,インスリンを事前に投与されたマウスはコントロールマウスと比較して低濃度のNaCl溶液を有意に忌避し,その効果はNaCl溶液へのアミロライドの添加によって消失した(29)29) A. F. Baquero & T. A. Gilbertson: Am. J. Physiol. Physiol., 300, C860 (2011)..これらの知見は,膵β細胞もしくは特定の味細胞から分泌されるインスリンがアミロライド感受性(ENaC発現)塩応答性味細胞に働きかけ,マウスの塩味感受性を増強する可能性があることを示している(図3図3■インスリンが味細胞に与える影響).
筆者らの最近の知見によれば,インスリン受容体(IR)のmRNAとタンパク質はマウス味蕾に発現していることがわかっている(図3図3■インスリンが味細胞に与える影響).免疫組織化学的研究において,IRタンパク質は,甘味受容体サブセットT1R3を発現した味細胞の約80%,酸味感受性細胞マーカーGAD67を発現した細胞の約60%,およびLgr5陽性味幹/前駆細胞において共発現が観察された(30)30) S. Takai, Y. Watanabe, K. Sanematsu, R. Yoshida, R. F. Margolskee, P. Jiang, I. Atsuta, K. Koyano, Y. Ninomiya & N. Shigemura: PLOS ONE, 14, e0225190 (2019)..さらに味蕾オルガノイドを用いた解析では,培地中にインスリンを添加すると,20日後のコロニーの平均サイズを増加することがわかった.一方,味細胞数と味細胞マーカー(Entpd2(NTPDase2): I型細胞,Tas1r3(T1R3)とGnat3(gustducin): II型細胞,CA4: III型細胞,Lgr5:味蕾幹/前駆細胞,Krt8:成熟味細胞)のmRNA発現レベルはインスリン濃度依存的に有意に減少した.味蕾内に発現することが報告されている糖輸送体の一部(Slc51a(SGLT1(Sodium/glucose cotransporter 1)),Slc2a8(GLUT8(Glucose transporter type 8))のmRNA発現も,味細胞数減少を反映して発現量が低下した(30)30) S. Takai, Y. Watanabe, K. Sanematsu, R. Yoshida, R. F. Margolskee, P. Jiang, I. Atsuta, K. Koyano, Y. Ninomiya & N. Shigemura: PLOS ONE, 14, e0225190 (2019)..さらに,この味細胞分化/増殖にかかわるインスリンの作用は,細胞増殖,タンパク質合成,およびオートファジー(37~40)37) T. Sano, K. Ozaki, Y. Kodama, T. Matsuura & I. Narama: Cancer Sci., 100, 595 (2009).38) J. Zhao, J. Yang & H. Gregersen: Diabetologia, 46, 1688 (2003).39) T. Adachi, C. Mori, K. Sakurai, N. Shihara, K. Tsuda & K. Yasuda: Endocr. J., 50, 271 (2003).40) S. A. Zoubi, M. D. Williams, T. M. Mayhew & R. A. Sparrow: Virchows Arch., 427, 187 (1995).などのさまざまな生理学的プロセスの不可欠な調節因子として作用するセリン-スレオニンキナーゼであるmTOR(mechanistic target of rapamycin)を介した作用である可能性が示唆された.IRにインスリンが結合するとPI3Kが活性化する.PI3KはePIP2(5-2 phosphate)をPIP3(5-3 phosphate)に変換する.PIP3はAktというセリン/スレオニンキナーゼをリン酸化する.活性化したAktはTSC1/TSC2(tuberous sclerosis complex1/tuberin)複合体をRheb(Ras homolog enriched in brain)から解離させる.mTORC1(mTOR complex1)はこの解離したRhebにより活性化され,細胞の構成成分(タンパク質,脂質,核酸)の生合成を促進し,細胞の成長を調節し,オートファジーを抑制する(31~36)31) E. Dazert & M. N. Hall: Curr. Opin. Cell Biol., 23, 744 (2011).32) J. Avruch, X. Long, S. Ortiz-Vega, J. Rapley, A. Papageorgiou & N. Dai: Am. J. Physiol. Metab., 296, E592 (2009).33) X. M. Ma & J. Blenis: Nat. Rev. Mol. Cell Biol., 10, 307 (2009).34) R. Zoncu, A. Efeyan & D. M. Sabatini: Nat. Rev. Mol. Cell Biol., 12, 21 (2011).35) N. Hay & N. Sonenberg: Genes Dev., 18, 1926 (2004).36) T. Weichhart: Methods Mol. Biol., 821 (2012).(図4図4■予想される味細胞内IR-mTORシグナリング).
