Kagaku to Seibutsu 59(3): 122-129 (2021)
解説
インスリンシグナルの末梢味覚器における役割味細胞の機能調節から分化/増殖に対する影響まで
The Role of Insulin Signaling in Mammalian Peripheral Taste Tissue: From Taste Modulation to Maintenance of Taste Bud Homeostasis
Published: 2021-03-01
現在,さまざまな生活習慣病,特に肥満や高血圧,糖尿病が世界的に深刻な問題となっている.これらの疾病の根本的な予防と治療には,食事を含む生活習慣への介入が不可欠であり,それにはわれわれの摂食行動が味覚を通じてどのように形成されるかを理解する必要がある.味覚は全身の栄養状態の影響を受けて動的に調節されることがわかっており,栄養代謝にかかわるホルモンもその調節に寄与している可能性が高い.本稿では糖摂取に応じて膵臓より分泌されるインスリンが味覚器の機能や代謝に及ぼす影響について,過去の報告と,味蕾幹細胞3次元培養系を用いたわれわれの最新の研究結果を交えて総覧する.
Key words: 味蕾; インスリン; オルガノイド; 糖尿病
© 2021 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2021 公益社団法人日本農芸化学会
味蕾は食物中に含まれる呈味物質を感知するための感覚器官である.食物の味は,さまざまな栄養素,ミネラル,あるいは有害物質の検出に重要であり,生物の生存にとって必須の信号である.現在のところ,甘味,苦味,塩味,酸味,うま味(アミノ酸)の5つは,基本味として認識されており,ヒト,げっ歯類,そのほか多くの脊椎動物で保存されていることが知られている(1)1) J. Chandrashekar, M. A. Hoon, N. J. P. Ryba & C. S. Zuker: Nature, 444, 288 (2006)..味細胞からの感覚入力は単に美味しい,不味いという感情を引き起こすだけではなく,生理的な摂食行動の調節とそれに続く全身のエネルギーホメオスタシスの維持において重要なキューとなる.一般的に甘味とうま味は糖やアミノ酸のような栄養源の検出を可能にし,苦味と酸味は有毒化学物質や腐った食物の摂取を防ぎ,塩味は特定の電解質を検出するシグナルとなると考えられている.
これまでの研究で,味覚の入力は動物の栄養代謝状態に応じてダイナミックに変化することが示されており,多くの内的要因が味覚感受性に影響することが示唆されている.なかでも,いくつかのホルモンは味覚に影響を及ぼす強力な調節因子であると考えられている(2)2) S. Takai, R. Yoshida, N. Shigemura & Y. Ninomiya: Chemosensory Transduction, Elsevier, 2016, pp. 299–317..本稿では,全身のエネルギー代謝において極めて重要な働きをもつインスリンとその関連分子に着目し,その味蕾における発現と機能について概説する.併せて,高インスリン血症を示す糖尿病患者では,随伴症状として味覚の変調が高頻度で報告されている.この糖尿病に関連した味覚の変化に関する臨床所見についてもレビューする.
われわれの舌表面の味蕾は舌前方部では茸状乳頭,舌後方部では葉状乳頭や有郭乳頭に多く分布している.味蕾は1個あたり100~150個の味細胞が包含された内胚葉性上皮由来の組織であるが,周囲の舌粘膜上皮とは全く性質を異にする特殊な器官である(3)3) S. D. Roper: Semin. Cell Dev. Biol., 24, 71 (2013)..味蕾には解剖学的,生理学的な特徴の違いから少なくとも4種類の味細胞(I型,II型,III型,IV型細胞)が含まれており,それぞれの細胞が特徴的な分子発現と機能をもつ(図1図1■哺乳類味細胞の分類と味覚受容体の発現).I型細胞は味細胞の約50%を占め,グリア細胞様の形態をもつ細胞である.支持細胞として味蕾の形態維持にもかかわるが,その機能には不明な点も多い(4)4) S. D. Roper & N. Chaudhari: Nat. Rev. Neurosci., 18, 485 (2017)..II型細胞には甘味受容体(T1R2+T1R3ヘテロダイマー(taste receptor type 1 family, members 2+3)),うま味受容体(T1R1+T1R3ヘテロダイマー(taste receptor type 1 family, members 1+3)),苦味受容体(T2R(taste receptor type 2 family))や,α-gustducin, PLCβ2(phospholipase C β2),TRPM5(transient receptor potential cation channel subfamily M member 5),CALHM1/3(calcium homeostasis modulator 1/3)といった分子が発現しており,甘,苦,うま味の受容を担っている(4)4) S. D. Roper & N. Chaudhari: Nat. Rev. Neurosci., 18, 485 (2017)..III型細胞には,酸味受容体としての機能が報告されたOTOP1(otopetrin-1)やPKD1L3やPKD2L1(polycystic kidney disease 1-like 3や2-like 1)(5~7)5) Y. Ishimaru, H. Inada, M. Kubota, H. Zhuang, M. Tominaga & H. Matsunami: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 103, 12569 (2006).6) A. L. Huang, X. Chen, M. A. Hoon, J. Chandrashekar, W. Guo, D. Tränkner, N. J. P. Ryba & C. S. Zuker: Nature, 442, 934 (2006).7) B. Teng, C. E. Wilson, Y.