われわれの研究結果では,味蕾および味蕾を含まない舌上皮の両方で,mTORのmRNAおよびタンパク質シグナルが検出された.また,mTORの発現は有郭乳頭基底領域のLgr5陽性細胞でも観察された.mTORC1阻害剤であるラパマイシンをオルガノイド培地に添加すると,先述したインスリンの味細胞増殖に対する抑制作用を打ち消し,コロニーにおける味細胞マーカーの発現を有意に促進した(30)30) S. Takai, Y. Watanabe, K. Sanematsu, R. Yoshida, R. F. Margolskee, P. Jiang, I. Atsuta, K. Koyano, Y. Ninomiya & N. Shigemura: PLOS ONE, 14, e0225190 (2019)..以上の結果は,肥満や過栄養に伴う病的な高インスリン血症は正常な味細胞代謝を撹乱し,正常な味蕾のターンオーバーを阻害する可能性を示唆する.腸管に着目した研究では,糖尿病モデル動物で小腸上皮の過形成を報告した論文は多数ある(37~41)37) T. Sano, K. Ozaki, Y. Kodama, T. Matsuura & I. Narama: Cancer Sci., 100, 595 (2009).38) J. Zhao, J. Yang & H. Gregersen: Diabetologia, 46, 1688 (2003).39) T. Adachi, C. Mori, K. Sakurai, N. Shihara, K. Tsuda & K. Yasuda: Endocr. J., 50, 271 (2003).40) S. A. Zoubi, M. D. Williams, T. M. Mayhew & R. A. Sparrow: Virchows Arch., 427, 187 (1995).41) X.-Y. Zhong, T. Yu, W. Zhong, J.-Y. Li, Z.-S. Xia, Y.-H. Yuan, Z. Yu & Q.-K. Chen: Dev. Growth Differ., 57, 453 (2015)..ストレプトゾトシン投与により膵島を破壊し,循環血中のインスリンを枯渇させた糖尿病モデルラットでは,体重あたりの腸の長さ,壁厚および壁断面積の顕著な増加を生じていた(38)38) J. Zhao, J. Yang & H. Gregersen: Diabetologia, 46, 1688 (2003)..ストレプトゾトシン投与マウスを用いた実験では,小腸陰窩におけるLgr5陽性の腸上皮幹細胞の量が正常マウスよりも増加していたという報告もあり(41)41) X.-Y. Zhong, T. Yu, W. Zhong, J.-Y. Li, Z.-S. Xia, Y.-H. Yuan, Z. Yu & Q.-K. Chen: Dev. Growth Differ., 57, 453 (2015).,血中のインスリン濃度の変化が消化管上皮を含む内胚葉性上皮組織の幹細胞活性,組織代謝に影響を与える可能性は高い.末梢味覚器において,糖尿病の病態生理学的状態と,味細胞のターンオーバーに着目した研究はまだほとんどなされていないが,先述のわれわれの研究結果は,血液循環または味細胞からのインスリンがmTORC1の活性化を介して味蕾の細胞代謝に関与していることを強く示唆する.