-H. Tu, N. R. Joshi, S. C. Kinnamon, E. R. Liman Correspondence & E. R. Liman: Curr. Biol., 29, 3647 (2019).,また,シナプス伝達に関連する分子,たとえば,serotonin(5-HT),SNAP25(synaptosomal-associated protein)や,NCAM(neural cell adhesion molecule),またGAD67(glutamate decarboxylase67)等が発現している(4)4) S. D. Roper & N. Chaudhari: Nat. Rev. Neurosci., 18, 485 (2017)..IV型細胞は味蕾の基底部に位置する細胞群であり,ほかの細胞と違い味孔には接しておらず,味の受容には関係しないとされる.SHH(sonic hedgehog)やSOX2(SRY[sex-determining region Y]-box 2),keratin 5等の発現が見られ(8~11)8) Y.-K. Shin, Z. Chen, L. Xin, J. M. Egan, R. Short, J. K. Napora, J. O. Odetunde, O. D. Carlson, Z. Liu, W. Kim et al.: PLoS ONE, 6, e16096 (2011).9) D. Castillo, K. Seidel, E. Salcedo, C. Ahn, F. J. de Sauvage, O. D. Klein & L. A. Barlow: Dev., 141, 2993 (2014).10) H. Miura, H. Kato, Y. Kusakabe, M. Tagami, J. Miura-Ohnuma, T. Ookura, Y. Shindo, Y. Ninomiya & A. Hino: Chem. Senses, 30(Supple. 1), 50 (2005).11) T. Okubo, C. Clark & B. L. M. Hogan: Stem Cells, 27, 442 (2009).,成熟味細胞に至る前の前駆細胞がこのIV型細胞に含まれていると考えられている.
2013年に味蕾幹/前駆細胞が舌後方部有郭乳頭部でLgr5陽性細胞群と同定され(12)12) K. K. Yee, Y. Li, K. M. Redding, K. Iwatsuki, R. F. Margolskee & P. Jiang: Stem Cells, 31, 992 (2013).,これをさまざまな成長因子と細胞外基質成分を含む培地内で3次元培養することにより味細胞のオルガノイド培養系が作製できることが発表された(13)13) W. Ren, B. C. Lewandowski, J. Watson, E. Aihara, K. Iwatsuki, A. A. Bachmanov, R. F. Margolskee & P. Jiang: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 111, 16401 (2014)..さらに同培養系を用いて単一のLgr5陽性味蕾幹細胞がI型~III型すべてのタイプの成熟味細胞に分化可能であることが示された(図2図2■マウス味蕾オルガノイドの作製).味蕾オルガノイドは現在世界で唯一の味細胞の培養系であり,これまで困難であった味細胞機能解析への応用試行が始まっている.生体の味細胞機能解析を困難なものにしてきた要因はさまざまあるが,マウス味覚器のサイズの小ささや,味細胞自体の数が少ないこと,また,成熟味細胞は味蕾から単離するとわずか数時間で死滅するという寿命の短さが主な技術的な足かせとなってきた.一方,味蕾オルガノイドコロニーは,生体味蕾よりもはるかにサイズが大きく,長期間(1カ月以上)の味細胞幹細胞~成熟味細胞培養が可能である(14)14) E. Aihara, M. M. Mahe, M. A. Schumacher, A. L. Matthis, R. Feng, W. Ren, T. K. Noah, T. Matsu-Ura, S. R. Moore, C. I. Hong et al.: Sci. Rep., 5, 17185 (2015)..まだ開発されたばかりの技術であり,発展途上の実験手法であるが,味細胞を用いた実験を多くの技術的制約から解放しうる可能性を内包する研究ツールであり,呈味物質のスクリーニングや,薬剤の効果や味細胞に対する副作用のスクリーニング,味細胞分化機構の詳細な解析などへの応用が期待されている.