IRのリガンドにはインスリンのほかにインスリン様成長因子(IGF)が知られている.IGFは哺乳類の身体のほぼすべての組織で発現しており,味蕾においてもこれまでにいくつかの研究でその発現に関する報告が存在する.ラット,マウスの味蕾では,IGFシグナルの一部が成熟味細胞のマーカーであるkeratin 18とオーバーラップしていた(42~44)42) Y. Suzuki, M. Takeda, Y. Sakakura & N. Suzuki: J. Comp. Neurol., 482, 74 (2005).43) B. T. Biggs, T. Tang & R. F. Krimm: Chem. Senses, 40, 600 (2015).44) C. Zhang, M. Cotter, A. Lawton, B. Oakley, L. Wong & Q. Zeng: Differentiation, 59, 155 (1995)..IGFはインスリン様成長因子受容体(IGFR)およびインスリン様成長因子結合蛋白(IGFBP)に結合することが知られている.IGF1Rの発現はkeratin 8またはkeratin 18を有する味細胞で広範に観察され,IGFBP-2およびIGFBP-5も一部の味細胞で発現が見られた(42, 43, 45)42) Y. Suzuki, M. Takeda, Y. Sakakura & N. Suzuki: J. Comp. Neurol., 482, 74 (2005).43) B. T. Biggs, T. Tang & R. F. Krimm: Chem. Senses, 40, 600 (2015).45) B. T. Biggs, T. Tang & R. F. Krimm: PLOS ONE, 11, e0148315 (2016)..ほかにも,IGFBP-6は有郭乳頭の味蕾周囲の神経線維で発現することが示されている(42)42) Y. Suzuki, M. Takeda, Y. Sakakura & N. Suzuki: J. Comp. Neurol., 482, 74 (2005)..しかし,現在末梢味覚器におけるIGFシグナリングの機能はほとんどわかっていない.舌上皮に特異的にIgf1rを遺伝的に欠損させたマウス(Igf1r-KOマウス)を解析した結果,若齢Igf1r-KOマウス(30日齢)では野生型マウスと比べて味蕾数の減少が認められるが,80日齢の成体マウス同士ではこのような差は観察されなかった.また,若齢および成体Igf1r-KOマウスのいずれにおいても,味蕾のサイズおよび味蕾内の味細胞ポピュレーション(I型,II型,III型細胞の割合)は野生型と変わらず,舌上皮の構造および厚さにもIgf1r-KOの影響は見られなかった(43)43) B. T. Biggs, T. Tang & R. F. Krimm: Chem. Senses, 40, 600 (2015)..以上の知見から,IGF1は味細胞において豊富な発現が認められるが,恐らく味蕾の初期数の確立には多少影響する可能性があっても,成体味蕾の構造的なホメオスタシス維持においては,全く関係しないかもしくは非常に限定された役割しかもたないと予想されている.
味蕾におけるIRおよびIGF1Rはともに広範な発現パターンを示すことから(30, 46)30) S. Takai, Y. Watanabe, K. Sanematsu, R. Yoshida, R. F. Margolskee, P. Jiang, I. Atsuta, K. Koyano, Y. Ninomiya & N. Shigemura: PLOS ONE, 14, e0225190 (2019).46) Y. Suzuki, M. Takeda, Y. Sakakura & N. Suzuki: J. Comp. Neurol., 482, 74 (2005).,両方の受容体を発現する味細胞が存在する可能性が高い.IRおよびIGFRはアミノ酸配列,ドメイン構造,およびシグナル伝達機構において高度な構造的相同性を示すが,IGF1Rはそのリガンド(IGFs)に対してインスリンよりも約100倍高い親和性を示す.同様に,IRのインスリンに対する親和性はIGF-1よりも100倍以上高い(47, 48)47) R. Schumachers, L. Mosthafs, J. Schlessingerj, D. Brandenburgll & A. Ullrichs: J. Biol. Chem., 266, 19288 (1991).48) J. Nakae, Y. Kido & D. Accili: Endocr. Rev., 22, 818 (2001)..したがって,インスリンシグナル伝達とIGF1シグナル伝達は,異なる役割を果たしている可能性があるが,味覚組織におけるそれらの相互作用,特異的機能に関しては今のところ全く不明である.
糖尿病患者における味覚の変調は1960年代から数多く報告されており,臨床の現場でも広く観察される糖尿病随伴症状の一つである(49)49) H. Kawaguchi & K. Murata: Nippon Jibiinkoka Gakkai Kaiho, 98, 1291 (1995)..さまざまな文献を参照すると,甘味の感受性低下が最も高頻度に報告されていることがわかるが,他の味質の変調に関しても多数の臨床報告がある(50)50) J. L. Schelling, L. Tetreault, L. Lasagna & M. Davis: Lancet, 1, 508 (1965)..De Carliらが行った官能試験では,II型糖尿病患者は健康被験者と比して,甘味(ショ糖),塩味(NaCl),酸味(クエン酸),苦味(塩酸キニーネ)の4つの味質の認知閾値(それぞれの味質を認識できる最小濃度)が高いことが見いだされた(51)51) L. De Carli, R. Gambino, C. Lubrano, R. Rosato, D. Bongiovanni, F. Lanfranco, F. Broglio, E. Ghigo & S. Bo: J. Endocrinol. Invest., 41, 765 (2018)..良好な血糖コントロールを維持している患者と,血糖コントロール不良のII型糖尿病患者を含む80人の被験者を対象とした調査では,半数以上(63.5%)の患者が味覚の低下を自覚していた.また健康被験者と比較して甘味,酸味,塩味の味覚認知閾値に有意な差が見られた.さらに6人の血糖値コントロールがうまくいっていない糖尿病患者では甘味に対するageusia(味覚喪失)が認められた(51)51) L. De Carli, R. Gambino, C. Lubrano, R. Rosato, D. Bongiovanni, F. Lanfranco, F. Broglio, E. Ghigo & S. Bo: J. Endocrinol. Invest., 41, 765 (2018)..別の研究では,糖尿病患者のショ糖検知閾値(蒸留水との区別がつく最小濃度)は正常被験者と比較して有意に上昇していた(52)52) S. Wasalathanthri, P. Hettiarachchi & S. Prathapan: BMC Endocr. Disord., 14, 67 (2014)..Yuらは,II型糖尿病患者はショ糖の検知閾値が高くなっており,健常被検者よりも甘い食物への嗜好性が低下していることを報告した(53)53) J. H. Yu, M. S. Shin, J. R. Lee, J. H. Choi, E. H. Koh, W. J. Lee, J. Y. Park & M. S. Kim: Diabetes Res. Clin. Pract., 104, 214 (2014)..甘味以外にも,糖尿病患者の苦味の認知閾値低下を報告している研究も散見する(54, 55)54) J. P. Le Floch, G. Le Lievre, J. Sadoun, L. Perlemuter, R. Peynegre & J. Hazard: Diabetes Care, 12, 173 (1989).55) S. L. Hardy, C. P. Brennand & B. W. Wyse: J. Am. Diet. Assoc., 79, 286 (1981)..筆者らの最近の研究結果によれば,高濃度のインスリンによるmTORの活性化は味蕾オルガノイドにおけるすべての味細胞分化/増殖に対し抑制的に作用する結果が得られている(30)30) S. Takai, Y. Watanabe, K. Sanematsu, R. Yoshida, R. F. Margolskee, P. Jiang, I. Atsuta, K. Koyano, Y. Ninomiya & N. Shigemura: PLOS ONE, 14, e0225190 (2019)..肥満,また栄養過多の患者では全身的にmTORC1の活性が亢進していることが示されており,これは高血糖と高インスリン血症に起因するものと考えられている(56)56) M.-S. Yoon: Nutrients, 27, 1176 (2017)..この結果をあわせて考えると,過栄養で進行する高インスリン血症が味細胞ターンオーバーに影響与える可能性は高い.糖尿病患者における味覚障害の成因には,本稿で述べた味細胞ターンオーバーの変調だけでなく,末梢血管障害(57)57) P. Pavlidis, H. Gouveris, G. Kekes & J. Maurer: B-ENT, 10, 271 (2014).や神経障害(58, 59)58) J. P. Le Floch, G. Le Lièvre, J. Verroust, C. Philippon, R. Peynegre & L. Perlemuter: Diabet. Med., 7, 526 (1990).59) A. A. Abbasi: Geriatrics, 36, 73 (1981).,唾液量減少を伴う口腔乾燥(60)60) C. Negrato & O. Tarzia: Diabetol. Metab. Syndr., 15, 3 (2010).,炭酸脱水酵素の減少(60)60) C. Negrato & O. Tarzia: Diabetol. Metab. Syndr., 15, 3 (2010).,甘味感覚の変化を伴うGLP-1(Glucagon like peptide-1)分泌の減少(61, 62)61) S. Takai, K. Yasumatsu, M. Inoue, S. Iwata, R. Yoshida, N. Shigemura, Y. Yanagawa, D. J. Drucker, R. F. Margolskee & Y. Ninomiya: FASEB J., 29, 2268 (2015).62) B. Martin, C. D. Dotson, Y. K. Shin, S. Ji, D. J. Drucker, S. Maudsley & S. D. Munger: Ann. N. Y. Acad. Sci., 1170, 98 (2009).,血漿レプチン濃度の変化(49, 63)49) H. Kawaguchi & K. Murata: Nippon Jibiinkoka Gakkai Kaiho, 98, 1291 (1995).63) K. Sanematsu, Y. Nakamura, M. Nomura, N. Shigemura & Y. Ninomiya: Nutrients, 10, 297 (2018).など,多くの因子が複合的に関係すると考えられる.故に,末梢感覚系における糖尿病の病態生理学については今後さらなる研究が必要である.
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